7
夢か現かはっきりしない世界の中で、
ドアチャイムがしつこく鳴っている。
鳴っているからなんなんだ!
俺は現実をシャットダウンして、
眠りの世界に戻ろうとした。
「もう!健ちゃん!」
隣に寝ていた里美が起き上がった、気がした。
「ひまわり作業所の香田さんだって」
里美が、俺の身体をバシバシ叩く。
「えっ?」
肌に感じる痛みと「香田さん」という名前に、
俺の意識は、一気に覚醒した。
里美は眠そうに目を擦りながら、ベッドに倒れ込む。
「こんな時間にうざくね?」
ベッドの上でバタバタしながらうめく里美を見て、
俺の頭はフル回転を始めた。
お前、そんな格好で出たのかよ!
ベッドの脇に置かれたデジタル時計は、
今、8時30分に切り替わったばかりだ。
休みの日のこんな時間に、確かにうざい、
うざいけど…なんで?
香田女史がうちを訪ねてくるなんて、
今まで一度もなかったことだ。
俺は慌ててシャツをはおり、
ジャージのズボンを穿いた。
里美がケラケラ笑いながら、
ベッドの中にあった俺のパンツを投げる。
「うっせーよ!寝てろ」
俺はパンツを拾って里美の顔めがけて投げかえした。
「おとりこみ中だったかしら?」
ドアを開けると香田女史が醒めた目を向けた。
この人は、いつもこうババくさい言葉を使う。
ひっつめた髪と今時見かけるのも珍しい瓶底眼鏡のせいで、
年よりかなり老けて見えた。
里美が読んでいる少女漫画じゃないが、
コンタクトにしてちゃんと化粧をすれば、
結構見られる顔なのにもったいない。
どっちにしても俺はこの手の女は苦手だ。
まあ、女と意識した事もないけどね。
「何か?」
俺はシャツの襟を整えながら営業用の声を出す。
香田さんはちらっと部屋の中に目をやった。
「ちょっと出られないかしら?」
出たくはないが、出られなくはない。
「いいっすよ。支度してきます」
俺は慌てて奥へ入った。
案の定、里美ガッチリ不機嫌な顔で待っていた。
とりあえず無視して着替える。
パンツも忘れずに…?パンツ、パンツ…里美がまた放り投げた。
「ノーパン男!朝から不倫男!さっさと消えろ」
布団をかぶって丸まった里美が可愛くなった。
「ごめんな。すぐ帰るからさ」
返事はない。
「里美ちゃあん?」
思い切り布団をまくりあげ、俺は里美を抱きしめた。
俺が本当に愛しているのはお前だけだ。
駅前の喫茶店は微妙に混んでいた。
俺たちは二人掛けの席に通され、
香田さんがコーヒーを二つ…俺に断る事もなく注文した。
お茶を楽しむ為に来たのではなく、
あくまでテーブルチャージだという意味だから…。
最初はイチイチムカついていた香田女史の行動も、
その意味合いが読めるようになってくると
納得出来たりする。
なんか俺も大人になったよなあと、つくづく思う瞬間だ。
「こういう言い方は、本当はしたくないんだけど」
気づまりな長い沈黙の後、コーヒーを一口飲んでから、
香田女史が口を開いた。
「は?」俺には何の話なのか、まじで見当もつかない。
俺はそんな気持ちを顔に出していたのだろう。
香田女史は嫌な顔をした。
「ちょっと噂を聞いたの…木場君がその…」そこまで言って口ごもる。
「はっきり言ってください」俺はイライラして少し声を荒げた。
香田女史はため息を漏らして俺の顔をしみじみと見る。
瓶底の目はどんな色をたたえているのかよくわからない。
香田女史が途切れ途切れに話した内容は俺にとって身に覚えのないことばかりだった。
つまりは作業所の愛ちゃんが妊娠し、その犯人だと疑われているのだった。
愛ちゃんは確かに作業所のアイドルだが…
それはあくまでマスコット的なものであって、
香田女史と同じく女と見た事はない。
そう言われてみれば、 時々誘うような仕草をする事もあった気がするが、
俺からすれば特に気になる事はなかった。
俺ぐらい女に免疫があれば、ちょっとぐらいでは動じない。
こういう場合、純情な奴…例えば中野のようなタイプ…の方が始末が悪いのだ。
携帯電話が鳴った。里美からだ。
俺は少し躊躇したが なりやまないので仕方なく出た。
開口一番、ダミ声だ。
これはかなり怒っている。