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仕事

生涯と障がい

作者: 奥野鷹弘

それは突然の出来事だった。それまで身近なものとして把握していたものが、当事者という形で自分の身に振り掛かってきた。

笑うことも泣くことも否定もしなかった自分に、担当医はそっと口先を緩ませ、こう呟いた。

「今まで、辛かったですね………」と。



今から数ヶ月前のこと、僕はパソコンに呪われたかのようにしがみついていた。周りから甘えとしか言いようがない症状に、ネット上で幾度の検索をかけていた。どれも観る反応は、『甘すぎる自己中』か『慰めのなかの気休め言葉』しかなかった。僕はネット民をバカにするかのように、親指爪を噛み千切り、納得のいく答えを探し続けてた。


朝が苦手な僕は、緊張で熟睡出来ない身体にムチを撃って職場へと脚を運ぶ。いつもどおり、言われたことの作業の流れと仕事としての業務を果たしているはずだった。それなのに周りからかえってくる反応は、極端なもので「よく頑張ってるよ」と「どうしてなの?!」のふたつ言葉だった。中間な言葉を求めようとしても、それが余計に空回りするだけで、もがき続けるばかりだった。だってそれは、出来ない仕事も「出来ない。」と言えなくなってしまうからだ。解らないところを「すみません。ここが…。」と質問できなくなってしまうからだ。

仕事に対して怠けてる訳ではない。逆に考えすぎて、思考と行動と精神が全く釣り合わなくなり、必死なばかりだ。どうすれば僕自身の緊張がなくなって、よけいな詮索もせずに仕事仲間と共に歩めるか、職を安定させることが出来るのか。それに加えて、顧客や職場をより良くしていけるか…それが自分なりのモットなのだ。

 だけど職場の人達は、いつも僕を指をさして議論をしていた。



 ふいに考え事していたあの日、僕は同じ職場の人から「感じ悪い。」とつぶやかれた。もちろんそんなつもりはなかったが、『どうすれば…?』と悩めば悩むほど日を追って追い詰められていった。もう限界だと気づいた時には、出勤時刻の数分前のベッドの上のときだった。汗だくにながらも布団の中に潜り込んでるその姿は、自分でも滑稽で笑い泣きが止まらなかった。笑いが収まったその後、僕は職場に連絡をした。しっかりと反省して、次回に生かすつもりだった。だけど、その場の空気や今までの悪態について触れられ、ふいに『辞職』を発言してしまい、勢いに乗って電話を切ってしまった。こういうところや、些細なミスや色んな事が僕を蝕んできた。



 申し訳ないけど、僕は少しも『生きてていい存在』だなんて、思ってないよ…。




 検索を掛け続けた結果、ひょんなところに同じような広告が立て続けに表示されていたことに気が付いた。手書きで書かれたようなその広告は、自身のこんがらがった悩みの糸をお医者さんが取り外してくれているような挿絵だった。そして「治療できる病気かもしれません。」と書かれていて、ふいに涙が頬をつたった。なぜだかまだ判らないその涙を、ため息をこぼすかのように次々と流していった。

 夜中をまたぎ陽がまだ顔を出さない頃、僕はそっと顔をタオルケットにうずめて、声をあげた。親や兄弟を起こさないように…。



 クリックしたその先は、僕が小さい時から悩んでいた些細なことから大きなことまで書かれていた。でも目立った部分もなかったことから、僕は普通として生きてきたんだろう。だけど個人的にはこれ以上もう頑張り切れないし、どう切り盛りをしたらいいのかもわからない。とにかく、思い当たるふしがあるのならば受信をして楽になりたかった。それが原因であれば受け入れていけばいいし、違うのあれば身を削るか転職を考えることにした。




 掛け持ちの仕事をしていたから、『もう一つだけは!』と、まだ必死にこらえて頑張っていた。過呼吸をしながらも、職場に着くと取り繕うため誰も限界だなんて信じてはもらえなかった。それよりもチーフの怒りが度を増すばかりで、そのことについて「ね、誰だって上手くいくわけじゃないんだから。」「気に食わないからって、そんなに怒鳴らくても…」と、優しすぎるフォローを受け取っていた。




 予約をした病院は、僕を吸い込むようにして飲み込んでいった。今起きてることから過去の話まで、自分でも嘘を言っているんじゃないかと強張りながらも話していった。「詳しい診断は、臨床検査を受けてから…」と告げられたのだが、僕の「仕事をまだ頑張って続けておきます。」の発言から、先生は処方箋を出してくれた。「診断はつかないけど、疑いはあるから…」と、小児用として薬を出してくれた。





 それから、一か月後の事だった。3度目の通院になるが、たまたま臨床心理士の先生の時間に空きが出来、検査をすることになった。はじめは緊張していたものの、自分の能力がハッキリするのだと思うと、自然に打ち解けて、先生と向き合って診断をさせてもらっていた。

 お母さんも連れてきたこともあり、結果はあっさりとついてしまった。




 もしこれが、嘘だとするのだらばそれでいいと思っている。

 もしその結果は、自分が演じてやったと指さされるなら、刺されたままでいいと思っている。

 でも言いたい。


 僕は、僕なりの道を歩いてきたことには変わりないと…。


 それが「典型的ですね。」「もう少し知能が低いと、知的の障害の可能性もありました。」と僕の耳で聞いたものと、先生がつぶやいた言葉が違ったとしても…、僕は僕だったんだと云いたい。



 今まで弟の友達とか、色んな障害を持つ人たちの逢ってきて理解はしてきたものの、まさか自分自身も当事者になるだなんて思ってもいなかった。それから次回の予約を取り付けて、診断結果とともに担当医に話したところ、先生はそっと口先を緩ませた。




「今まで、辛かったですね………」と。

それからの僕は、こうして生きている・・・

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