表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/20

第四章(四)

 僕は良川さんの気持ちを、理解させられていた。

「もうブツは、挙がってるんですよ。いい加減吐いて下さい」

 テーブルの上に提示されているのは三枚の写真だ。どの写真にも、塀に背をつく僕と、覆いかぶさる部長が写っている。

 電子機器が普及しているこの時代に、わざわざ印刷したのだろうか。ご苦労様である。

「というか、やっぱり良川さんが、ストーカーだったんじゃないか」

「うるさいですね。先輩につまらないことを喋る権利はありません。それよりも、どういうことなのか説明して下さい」

 そう言った良川さんは、デスクライトの光を、顔へ当ててくる。僕が苦労して見つけてきたデスクライトは、彼女に使われてしまった。ちょっと悔しい。

「やめてくれ。眩しい」

「先輩にとっては、ちょうどいい明るさじゃないですか」

「そんなわけあるか!」

「仕方ないですね。やめてあげます」

 良川さんは仕方なしといった様子で、デスクライトを元の位置へ戻した。

「さてそれでは、どういうことなのか説明して下さい」

「これは事故だ。僕はこの状況を、意図して作り出したわけじゃない」

 努めて冷静に言う。ここで焦ったら怪しく思われてしまう。本当に事故なのだが、怪しく思われたら終わりだ。

「事故もここまでくれば事件です。それに事故ってるのは、先輩の頭なんじゃないですか?」

 中々厳しいことを言う。僕の頭はまともだ。

 まともではあるのだが、ここまで言われたら、僕も黙っていられない。

「ストーカーには、言われたくないな」

「私はストーカーでは、ありませんよ」

「じゃあ、この写真は……」

「うるさいですね。黙ってて下さい」

 また光を当てられる。本日、二度目の照射である。

「分かった。もう言わないからやめてくれ」

「分かればいいんです」

「というか、この写真を取った人に、どういうことがあったのか、聞けばいいじゃないか」

「その人だって、ちょっと目を離してしまうことがあります。その隙にこれですよ。全く、ふざけてやがりますね」

「一つ訊いてもいいか?」

「はい、何でしょう」

 肝心なことを訊いても、はぐらかされるに決まっている。ならば、肝心ではないことを訊いてみる。

「良川さんは、どうやったらこんな状況になると思う?」

 僕は写真を指差しながら言う。

「そうですね……」

 彼女は顎に手を当て、考える仕草を見せた。下を向き、目を瞑って考えている。

 やがて考えがまとまったのだろう。彼女は前を向き、口を開いた。

「『おや、寺垣くん。肩口に糸くずが、ついているよ』

『ほんとですか』

『ああ、本当さ。今取ってやるからな』

『お願いします』

『おっと』

『うわっ』

『すまん、私としたことがバランスを崩してしまった』

『い、いえ、大丈夫ですよ。それよりも早く離れて下さい』

『そんな冷たいこと、言わなくてもいいじゃないか』

『冷たいだなんて、そんなことありません』

『はっはっは、焦らなくとも君の温かさは知っているさ』

 と、いったところでしょうか」

 彼女は、僕と部長の様子を実演してみせた。その芝居は大変うまかった。彼女こそ一人二役の名手である。

 思わず拍手してしまう。

「ありがとうございます。ですがこれは、あくまで私の妄想でしかありません。本当のところはどうであったのか、教えてください」

「大体そんな感じだよ」

「は? こんなことがあったんですか。羨ましすぎます、死んで下さい」

「流石に、死ぬことはできないな」

「冗談に決まってるじゃないですか。本気に取るなんて、どうかしてます」

「僕も冗談で言ったんだよ」

「え? じゃあ、死ぬんですか?」

「いや、死なないけど」

「何なんですか。まあ、死なれちゃ困りますけど。『先輩に死を強要!』なんて、新聞に載りたくありません」

 僕もそんなことで、死にたくない。

「先輩、千陽先輩に変なことしてませんよね?」

「してないよ」

「そうですよね。先輩のような只のヘッポコ変態が、そんな大胆なことできるはずありませんもんね」

 やはり僕はヘッポコに見えるのだろうか。良川さんにも言われてしまい、少し心配になる。

 こうなったら、ヘッポコはヘッポコとして置いておく。

 ヘッポコを認めたとしても、変態だけは絶対に認められない。

「良川さん。僕のことを変態というのだけはやめてくれ」

 僕は自分のことを、変態だと思っていないので、変態と呼ばれるのは大変不名誉である。変態と呼ばれて、悦ぶ変態もいるのだろうが、僕はそんな変態ではない。

「仕方ないですね、分かりました。これからも私は先輩を写真越しに見ていますから。変なことしないで下さいね」

 そう言い残し、彼女は部室から去っていった。

 あとには三枚の写真と、下を向いたデスクライトが残った。


 金曜日。部長の荷物持ちをするのも今日が最後だ。

 僕は月曜日と変わらない姿、格好で部長に従い歩いていく。

「寺垣くん」

 前を歩いていた部長が、区切るように言った。歩く速さは少し遅くなった。

「何ですか」

 僕もその速度に合わせて言う。

「その、すまなかったな。わざわざ一週間付き合ってもらって」

「別に構いませんよ。さほど面倒ではありませんでしたし」

「でも、毎朝私の家まで来るのは大変だったろう」

「それは確かに大変でしたけど……」

「はっはっは。こんなつまらないことを聞いてくれて、私はいい後輩を持ったよ」

 部長は笑いながら、僕の背中を叩いてくる。

 僕は転びそうになるが、鞄の持ち方を変えて転ばずに耐えた。

 段々と見えてきた部長の家は、一階にだけ明かりが点いていた。それを確認した僕たちの歩速は、さらに遅くなる。

 部長は家の前で足を止めた。

「ほら、寺垣くん。約束のものだ」

 部長は握り拳を前へ突き出した。僕は手の平を上へ向けて、部長の下に並べた。欠片は僕の手の平へと落とされた。

「また来週」

「はい、部長」

 部長は家の扉を開け、僕に手を振ってきた。僕が振り返すと、部長は満足げに中へと消えていった。

 しばらくの間、僕は部長が消えていった扉を見つめていた。だがそうしていても、仕方がない。自分の家へ帰るため、今来た道を引き返していく。

「おや、先輩。奇遇ですね」

 途中、良川さんに出くわした。

「そうだな。奇遇だな」

「何ですか。ノリ悪いですね」

 成り行きに身を任せ、彼女と並んで歩いていく。十一月の空は寒々としており、冬の訪れを感じさせた。星が綺麗だ。

「僕が部長と一緒に帰ることはもうないよ」

「下僕辞めたんですか」

「ああ」

「そうですか」

 良川さんが歩く度に、彼女の革靴から靴音が鳴った。その音色は硬質であった。その音は僕と良川さんとの調子を取っていた。こつこつという音は、一定のリズムを狂いもなく刻み、僕をどことなく安心させた。

「先輩」

「何だ?」

「千陽先輩に手を出したら、許しませんからね」

「出さないよ」

「本当ですか? 先輩は異常性欲者なので、誰かれ構わず、手を出しそうです」

「なら良川さんにも、手出しちゃうかもな」

「やめて下さい。うぷっ……」

 彼女は口に手を当てて、吐く真似をする。

「冗談だよ」

「分かってますよ」

 やがて彼女は、自動販売機の前で立ち止まった。

「先輩、これ。下僕解任記念です」

 彼女の手に握られた二本の缶コーヒー。その一本を渡される。

 缶を握ると、はっきりとした温かさが感じられた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ