第四章(三)
昼休みの料理部部室。昼休みには使われていないこの部屋に今日は人影があった。
そこでは取り調べが行われていた。僕はこんな惨いことをしたくはなかった。だが、昨日の帰り道で、栞を発見してしまった以上、この案件を放置しておくわけにもいかなかった。
僕は証拠品である栞を、突きつけて言った。
「やいやい! もうブツは挙がってんだ。とっとと吐いちまいな。何で僕たちのあとを、つけていたんだ!」
栞はちゃんと、チャック付きのポリ袋に入れてある。
部室にある長テーブルの上で、小さなデスクライトが所在なげに佇んでいる。あまりにも広いこの場所には、そのデスクライトは不釣り合いなものであった。
取り調べ対象であり、後輩でもある良川さんは、さっきからずっと窓の方を向いている。僕の言葉には答えようもしない。
僕は、なおも問う。
「これはお前さんが、持っていたもんだろう。昨日曲がり角から逃げる時に落とした。違うか」
と、言ってデスクライトの光を彼女の方へ向ける。
「ちょっ、やめて下さい。目が悪くなってしまいます」
「そいつはすまねぇ」
「あとその話し方も、やめて下さい。何ですか? 刑事ごっこですか? はっきり言って気持ち悪いです」
酷い! 僕はこの話し方、結構気に入っているのに。
「気持ち悪くはないだろう」
「いえ、先輩が言うと、気持ち悪く聞こえるんです」
尚更酷い。
「それで良川さんは、何で僕らのあとをつけていたの?」
「黙秘します」
「誰かに頼まれたの?」
「黙秘します」
「良川さん、暇なの?」
「黙秘します」
「………………」
「………………」
「やいやい! さっきから聞いてりゃ……」
「ほんと気持ち悪いです。やめて下さい」
はっきり言われるとやはり傷つく。もうこの言葉使いは封印しよう。
「逆に訊きますが、先輩はここ数日千陽先輩と一緒に登校していますよね。あれって一体何なんですか?」
うぐ……、そこを突かれると辛い。
「それは……」
「やっぱり噂通り、千陽先輩の下僕に志願したんですか?」
「断じて違う。それと、噂って何?」
「二年生に特上の変態がいるって、噂になっていますよ」
「そんな馬鹿な……」
「今回の件だけなら、大した話にはならなかったでしょう。ですが先輩には、前科がありますからね」
前科とは安積先生の件であろう。あれも誤報であるのに、何故こんな目にあってしまうのか。
「大体、異派のゴミ連中といい、この学校には変態が多すぎるんですよ」
異派のゴミ連中とは随分な物言いである。助力の会会員である彼女にとって、ゴミ連中は排除すべき対象なのだろう。
「それには僕も同感だ」
「何言ってるんですか。この前、すっぱ抜かれてたくせに」
「あれは間違いだと、君たちも認めてくれただろう」
「間違いを犯したと」
「違うわ」
「そうですか……」
そう言って彼女は、目を細め窓から遠くを眺めた。僕もつられて外を見やった。
沈黙が訪れた。
グラウンドから聞こえる運動部のかけ声、足音、打球音。この狭い空間は、それらの複合的な反響で占められた。
「先輩は、千陽先輩の何なんですか?」
静寂を破り、発せられたその問いに、僕は答える事ができなかった。……答えるべきではないと思った。適当な事を言ってはならない。彼女の声には、そう感じさせるほどの凄みがあった。この部屋の空気も相まって、そう感じたのだろうか。
ササッと、下の方で動く気配がした。テーブルの上を見ると、栞が消えていた。
「あっ! おい!」
栞は彼女の、手中にあった。取り返そうと手を伸ばす。だが見事に避けられてしまう。手はかすりもしなかった。
「これは返してもらいますよ」
そう言い、彼女は部室から、立ち去っていった。コツコツと響く靴音は、規則的であった。
その日の帰り道、僕はまたもや視線を感じていた。だが僕は、その視線の正体を知っているので、振り返ることはしなかった。
「今日も視線を感じるか?」
「いえ、今日は感じませんね。部長が言った通り、昨日は疲れていたので、勘違いをしていたのでしょう」
「うむ、ところで昨日は早く眠れたか?」
僕はこの時初めて、部長に早く寝ろと、言われていたことを思い出した。なので昨日は早く寝ていない。
昨日は零時までテレビゲームをしていた。リビングにしかテレビがないので、ゲームをする時はいつもリビングでしている。一階へ降りてきた夏波に夜更かしするなと怒られてしまい、昨日は早々に退散することとなった。
「中々眠れませんでした」
「そうだろうな。でもそれは仕方ないよな。君たちは若いからな」
何故若いと早く眠れないのか疑問に思ったが、口には出さなかった。どうせ大した理由でもないのだろう。
「これはあくまで、学術的興味から質問するのだが、その……どんな体制でしたんだ?」
体制というのは、ゲームをする時の体制であろう。僕はなにをしているとは、言っていないのだが、同居していることを知っていた部長だ、何もかもお見通しなのだろう。
「僕は座ってしますよ。普通はそうなんじゃないですか」
「ふっ、普通はそうなのか。それで昨日は何人でしたんだ? 二人か? 三人か?」
「一人で、ですよ」
「ひ、一人でか……。中川原さんやもう一人の同居人とすることはないのか?」
「興味持ってもらえなくて」
「そうか、君も意外と大変なんだな……」
「僕はそれが趣味なんで、なんとか誘ってはいるのですが、なかなかうんと言ってくれないんです。夏波たちはやりたくないのでしょうか」
ゲームをするのは面白いと思うのだが、夏波たちにとっては、つまらないのかもしれない。
「部長はしたくないですか?」
「わ、私か!」
「はい」
「何で私に訊くんだ! 訊かなくてもいいじゃないか!」
「夏波たちがやりたがらないのは、女性だからかもと思ったので、女性である部長にお尋ねしたんです」
女性はあまりゲームをしない、というイメージがある。
「けっこう真面目な理由なのだな。あの……、その……、なんだ…………、女でもしたい時はあるぞ」
「そうなんですか? でも、したい時ということは、したくない時もあるんですか?」
「それはまあ……、あるな。その日の気分とかにもよるんじゃないか?」
ならば僕はタイミングが悪かっただけなのかもしれない。女性にはゲームしたい日とゲームしたくない日があるようだ。
また折を見て、夏波たちを誘ってみよう。
「私からも質問していいか?」
「はい、僕の話聞いてくれたんです、どうぞ遠慮なくして下さい」
「先程の話に戻るのだが、一人でする時はいつもどこでしてるんだ?」
「リビングでします」
「リビング!」
そう叫んだ部長は仏のような顔になっていた。魂ここにあらず、といった感じだ。
「部長。前方に電信柱があるので、ぶつからないよう気をつけて下さい」
僕の一言で現世へ戻ってきた部長は、電信柱を華麗に躱した。だが現世へ戻るのが遅かったのか、慌てて避けたものだから、部長の左足が僕の右足を引っかけてしまう。
見事引っかかった僕は、部長の前へバランスを崩す。鞄を二つ持っているため、思うように身体を動かせない。
よろめく僕を、部長が手を伸ばし掴もうとする。だが、そう上手く立て直せるはずもない。
「おっと」
「うぐ……」
気がついた時には、部長の顔が目の前にあった。僕は部長によって、家の塀へ追いやられていた。部長が僕に覆いかぶさっている。塀側にいる僕は、部長がどいてくれないと、身動きが取れない。
僕が手を放した鞄は、道路に転がっていた。
数秒、部長と見つめ合う。
「手をどけて下さい、部長」
透き通るような視線で見つめられつづけ、疲弊してしまった僕は、部長に対して降伏を宣言した。
「ああ」
部長は塀についていた手を外した。
そして僕たちは、何事もなかったかのように、部長の家の方へ歩いていった。