60『髪はまた伸ばせば良い』
天幕の中には誰の物か分からない物資が置いてあった。
長期の遠征のためか大きな衣装箱と寝台が一つだけポツンと置かれている。
この天幕の回りには兵士が居なかったからお邪魔させてもらったけど、この天幕の主は案外それなりに良いとこの人なのかもしれない。
ゴソゴソと空き巣のように衣装箱を漁ると、仕立ての良い衣装に混ざってここまでに来る間に見かけたことがあるような上下の衣装を見付けた。
兵士達の世話をする年若い少年達が着ていた衣装に似ている。
ここまで来てきた服を大急ぎで脱ぎ捨てて先程見つけたばかりの服を身に付ける。
とりあえず今まで着てきた服を黒い布でくるみ、漁っていた衣装箱の底へとグイグイ押し込んだ。
男物のせいかな、全体的に締め付けないデザインのおかげか、衣装は問題なく着れた。
何か武器になりそうな物がないかなぁと天幕の中を虱潰しに探していると、立派な装飾の施された長剣を見付けた。
ずっしりと重い長剣を支えながらゆっくりと鞘から引き抜いていく。
現れた白銀の輝きをはなつ刀身は使い込まれており、ところどころに小さな傷が刻まれ込まれている、よく見れば柄は持ち主の癖なのか若干の歪みが見てとれた。
本当は扱いやすい短剣がよかったけれど、贅沢はいってられないよね。
まだ水気を残す金茶色の長い髪を片手で握り、刀身をうなじに合わせるとぎゅっと両目を瞑った。
「父様、ご免なさい!」
長く伸ばした髪を切るのに多少は抵抗があるけれど、髪はまた伸ばせば良い。
今は無事に生きてローズウェル王国へ、 もしくはフレアルージュ王国にいるはずのソレイユ兄様のもとへ帰るのが先決。
刃を入れる度にパラパラと長い髪が手の内に落ちて行く。
首元が涼しく、浮かびかける涙を堪えて一息に切り落とした。
軽くなった頭を刃で整える。
手元にある長かった髪は処分しなければいけない。
見付かればたちまちのうちに追っ手が掛かる。
どうしたものかと思案していた私は背後から近付いていた気配に気がつけなかった。
「そこで何をしている」
カチャリと小さな音がしたあと振り返るよりも早く首もとに当てられたのは、正しく先程まで探し求めていた理想の短剣だった。
殺気をこめて発せられる声はまだ声変わりも済ませていない若い青年とも少年とも取れる声だ。
背後を捕られていて姿はみえないが、声からして私とあまり変わらない年頃だろう。
「両手を挙げて答えろ、一体何をしていた? 何が目的?」
長剣は髪を切り落としたあと床に置いてしまっており、手が届かない。
ピタリと皮膚に貼り付く冷たい刃物の感触で少しでも動けば命は無いだろう。
逆らわないと言う選択肢しか選べない状況に自分の間抜けさを思いしった。
なんで気が付かなかったの私!
大人しく両手を挙げると、青年は私の手元にあった金茶色の髪に気が付いてしまったみたいだ。
「……長い髪?」
呟くと私の近くにあった長剣を拾い上げる。
だぁー! 武器取られた!
「答えられないなら答えたくなるようにしてやろうか?」
冷徹な落ち着いた声にヒッ! と息を詰めると、途端に天幕の外が何やら騒がしくなっていた。
脱け出したのが見付かったのかもしれない。
つぅっと背中に冷や汗が流れる。
「御休みのところ失礼致します。 アラン様、こちらに不審な女が逃げて来ませんでしたでしょうか?」
天幕の外から掛けられた声に鼓動がはねあがる。
「不審な女? 見ては居ないが何があった?」
私から視線を外さずに布を隔てた男の声にアランと呼ばれた青年が答えた。
「イーサン殿下が捕らえた皇帝陛下へ献上される新しい玩具が逃げ出しました。 現在陣内を捜索しておりますが、心当たりはありませんか?」
ドキンドキンと脈打つ自分の鼓動があまりにも大きくて、まるで全身が心臓になったかのような錯覚を覚える。
私の運命は今まさに背後の青年が握っている。
浅い呼吸を繰り返すと、首もとに当てられた刃が少しだけ身体から離されると、丸めた私の背中を宥めるように撫でた。
「無いな、私も着替え次第すぐに捜索に向かうと第二、第三王子殿下に御伝えしてくれ」
勢い良くアランを仰ぎ見ると美しい碧眼と視線が絡んだ。
暗い天幕の中では色素の薄い髪色だと言うことしか分からない。
助けて、くれるの?
「……御意」
アランの言葉に了承の言葉を残して天幕の外から完全に気配が去るのを確認すると、それまで首筋にあった短剣は外された。
「大体の事情は察したがこれからどうするつもりだ、玩具さん?」
「っ、玩具じゃないわ! 私は家に帰るのよ! 協力して!」
敵国の人間にこんな事を頼むのは可笑しいかもしれないが、四方八方敵だらけのなか、目の前の青年は私を一先ずつき出すことはしなかった。
まず了承はしないだろうけど、それならせめて見逃して欲しい。
「ん、あぁ良いぞ」
「お願い見逃し……え?」
一瞬何を言われたのか解らなかった。
「家に帰りたいんだろう? なんなら協力してやっても良い……あんた次第だがな」
ゆっくりと外から天幕に入ってくる月明かりの光りの下にやって来るとニヤリと笑って見せた。
銀色の髪に彩られた冷たさを感じる美しい顔の青年に私は覚えがあった。
「アラン・ゾライヤ殿下……」
公爵家には父様の仕事上各国の要人の姿絵が保管されている。
基本的にあまり人の顔と名前が一致しない私だが彼だけは忘れられる筈がない、美形嫌いの発端とも言えるかの国の第四王子殿下だった。
「久し振りだなぁ? まさかこんなところで再会できるとは思っても見なかったが、しかし幼い頃と印象がかわらないってのはどういう事? 素敵な淑女になってるかと思えば、ばっさり断髪してるし。 リシャーナ・ダスティア公爵令嬢殿?」
昔、ゾライヤ帝国へ顔合わせも兼ねて父様のお仕事に同行させられた時に出会った天敵!
「おっ、お久し振りです」
口の端が無意識にひくつくのを必死に堪えながら挨拶をする。
「ふふふっ、楽しくなりそうだなぁ」
楽しく!? 何が!? イヤだぁー!




