68『ロアン少年』
ゾライヤ帝国とフレアルージュ王国を隔てている国境上の平野は大軍勢を賄うために夜遅い時刻にも関わらず煌々と松明が焚かれ、フレアルージュ王国に面する陣地には三重に柵を張り巡らせている。
しかし、柵の内側では長期間に及ぶ派兵に兵士達の士気が次第に低下していた。
今回ゾライヤ帝国からフレアルージュ王国への遠征軍は総数二万を越えるものの、その大半が遠征先となりゾライヤ帝国に飲み込まれ、祖国を無くした者達で構成されている。
ゾライヤ帝国の皇帝フランドル・ゾライヤは侵略した国の王族は男ならば産まれたばかりの男児にすら情けをかけることを良しとせずに、執拗に追わせ処刑した。
また自分好みの子女はたとえ既婚者であろうと全て問答無用で自分の後宮へと召し上げた。
フランドル皇帝の後宮に入るくらいなら死んだほうが幸せだと、軍で仲良くなったおば様達が噂しているのを芋の皮剥きを手伝いながら現在情報収集中です。
ふふふっ、男性優位なこの世界ですけどね、女性の産まれ持った性質といいますか、人の口に戸は立てられないとは良く言ったもので、男性方がいくら注意していても噂好きな淑女達には敵わないんでございますよ。
多少脚色は入るけれど、女性陣のアラン様贔屓は素晴らしく、第二王子様や第三王子様の毒牙から従軍する若い娘を守る為の互助会も有るようですっと。
「ノアさん! こっちの籠終わりました!」
「そう! ありがとう。 それじゃあっちもお願い!」
軍の食事を賄うのはとんでもなく激務です。
軍の食事は朝と夕の二回とはいえ、二万人の食事を作るのは並大抵じゃない。
軍の中で最も忙しい部隊はこの女性達の隊だと思う。
アラン王子の参戦前は軍の食糧事情は悲惨だった。
従軍兵士はゾライヤ帝国の国民だけが優遇され、日に二食食べることが出来たが、敗戦国から家族を守るために強制的に徴兵されて来た者たちや、他国から兵士にするべく拉致され、ゾライヤ帝国に買い取られたもと貧民街の子供達は録に食糧を与えられずに工兵として酷使され消費され続ける。
第二王子、第三王子による兵士とは名ばかりの奴隷のような待遇に高まり続けた不満を緩和したのがアラン王子だったらしい。
兵達のあまりの衛生状態の悪さに、アラン王子は直ぐ様軍の管理者の元を訪れて、改善を求めた。
予算を理由に渋る傍ら自分達は高価な嗜好品を惜し気もなく使用していたらしい。
自分の為に運ばれてくる食事を質素な物にして、嗜好品の値段を食材に廻せば良いのに!
そうしてアラン王子は自分の為に用意された食材には一切口を付けずに、軍でも立場が低い兵士達のところで、兵士と同じものを食べたらしい。
「野菜クズが少し浮いただけの白湯を立派な衣装を着た王子様が所望してくれてからは、王子様にそんな食事はさせられないと、こちらに食材が回ってくる様になってね。 食事も二回に増えたのさ」
「へぇ、そんなことがあったんですねぇ」
凄い速度で剥かれていく芋を次々と大きな深鍋で煮込みながらノアさんが教えてくれるアラン王子の昔話に耳を傾けていた。
「それはそうとダーナ、アラン殿下のお側に居なくて良いのかい?」
「アラン様は現在イーサン殿下に呼ばれていて付いてくるなと釘をさされたんですよ」
なぜか最近まったくと言って良いほど中央の天幕へは連れていってくれなくなった。
「ダーナは痩せて綺麗になったからねぇ。 いくらダーナが男でもいつイーサン殿下やイヴァン殿下の食指が動くかアラン様は気が気じゃないのさ」
「ノアさん! 冗談でもイーサン殿下やイヴァン殿下の相手なんて考えたくもありません!」
一瞬過った組み敷かれる自分を想像してしまい鳥肌をたてるとノアさんはカラカラと笑って見せた。
冗談でも勘弁してほしい。
「はははっ、ダーナはアラン殿下一筋だものねぇ」
「ノアさん!」
なんて人聞きの悪い、男色王子はお呼びじゃないんですよ!
まぁ、確かに男妾扱いされてますけど私女だし!
「みんな知ってるんだから照れないの。 あんたが来てからアラン殿下の標的が貴方に傾いて助かっているんだからさ。 ほらリンゴあげるから機嫌治しなさいな」
真っ赤に色付いたリンゴの果実を貰ったので皮がついたままにそのまま齧り付いた。
酸味と甘みが口一杯に広がり、リの爽やかな芳香が鼻に抜ける。
「でも、前にイーサン殿下達が軍の女達を皆引きずり出した事があったろう? フランドル陛下の妾だかが逃げ出した時」
ノアさんが言っているのは私がアラン様の天幕へ逃げ出した時の事だとわかり鼓動が跳ね上がる。
「あの時は夕食の支度中だってのに若い娘達が次々と連れてかれるもんだから人手が足りなくてねぇ、しかも首実検だって話だったのに、ババぁは来なくて良いなんて言われてさぁ。本当殺気が湧いたもんだよ」
話している内に思い出したのか、昼間兵士さんが持ち込んだらしい雄の雉に似た姿の美しい野鳥の首を掴みまな板の上に置くと、愛用の包丁を勢い良く振り下ろした。
スコンッ! とまるで薪割りでもしたかのような音をたてて包丁が一刀で野鳥の首と胴体を分けた。
確かに外見は雉に似ているが、大きさは見事に前世のダチョウを連想させる。
しかし、良く捕ってきたね。 その鳥はけして大人しい鳥じゃないよね……?
「ん? どうしたの?」
「いやぁ、良く狩れたなぁと思いまして」
「あぁ、これかい? イーサン殿下の天幕を守っていた宿直の兵が持ち込んだんだよ。 スッキリした顔をして引き摺ってきたよ」
うん、察しました、お疲れ様です。 イライラするよね……あれは。
「ノアさん、おいしい食事をご馳走しましょう!」
「うん、そうだね。 さてダーナ、どうせいつも通りアラン殿下が迎えに来るんだろう? 向こうの水場に最近入った新入りがいるはずなんだよ。 すまないけど連れてきてくれないかい?」
「新入りですか、どんな人物ですか? 特徴は?」
迎えにに行くのは構わないけど、特徴が判らなければ捜しようがない。
「ロアンって名前の少年だね。 歳は十歳位で痩せてて茶髪に茶色の眼をした子だよ」
十歳位って従軍するには早すぎるような気がするんだけど。
あぁ、ゾライヤ帝国に買われた貧民街の子かな。
ティーダ達は拉致されずに済んだけど、軍内には拉致され売られたのだろう子供が一定数混ざっている。
「判りました、ロアン君ですね」
「宜しくねぇー!」
尚も野鳥を豪快に捌き続けるノアさんに見送られながら、決して怒らせないようにしようと心に刻み込みながら、まだ見ぬロアン少年を捜して水場に向かって歩き出した。