#01-3
オレは信じられないような光景を目撃した。
突き刺したはずの割り箸がへし折れたのだ。
思わぬ強敵の出現に言葉を失う。
その名は『戦闘糧食Ⅰ型』、通称「カンメシ」と呼ばれる缶詰のレーションだ。地味なオリーブドラブ色に染まった側面には「白飯」と書かれている。
そんなバカなと、今度は鉄製の先割れスプーンを突き立てた。そしたら今度はその先割れスプーンが曲がった。オレはまた絶句した。
これが「アルファ化米」なのか。これがうわさに聞いていたアルファ化米の実力なのか。
アルファ化米とは、何度も温めたり冷ましたりを繰り返すことでデンプンが反応して糊状になったご飯のことだ。
その後ゆっくり冷ますことでさらに変化し、ベータ化したご飯は長期間の保存ができるようになる。その代償なのかはわからないが、冷えたアルファ化米はとっても硬くなる。どれくらい硬いかは上記のとおりだ。
オレはロウソクみたいにカチカチになったご飯をなんとか食べようと悪戦苦闘する。
これでも窮地に立たされた兵隊たちの貴重な食糧なのだ。決して捨てることはできない。逆をいえば窮地に立たされないかぎりほかのものを食べる、というような代物なんだけど。
オレは地道にゴリゴリと削り取りながら食べることにした。もう早くも曲がったスプーンを持つ手が真っ赤になって痛い。なんだよこれ、もうこれご飯の食い方じゃねえよ。
こんなことになったのには色々と理由がある。一言でいえば「節約」だ。
ベータ化した冷えたご飯を普通のご飯のように美味しく食べるには、ぶっちゃけ湯せんなりしてもう一度温めなおせばいいだけだ。
だがそれだけのお湯を作るには大量の燃料がいる。燃料となる木の枝を集める手間ヒマを考えると、ちょっとぐらいケチってしまうのもしょうがないことだろう。
ぶっちゃけマズい……ゲフンゲフン、ちょっと食べづらい白飯のカンメシをあえて選んだのも似たような理由だ。
今では多くのレパートリーを誇る自衛隊の戦闘糧食だが、その種類が増えるほど個人の味覚に合うもの合わないものが必ず出てしまう。好きなものを先に食べ尽くしてしまったら、後々の食事が悲惨なことになってしまうのは目に見えていた。
好物を節約するためにあえてマズい……ゲフンゲフン、食べづらいものを優先して処理しているということだ。
これからは持ち込んだ戦闘糧食も考えて食べなければならない。
つねに満足な食事を得られるとはかぎらない現状では、食べられるだけでもマシだということをしっかりと性根と味覚に叩き込まなければならないだろう。
とはいえ美味しい食事は士気にも大きく関わってくる。
人間は案外単純なもので、メシが美味けりゃやる気も出てくるものだ。むしろまだ元気や余裕が残っている間は白飯のような食べづらいものを、疲れたときなんかは好物を選んで食べて気合を入れなおそうと考えている。
いざとなったら背嚢の奥底に隠して持ってきたビン詰めの塩コショウやカレー粉を使って舌を楽しませればいいだろう。調味料はもう貴重品になってしまったので、気軽に使えなくなってしまったけど。
とにかく食糧だ。
衣食住のうち、あとは「食」を安定して供給できれば、オレがこのよくわからない森で生き抜くために最低限必要なことはなくなる。
そうなれば心置きなく帰る方法を探せるってもんだ。まあそれが、もっとも難しい問題なのだけど。
そろそろ食糧調達のために森を探索する段階だろう。
食事を済ませたオレはいつもの迷彩戦闘服に着替えた。
ただし着替えた戦闘服は予備のきれいな方になる。ちょっと気合が入っているからだ。
オレはついに本格的な周辺の探索に乗り出すことにした。偵察任務というやつだ。テンションが上がる。
このわからないことだらけの深い森を調べて、この場所にはなにがあって、どんな危険生物が潜んでいるのかを少しずつ知っていかねばならない。
それはこの森でただ生き延びるためだけでなく、元の場所へ帰る方法を探すための唯一の方法でもあった。
それに今現在はよくても、食糧は手に入れなければいずれ尽きてしまうのだから、その前に先手を打って行動しなければならない。余裕や備蓄はあればあるだけいい。早め早めに対応していかなければならない。
今回の探索では、そのまま飲み水にも使えそうなきれいな水源の発見と、できれば食べられそうな新鮮な木の実かなにかを調達したい。小休止に使える休憩所も見つけたい。
理想をいえば森の出口、あるいは見知らぬ異世界人と出会えればいいなと。いやだめだ、あまり贅沢はいうまい。
正直なところかなり楽しみだ。
だって奥さん、異世界ですよ異世界。しかもでっけえドラゴンとかいるようなファンタジーな異世界なんですよ。たぶん。
ほかにも魔物とか生息してるのかな。今のオレでも倒せるかな。敵を倒してレベルアップとかしちゃうのかな。いずれオレも魔法とか使えるようになんのかな。魔導兵ですよ魔導兵。あっと、自衛官は兵隊じゃねえや。でもいいやここ日本じゃねえし、異世界だし。きっと異世界だし。
子供心に抱いた未知の冒険に対する気持ちを抑えつつ、オレは慎重に持っていくものを選んでいく。いくらなんでも考えなしに飛び出して生存率は下げられない。しばし考えてから装備を決めた。
今回は機動力と運動性を優先しようと思う。
装具をできるだけ外して身軽になる。
弾のう、サスペンダーも使わないので外してしまった。重いテッパチをわきにどけて、替わりに厚手のバンダナを頭に巻くとしよう。
教官たちに持たされていた防弾チョッキや重りになるようなものはことごとく置いていくつもりだ。そもそもギリースーツとか新兵が使うものじゃねえよ。
それからハチキュー小銃も置いていく。
残念ながら実弾がない現状では小銃など無用の長物にほかならない。杖や槍の柄の代わりにするならその辺の木の枝で十分だ。それともちろん弾倉も空っぽなので置いていく。
オレの全財産ともいえる背嚢も当然、天幕の中に置いていく。
中身の大部分を占めていた水満タンのペットボトルや戦闘糧食は文字通り重荷だ。全部は持っていかず、探索日数の分だけちょこっと持っていけばいい。
うーむ。しかし戦闘服の上下に手袋、足には半長靴、頭にバンダナだけではさすがに軽装すぎるかもしれない。
護身用に銃剣だけ持っていく。腰に吊るため弾帯ベルトを巻いて、水筒も取り付けた。ちなみに銃剣の刃は昨日のうちに研いでおいた。
雑嚢には2日分の食糧と水、プラス非常食、それからL字型ライトや救急セット、そのほかに使えそうな雑多なものを放り込み、濡れないように予備のセパレーツをかるく詰めたら携行品の用意は終わりだ。
あれこれ準備をしているうちに、だんだんテンションが上がってきた。
ふたたび背嚢の中をあさって目的のものを探す。あった。ドーランだ。黒、茶、深い緑色を顔面に塗りたくって素肌を迷彩色に変えていく。
……完璧だ。これでオレは戦闘服だけでなく全身迷彩色になって、森の一部に溶け込むことだってたやすいだろう。カムフラージュ率がとどまることを知らない。
たった今、這い出てきた天幕の出入り口を木の枝や葉っぱでふさいでこっちもカムフラージュする。
よし、これならよっぽど注意深く見なければわからないだろう。自分にだけわかる目印を近くの樹木に刻んで、最後の準備も完了した。
目標前方、異世界の大森林。いざ突撃ィ!!
いちおう隠密作戦なので、大声は出さずに心の中で叫んだ。