第五章(一)
「健一さん! 遂に見つけました!」
夕食の後、綾が立ち上がり嬉々として言った。あまりにも突然だったので、僕と夏波は目をぱちくりさせてしまう。
「何を見つけたんだ?」
僕は当然の疑問を口にする。彼女は見つけたとしか言っていない。
「欠片をですよ」
「本当か!」
思わず訊いてしまう。
本当だとすると、やっと自力で欠片を見つけたのだ。その大変な喜びようも理解できる。これまでに見つけた時は、捜して見つけたという気がしなかった。だが今回は、綾が捜して見つけられたのだ。綾が見つけた場面を想像して、僕も達成感を味わう。
まあ、僕は見つけていないのであるが。
「この写真を見て下さい」
綾は携帯電話に画像を表示させ、僕たちに見せた。
画像には、クラスメイトの倉金さんと星沢さんが写っていた。二人共、水着姿で肩を組み、ピースをしている。その背景には海が望まれる。
「これがどうしたんだ?」
「二人の足元をよく見て下さい」
そう言われて注意深く画像を見る。だが特に変わった所はない。石がゴロゴロと転がっているだけだ。
「別に取り立てていうことはないだろ」
「いや、あるぞ。健一」
横合いから画面を見ていた夏波が神妙な声で言った。
「ほら、ここだ」
夏波は細い指で画像の一点を指した。
指さされた所に目を凝らす。
僕にも欠片が見えた。それは石と石との間に、遠慮気味な様子で挟まっていた。
「倉金さんと星沢さんに写真を見せてもらった時、気づけて良かったです。危うく見逃すところでした」
「私も見せてもらったが、全然気づかなかったぞ」
こんな小さな欠片だ。気づかないのが当然であろう。逆に見つけられた綾は、尊敬に値する。注意力が高いのか、はたまた運がいいのか。いや、そのどちらもだろう。
「倉金さんたちがいるのって、一体どこなんだ?」
僕は倉金さんたちから、写真を見せてもらっていないので、詳しいことを知らない。これが分からなければ、欠片を取りに行くことはできない。
「はい、彼女たちはある島に行ったみたいですよ」
その島は東京から百六十キロメートル離れた場所にある島だった。これなら行けないこともないだろう。外国とかではなくて良かった。
「倉金さんたち、とても楽しそうに話していました」
携帯電話で調べてみると、交通手段としては船と飛行機があるらしい。
「船か飛行機で行けるみたいだけど、どっちにする?」
「せっかくなので船で行きませんか。飛行機だとすぐ着いてしまうでしょう。永く旅行を楽しみたいです」
飛行機で行くと三十五分、船で行くと十時間三十五分かかるらしい。差は圧倒的だ。三十五分なんて外の景色を見ていれば、アッという間に過ぎてしまう。十時間三十五分は一眠りしないと、過ぎることはないだろう。
段々と計画を立てているうちに、ある問題にいき着いた。
「資金はどうするんだ?」
「あっ」
綾が口に手を当て、目を泳がせる。彼女も言われて初めて、その問題を意識したみたいだ。
「それならなんとかなると思うぞ」
僕たちの話を聞いていた夏波がそう答えた。
「どうするんだ?」
「ちょっと待ってろ」
彼女はポケットから携帯電話を取り出し、どこかへ電話をかけた。
「もしもし。お父さん」
どうやら、かけた先は親らしい。
夏波は電話で喋りながらリビングを出ていった。
「大丈夫でしょうか」
綾が心配そうに言った。夏波のお父さんは、夏波には弱いので貸してくれそうな気がする。だがこれは絶対に大丈夫とはいえない。
「ダメな時は他の方法を考えるよ」
しばらくすると、夏波が電話を片手に持ちながら戻ってきた。
「お金貸してくれるってさ。今から受け取りに来いって言ってた」
「僕が行ってくるよ」
玄関で靴を履き外へ出る。
空を仰ぐと、雲は一つもなくはっきりと月が見えた。本日は満月であった。月光は夜道を目一杯に照らした。
夏波の家のインターホンを鳴らす。
扉の前で待っていると、夏波のお父さんが出てきた。
「やあ、健一くん。こんばんは」
「こんばんは」
「お金を取りに来たんだよね?」
「はい、そうです」
「娘の頼みとあっては仕方がない。仕方がないんだ、ううっ……」
夏波のお父さんは泣きながら、お金を渡してくれた。大変申し訳なく思うが、受け取らないわけには行かない。
「ありがとうございます。後で必ず返します」
バイトでもして返す。だが今は、バイトをしている時間はない。欠片を手に入れるのは、早ければ早いほど良いだろう。
「よろしく頼むよ。ううっ……」
そのまま、夏波のお父さんは扉を閉めた。
片手に重みを感じた。
島へ行く準備は整った。後は安積先生にしばらくの間学校を休むと伝えるだけだ。
「おや、寺垣くん。どうしたのですか」
物理準備室の扉を開けると、机で作業をしていた安積先生が、こちらに向き直った。
「来週一杯、学校を休みたいのですが」
「三人共?」
一緒に来た夏波と綾を見て、安積先生がもしやという風に尋ねた。
「はい」
「三人で何するんですか?」
先生は僕たちを疑わしげな目で見つめた。
まあ、三人一緒に休むなんて正当な理由だとは思えないだろう。僕も思えない。
僕が思えないのは、何故休むのかを知っているからかもしれない。だが、僕にとっては正当な理由だ。土日で島へ行くことは不可能なのだから。
休む期間を来週一杯としたのは、予備日を取ったからだ。予定では三日で事足りるのだが、初めて島へ行くのだ、何が起こるか分からない。
「まあ、いいです。あなた達は普段真面目なので、たまには非行も認めてあげます」
非行ではありません、とか言ったら面倒になるので余計なことは言わない。
「ありがとうございます」
「ただ警察に捕まるようなことはしないで下さいね」
「しませんよ」
非行ではないので警察には捕まらない。
物理準備室から出て、僕たちは息をついた。
「ダメって言われるかと思ったぞ」
「僕だってそう思ったよ」
「でも、許しが貰えて良かったですね」
これで全ての準備が整った。
出港は明日だ。
夜の船着き場は不気味であった。黒く底知れぬ海は、僕の全てを飲み込むように思われた。落ちたら戻って来れないのではないだろうか。
その黒い海に白い船が、堂々と浮かんでいた。間近で見て、その巨大さを改めて実感する。こんな大きな物が動くのだから、世の中不思議なものである。
船室は四人部屋であった。僕と夏波と綾の三人でこの部屋を使う。
出港は午後十時である。今は午後九時半であるため出港までに時間がある。
「ちょっと船の中を見てくるぞ」
そう言って夏波は部屋を出ていった。
部屋でじっとしているのもつまらないので、僕もどこかへ行くことにする。
「綾は部屋に残っているのか?」
「そうですね、私もしばらくしたら外へ行ってみたいと思います」
船内には自動販売機やレストランがあった。シャワー室まであるが、家を出る時に風呂へ入ってきたので、僕たちには必要ない。
甲板へ出ると数々の光が目に入った。それは夜景であった。遠くにあるビルの光が、ポツポツと浮かんでいた。
これから島へ行き、欠片を手に入れたら、綾はどうなるのであろうか。欠片を全て手に入れたのだから、綾が僕の家にいる理由はなくなるのである。すると、彼女はどうするのだろうか。これまでそのことを、綾には聞けなかった。簡単にこの問題へ、触れられるはずもなかった。……これは問題であるのか?
「健一さん」
背後から綾の声が聞こえた。
振り返ると、こちらへ向かって歩いてくる綾が見えた。
「綺麗ですね」
綾が夜景を見ながら言った。
「そうだな」
「お前のほうが綺麗だよとか、言わないんですか」
「アホか」
僕たちは永い間、遠くに視線を投げていた。
彼女の頭に挿さる髪飾りが、方々から放たれた光を反射させていた。
「レストラン十時から開くみたいなので、行ってみませんか?」
「何か食べたい物あるのか?」
「カレー食べたいです」
「結構がっつり食べるな。こんな遅い時間にカレーなんか食べたら太るぞ」
「むっ、失礼ですね。一回くらいなら、大丈夫ですよ」
その時汽笛が鳴り、船は岸から離れていった。段々と船はスピードを増していく。スピードが上がるにつれ、向かい風も強くなってきた。
周囲の光は後方へと流れていった。
確かに見えていたビルや橋、クレーンなども小さくなっていき、最後には消えてなくなった。