70『喧嘩はこうして止めるのよ!』
「ノアさん! ロアン少年を連れてきました!」
ディオンに時々進行方向を補正されながらノアさんの縄張りへ無事に戻ってこれました。
行きはあんなに遠かったのにあっと言う間に戻ってきたよ。
流石はディオン! きっと普通に歩いているように見せかけて、実は想像だにしない近道を知っているに違いない。
「あぁダーナ! 良かった無事だったんだね。水場に行ったはずなのに中々帰ってこないから心配してたんだよ。 ロアン、ありがとうね。 ダーナはどうもしっかりしているようで無自覚に抜けている所があるから助かったよ」
「あー、なんとなくわかります。 ダーナさんはもう少し自分が方向感覚が狂ってることを自覚したほうが良いです」
二人揃ってまるで不憫な子を見るような視線を送ってくる。
失礼な、確かにちょっと道に迷うときもあるけどさ。
「どうやらロアンに世話をかけたみたいだね」
「いえいえ、お陰でダーナさんと言う興味深い方に会えましたから」
「そうかい、ならよかったよ。 そうださっきアラン殿下がーー」
「ダーナ!」
「ーー来なさった」
ノアさんの言葉を遮るように人を掻き分けてアラン殿下がこちらに向かって走ってくる。
般若のごとく怒りを湛えてやって来るアラン殿下、ヒィィちょっと待て! 私なんかやったか?
あまりの恐怖についディオンの後ろへ隠れたもののいくら少しは痩せたと言っても元々小柄なディオンの面積では隠れきれる筈もなく。
「なぜ隠れる?」
地獄の底から響いてくるような声に身体がビクッと条件反射した。
「いやぁ、アラン殿下どうかしましたか? なにか私に御用事でも?」
恐る恐るディオンの後ろから顔を出すと、なぜかムッとした顔で右腕を掴まれてディオンの後ろと言うなの安全地帯から引きずり出される。
「やめ!」
「恐れながら殿下、ダーナ殿は嫌がっておられるようですが?」
絶体絶命の窮地に現れた救世主ディオンは然り気無く私とアラン殿下の間に入るようにして庇った。
良くやった! ダスティア公爵家に無事に帰れたら父様に特別手当てをはずんで貰うからね。
「お前は?」
なっ、なんか一層不機嫌さが悪化した気がするんですけど。
「失礼致しました。 先日より厨房の下働きとして従軍しております。 ロアンと申します」
「ほう? それで一介の下働きが一国の王子である俺のすることに口を挟むと?」
「はい。 手打ちになさいますか?」
王族に逆らうならば殺されても文句が言えない。
「アラン殿下っ!」
私を庇ったことでディオンが殺されしまうかもしれない。
なんとか止めなければと、焦ってディオンの後ろから飛び出そうとする私を押し留め、背後に庇ったままで自分よりも遥かに背が高いアラン様を見上げるディオン。
睨み合う二人の間に暫く無言の時が流れたが、先に引いたのはアラン様だった。
「ふん、良い眼だ。 ノア! この少年を貰っていくぞ」
「そんな! アラン殿下、只でさえ人手が足りなくているのにロアンまで持っていかれたら廻りませんよ!」
抗議の声をあげたノアさんの主張に、アラン様は少しだけ考えた後に名案を思い付いたとばかりに頷く。
「ではゾロのところから何名か都合してもらえ。 フレアルージュ王国とローズウェル王国が手を組んだ今、うかつには動けないからな。 膠着状態が続く間は、男手に使って良い」
「わかりました。 ロアン、ダーナ。 しっかりアラン殿下の役にたつんだよ!」
あっさりと懐柔されたノアさんに見送られてやって来たのは軍の比較的外側にあるアラン様の天幕だった。
「さてダーナ? こいつは誰かな?」
「ただの下働きの平民ロアン少年ですよ?」
ニコニコと笑顔を作りながら、内心冷や汗が止まらない。
「うそつけ! その年で自国の王子に一瞬とはいえ殺気を飛ばす平民が居てたまるか」
「ここにいるじゃありませんか。 ねぇ?」
横に立っているディオンを見ると肯定するように大きく頷く。
「はぁ、あくまでも平民だと?」
「はい殿下」
淀みなく答えるディオンにアラン様は腰に佩いた長剣をすらりと抜き放ち、流れるように無駄のない動きで隣にいたディオンに斬りかかった。
「うわっ! ちょっと、こんな狭いところでいきなり抜刀なんて危ないじゃない!」
いつの間に取り出したのかディオンが短剣でアラン様の初太刀を受け流した。
「殿下、危ないですから刃物を子供に向けるのやめませんか?」
「ふん、子供? 冗談だろう。 軽々と俺の剣を流しておいて今さら子供ぶるな」
「やめなさい! やめっ! キャ!」
狭い天幕内を長剣と短剣が繰り広げる剣戟が私の頭上を掠めた。
今の一撃が当たっていたら……
有り得た悲劇を想像して全身の血の気が一気に引いた。
次いでわなわなと沸き上がる感情は激しさを増していく剣戟に対する恐怖ではなく怒りだった。
「本当に頭に来た!」
制止も聞かずに尚も暴れる二人を放置して天幕の外に飛び出すと目的の物に向かって走る。
目的の物である雨水を溜めるための大きな瓶には塵が入らないように木板で蓋がされている。
蓋を取り外して近くに置いたままになっていた桶を沈めるとすぐに水が貯まった。
天幕に戻ると既に沢山の人垣が出来てしまっている。
それはそうだ。 あれだけ派手に暴れていれば嫌でも目立つ。
「すいません! 退いてください! 通りま~す」
声をかけながら人垣を掻き分けて騒ぎの中心へ進むと、天幕は倒れ決戦の舞台は外へと移されていたらしい。
「ふん、ちびの癖になかなかやるじゃないか」
「そのちびに勝てない癖に、でかいのは態度と身長だけかよっ」
ガキンっと金属同士がぶつかり合い高い音をたてるとギリギリと力の限り鍔ぜり合う。
さっきまで短剣しか持っていなかった筈のディオンの手にはしっかりと長剣が握りしめられていた。
「おっ、おい! ダーナじゃねぇか。 桶なんか持ってきて一体なにをする気なんだ?」
干し肉と酒瓶を片手に最前列に座り込んで観戦しているゾロさんに声を掛けられた。
見物しているくらいなら止めてよね。
「何って、あの頭に血が上った二人をとめるんですよっと。 いい加減にーしろ!」
「うわっ! 待て待て待て待て! 落ち着けダーナ! 王子にそれはまずいって!」
「問答無用! ふん!」
持ってきた桶に付いている縄の持ち手を掴んでブンブン勢いをつけて身体を回転させると、頭に血が上っている馬鹿二人へ目掛けて水が入ったままの桶が飛んでいくように手を離した。
桶は綺麗な放物線を描きながらも、回転した際の遠心力のおかげか中身を溢すことなく最終標的へ飛んでいった。
実力的に意外にも拮抗しているようで、ひたすら斬り結ぶアラン様とディオンは突然自分達に向かって飛んできた桶を回避しきれず、持っていた長剣で応戦。
長剣で一刀両断された桶は強制的に大破したが、水までは排除出来なかったらしく。見事に二人とも濡れ鼠とかした。
文字通り勝負に水をさされて呆然とする二人に仁王立ちしたまま、にっこりと笑顔を送る。
「さて、風邪を引く前に着替えましょう。 ほらほら野次馬は散った散った! はい解散!」
「だぁ、本当にやりやがった。 お前、王族に手をあげるなんて場合によっては、極刑物だぞ」
ゾロさんがガシガシと頭を掻きながらやって来た。
「では王族に危険が迫っているのに呑気に観戦しているのも厳罰ですよね? アラン様」
私がこの場の最高権力者に矛先を向けると、アラン様はしっかりと濡れて額に貼りついた髪をかきあげると苦笑した。
「そうだな、軍の規律を乱した俺も同罪だな。 ゾロ、観戦に加わった者を連れてノアの元へ行って扱き使われてこい。 それで罰は済ませる。 ダーナは俺がみっちり絞る」
「仰せのままに」
「ダーナ! 俺とロアンになにか拭くものを持ってきてくれ。 あと着替えだ」
「わかりました。 ですが居室はいかがしますか? 天幕はもう使えませんよこれ!」
アラン様が暴れたせいで倒壊した天幕を指差す。
「問題ないだろう。 ダーナの天幕は無傷だ」
さも当然のように言ってますけどね、私一応結婚前の乙女なんですけど!?
「アラン殿下……お話があるのですが」
溜め息を付きながらディオンが声を掛けると、アラン様はニヤリと笑う。
「ほう? ここではなんだから移動しようか。そのお話とやらをじっくりと聞かせて貰おうか」
ディオン……隠密なのに、リシャのせいで忍べません。