#01-11
エルフたちが暮らす大樹を「エルフの宿り木」と呼ぶことにしよう。
エルフの宿り木には無数の木造建築が建てられていた。それほど立派な建物ではない。むしろ簡素な造りの小屋ばかりだ。
一軒一軒が小さいのは、おそらく宿り木に負担をかけないためだろう。エルフの宿り木は全体が立体的な集落そのものになっていた。
家と家をつないでいるのは例の天然の遊歩道だ。
人の背丈ほどもある太さの枝からさらに枝分かれして、その枝がさらにとなりの枝と複雑に絡み合ったりして足場となっている。
たまに一枚板が人工の足場として打ちつけられているが、よく見れば驚くことにその木板も枝と癒着して一体化している。ひょっとしたら家の床板も宿り木と一体化しているのはなかろうか。
それは木から家が生えているのだろうか、あるいは家から木が生えているのだろうか、そんな愉快な想像をかき立てられる。
どうやら鳥カゴ牢屋がぶら下がっていたあの木は、エルフたちの本拠地ではなかったようだ。このエルフの宿り木こそ彼らの暮らしている住処。
周囲の木々はそのほんの一部の離れや別宅にしかすぎないというわけだ。
すげえ、とにかくすげえ光景だ。下から見上げたじゃあわからなかった大樹の真の姿にオレは驚くばかりだ。
その規模から推察するに、この集落のエルフは100人もいないだろう。
ここだけだと村と呼ぶにはちょっと規模が小さいが、この森全体にこんな風なエルフの宿り木があとどれくらいあるだろうか。
この異世界の森そのものが『エルフの村』であるかもしれない。そしてエルフの長老がいるというこの宿り木は、その中でも特別な大樹なのかもしれない。
なんだか急に緊張してきた。
たかだか二等陸士風情には荷が重すぎるような気がしてならない。こういう異文化交流もとい交渉事にはもっと上の階級の人間がふさわしいのではなかろうか。尉官とか、佐官とか、部隊長クラスとか。
オレの胸元を見てみろ。記章も勲章もなにもない、まっさらな胸だから。まあ、ここにはオレしかいないんだけどさ。
集会場は幹のそばにあった。中にはすでに20人ほどの屈強なエルフたちがオレを待ち構え、その最奥部に長老が静かに座っていた。
……てかやっぱエルフってやつは美男美女ぞろいだなおい。オレという存在の場違い感がすごいんですが。
オレは『休め』の姿勢のままで自己紹介のタイミングを計りかねていた。
恰好から察するにこの場にいる大部分が狩人かなとか、長老のとなりに控えている壮年のエルフが立ち位置や雰囲気からしてたぶん狩人たちのリーダーかなとか、そんなことを考えながらそっと観察してみる。
警戒心なのか好奇心なのかわからないが、さっきからめっちゃ見られている。
ずっと黙っていられると居心地が悪いんで、もう早く「頼み」とやらを切り出してほしいんですが。なんなら天気の話でも孫の自慢でもなんでもいいから、せめてなにかしゃべってよぉ。
『……その若者が……そうなのかい?』
『はい、ショーイチを――ブレイドボアを討伐したという異邦人をお連れしました』
心待ちにしていた紹介が始まった。ルィンはまた言葉づかいが変わっているけど、もうそこは別にいいよね。きっと公私混同しないタイプなんだよ彼女は。
エルフリーダーがすっと前へ出てきて、オレ作のボア・ウェポンを長老に見せた。
『これがその男が所有していた武器です。たしかにこれらに使われている刃はブレイドボアの大牙に間違いありません。だがこの男が倒したとは、まだ断定できませんな』
『……ほう……そうなのかい?』
あ、今思い出した。あのエルフリーダー、尋問に立ち会ったエルフの一人じゃねーか。ルィンのおかげで尋問というより質疑応答みたいな雰囲気だったけど。
そうか。あのときオレが話したことの真偽を調べていたから、すぐに解放されなかったのか。露出狂と間違えられて投獄されたわけじゃなかったんだな。
やべっ。たしかに尋問ではウソは言ってないけど、全部話したわけでもない。例えば拠点の場所なんて隠したままだ。
銃剣のことも明かしてないので、オレはあのブレイドボアを素手で倒したことにでもなっているのだろうか。あの怪物は素手じゃあちょっと無理だなあ。
『ショーイチにはあの姿を消すことができる魔法の服があります。あの魔獣を一撃で討ち滅ぼせるような強力な魔道具を所有していてもおかしくありません。
それに彼の生まれ育った国にはサムライやニンジャやゲイシャといった超戦士もいたそうですし、ひょっとしたら彼自身もショーグンのような凄い戦士なのかもしれません』
『……ほう……そうなのかい』
半信半疑のエルフリーダーたちを説得しにかかったのはルィンだった。
ごめんルィン、それほとんどフィクションなんだ……。実在の人物や団体とはいっさい関係ないんだ……。父親は趣味で忍術を少々やっているような人間だけど、オレはいたって普通の真人間だし。
『不思議な装備だけでなく、ショーイチ本人も信頼がおける人物であると、このルィンが保証します』
『我ら鎮守衆も、その男に協力を仰ぐこと自体には異存ありません。足を引っ張らなければ、ですが。一刻も早く森の異変を調査して解決することこそ急務かと』
『……ほう……そうかい……なるほどねえ』
報告や意見を吟味した長老は、やがて2人に向かって鷹揚に頷いた。どうやら話がまとまったみたいだ。
やっとオレの出番かな。またちょっと緊張してきた。
ここはもう早い段階でちゃんとした挨拶を済ませておきたい。うーん、氏名と階級と所属くらいでいいのかな? それは捕虜になったときに言うことだっけ?
「ではショーイチ、お待たせしまシタ。今カラ長老の言葉を翻訳シマス」
えっ? なんでわざわざ翻訳をするの?
あれか、エルフの長老は外界の人間と直接言葉を交わせないとか、そういう風習なのかな。やんごとなき御方とか、そういうのは付き人に耳打ちしてやるんじゃないのか。どのみち目の前で普通にしゃべってたもんだから、もう全部聞こえていたんだけど。
ま、まさかオレは今の会話でさえ理解できないようなバカに見えるのか……?
翻訳って、もっとわかりやすい言葉に噛み砕いて説明するって意味なのか。たしかにオレは賢そうには見えないだろうけどさあ……。もっと賢かったら少年工科学校とか防衛大学とか入ってただろうけどさあ……。
オレはルィンの申し出を断った。翻訳はいらないと。
ルィンはそのことが本気で信じられないような顔で唖然としていた。
ふ、すまないなルィン。これはオレのちっぽけなプライドをかけた戦いなんだ。そんな本気でオレの正気を疑うかのような目で見られたら、オレのやわなハートがズタズタに傷ついちゃうからもうやめて。
ここはやはり初見の挨拶、自己紹介にすべてをかけるべきだろう。第一印象ってホント大事だし。
ちゃんと服を着た文明人らしく、礼と儀、そして道理と教養をアピールするにはこれしかない。
オレは一歩前へ進み出た。
カッとかかとを打ち付ける。半年間みっちりと磨き上げられた『気を付け』の姿勢だ。
続いては『敬礼』だ。帽子がない状態の敬礼はいわゆるお辞儀と同じものだ。だがゆるやかなお辞儀ではダメだ。バッとやってバッと戻る。メリハリが大事だ。
そして名乗る。自分は日本国陸上自衛隊所属、蛇塚ショウイチ二等陸士であります、と。
場の空気が凍った。
なぜだああああああ!? オレまだ名乗っただけだろおおおおおお!!
まるで原始人が突然、驚くほど流暢な現代語で話しかけてきたみたいな反応しやがって。しかもエルフの半数は信じられない異常事態を目の当たりにして恐慌状態になりかけてるじゃねーか。
オレはすでに半分涙目で、「おうちに帰りたい……」と本気で考えていた。
その直後、さすがは年の功というべきか、真っ先に落ち着きを取り戻した長老がゆっくりと口を開いた。
『……異邦人の若者よ……あんた、どこでエルフの言葉を学びなすった?』
「えるふのことば」ってなんだろう? 方言かな?
オレは標準的な日本語以外まともに話せない。ほかの言語は身振り手振りとフィーリングでなんとかするしかないレベルだ。それはもはや言語というか肉体言語の領域だ。
長老の質問には素直に、学ぶどころかその言葉があることをたった今初めて知ったと答えるほかない。
『ショーイチまさか、今の長老が話した内容を聞き取れたの!? というかあなたの言葉は大陸公用語じゃなかったの!?』
『し、信じられん。外界の人間が我らの言葉を知っているなど……いや、それどころかこの男の言葉がここにいる全員に通じているだと? いったいどういうことだ?』
『……ふむ……古い異邦人の伝承に……よく似ておるのぉ』
ここまで言われたらさすがにオレでも、その可能性に気づくことができた。
オレの耳は彼らの言葉を自然に聞き取り、オレの言葉は彼らの耳に自然に届く。まったく不自然なくらいに言葉が通じるということだ。
確信的な予想だが、たぶんオレはこの異世界の人間全員と不自由なく話すことができるだろう。
こうしてオレは、身に着けるだけで完璧に姿を隠すことができる『ステルス迷彩』のほかにも、オレ本体にも『自動超翻訳』という便利機能が備わっていることを知った。
これはひょっとすると今まで気付けなかっただけで、調べてみたり探してみたり試してみたりすれば、ほかにも色々となにか素敵な発見ができるんじゃなかろうか……?
うおおおお、こいつぁ大変だぁ! オレが魔法や必殺技を使えるようになる日もそう遠くないってことじゃなかろうか。
これはもう胸のドキドキワクワクが止まらない。