52『語られた過去』
マリアンヌ様は、自分の幼少期から学院入学するまでの経緯を淡々と話し出した。
主観を省き第三者目線で口から出てくる言葉の重さに、ルーベンスは顔面を青く染めながら静かに聞き入っているようだった。
自分の愛する女性の暗すぎる過去話は、恋愛脳な箱入り王子様には衝撃が強かった様です。
「学院へ入学して、対人恐怖症から周囲に溶け込めずひたすら目立たないようにして過ごして来ましたが、ある時体調が悪くて動けなかった私を気にかけてくれたのがロキ様でしたわ」
うん? ロキ様? 誰ですかそれ、攻略対象者の中にそんな名前の男性なんて居たかしら?
ルーベンスに視線を送るものの、どうやら心当たりが無いようで素晴らしく険しい顔付きになっております。
「ロキ……まさかロキシアンか?」
ロキと言う敬称に心当たりが有ったらしいカイザール様が告げた名前にマリアンヌ様が確りと頷いた。
「そうです、我がローズウェル王国と国境を接する隣国フレアルージュ王国から王立学院へ遊学にいらしていた王太子ロキシアン殿下です」
ローズウェル王国と軍事大国として名高いゾライヤ帝国に国境を接する小国がフレアルージュ王国だ。
フレアルージュ王国は今ゾライヤ帝国からの領土侵犯があり、その対応に追われている筈だ。
かの国には優秀な王子が三名いるはずで、その王子様が学院に居た?
困った……記憶を掘り返してもくだんのロキと言う名前に心当たりが全くない。
う~ん、ロキシアンと言う名前の生徒がいただろうか? 思い出せない。
フレアルージュ王国が陥落すれば大国の次の歯牙は確実にローズウェル王国に向くと父様は頭を抱えているのは知っている。
周辺諸国と協力してなんとかゾライヤ帝国へ対処が出来ないかを模索していることも……
「王太子? 彼は第三王子の筈だろう?」
カイザール様はどうやら面識があるようだったが、第三王子が王太子? ソロリと横目で我が国の第三王子兼筆頭王太子候補を覗き見た。
「正式にはまだロキ様は王太子ではありません。 発表されておりませんしフレアルージュは戦時です。 ロキ様は母国に二人いた兄君がゾライヤ帝国との交戦中に亡くなったと祖国から帰国を促され、急遽学院を辞されると言っておられました」
マリアンヌ様がもたらした情報はかの国の根幹に関わる重要な情報。
フレアルージュが国内の士気を落とさぬために必死に秘匿せざるを得ないほどの内容だった。
今士気を失えばすぐにでも瓦解する程の均衡の上でフレアルージュ王国は成り立っていると言っても過言ではない。
ロキシアン様が少しでも戦いやすいようにするにはどうすれば良いのか?
マリアンヌ様はゾライヤに危機感を持っている国がロキシアン様と共に戦ってくれればと、男性恐怖症を我慢してローズウェルの王太子筆頭候補であるルーベンスに近付いたそうだ。
国の中枢と言えるルーベンスならゾライヤ帝国の脅威に対して対応して貰えるのではないか、権力を持っている子息達と仲良くなればもしかしたらフレアルージュを、ロキシアンを助けてくれるのではないかと考えた。
しかし子息たちはマリアンヌ様の訴えをそっちのけで、マリアンヌ様を口説きはじめる、終いには勉強そっちのけで会いに来るようになってしまった。
「マリアンヌ、安心して良い。 我が国の軍は皆精鋭揃いだ。 ゾライヤ帝国などに負けるわけがない」
軍部の中核を担う家系の青年が言ったそうだ。
「俺の前で他の男の名前を呼ぶなんて許さないよ?」
大陸に影響力がある宗教団体の教皇の隠し子はロキシアン様の名前すら出させて貰えない。
「今ならフレアルージュの国土をローズウェルに取り込めるのでは?」
と話しだす始末。
駄目だこの子息たちじゃロキシアン様を助けたいと言っても他国だからと危機感が足りない上に信用できない。
「検討してみよう」
ルーベンスはそう告げたきりで、フレアルージュとの関係が一向に進展している様子がない。
ロキシアン様の子供を身籠っている事がわかり、マリアンヌ様は素直に喜ぶことが出来なかったらしい。
今自分の子供がフレアルージュの跡取りだと国に、取り巻き達に露見すれば人質に取られローズウェルはフレアルージュ王国の跡取りを手中にしていることになる。
『今ならフレアルージュの国土をローズウェルに取り込めるのでは?』
取り巻き達の言葉を思い出して慄いた。
共に戦うどころか自分と子供が人質にされロキシアンは逆に二国から侵略されかねない。
それならいっそ他国に構っている暇がなくなればフレアルージュが背後から襲われる可能性が低くなると考えるようになったそうだ。
どうしたらフレアルージュに目が行かないように出来るのかを必死に模索して昔父の所に出入りしていた女達を思い出した。
取り巻き達を必死に誘惑し、時に躱しながらドレスで腹部を隠しきれなくなった為に学院を脱出してきたらしい。
人質にされるのも時間の問題なら、迎えに来るのを待つよりもロキシアンの近くに行きたい一心でドラクロアまで来たところを保護された。
本来ならば情勢に詳しいはずのルーベンス達から助力を得られず暴走したそうだ。
「自分の感情を優先するあまり自国をローズウェル王国を撹乱し皆様にご迷惑を御掛けしました。 本来ならばこの場で首を落とされようとも仕方がない程の重罪を犯してしまいました。 ですが恥を忍んでお願いいたします! ルーベンス殿下、フレアルージュを、そしてこの国をお救いください!」
ただひたすら必死にマリアンヌ様がルーベンスに頭を下げている。
この場でこの願いを叶えるだけの権力があるのは、自分が裏切ってしまった彼だけなのだ。
一向に返答をしないルーベンスに皆の視線が集まっていく。
「すぐに返答は出来ない……貴女のしたことは決して許されることではありませんから」
ポソリと告げられた言葉にマリアンヌ様の顔に絶望が広がっていく。
マリアンヌと親しみを込めて名前を呼んでいたルーベンスは彼女を“貴女”と言った。
「ルーベンス……」
心配そうにクリスティーナ様がルーベンスの名前を呼んでいる。
「しかしこの場で自己の感情に流されて判断して良いような内容でもない。 今後の対応は国王陛下へ奏上申し上げ対処する事を約束しよう」
「あっ、ありがとうございます! ありがとうございます!」
ボロボロと涙を溢しながら泣くマリアンヌ様の姿にルーベンスは自分の右手を硬く握りしめる。
「礼はいらない。 カイ、いくぞ……」
「はい」
冷たく言い放ち部屋を出ていったルーベンスの後をカイザール様が追従する。
扉の外からガンッ! と言う音が聞こえてきたので壁にでも八つ当たりしたんでしょう。
「クリスティーナ様、リシャーナ様。 重ね重ねご迷惑を御掛けしました。 申し訳ありませんでした」
部屋に残った私とクリスティーナ様にマリアンヌ様が深々と頭を下げている。
「顔を上げて下さい。 確かにマリアンヌ様の行動は簡単に許されることではありません。 ですが、その一方で感謝もしているんです」
「感謝、ですか?」
困惑を隠しきれずに戸惑うマリアンヌ様の顔を見る。
「えぇ、今回の一件でローズウェルが抱える問題と、次代のこの国を担う若者の弱点が露見しました。 ハニートラップに弱いのは男性ですから仕方がないのかも知れませんが、彼らには良い薬になるはずです。 貴方と出逢ったことで色々な意味でルーベンスも変わりましたわ。 マリアンヌ様のお陰でクリスとも親しくなれましたしね」
「私もリシャと親友になれて幸せです! リシャ愛してます! マリアンヌ様リシャと引き合わせてくださりありがとうございます!」
私に抱きつきながらすりすりと甘えるクリスティーナ様の様子にマリアンヌ様が一瞬驚かれた様子でしたが、微笑ましいものを見るようにゆっくりと頷かれています。
「ふふふっ、先程の殿下が生き生きとされている理由がわかったような気がしますわ。 殿下もクリスティーナ様もお変わりになられたご様子。 きっと出逢ったのが今の殿下なら私が割り込む隙はなかったと思います」
どこか吹っ切れた様子で私にまとわりつくクリスティーナ様を見詰めて微笑むマリアンヌ様の様子にクリスティーナ様が首を傾げてます。
「そんなに変わりました?」
「えぇ、昔はどこか近寄りがたい遠いお方でしたから、もはや叶わぬ願いですがご友人の一人に加えて頂きたいくらいですわ」
「うふふっ、ありがとうございます。 ルーベンス殿下と婚約して以来元々人付き合いが苦手なのもあってあまり友人が多くありませんの、私達色々な事がありましたけど、こちらからもお願いいたします、貴女の友にしてください」
そう言ってクリスティーナ様がマリアンヌ様に右手を差し出すと凄く良い笑顔を浮かべました。
「ほっ、本当に宜しいのですか? 私のような女を……」
「ルーベンス殿下に苦労させられた仲ではないですか。 ねぇリシャ?」
うぉい! こっちに話題が回ってきた。
「確かにルーベンスには振り回されましたからね。 友になる件はマリアンヌ様の罪の償いをしてからですわね。 それまではこの三人だけの秘密です。 父様……宰相閣下にはマリアンヌ様のお話をしたうえで、少しでも罪が軽くなるようにクリスティーナ様と嘆願はいたします。 だからもう一人で抱え込まないでくださいね? マリアンヌ様は元気な子供を産むことに集中してください」
「そうですわ、一緒に頑張りましょう! ルーベンス殿下もローズウェルもフレアルージュも戦もリシャがいればなんとかなりますって!」
いやいやいや、クリスティーナ様無茶ぶりですよ、それ! こんな小娘にどんだけですか。
「いやぁ、ちょっと……」
そんな二人で子犬のように見つめないでください! うわーもーうー!
「あーわかりました。 できる限り頑張りますわ。 クリスはマリアンヌ様のお世話をお願いします!」
「よかったですね。 マリアンヌ様、これで百人力ですわ!」
「はいクリスティーナ様! 宜しくお願いいたします! リシャーナ様!」
沈み行く夕日を眺めながら現実逃避をしたくなったとしても許されるはず!
いつもありがとうございます。