#01-5
久しぶりの焼き肉、久しぶりの安眠。
翌日、元気を取り戻したオレは、ふたたび森で狩猟採集をするべく準備に取り掛かった。
前回の探索で見事にツノウサギの肉をゲットしたとはいえ、毎回こんなにうまくいくとは限らない。肉の在庫があるうちにさらなる大物を狙うつもりだ。
オレはテキパキと枝に突き刺したウサギの細切り肉をひっくり返していた。
焚き火の放射熱を利用して、代表的なザ・保存食といえる即席の干し肉を作っている真っ最中だ。
生木で燃える焚き火の勢いはかなり強い。いくらか離してあるとはいえ、こまめにひっくり返さないとせっかくのウサギジャーキーが焦げてしまう。
焚き火は万能だ。濡れた洗濯物を乾かすのにも使える。
物干しのロープには木のツタを使っている。探索したときになかなかちょうどいいものを発見していたのだ。もっとも洗濯物の方も気をつけてこまめにひっくり返さないとあっという間に焦げてしまうが。
だがしかし清潔な服を着るととても気持ちがいい。肉体だけでなく精神衛生的にもいい。これからも余裕があれば汚れものを積極的に片づけてしまいたい。
そのかたわらで火にかけている飯盒のお湯がぐらぐらと煮だっていた。そろそろ飲めるように殺菌消毒が完了した頃だろう。
1杯目はそのまま水筒にたっぷりと注ぎ入れる。プラスチック製のペットボトルは熱湯で変形してしまうので、2杯目からは冷ますことにしよう。
オレは忙しく動き回る。冒険も楽しいが、こういう下準備も嫌いじゃない。
それからおよそ半日後、火を完全に消し止めたオレはすべての準備を終わらせた。
またもや恰好は軽装を選んだ。戦闘服に半長靴はいつものスタイル。加えて完全武装でもない限りバンダナと手袋、それと護身用の銃剣だけでいいだろう。
だが今回は雑嚢のほかに木のツタ――ロープを持っていく。物干しに使っていたやつだ。現地調達できるなら問題ないが、この強度のものはそこらに生えている植物からは採れない。洗濯はもう終わっているので、いっそ使い切ってしまってもかまわないものだ。
危険が伴う狩猟にもかかわらず、これほど軽装なのにはちゃんと理由がある。
オレがやろうとしている狩猟法は、ガチで魔物と戦うようなものではなく、仕掛けておくだけの『罠猟』だからだ。
拠点から片道30分ほどの場所にその罠は仕掛けられている。例のツノウサギを捕らえた即席のものだ。
それは「くくり罠」「スネア」と呼ばれる単純な構造の罠だ。
地面に伏せた輪っかに脚などが引っ掛かったときに締め上げて動きを止めるという仕掛けになる。ちなみに罠猟にはちゃんとした免許が必要なので、良い子は絶対にマネしちゃいけないぞ。
オレは荷物やロープを下ろすと、さっそく罠の解体から始めた。
この罠の強度ではツノウサギのような小型のものしか捕らえられない。もし大型の獲物が掛かっても力尽くでぶっ壊されて、強引に脱出されてしまうだろう。
角度や張力を計算して、くくり罠にさらなる改造を施していく。ここではロープの強度が肝になる。
輪っかで締め上げた脚をさらに高く引っ張り上げて自由を奪うタイプにするつもりだ。軽量な小型ならそのまま逆さ吊りに、大型なら強制的に恥ずかしい開脚ポーズにさせてしまう恐ろしい罠だ。
そんな自分が仕掛けた鬼畜な罠の出来栄えに、邪悪な笑いが込み上げてくる。
ククク、愚かな魔獣どもよ、恐怖に打ち震えるがいい。掛かったら最後、泣き叫んでも決して助かることのない絶望に沈むがいい。そしてオレに美味しく食べられるがいい。ククク、クハハハ……ッ!
さて、これでだいたい仕掛け終わった。あとは獲物が掛かるのを待つだけだ。
こればっかりは運任せになるだろう。人事を尽くして天命を待つというやつだ。できることなら食糧が底をつく前に、まだ余裕が残っているうちにお願いします神様。
あっ、そうだ。
オレは思いついたことを試すことにする。それは罠の近くにエサを仕掛けておくことだ。
エサがあれば獲物をおびき寄せることにもなるだろう。そしてそれはただのエサではなく、まだオレが試食していない未知の食べ物を使うのだ。
オレは雑嚢に入れていた変な色の木の実各種、落ちていたドングリ、その辺に生えていた謎のキノコなんかをくくり罠の周囲にばらまいた。
もしこれらのエサが無くなっていれば、それは食用できるものであると予想がつく。すべて自分で試してみるにはリスクが高すぎるので野生の魔獣たちに手伝ってもらうのだ。
さっすが蛇塚さん、賢い! ははは、もっと褒めてくれてもいいんだよ。ようし、奮発して干し肉も何枚かあげちゃおう。
こうして今度こそ『くくり罠・改』が完成した。あとは定期的に立ち寄って、獲物が掛かっているか確認するだけだ。
オレは待ちきれない気持ちで、天幕のある拠点へと帰っていった。
それから数日後、ようやく罠の方に動きがあった。
オレは罠から離れた草むらからこっそりと覗いてみる。
するとその先でなにかが動いていた。おお、やった。獲物が掛かってる。しかもけっこうでかい。遠目からでもわかるくらいそのシルエットは大きい。
もしやと思い、もう少し近づいてみる。じっくりと観察してみると、やっぱり前回の探索で見かけたあのイノシシ型の魔獣だったことが判明した。
本当にでかい。体長は170センチ、体重は200キロくらいあるだろうか、ずんぐりとした巨体を脚三本で支えている。左の後ろ脚に輪っかが絡まっているからだ。
オレの気配に気づいたのか、罠から抜け出そうと暴れ始めた。だが残念、材料に使った木のツタは選び抜かれた強度を誇るものだ。そう簡単に千切れたりしない。三本脚で体勢が崩れているのならなおさらだ。
しかし困ったことに、危なくてこれ以上近づけない。獲物がでかすぎて簡単に仕留められない。
そうそうは逃げられないだろうが、唯一の気がかりは口吻からぞろりと生えた大牙だ。あれなら頑丈な木のツタでも切断されてしまいそうだ。
大きさといい、形といい、あれはもはや牙じゃなくて本物の刃物だ。研ぎ澄まされた大振りのナイフだ。握る部品を付け足せばそのままナイフとして使えるだろう。
せっかくなのであのイノシシ型の魔獣のことを「ブレイドボア」と呼ぶことにした。
しっかし困った。オレは想定していた獲物よりもかなり大きいことに戸惑いを隠せない。たしかにあの罠は大型でも捕まえられるとはいったけど、せいぜい70~80キロ程度の獲物を想定していたのだ。
なんだかんだでうれしい誤算なのだけれど、あの大きさになるとただ捕まえるのにもひと苦労だ。ツノウサギのときの比じゃないくらい危ない。しかも獲物があれだけ大きいと解体作業も大変だ。
油断すれば逆襲を受けてケガをするリスクは高い。もし倒せたとしても解体する手間や時間といったコストも掛かる。
だがここはそれでもブレイドボアを倒して大量の肉をゲットするべきだろう。食糧問題が一気に解決して、森の出口を探索する段階までいけるはずだ。
ここは後ろ向きの考えじゃダメだ。ここは危険を承知してでもブレイドボアを倒さなくてはなにも始まらない。
よし、ここはひとつ、やつをどうやって倒すかということだけを考えてみよう。
あのブレイドボアを比較的安全に倒すのであれば、まずは絶対に逃げられないように追加で木のツタを使って完全に動きを封じるべきだ。それからある程度わざと暴れさせて疲れさせるのが常套手段になる。
そして疲れて動きが鈍くなったところを見計らって投石で頭を潰すなり、長柄の槍で突き殺すといった流れだろう。
オレはそっと目を閉じて集中する。
イメージトレーニングは大事だ。悠長にしているヒマはないが、一発勝負のため明確なヴィジョンを持って挑まねばならない。
――イノシシは、ウシやニワトリと並ぶ代表的な家畜であるブタの仲間だ。
いいや、イノシシを飼いやすいように家畜化したものこそがブタであり、逆にブタが野生化すればイノシシになるといっても過言ではない。
つまり、やつは豚肉なのだ。ポークなのだ。
――オレの脳裏には様々なものが浮かんでくる。
塩味のきいた舌触りなめらかな生ハム、フライパンでカリカリになるまで焼いたベーコン、茹でたてぷりっぷりのウィンナーソーセージ、じゅうじゅうと鉄板の上にのせられた分厚く切られたポークステーキ、からっと黄金色の衣をまとった揚げたてのトンカツ……、そしてポーク特有の甘みのある脂の味を思い出す。うっ、やべっ、よだれが……。
――こうしちゃいられない。一刻も早くブレイドボアを倒さなければならない。
凶悪なブレイドボアが凶悪な呪剣のような大牙で、まだ見ぬ異世界の一般市民その他もろもろに襲い掛かっている場面まで想像したオレは、決意の表情で立ち上がる。
人々を守るという崇高なる使命を果たすためだ。自衛官として、いや、一人の人間として当たり前のことをするために――以下略。
オレは全力ダッシュで拠点に引き返し、マッハで準備を済ませ、区間記録を塗り替える勢いで罠場に舞い戻った。
その姿はなぜかフル装備だった。あとから思い出してみたが、あの時はテンションが異常だった。それに空腹のあまり判断力が低下して、なんだかよくわからないことになっていたのだろう。あと純粋に豚肉が食べたかった。
冷静になって考えてみると、テッパチも防弾チョッキも迷彩メイクいらないだろう。かろうじて着剣した89式小銃が使えるくらいだ。
しかし体ごとぶつかっていく銃剣突撃では危険すぎる。なので槍のように使って遠間からチクチクと突き殺すのがベターな戦法だろう。卑怯とかズルいとか言ってらんない。こっちは命懸けなんだから。
なんだかんだで慎重に慎重を重ねるくらいがちょうどいいだろう。時間をかければ逃げられる可能性が高くなるが、それ以上にあせってケガをする方が怖い。
よし、もう一度手順をおさらいしよう。
まず追加のロープを引っ掛けて逃げられなくする。
次に疲れさせるか、あるいは投石なんかでダメージを重ねて弱らせる。
それからようやくトドメの一撃だ。
もしも手がつけられないほど暴れたりしたら、安全第一で距離を取る。そう、安全第一だ。現場ではいつもそう。
そんなオレがたどり着いたとき、ちょうどそこでは――――
――――ブレイドボアがロープを切って逃げ出そうとしていた。
オレは反射的に突撃を開始した。
安全第一? そんなもん知るかっ!
オレは肉が食いたいんじゃあっ! オレは、どうしても、牡丹鍋が食いたいんじゃあああああっ!!
飢えた咆哮。
ブレイドボアはやっとこちらに気づいた。野生の動物らしからぬ無警戒。
だがもう遅い。オレはすぐそこまできている。
ズグンッという重い手応え。銃剣の切っ先が右側から突き込まれる。
突き刺さったのは急所、喉元だ。銃剣の柄まで深く深く食い込んでいた。
まだダメだ。まだ足りない。このままじゃ逃げられる。直感がそう判断した。
オレは全力で前脚を蹴った。骨をへし折るくらいの強さだ。そしてようやくブレイドボアを地面に転がすことに成功した。
だが横倒しになっただけだ。まだ死んでいない。
オレはトドメを刺すため、小銃に思いきり体重をかけて喉をえぐった。
ブレイドボアは奇妙な音の断末魔を上げてそのまま絶命した。
それを確信したオレはやっと緊張を解いた。
オレがオーバーキル気味に攻撃したのには理由がある。野生の動物というのは、人間が思うよりはるかに生命力が高いためだ。
急所を突いても完全に絶命する寸前まで暴れ続けることはもちろん、心臓を破壊されながらも10キロメートルも走って逃げたという例もあったという。なので念には念を入れてトドメを刺すくらいでちょうどいいわけだ。
今頃になって蹴った自分の足が痛くなってきた。
野生動物の骨は太くて頑丈だ。やつの脚を折るつもりで蹴ったが、逆にこっちが骨折してもおかしくない。そのくらい思い切り蹴らないと体勢を崩せなかった。いやあ、ブレイドボアは強敵でしたね。
無傷といえば無傷の完全勝利だ。
だが危険と隣り合わせのギリギリの勝利でもあった。本当はこんな綱渡りの戦い方をするつもりなんてなかったんだけど……。
ははっ、いや~……。ほら危うく獲物に逃げられるところだったから……つい、ね?
と、とにかく結果オーライだ。
オレはブレイドボアを倒して大量の食肉を手に入れた。