帰れない記号
後部車両の扉を開くと、景色が流れていった。
列車の最後尾、こういうのは何と言うのだろう観覧列車とでも言うのか。足元からは線路が音を立てて流れていく。さほど広くも無いスペースに屋根と手すり。椅子などは置き場も無い。
時折、手すりが木の葉を引っかいていく。
先ほど渡った眼鏡橋がカーブへと消えていった。
『安全性に問題があるな』
思ったのはこんな事だけで、私は足元に吐き出される線路を見つめる。
こんな事しか思えないからこんな結果になったのだろう。
「こんなところにいたんですね」
枯れた戸の音が彼女を連れてきた。
彼女は風に舞う長い髪をしきりに気にした仕草で欄干に立つ。
「こうでもしないと退屈でね」
「でしょうね」
少しさびしそうに聞こえたのは気のせいだろう。別れを切り出したのは彼女だ。そして、この小旅行も彼女が希望した。俺は付き合っているだけ。景色に何の感慨も受けない。こんな物がなぜ・・・と思うばかりだ。
解っている。今の自分に余裕が無い。景色も何もかもが記号に見える。そんな自分に愛想を尽かした。そんな事だ。当たり前だ。
「見て」と彼女が言う。私はそれを目で追わない。そこにあるのは記号だ。
「鳥か何かか?」とぶっきらぼうに言葉を投げる。
「帽子」と一言が転がった。
目で追うが今更で、新緑と渓谷の風情。イメージで言えば緑だ。
そんな事は伝える必要が無い。見れば解る。私はそれを見逃した。その事実だけがぽつんと残っている。彼女がそれを求めているのも解るが、私の頭は強く不要な情報だと訴える。
世間は冷酷だ。数字と記号のやり取りで全て済む。そうでなければならない。
右から左に記号を流し、それが何を意味するかを考えてはいけない。そうすれば、給料と言う記号を貰う。その記号を増やさなければならない強迫観念。そう、強迫観念だ。そこから逃げられない。
「彼女を幸せに――――」
そんな言葉に踊らされ、踊らされているのは解っている。当の本人から破局を言い渡されたのだから。それでも帰れない。
そうだ。『彼女を幸せにしたい』と言う気持ちは幾らなんだろう?
ビタ一文払う気持ちはないがなぜか気になった。
そして、私は一人で駅を後にした。
綺麗さっぱりなくしたのに何も変わらない。
変わらないから――――捨てたんだ。
え?と驚いた彼女の変な顔が瞼に残る。変ではあったが綺麗だった。