毒
――――ここに柔らかい物が有る。
男の手は丁度、猫くらいの物体を持つように両の手を差し出した。当然、そこには猫は無く、柔らかい物などなかった。陶芸家よろしく膝の間に置かれた手。『空気』と言われれば、男の言を否定しようも無いがそんな雰囲気ではない。
男は慈しむような眼差しで感触を確かめるように指を動かす。
「パントマイムですか?」
不躾な質問を私は投げてみた。いっぱしの表現者であれば、その指の間に何かを幻視するものなのだが、全く興味が無い。夢見がちな男に、冷め切った私。まさしく水と油だ。男の言葉にはそういう人間独特の匂いと言うか重みもある。その重みに身を任せればすばらしい夢か、含蓄を含んだオチへと導いてくれる。
そんな物はノーサンキューと私は冷水をぶっ掛ける。
不必要なのだ。
男の行為はすべて不必要。興味もないし、いらない。声をかけてやった事自体が最大限の譲歩であり、最終勧告だ。
この組み合わせ自体が最悪だ。男の表現者としての能力がいかほどの物かは知らないが、男と全く同じ視覚を共有できれば、彼のように陶酔へといざなわれるのだろう。一方、私は全く普通、冷静な判断が出来る。人前でマスターベーションに酔い痴れる愚は冒さない。
時間は効率よく使うべきであるし、幻視などという生産性の無い行為にふけるのはもってのほかだ。
この二人が一緒にいること自体が悲惨なのだ。
男は私に気付く事無く酔い痴れる。私はたった一人、その羞恥に耐えながらもその場を後にするという選択肢を思いつかない。
苛立ちながら、それを隠そうともせず立ち上がっては歩き回り、歩く事に飽きればどっかと無遠慮に腰を下ろす。全く無駄な行為だ。だが・・・
『その行為こそが無駄では無いのかね?』
この言葉を待っている。論争さえ始まれば決して負ける気はしない。如何に無駄で、恥ずべき行為かを得々と抗弁できるからだ。
男は夢の中から帰る気はなさそうだ。その体が苛立ちを殺意にまで高める。
男が悪い訳ではない。相性が最悪なのだ。共感と言う毒を垂れ流す男。垂れ流すだけ垂れ流して、こちらの言葉には一切耳を貸さない。汚染源の撤去を考えて何が悪い。私には生活が有る。守らなければならないものが有る。どんなにちっぽけであれ、誰もが守っている物だ。仕事があり、義務があり、立場が有る。
こんなちっぽけな男にかかずりあってる時間は無い。
・・・いや時間はある。心のリソースが無いのだ。こうしている間もガリガリと音を立てて削られる。
もうこれ以上は耐えられない。探してもここにはナイフも無い。首を絞めるストッキングも、脳漿飛び散らせるバールも無い。絞め殺すには男の首は太く頑強だった。
一刻も早く男を撤去しなくては。私は耐えられそうもない。そう思ったのは何度目か?
気が遠くなる。何とかしなくては・・・
私は縋る思いで、男の言葉を否定した。会話は成立しない。それでも生きているのが嫌になるぐらいに、男の全てを否定した。祈る思いで否定した。
「オマエがオレを汚染する!!」
言葉に勢いがあったのは何時までだったか?
訴えは悲鳴となり、慟哭となり、今や細々とした蜘蛛の糸の如し・・・
「・・・ヤメテクレ・・・」
悪いのは誰だろう?
二人は出会わなければよかった。別々の場所で別々に暮らしていければ、飢えて死んだとしても健やかだろう。
去る事を知らず。
止める事も知らず。
黙る事も知らない。
どれか一つでも知っていれば・・・
逃げる事は出来ない。
男は私なのだから――――
みんなそうでしょ?