表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋うた   作者: 城市佳
5/10

わたしは、恋をします。

男の人と、恋をします。

恋人です。

恋人は、かっこよくて、せが高いです。

わたしのことを、

愛ちゃんとよんでくれて、

うれしいです。

なぜかというと、

おとうさんみたいだからです。

おとうさんは死んでしまったからです。

でも恋人は、

おとうさんみたいではないです。

おとうさんよりも

若いです。

かっこよくて、せが高いです。


恋は楽しいです。

なぜかというと、

わくわくするからです。

恋人と会うと、ドキドキします。

なぜドキドキするかというと、

とても大好きだからです。

好きな時には、

いっぱい会いたくなります。

毎日ずっと会いたくなります。


恋は、悲しいです。

なぜかというと、

会えないと、さびしいからです。

わたしは、さびしいはきらいです。

だから悲しいです。


恋はあったかいです。

なぜかというと、手をつなぐからです。

それからぎゅっとされるからです。

ぎゅっとされると、

なきたくなります。

うれしいのになきたくなるのは、

ふしぎです。


恋はなみだが出ます。

バイバイする時は、

いつもなみだが出ます。

なかないでねって、

頭をなでてくれます。

だからうれしいです。



愛ちゃんのお母さんが差し出したノートには、

丁寧な字が並んでいました。

文章には、たどたどしさがあるものの、

漢字もたくさん使われていて、

愛ちゃんが一生懸命に書き綴る様子が

目に浮かぶようでした。

赤い表紙には、

「恋うた」と書かれていました。


愛ちゃんの体調がおかしい事に

私が気付いたのは、夏の終りの頃でした。

こういう仕事に携わって、

かれこれ10年程になりますが、

決して珍しい事ではないのです。

病院では、

妊娠4ヶ月目に入ったぐらいだろうと

診断されました。

体調管理の一環としても、

女性の生理日は、

だいたい把握しているつもりでしたが、

愛ちゃんの場合は不順気味だったのと、

処理が自分できちんと出来るので、

注意が足らなかったと反省しています。


妊娠週数が進んでいるということで、

犯人さがしは先送りにして、

愛ちゃんのお母さんに連絡をし、

来てもらう事になりました。

驚いてかけつけたお母さんは、

ご主人を亡くされてから、

九州にある実家に帰っていて、

体調を崩されていたこともあって、

愛ちゃんに会うのは、

数か月ぶりだったそうです。


お母さんはハンカチで目頭を押さえながら、

私にノートを渡し、

それからまっすぐに私の顔を見ました。

「産むというわけには、

いかないもんでしょうか?」

私は言葉に詰まってしまいました。

「私が一緒に育てますから」

お母さんは、決意のこもった目で、

訴えかけてきました。


もちろん私も愛ちゃんと話をしました。

事の因果関係についても、

かみくだいて説明しました。

愛ちゃんは私が思っていたよりもずっと、

よく分っていました。

決してされるがままであったがゆえの

結果ではなかったのです。


もっと驚いたのは、

お腹の中に赤ちゃんがいるという事に、

愛ちゃんが気付いていたことです。

まだ胎動がある時期ではないと思うので、

本能的なものなのでしょうか。

その時、愛ちゃんは

「赤ちゃんを産みたい」と言って

泣きだしました。

きっとお母さんと話した時にも、

そういう展開になったのでしょう。


出来ることなら産ませてあげたいと

私だって思います。

愛ちゃんとはまだ1年とちょっとの付き合いでも、

作業所やホームで生活を共にし、

母親のような気持ちも抱いていました。


ここに確かに在る命を

切り捨てる権利は、

誰にもないとも思います。

育まれた命が絶対に不幸せになるなどと

断定もできません。


本人と相手を呼び、

親と職員とで、

じっくりと時間をかけて

話し合うべきことなのです。


でも愛ちゃんは、

どうしても相手の名前を言わないのです。

たぶん、口止めをされているのでしょう。

そこでお母さんが、

ノートを持ってきたというわけです。


でも残念ながらノートには、

相手に結び付く記述は

見当たりませんでした。

お母さんの涙と決意に、

私が戸惑っていたちょうどその時に、

ドアがノックされました。


職員の梶山さんでした。

「香田さんに、どうしても今、

話したいことがあるっていうの」

梶山さんの後ろには、

ボランティアの青年が立っていました。

青い顔をして、

目を伏せています。

「ここで?」

私は青年に聞きました。

青年はうつむいたまま黙っています。

梶山さんが青年の背中をぽんと叩いて

促すと、青年はよろよろっと前に出ました。

それから顔をあげ、

応接室の中にちらっと目をやりました。

それから唇をぎゅっと噛みしめ、

うるんだような目で私を見て、

小さくうなづきました。

私は愛ちゃんのお母さんと思わず顔を見合わせました。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ