10
喫茶店までの5分ほどの道を、黙って歩いた。
僕はどう切り出したら良いのかわからず、
かといって、このまま香田さんと3人で話すのも
ためらわれた。
「ちょっと」
前を歩いていた木場が面倒くさそうに振り返った。
「先に話したい事があるんだけど」
木場はその場で足を止めて僕に向き合った。
「愛ちゃんの事だろう?」
やっぱり香田さんもその事で木場を訪ねたのか。
「俺は関係ねえから」
木場は動揺する様子もなく、いつもの調子で吐き捨てるように
言った。
「この前さ、電車の中で…」
「あれは友達の話だって言ったじゃねえかよ」
初めて聞いたが、僕はそれ以上何も言えなくなった。
木場はまたくるりと向きを変え、歩き出した。
仕方なく僕もついていく。
「お前なんじゃねえの?」
僕は慌てて木場の隣にまわる。
「なんで…」
声がひっくり返りそうになった。
香田さんがそんな事を言ったのだろうか?
「なんてな」
木場は表情ひとつ変えずに、足を速めた。
「お前なんじゃねえの?」は、僕が用意していた言葉だった。
木場なら、充分にありそうだから?
木場なら、こんな事態も軽くかわせそうだから?
自問自答してみても、答えは出ない。
木場と愛ちゃんが親しく話しているのを、僕は何度か見たことがある。
愛ちゃんが木場の冗談に大きな声でケラケラ笑い、
ぴったりと身を寄せて、内緒話をしていた事もあった。
あんな事があってからなんとなく愛ちゃんを避けていた僕は、
何も感じないフリをしながらも、
不思議な事に嫉妬のような感情を抱いていたのかもしれない。
自分に惚れているはずの愛ちゃんが、
木場に対してもそういう行動をとることが
許せなかったのかもしれない。
どっちにしても、勝手な感情であることは自覚していた。
例えば愛ちゃんときちんと付き合って結婚してなどという、
レールはまったく持っていなかったのだから。
喫茶店の前で、木場は僕をちらっと見た。
情けないことに僕は泣き出しそうな顔をしていたのだと思う。
木場はふっと優しい笑みを浮かべて、
「大丈夫か?」と小さく訊ねた。
本当は逃げ出したかった。
香田さんとは愛ちゃんのお母さんも交えて、昨日話したばかりだ。
あの時の僕の曖昧な態度から、木場を訪ねた理由はすでに
お見通しなはずだ。
木場と一緒に香田さんと話しをするというのは、
今の僕には拷問に近かった。
木場は僕の背中をすっと押して、僕を店の中に入れた。
店は割と空いていて、奥の4人掛けにひとりで座っている香田さんが、
すぐに目に入った。
遠くからでもその目が、すべて分かっているよと言っているような
気がして足がすくんだ。