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12時30分 教室




「瀬灯ちゃーんっ!!」

 昼休みに入り、その喧騒をたちまちに増した教室の中。底抜けに明るい声が、瀬灯の耳を勢いよくつんざき、すやすやと居眠りしていた彼女を叩き起こした。びくりと肩を跳ねさせた瀬灯は、緩慢な動作で頭を持ち上げ、ぼんやりと声の主を視認する。

「ねぇねぇ瀬灯ちゃん、お昼! よかったら、ご一緒しませんかっ」

 何がそんなに楽しいのだろうか、満面の笑顔の少女が、威勢のいいまま瀬灯を昼食に誘ったらしかった。瀬灯は、少しの間黙っていて、やがて寝起きの頭が起動し始めるころに、ただ、不思議そうに首を傾げた。瀬灯には彼女が何を言っているのか、耳慣れない言語を聞いたかのようにまるで理解できていなかったのである。

 大きな黄色いリボンを髪にあしらいスカート丈の短い、いかにも日々を満喫する女子高生といったなりの少女。彼女が自分の友人であったような記憶は瀬灯にはなかったうえ、そもそも彼女の声すら初耳のように思っていた。いや、おそらく本当に、彼女と瀬灯は初対面である。しかし彼女は瀬灯を下の名で呼ぶし、なんなら席が隣同士であるようなのだが……。

 寝起き頭で黙考し続ける瀬灯に、彼女はさらに明るい言葉を続けた。

「あー、そりゃー瀬灯ちゃんとわたし、あんまり話したことなかったけど! 隣の席だし、やっぱり仲良くしたいなーって思ったの。ああ、嫌だったら全然大丈夫なんだけどね? でも瀬灯ちゃんいつも一人だし……ご一緒したいなーってずっと思ってて……だから、ね! いいよね!」

 長たらしい彼女の文言は、未だに瀬灯の耳をすり抜けていく。理解ができない。とりあえず落ち着こう、と瀬灯は静かに深く息をつき、彼女に向けはじめて口を開く。

「あの……私、まだ寝起きだから、ちょっと話についていけてない……」

「あっ、ああ! そっかぁーごめんねぇ、いきなり起こしちゃったもんね! え、えーとあのね、いまはお昼休みなんだけど、わたし瀬灯ちゃんと一緒にお弁当食べたいの。……わかった?」

「え、えっと…………」

 非常に困った、と瀬灯はさらに思考の迷路に落ち込んだ。明らかに何かがおかしい、という感覚が、強く脳裏を叩き続けていた。わからない。何かがわからない。何が? そうだ、彼女のことを瀬灯は全く知らないのだった。

「ごめんなさい……私、あなたの名前、まだ、覚えていなくって……」

 何か引っ掛かりを脳裏で引きずりながら、目の前の彼女へ問うた。彼女は、いったん目を丸くしてからまたからりと笑う。

「ありゃりゃ? んーまあ確かに話したことないもんね! わたしは、紀ノ川砂泉きのかわさずみだよ! 砂に泉、で砂泉。天秤座のO型で、趣味はー……おしゃべりくらいかなぁ? 得意教科はありません! そんな感じ!」

「紀ノ川……さん?」

「他人行儀~! 砂泉でいいよ」

「……砂泉」

「うん!」

「……秦野瀬灯はたのせとう。水の瀬に、ともしび。しし座、B型。趣味は、特にない。得意教科は……」

 不安になるほど嬉しそうに頷いた砂泉を前に、自分も自己紹介を返そうとして、瀬灯はなにか後ろめたさを感じて視線を逸らし、ついでに教室内を見渡した。そこでようやっと、しつこい違和感の正体が掴めそうになる。

 なぜだろうか。異様なほど、ただの蛍光灯で照らされたこの景色が、きらきらと輝いているように見える。壁で忙しなく針を動かす時計や、前の授業の板書が記されたままの黒板や、ところ狭しと貼られた連絡書類、汚れが目立ってきた窓ガラス。菓子類を大量に貪っている男子あり、自作弁当の中身を評価し合う女子あり、なにやら必死の形相で携帯端末を睨みゲームに勤しむ男子あり、希に勉強しながら雑談に興じる女子あり。きっとよくあるだろうこんな空気に、微かな喉のつかえを覚えて、瀬灯は無造作に口元に手を当てた。

 砂泉に視線を戻す。ええと、今は何の話をしていただろう。そうだ、自己紹介をしていたのだった。

「得意教科は?」

 改めて問われ、考えて……

「――――っ!」

 ……気づいた。

 寝惚けは瞬時に吹き飛び、なぜだろうか顔から血の気が引いていく。ガタリ。瀬灯がいささか派手な音を立てて立ち上がると、刹那、教室じゅうがしんとした静寂に包まれる。耳鳴りがした。覚えている。蛍光灯の白さを覚えている。しかしそれはここのものではなくて。

「びっくりしたー。ど、どうしたの瀬灯ちゃん?」

「たしかめなきゃ……」

 呆然とこぼした。

「な、何? 確かめるって」

「…………ごめんなさい。砂泉。私、もう行くから……」

 言って、瀬灯はポケットに財布があることを確認しつつ教室を飛び出し、さらには学校をも飛び出して、渦巻く曇天のもとを走った。


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