3(主人公視点)
簡単にあたしの呼び出しに応じた侯爵令嬢は用件などわかっていたのだろうし、元よりこっちが先に正体口にすればあっさりと化けの皮をはがしてきた。
まるで普通の女の子のような態度に一気に変わる。立ち方から喋り方、表情までもが、今までの『侯爵令嬢』からはかけ離れていた。
王子がいい、と言い切った彼女に、あたしは少しだけ焦った。
不思議と今この時まで、思ってもみなかった。彼女が――地位のためだけに王子の婚約者に居続けた悪役令嬢が、王子のことを好きかもしれないということに。
考えてみれば彼女だってあたしと同じように原作となった乙女ゲームをプレイしている。6人の攻略キャラは乙女ゲームにはありがちなタイプが揃ったイケメンだ。王子ももれなくイケメンだけど、彼はいわゆるメインキャラだった。たとえばコミカライズされた際に一番ヒロインとくっつく可能性があるタイプのキャラクターだった。ジャケットのイラストやポスターなんかも全員集合した絵ではあったけれど、彼はいつだってセンターに立っていた。目に見えて公式から贔屓されていたキャラで、だからか人気も高かった。
ならば彼女だって好きだった可能性は十分にある。
――でも、王子が好きなのかと問いかけたあたしに、彼女はきょとんとその銀色のまつげで縁取られた麗しい瞳を瞬かせた。
「……それって王子本人のこと?」
「え、あ、うん、そうだけど」
それ以外に何があるっていうんだ。
侯爵令嬢は、へっと鼻で笑った。すごい。中身が元庶民だけど、外見は妖精のような美貌だから全然、様になってない。違和感しかない。
「王子の外見と性格は別に好みじゃないわ」
「え? え、じゃあなんで?」
すみれ色の瞳が歪む。分からないのか、とバカにされた気分だ。
腰に手を当てたままの侯爵令嬢は、そんなの決まってるじゃないとばかりに言い放つ。
「声よ、声。彼のキャラクターボイス、誰だか知らないの?」
「……きゃ、キャラクターボイス」
「そうよ。そりゃ、このゲームは大手のゲーム会社が出しててシステムはもちろんイラストレーターだって有名どころ起用したし、スチルも満載。そして何より豪華声優陣によるフルボイス。ま、このご時世、フルボイスなんて当たり前だけど」
まるで壊れた機械のように、彼女はその声優についてどんどん喋っていく。攻略キャラ全員の声優なのだろう。あのキャラの声優は、こういう声の出し方が得意でとか、だからあのキャラの喋り方はいつもとはちょっと違う出し方しててとかなんとかかんとか。
な、なるほど……分かった、分かったぞ。
つまり、なんだ、彼女はあれだ、声オタなんだ。卑屈的な言い方をすれば声豚っていうやつだ。友人にいたな、そういえば。
目当ての声優がいればどんな作品にだって手を出すタイプのオタクだ。
それは別に有りだとは思う。あの乙女ゲームだって、キャラデザで買う人もいるだろうし何だったらゲーム会社で選ぶ人もいる。シナリオライターとか音楽とかで買う人もいるだろう。あたしみたいに、王子さまっていう存在がいるからていうことだってある。
「……じゃあ、あなたは王子の声をあてている声優さんのファンなんだね」
「ファンなんて言葉じゃ足りないわよ。好きなんだもの」
それ、あれですよね。ガチ恋とかそういうやつですよね。本気で恋してるから、あわよくばお付き合いしたいという発想があるっていうことですよね。
「わぁお」
「でも気付いたら、この世界にいたのよ。ありえない。なんなの、わたし死んだってこと? 信じられないでしょ。だってあの日はその声優の出てるイベントに行くはずだったのよ!?」
「ははぁ……それはご愁傷様です」
まったく声優に興味がないあたしには王子の声をあてている声優さんとやらの名前すらうっすらとしか覚えていないし、他の出演作品のことなんて更に記憶に薄い。声を記憶できないんだよな~。聞いたことはある、と思うんだけどさ。同じ声優さんのキャラを並べてくれないと。声ですらそうなのだから顔なんてさらに興味がないので、あたしの言葉にも心がおもらない。
「えぇっと、王子のことは声だけが目当てってことだよね。じゃあ恋じゃないと」
「近くであの声聞けるなら、いくらでも落ちてやってもいい」
すごい上からだ。いっそ惚れ惚れするわ。
まあ、でもこれだけ分かれば十分でしょ。
あたしはスタスタと窓の方へと歩いて行った。
後ろで侯爵令嬢が「ちょっと?」と訝しげな声をあげているがとりあえず無視して、開いている窓……ではなく、その隣りの窓をわざわざ全開にする。
――あたしが事前に立てていた計画では、ここにいるのは攻略対象者たちであり、彼らに証人になってもらうためだった。人数はいればいる程良い。何せ、ほぼ全員が王子とは何かしらの関係性があって接触することが可能だからだ。
早い話が彼らに告げ口をしてもらおうとしていた。少しでも彼女への評価を下げさせようとして。ついでにあたしを売り込んでもらおうという算段だ。汚いやり方と言うことなかれ。彼女があたしと王子の邪魔をするなら、こんな手を使うのだって止む無しなのだ。
けれども、あたしは窓を開けて見下ろした先にいたのは他の誰でもない、王子その人だった。
「っぎゃー!!!!!!」
そのことに、可愛げもない悲鳴が上がる。同時に、こらえきれずに噴き出して爆笑する声がそこかしこから聞こえてくる。間近なところから、少し離れたところから。おい、少しは遠慮してくれ。
まるで金魚のように間抜けにも口をパクパクとさせて王子を見るしか出来ないあたしを気まずそうに見たり、見たこともない叔父や乳兄弟の姿に困惑をしている王子。そんな若干カオスな状況を打破してくれたのは、あたしを追いかけてきた侯爵令嬢だった。
「……ちょっと! 何よこれ!! あなた、わたしを嵌めたわね!?」
追いかけてきた侯爵令嬢が四人の姿に目を丸くしてあたしに詰め寄った。胸倉を掴む勢いだ。しかしその手が泳いだのは、王子がそれを見ていたからだろう。いや、もう遅いでしょ。
ぐっとあたしに向けていた手を握ると、王子を振り返る。王子と侯爵令嬢の視線が一瞬合ったけど、スッと先にそらしたのは王子だった。
「……私は、声だけだったのか」
呟くような声に、あたしと令嬢は頭を抱えたくなった。やっぱり聞いていらっしゃったのは間違いないようだった。きっと最初から。
「いえ、あの、でん、」
「いや。いいのだ。私たちの婚約は義務であったし、そこには何もなかったのだから」
「何も、てことは……」
「むしろ私も申し訳なく思う。振り返ってみれば、私などは君以上に君への思い入れが一つも浮かばず……」
え、えぇー、それ言っちゃう? 王子、言っちゃうの? 天然なの? 天然王子? 腹黒よりは全然好みなんで有りです。
悪気なく言ったのだろうけど、その大好きな声で実質フラれたようなものだ。あたし同様に幼いころから練ってきた計画が見事に崩れたからか侯爵令嬢は王子を前にして猫を被ることを止めた。
「ちょっと、どうしてくれるのよ!!」
問答無用であたしの胸倉を掴んでくる。白魚のような細くしなやかな割に力はそこそこある。ぐい、と引き寄せられて息が詰まる。
「お、おい!」
慌てて立ち上がった王子だったけど、あたしだっておとなしくやられる気はないので安心して欲しい。
この時、既にあたしもだいぶ混乱を極めていて、王子の前でヒロインらしく振舞って取り繕うことをすっかり忘れていた。
顔を真っ赤にさせて睨んでくる美貌の令嬢を鼻で笑ってやった。
「あら、良かったじゃない。断罪イベントなしで退場出来るんだから」
「なんですって!? あなたが余計なことしなければ、そもそも王子はわたしのものだったのに!」
「声だけでどれだけ長く続くのかしら。王子なんて義務で結婚しようとしてたじゃない」
「愛がなくても夫婦生活は円満に続けることくらい出来るわよ」
「あたしなら愛も差し上げられるわ。なんてったって、あたしが好きなのは声だけじゃないしね!」
それにこちとらヒロインだ。乙女ゲームの主人公だ。片想いなんかじゃ終わらせない。乙女ゲームのグッドエンドは基本的にハッピーエンドだ。バラ色の未来しかやって来ない。
前世と今と伊達に長いこと女をしていない。これくらいの言い争いなら脳を動かさなくたって出来る。彼女も同じだろう、まだその艶やかな唇が開く――が、その前にパンパンと手の音が鳴って中断させられる。
ふ、と教師と目が合い、にこりと微笑まれた。流石、血が繋がっているだけある。どことなく王子に似ている笑みだ。
「いや、キャットファイトはやっぱり可愛い女の子同士がするに限るよね。もっと派手に取っ組み合いまでしてくれたら最高に良かったのに」
言ってることは気持ち悪いしか感想が浮かんでこないんだけども。侯爵令嬢は教師も転生者だということを知らなかったのだろう。あたし以上にドン引いている。これで将来可愛い女の子集めてアイドルプロデュースするのが夢なんだっていうことを話したらどうなるんだろう。ちょっと興味ある。
なんて思考が脱線しかけたところで、視線を感じてあたしは王子に見られていることを思い出した。
「……君は、以前会ったね?」
「あー、はい」
王子との対面イベントのことですよね。そうです、お会いしました。
あの時はめっちゃヒロインっぽくしたから相当ぶりっ子をしていた。あざと可愛いっていうやつだ。乙女ゲームのヒロインなんて無意識にそれやってるだろうけど、あたしは作らないともちろん出来っこない。
でももうそれもできないだろう。何せ、侯爵令嬢同様にあたしもほぼほぼ全部さらけ出してしまっていた。ゲームがどうとかっていうのも口走ったような気がする。
果たしてここからリカバリーなんて出来るだろうか。
迷ったのは一瞬だった。
王子があたしを見てくる、その瞳にあたしを蔑むような色が見られなかったから。
だから、あたしは強引に行くことにした。やけっぱちとも言う。
窓から身を乗り出して王子の両手を掴む。
「あたしは、王子の全部が好きです。だから、あたしと恋をしてください!」
すると驚いていた王子の瞳はますます大きく見開いて、その中にあたしの姿がはっきりと映し出せるほどだった。
ここだけなら、完全に二人の世界であり、世界は二人のためにあるのだとばかりにゲームのBGMが流れ出してもおかしくないシーンなのだけども。
王子が次に反応をする前に、野次馬と化した男たちは口笛吹いたり爆笑したりするし、侯爵令嬢は邪魔をしてくるし、とてもじゃないけどぜんっぜんイイシーンにはならなかった。
ちなみに王子からはオッケー貰えたんだけど、王子はあたしの何が良かったのかは怖くて聞けなかった。
のちに、恋をしてみたかったのだとはにかみながら教えてもらった時は、自分の勢いだけの無意識な言葉選びの良さにこっそりガッツポーズをしてしまった。さすがヒロインなだけあるわ、あたし。
おまけ
後日、気を取り直した侯爵令嬢は王子のことはさっさと見切りをつけて、銀縁眼鏡の公爵令息と付き合うことにしたらしい。
「なんで、そこ?」
「需要と供給が成り立ったのよ」
「もうちょっと詳しく」
「声が王子の次に好きな声優なのよ。それに顔と性格と声のマッチ度が最高」
王子は声だけだって言ってたもんな。
したり顔で公爵令息が頷く。
「キャラクターボイスの重要性は理解できる。彼女のこの声とこの顔はオレが好きなラノベヒロインと似ている」
「えーっと、彼女は別にツンデレじゃないけど」
「現実のツンデレは面倒くさい」
そりゃそうだ。
しかしニーハイは履いていないし、そもそもこの世界の令嬢はそんなに脚を出したりはしない。
「家デートの時にしてるの。結婚すれば、毎日だってしてもいいし」
「いや毎日は勿体ないし、君の脚は万人に見せるものではない。価値が減る」
「惚気はよそでやってくれる?」
……なるほど需要と供給ね。
納得するあたしの横で王子がよくわかっていない顔で「家同士のつり合いも取れているから問題ないだろう」と、あたしたちが直面している問題にブーメランが突き刺さるようなことを呑気に口にしていた。
そんなところも大好きなですけども。