第六章(一)
「欠片を収めに行きましょうか」
土曜日の午前中、綾が最後の欠片を収めようと提案した。最後の欠片を手に入れてから約一週間が経過していた。
「ああ、収めに行くか」
「それでは私、本を持ってきますね」
そう言って綾は立ち上がると、自室へ向かっていった。
あとには、僕と夏波が残される。
「欠片を全て収めたらどうなると思う?」
横にいた夏波は、いきなり僕に尋ねてきた。
「え? どうなるって……」
そんなこと考えもしなかった。とにかく欠片を集めようと一所懸命だったので、その後のことを、考えようともしなかった。
綾とは欠片を集めたら何が起こるか、という話はしていなかった。今になって思うと、その話をこれまでにしなかったのが不思議である。普通なら一番に気になりそうだ。
「健一も知らないのか。私はてっきり知っているのかと思っていたぞ」
「夏波も知らないんだよな?」
「私も知らん」
「何でこれまでに訊かなかったんだ?」
興味があったので夏波に質問した。なにか理由があって訊かなかったのだろうか。訊いてまずいことが起こるなら、訊かなかった僕は正解だ。
「今まではあまり気にならなかったんだ。だけど、最後の欠片を収める今になって、急に気になりだしたんだ」
なるほど。今になっても気にならなかった僕より、夏波の方が優秀だ。
夏波が知らないとなると、何が起こるか知っているのは、綾だけということになる。いや、綾も知らないのではないだろうか。もしそうだとすれば、これまでに訊いても回答は得られなかっただろう。ならば、訊いても訊かなくても同じだ。
「何が起こるか予想してみないか?」
「いいけど」
僕は夏波の提案に賛同した。
「私は最後の欠片を収めたら、超能力が使えるようになると思うぞ。その能力は世界で最も強大であり、指を少し動かすだけで、この世界を滅ぼせるんだ」
意味不明である。
「夏波、大丈夫か? なんかに毒されたのか?」
「うるさい! 私だって妄想の一つや二つする! 本気にとるな!」
ポカポカと腕を叩いてくる。痛くも痒くもない。
「分かった、分かった。冗談だって分かったから、落ち着いてくれ」
「私は落ち着いているぞ!」
「そんなわけあるか!」
そうこう話をしていると、綾が自室から戻ってきた。
「おまたせしました」
夏波は僕の腕を叩くのをやめた。
「すみません、遅くなってしまって。本をどこに置いたのか、思い出すのに時間が、かかったんです」
「見つかったのなら良かったな」
「本をなくすほど、私はドジではありませんよ。ほら、きちんとあるでしょう?」
綾は持ってきた本を、僕の目の前に掲げた。
「どうぞ、健一さん」
掲げた本をそのまま僕に渡してきた。
「ありがとう」
本を受け取り、僕は先程疑問に思ったことを、訊いてみた。
「綾、最後の欠片を収めたら何が起こるのか知っているか?」
「ごめんなさい。私も知らないんです。完成させてからのことは、本に挟まっていたメモにも書いていなくて……」
訊いても訊かなくても同じであった。
何が起こるのかを綾が知っていて、僕がそれを訊いたとする。得られた回答がとてもつまらないものだったら、欠片を集める気は半減していたかもしれない。そう考えると、何が起こるか知らなくて、訊かなくて、良かったのだろう。
「それじゃあ、収めに行くか」
「はい、お願いします」
僕は本を開いた。
次の瞬間、我が家の風景は消え、本の世界に移動していた。移動に要する時間はほぼゼロに等しく、僕は移動を感じられなかった。この移動を何度も経験しているのだが、結局慣れることはなかった。
三人でピラミッドへ向かい歩いていく。
柱に挟まれた長い道。この道を辿るのも、今回で五回目であった。最初のびっくりして怯えていた頃が、懐かしく思われた。
道が終わると、頂上への長い階段が続いていた。
黙々と階段を登り、頂上へ辿り着いた。
やっぱりこの階段は辛い、足が棒のようになってしまう。
「はぁ……はぁ……、健一、飲み物だぞ……」
夏波からリンゴジュースを渡される。
夏波だけに荷物を持たせるのは悪いので、これまで荷物は代わりばんこで持つようにしていた。
「スポーツドリンクが……家になかったんだ……。だから……、今日はリンゴジュースだ……」
「あ……ありがとう」
「ありがとう……ございます……」
僕たちはリンゴジュースを受け取り、それを飲み干した。
疲れから回復したら、碑の前へ向かう。
「さあ、どうぞ健一さん。欠片を収めて下さい」
綾にそう言われて、欠片を取り出した。
台では三つの欠片が淡い光を放ち、ゆっくりと回転していた。
一つ目の欠片は、青色の光。物理準備室で偶然見つけた欠片。
二つ目の欠片は、赤色の光。夏波が見つけてきた欠片。
三つ目の欠片は、緑色の光。部長から譲っていただいた欠片。
そして、四つ目の欠片は……。
僕は台の上へ、欠片を持った手をかざした。
「最後の欠片は、皆で一緒に収めないか」
僕は彼女たちに提案した。欠片を全て集めたという充実感を、彼女たちと分かち合いたかった。
「そうだな。そうするか」
「はい。そうしましょう」
彼女たちは同意し、欠片を持つ僕の手に、自身の手を重ねた。手の甲で二人を感じた。
僕は重ねられた手を見て、欠片を離した。
台上で欠片を離すと、欠片は茶色の光を帯び、ゆっくりと回転を始めた。
そして、世界に文字が刻まれた。
気がつくと元の世界へ戻っていた。
僕は手に持っている本を開いて、中を確認してみる。すると空白だったページに、蛇が這っているような文字が刻まれていた。蛇が何匹も行進をしている。
これは何かの文字なのだろう。だが僕はもちろん読めなかった。只の落書きにしか見えない。
「綾、これ読めるか?」
綾なら読めるかもしれない。
「よ、読めません……」
僕が開いた本を見て、綾は苦笑いをした。
そのまま綾に本を返す。
「はは、読めないか」
窓から空を見上げてみると、雲がゆるく流れていた。今日は風もなく、雲のスピードは遅い。
「でもいいんです。私はお爺さんの本を完成させられたことが、とても嬉しいんです」
そう言って綾は本を抱きしめた。その姿は優しかった。