第一章(一)
本日は日曜日である。なのにこんな早い時間に起こされるとは、一体どういうことであろうか。
「ほら! 起きろ、健一!」
聞き慣れた声が聞こえ、肩を揺すられる。僕を起こしてくれるのは、幼馴染の中川原夏波だ。彼女が朝起こしてくれるのは、毎日のことなので、僕は彼女が部屋にいても驚かない。
また寝るとひどい目に遭うので起きる。
「やっと起きた。何回起こしても、起きないんだから」
「それはどうも……」
「どうもじゃないぞ、まったく……。そうそう、雨樋が壊れていたから直しておいたほうがいいぞ」
彼女は屋根伝いに僕の部屋へ入ってくるので、雨樋が壊れていると分かったのだろう。
屋根から落ちて怪我したら大変なことになるので、やめたほうがいいと言っているのだが、なかなか聞いてもらえない。
「そうか、後で直しておく」
「絶対直さないだろう……」
ああ、直さないよ! 面倒だからな。
「それよりも、早く着替えるんだ!」
「わかった、わかった」
僕がそう答えると、彼女は部屋を出た。
「先に、行ってるからな」
ドア越しにそう言うと、彼女は部屋の前から離れていった。
階段を降りる音が聞こえる。
帰りはきちんとした通路を使うんだな……。どうせなら、行きもそうしてほしい。
着替えながら思い出す。僕は彼女の家の掃除を手伝うと、約束したのだった。多少面倒くさいとは思うが、約束してしまったものは仕方がない。きちんと掃除しよう。
この家に住んでいるのは僕一人だけだ。両親は仕事の都合で、ここから遠く離れた場所に住んでいる。だからなのか、夏波は毎朝僕を起こしに来てくれる。彼女の危険な行いも、僕の両親がいないのが理由なら、是非とも両親には帰ってきてほしい。
だが僕の両親は帰ってこないし、彼女も屋根伝いに来るのをやめはしないのだ。
はあ……。どうにかこうにか彼女にやめさせる方法、または妥協して安全に屋根を渡る方法を考えたいのだ。
夏波の家に行きインターホンを鳴らすと、夏波のお母さんが出迎えてくれた。
「あの、夏波は……」
「あら、健一くん! いらっしゃい。とりあえず中に入ってて」
と、背中を押されてしまう。
僕は要件を伝えてないのだが、これは入らないわけにはいかない。といっても、入らないつもりはないのだが。
リビングに行くと夏波のお父さんが新聞を読んでいた。
「おお、健一くんか。いらっしゃい」
「どうも、お邪魔しています」
「はっはっは、ゆっくりしていきなさい」
テレビを見ていると、夏波のお母さんがお茶を出してくれた。
「どうぞ、健一くん」
「これは、ありがとうございます」
温かく美味しい。
そうだ。さっきの屋根伝いの件をここで話してみよう。
「あの、夏波が屋根を渡って僕の家に入ってくるんですよ。危ないのでやめさせたいのですが……」
「ははは、別に構わないじゃないか。もう何年もそうしてきたんだから、夏波も落ちないよう、コツを掴んでいるのだろう。なに、そんな心配することではないさ」
と、夏波のお父さんが答えた。
「そう……、ですかね……」
うーん、なんかそのような気もしてきた。
「ところで、健一くんはなぜそんなことを、突然言い出したのかね?」
「それは……」
特にどうこうといった理由はない。危ないのではないかという、考えがポンと浮かんだのだ。
「分からないだろう。理由のない提案と、理由のない答え。いいじゃないか」
「ははは、そうですね!」
何がいいのか分からなかったが、とりあえず肯定した。
「はっはっは、そうだろう!」
「ははは!」
「はっはっは!」
男二人の笑い声が響き渡る。
「ちょっと……、なにやってんの……」
と、リビングに顔を出した夏波に言われてしまう。
「笑い声、部屋の外まで聞こえてたよ……」
「なんでもないことを言い、なんでもない答えを聞いていただけだよ」
「は?」
「い、いやなんでもない」
夏波に手招きされて、廊下へ出る。
「今日は、物置の掃除をしよう」
「おう」
そう答えて外へ出ようとする。
「ちょっと待って、掃除道具を準備するから」
そういえば、掃除道具は必要だな。何もないと掃除できないし。
「どこにあるの? 手伝うよ」
「ん、ありがとう」
夏波に案内してもらって、掃除道具が置かれている場所に向かった。
「ほうきと雑巾があれば大丈夫だろう」
どのような掃除道具があるか確認した後、僕は言った。他にもバケツやホースなどがあったが、物置を掃除するだけなので、簡単な道具だけで事足りるだろう。
「そうだな。掃除してる最中に何か必要なものが出たら、また取りに来ればいいよ」
「これ、夏波の分な」
ほうきと雑巾のセットを渡した。
「雑巾に穴あいてるじゃないか! もっとマシなのはないのか?」
「じゃあ、これとか?」
バケツに引っ掛けてあった別の雑巾を渡す。
「まあこれなら……」
「道具を手にしたところで、早速物置へ向かうか!」
「やけに張り切っているな」
「早く終わらせて、早く帰りたいんだ」
起きてから一時間くらいたったのだが、まだ眠気が覚めない。布団が恋しい。この掃除は布団に入るための努力なのだ。
「健一の望み通り早く終わらせるか。そのために一所懸命掃除するぞ!」
「わぁー、ありがとー夏波さーん」
「やる気あるのか? それと健一も掃除するんだぞ」
「へーい、わかってますよ」
夏波の後をついて外に出た。
物置は庭のすみっこにある。扉を開くと中はホコリまみれだった。
「うっ……」
澱んだ空気に思わず息を止めていたくなる。物置の中には家具などが無造作に置かれていた。ここを綺麗にするのは骨が折れそうだ。
「結構汚いな……。最後に掃除したのいつだ?」
「たぶんできた時から、掃除してないんじゃないかな」
ははは、すると汚れ具合から見て、建てたのは十五年前くらいであろうか?
……この推測に具体的根拠はない。適当に思っただけだ。
「それじゃ、とりあえず中の物を外に出してくれ」
「分かった」
こうして物置の掃除が始まったのだった。
「そろそろ休憩するか」
そう夏波が言った時、時計は十二時を指していた。
お昼ご飯は彼女のお母さんが用意してくれた。それを夏波と並んで食べる。
そんな時ふと気になったので訊いてみる。
「なあ、なんで掃除しようと思ったんだ?」
「この前物置に来た時、あまりにも汚かったんで、どうにかしようと思ったんだ。そしたら健一が暇そうだったんで、手伝ってもらおうかと」
「はは、そうか」
「も、もしかして、迷惑だったか?」
「いや、そんなことはないよ」
どうせ暇だったし、何もしないよりは何かしていたほうがいい。あと、ここの掃除は夏波だけでは大変だったろう。
「なあ、お父さんとお母さんには手伝ってほしいって言ったのか?」
「健一がするって言ったから、言わなくていいかなって」
「そっか」
他に人を呼ばなくていいなんて、僕って結構信頼されているのだろうか? そんな筋力に自信があるわけでもないのに。
「食べ終わったんなら、また掃除始めるぞ!」
そう言われて、物置へ向かう。
もう少し休んでいたかった……。
掃除を進めていると、あるものを見つけた。
入り口の方に積んであるたくさんの本、その一番上にホコリのかぶっていない、最近置かれたと思われる本が一冊あった。
その本は表紙が革でできており、図書館に置いてある『郷土の歴史』みたいな外見である。厚みも結構ある。
結構珍しかったので、気になってしまった。
「なあ、この本どうしたんだ?」
「ああ、それはこの前古本屋に行った時に見つけたんだ。見た目が、かっこよかったのでつい買ってしまった」
「あんまり無駄遣いするなよ……」
「そんなに高くなかったし、大丈夫だよ」
「へー、いくらだったの?」
「八百円」
「やすっ」
こんな豪華そうに見える本が、八百円!
「どんな値段の付け方してんだよ……」
「多分中に何も書かれていないから、安いんじゃない?」
「そうなの?」
「ああ、一文字たりとも書かれていないんだ。日記帳か何かなのかな」
こんな重々しい日記帳が、果たして存在するのだろうか。
「開いてみてもいいか?」
「かまわないぞ」
そう言って、彼女はこちらに近づいてくる。
僕は本を開いた。パラパラとめくって確認するが、本当に何も書かれていない。真っ白だ。ふと、あるページで紙が止まった。それは見えない何かによってそうされたのだと思うほど不自然なものであった。
一瞬の間。
次の瞬間、僕たちは見知らぬ場所にいた。