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16時00分 駅構内プラットホーム




 まだ電車の来る時間が遠いからだろう、そう人の込み合ってもいない駅のホームに、二人は来ていた。自販機近くに設けられたベンチに並んで腰掛け、暫くの沈黙を風の抜ける線路と共に過ごした。

 砂泉は快活だが、空気が読めないというわけでもないらしい。瀬灯の纏うなにやら重たい雰囲気に当てられ、騒ぐことも逃げることもせずにじっと待ってくれている。それだけでも、瀬灯は、まだ初対面から数時間の彼女を信用することにした。疑いながらもじっくりと互いを探りあうような時間を、瀬灯は持ち合わせていなかったのである。

 両手で握ったスカートの裾を見つめながら、かすかな声を絞り出す。

「いくつか、質問したい……」

「なぁに?」

「ちゃんと、思い出してから答えてほしい。……私……、きのう、学校にいた?」

「え、そりゃーいたんじゃあ、」

「私が……廊下を歩いたり、授業を受けてる姿……映像を、思い出せる? 私の声を……きのうも聞いた?」

「それはー…………あ、あれ? え、だって、でも、よくわかんないよ。なんの話なの?」

「私、遠足も体育祭も文化祭も、……いた? 参加していた?」

「……お……思い出せない、けどっ。いたよ、ね? だって瀬灯ちゃん、クラスメートだし、サボったりしない真面目な子だしっ」

「ううん。いなかったよ……きのうも一昨日も、その前も、行事があっても。いなかったはず」

 問いを重ねるほど徐々に不安げな顔をした砂泉が、その言葉を聞くなりぴしゃりと押し黙った。雰囲気だけで語るなら、信じられない、と納得した、が混ざったような顔と息づかい。

「私、入学してすぐ入院したの。……それは覚えてる、でしょう?」

「ああ。それなら……覚え、てるよ」

「それからずぅっと病院にいた。今まで、ずぅっと入院してた。だから、私は学校にはずぅっと行っていなかった」

 入学したてで友人もまだいないころに入院したせいで、誰が見舞いにくることもなかった入院生活。最初のころは寂しいとか辛いとか思っていても、いつしかだんだんと胸の中には諦めや侮蔑に似た感情が積もりはじめていて……瀬灯の身体は、そんな磨耗した心の後を追ってきてしまった。こんな結果が、なくした学校生活に代わって瀬灯が手に入れたものだった。告知を受ける前から、もう無理だと思っていたのだ。消えた日常を、まぶしい学校生活を、誰かと送ってみたかった夢。当たり前のような生活をしてみたかった夢。とっくに、諦めていた。

 だが、今なら、叶う。少しだけでも学校に行けた今なら、一人だけとでも友人になれた今なら、夢が叶うかもしれないのだ。死を、すぐ目前に控えていながらでも。

「……ねえ、ホスピスって知ってる?」

「し、知らない……」

「もう治せない病気の患者さんが、死ぬまで心を癒す場所。……って、ふつうは言われてる。私、そこにいるんだ。今も」

「……死……?」

「うん。私、もうすぐ死んじゃう」

 ある意味、容赦のない言葉を前にして、砂泉は面白いようにころころと表情を様々に変える。思わず笑ってしまった瀬灯を非難するような目で見て、

「……ま、待ってよ。嘘じゃないの?」

「嘘じゃ、ない。……本当のこと……」

「いや、だってさ! 今も瀬灯ちゃんが入院してるのはわかったけど、そんな、いきなり死んじゃうなんて信じられないよ……。じゃあこのあなたはなんなの? 瀬灯ちゃんじゃないの?」

「瀬灯だよ……。たぶん、ほら、小説とかにはよくあるでしょう。生き霊ってやつなんだと思う……」

 至って落ち着いた声音で、瀬灯は告いだ。

「一昨日くらいから、調子、悪くて……。明日か、明後日かまで、もてばいいなぁってくらい」

「そんな……っ」

 信じられない、といった様子は抜けきらないようで、砂泉はそう呟いたきり顔を覆って俯いてしまう。瀬灯が嘘を言ってはいないことくらい、態度を見ていれば砂泉にだって容易に理解できた。しかし、だからこそ砂泉は瀬灯の言うことを信じたくなかった。今から仲良くなろうと話しかけた相手が、あと数日で死んでしまう。そんな事態を、普通の日常を生きていた砂泉に受け入れられるわけもないのだ。

「ごめんなさい……あなたには、本当に、迷惑な話だったと思う……でも、だから、あなたにお願いしたいことがある……」

 そろそろ電車が来る。人影の増えてきた薄暗いプラットホームで、瀬灯はふいに立ち上がった。夕時の光を背に振り返り、少しの笑顔と同時に困ったような顔をして口を開く。

「私が消えるまで……。友達に、なってくれませんか?」

 11月のある日のこと。いつのまにやら過ぎた夏も記憶に新しいのに、寒い日が多くなっていたことに誰もが驚く季節。冷ややかな風と、無機質なアナウンスの声や効果音が、瀬灯の声と共に流れ、霧散していったその一瞬……太陽の弱い光だけがそこにわだかまっていた。

 ああ、何故だろうか。自然に流れていく摂理の何もかもが、眩しくも、ひたすら残酷なもののように思える。

 砂泉は――、迷うことなく頷いてみせた。

 11月のある日のこと。瀬灯の心に、感謝と罪悪感が溢れた日のこと。受け入れるしかない死を、二人、少し泣きそうな顔で笑い飛ばした。

 ホームから見上げる、狭く切り取られた空模様は、深すぎる青、一色。


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