39『闇を統べる王』
黒い蝶ことブラックパピオンはジャグラーファミリーのねぐらとは正反対の場所にあった。
奥まった場所にひっそりとある店の外に設置されたテラスには丸いテーブルと品の良い椅子が数席設置されている。
「クリス!」
その中のテラス端に設置されたテーブルに淡い波打つ金髪を見つけた途端、ついつい名前を呼んで走り出してしまった。
「お嬢様! お待ちください!」
「あっ、こら待て!」
「ほら、追いかけますよ」
私達の声に振り返ったクリスティーナ様は走り寄る私を見付けると美しい紫の瞳を嬉しそうに細めて覆い被さるようにして私を胸元へ抱き締めた。
相変わらずのお胸様のポヨンとした弾力は素晴らしいけど顔が埋まって窒息しそうです! タップタップ~! 死ぬ~!
「クリス、感動の再会を邪魔したくはないんですが、今にもリシャに双太陽神の御迎えが来そうだ。離してあげて下さい」
「えっ、あっ、あら。ごめんなさいリシャ、私ったらつい。大丈夫ですかリシャ?」
腕の力が緩んだ隙に谷間から顔を上げると新鮮か空気が肺に入ってきた。
助かったぁ、カイザール様ありがとうございました。
「だっ、大丈夫ぅ」
心配そうに覗き困れたら大丈夫じゃなくても大丈夫だと答えてしまう。
「ホッホッホッ、どうやら迎えが来たようじゃのクリスさん」
クリスティーナ様が座っていた席とテーブルを挟んで正面に座っていた御老体と視線が合った。
その瞬間に直感した。ヤバイ人だこの人!
平均寿命が五十から六十歳のこの世界で八十歳くらいに見える御老体は酸いも甘いも噛み分けた歴戦の猛者の目をしている。
年老いてなおその勢いが衰えずこちらを品定めする視線に駆けつけてきたカイザール様は反射的に腰に手を伸ばしている。
「はい、ご紹介致しますね! こちらが話していたリシャです、可愛いでしょ?」
殺伐とした空気をものともせずにほわほわした雰囲気を醸し出し、満面の笑顔で御老体の前に自慢するように私の身体を差し出した。
「ほぅ、クリスさんの言うとおりじゃな。痩せたらきっとこのブラックパピオンで良い稼ぎを出してくれそうじゃ、しかし随分と豪華な顔ぶれじゃ。しかも随分と不用心よのう? ルーベンス・ローズウェル殿下」
後ろにいたルーベンスを見るなり、御老体の口から出てきた名前に辺りに戦慄が走る。
「御老体、お名前を伺っても宜しいか?」
「ふふふっ、クアロですじゃ。クアロ・ブロキンス」
楽しげに告げられた名前にクリスティーナ様以外が凍り付いた。
クアロ・ブロキンス……先々代国王の右腕でこの国の闇を統べる王、寝物語で子供に聞かせる恐怖の存在。
「さぁて皆にもお茶を淹れさせた。老いぼれに楽しい話を聞かせておくれ」
蛇に睨まれた蛙のように動けない一同とは対照的にせっせと私達のために近くのテーブルから椅子を引っ張ってきたクリスティーナ様に促されてルーベンスとカイザール様、私はクアロ様と同席することになりました。
「皆にはうちの若いのが迷惑をかけてしまったようだの。グラスト坊主が連絡をよこした時に通達はしておいたんじゃが、今時の若いもんはやんちゃが過ぎるし血の気も多くての、とんと言うことをきかん」
まるで孫について語るような口調だが、あの蛇男や筋肉マン達をきかん坊のように言っている。
しかもこの国の守護者と言っても過言ではないグラスト・ドラクロア辺境伯閣下を坊主扱いだ。
あの強面も目の前のクアロ様に掛かれば幼子扱いに等しい。
先々代国王の右腕は伊達ではないのだろう。
クアロ様がパンパンと二回手を打ち鳴らすと明らかに玄人と思われる青年によってテラスの外、剥き出しの地面に投げ出されるようにして男が二人転がされた。
両腕を後ろ手に縄で縛られ、地面に横たわる男は先日教会に集金に来ていた蛇男と筋肉マンの片割れだった。
下卑た笑いを浮かべていた相貌には今や恐怖のみが浮かんでいる。
「時にルーベンス殿下よ」
「あ、あぁ」
声を掛けられて男達を見詰めていたルーベンスが、クアロ様に視線を向けると、クアロ様は徐に鞘に納められたままの剣をルーベンスへと差し出した。
「最近はとんと衰えたのか剣を振り回すにしても弓を放つにしても狙いが定まらんのでな。その二人好きにしてくだされ」
にこにこと告げられた言葉にルーベンスの握っている剣がカタカタと鳴る。
「その二人は金のために貴族、しかも高位の貴族に手をかけた。役人につきだしても処刑されてしまうし、儂の指示に従わずそなたたちに手を出したからのう……悪い子にはお仕置きが必要じゃろ?」
まるで天気の話でもするかのように話すクアロ様はルーベンス殿下に彼らの処断を任せるつもりなのだろう。
「……リシャ、この場合国の刑罰はどのくらいになる?」
「平民同士であれば多額の賠償金とむち打ち百。相手が貴族なら処刑」
平民と貴族の格差はどうしょうもない。
「クアロ殿、この二名の処罰ですがうちで預からせて頂きたいと思うのですが」
「うち、王家でと言うことですかな?」
「いえ、人手も足りませんから労働力としてですね。クアロ殿にはこの二人の監督不行きとしてきちんと労働しているか管理をお願いいたします」
「あえて処刑はしない、と?」
「えぇ、処刑するのは簡単ですが、人は反省し改心することができるのだと王都を離れて学びました。彼らもそしてクアロ殿、貴方も私の大切な守るべき国民なのです、私はできうる限り生きて償ってほしい」
クアロ様の顔を真っ直ぐに見つめてルーベンスが告げるとどこか険しかった空気が霧散した。
「ふっ、甘いことよ。だが覚えておられよ、甘やかすだけでは国は治まらない。自分にも他者にも厳しさがなければ人は成長を辞めてしまうことを」
クアロ様の言葉にしっかりと頷くと転がっていた二人の前に移動した。
「しっかりと償い全うに暮らせ、出来るな? 命を無駄にするな……連れていけ!」
「はっ! そらさっさと立つんだ!」
「強制労働、全うに暮らせ? 俺はここで終わるのか……? あの方は失敗した俺を許す……?」
ルーベンスの指示に護衛の男性が蛇男を立たせると物々と呟きながら力なくユラリと立ち上がる。
「一体なにをっ!?」
蛇男は腕を縛っていた縄を引きちぎり隠し持っていたナイフを手にルーベンスの背中へと迫る。
「もう俺に命は無いんだよ!」
「ルーベンスっ、危ない!」
「えっ!」
クリスティーナ様の悲鳴に後ろを振り返ったルーベンスと男の間にいつのまにか肉薄していたカイが走り込む。
ルーベンスの手から剣を引き抜きヒラリと銀色の刀身が舞った後、蛇男の頸部から鮮血が吹き出しそのまま地面へ倒れこんだ。
「ルーベンス、怪我はありませんか?」
剣に付着した血液を持っていたハンカチで拭き取る。
「あっ、あぁ。助かったありがとう」
突然の事に呆けていたルーベンスはカイの言葉に我に返るとしっかりと頷いて見せている。
カイザール様はルーベンスの身体に傷が無いのを確認して残った筋肉マンに近づくなり男の耳元で何かを囁くと、男は頭を振りながらおとなしく連行されていった。
「お返しします。貴方の剣がなければ殿下が危なかった」
「せっかく強制労働で済んだのに、なぜあのような? 馬鹿なやつではあったが……こちらからも礼を言う。よく殿下を救ってくれました」
「臣下として当たり前の事をしたまでです」
「そうですか、ご立派になられましたな」
ふわりと表情を和らげて自分に向けられた視線にカイが身動いだ。
「失礼ですが、どこかでお逢いしましたでしょうか?」
「ふふふっ、二人きりになれた時にでもまたお話しする機会もありましょうて。そろそろこの通りも人が入る時間ですじゃ。教会へ戻られた方が良かろう、ここは儂らが片付けますでな」
「それではお願いいたします、クリス行きましょう? 皆がきっと心配して待ってます!」
「はい、クアロ様助けていただきありがとうございました。リシャ、今晩の食事は何にしましょうか?」
「ピーマンの肉詰めと人参のサラダ!」
「おい! なんでピーマンと人参なんだ! 嫌がらせか!? 真面目に泣くぞ! しかも肉詰め!? この状況で肉詰めなのか!? 一体どんな神経してんだよ!」
「何よ、早く食べないと傷むのよ! 勿体無い。ちびたち育ち盛りなんだから! 嫌なら食うな」
ぎゃいぎゃいと賑やかに教会へ帰るために歩きだした私達の後ろで青ざめたままアロが立ち尽くしている。
「アロどうしたの、教会に帰るわよ?」
「どうしょう……リシャ姉、おれ王子様に泥投げたり厠の汲み取りさせちゃった」
「大丈夫だと思うわよ。 ルーベンス! アロが泥投げ楽しかったって!」
「ちょ、リシャ姉! 王子さまにそれは流石に不味いって!」
「アロ、またやろうな。とりあえずシスターが心配してるから早く教会へ帰るぞ! ほらっ」
ルーベンスがアロへ右手を差し出した。
不安げにアロがこちらを見上げてきたのでしっかりと頷くと、私の手を掴んでルーベンスに向かって走り出した。
「ルーベンス兄! 先に教会へついた方が勝ちな! 負けたら皿洗い!」
「はぁ!? 俺がアロに負けるわけないだろうがっ、カイ! リシャを頼む!」
「はぁ、わかりました。貸し一つですからね」
駆けていく二人を見送って歩き出した私の手はちゃっかり小さく震えるクリスティーナ様の手に確保されております。
「大丈夫ですか?」
「えっ、ええと。目の前で人が死ぬのを始めてみたものですから、すいません。リシャは大丈夫なんですか?」
「う~ん、私の場合昔から父様を良く思わない人からバシバシ刺客が来ますから慣れちゃいました」
それでも自らの手で人を殺めたことは無い、人が死ぬ瞬間を見ることには慣れても私には人を殺めるだけの覚悟はない。
カイザール様は伯爵家の出自のはずなのに、人の命を刈り取る事に動じた様子はなかった。
一体彼はどれ程の命のやり取りをこなしてきたのだろうか。
クリスティーナ様の手をしっかりと握りしめ、何事もなかったように前を歩く青年の背中を見詰めた。