29『ドラクロアの巨人』
「ルーベンス殿下、皆様。 ようこそドラクロアへ」
目の前に巨人が立っています。 広い肩に太い逞しい腕と厚い胸板が、服を着ているのにムキムキと自己主張をしています。
傷んで赤茶けた髪には全体的に白く筋が入り、至るところに彼の人生を彷彿とさせる深いシワが刻まれている。
しかし一番目を引いたのは深緑の右目の上を額から頬にかけて縦に走る大きな傷痕。
傷を庇うかのように黒い絹で作られた眼帯がかけられ迫力満点。
老人とは思えない巨人の容姿は歴戦の猛者に相応しい風格です。
巨人は馬車から降りたルーベンス殿下を見付けるとゆっくりと頭を下げました。
現役を退いてなおその権威は衰えず辺境に領地を持つ前王国軍大将グラスト・ドラクロア閣下。
「ダーリン、ただいまぁ~!」
王都を出発してから要所となる街道沿いにある小さな町で小休憩を挟みながら、ついにドラクロアの領主の館の前にたどり着きました。
私たちを出迎えた猛者に頭を下げるよりも先に、弾丸のように走り出したセイラ様を意図も容易く抱き上げると、グラスト閣下は当然のようにセイラ様を自分の肩の上に押し上げました。
「マイハニー、陛下は御変わりなかったか?」
「うふふっ、すっごく焦ってて可愛かったわ」
先程までビリビリと迸っていた覇気が霧散し、代わりに愛しくて堪らないと言わんばかりの空気をこれでもかと垂れ流してます。
「ごほんごほん、グラスト閣下。 お客様がお困りですよ? 戻ってきてください」
困惑する私たちの窮地を救ってくれたのは、グラスト閣下の隣に控えた痩身の紳士でした。
「皆様、ようこそおいで下さいました。私はグラスト様の執事をさせていただいておりますヨウルと申します。 ドラクロア滞在中の皆様の御世話をさせて頂きます。 なるべくリシャーナ様の方針に従うようにとのお話でしたので、ご要望がございましたら何なりとお申し付け下さい」
ヨウル様は完璧な所作で礼をすると、いまだに桃色空気を垂れながす二人に小さくため息を吐いて私たちを城の中へと招き入れた。
ドラクロア城は隣国からの防衛の要となるため、城の周囲を取り囲むように堅牢な城壁で囲みこみ、更には城下一帯も防衛出来るように城壁を張り巡らせた要塞だった。
城に入る前見た城下もフレアルージュ王国とローズウェル王国を行き交う行商人や、傭兵、冒険者等多種多様な職業を生業とする者達で賑わっている。
「それでは早速御願いしてもよろしいでしょうか?」
「はい、なんなりと」
「では、城下で売っている平民の方が普段着ている服を男性ものと女性ものの服と城下に小さな貸家を一軒御願いします」
もともと城内に留まる積もりもないし、拠点は要るものね。 こんな御貴族様丸出しの服で城下をフラフラしてたら直ぐにトラブルに巻き込まれちゃうしね。
「城下にですか? ご用意は出来ますが……」
困惑を隠せないようすのヨウル様にカイザール様もこちらを見た。
「リシャーナ様、一体何をするおつもりですか?」
怪訝そうなカイザール様の問いに一斉に視線が集中する。
「うふふっ、暫く民に交じって生活いたします!」
「「「「はぁ!?」」」」
「なんでそんなことしなければならないんだ!?」
「いや、そんな無謀な!」
「まぁ、楽しそうですわね! 私もご一緒させて下さいませ!」
「はぁ、なんかまた厄介なことを言い始めた」
ちなみにはじめのがルーベンス殿下で次がヨウル様。 私の提案にノリノリで付いてくる気が満々のクリスティーナ様と片手で額を押さえたまま肩を落とすカイザール様。
「えっ、クリスティーナ様もいらっしゃるんですか?」
「えっ……連れていって頂けないのですか?」
先程までの勢いはどこへやらうるうるとした紫色の瞳に見詰められて否と言えない自分が恨めしい。
「うっ、わかりましたわ、ですが大丈夫ですか? ご自分の事は極力自分でしていただきますけど」
「もちろん! リシャーナ様と一緒に参ります!」
「カイザール様はどうなさいますか?」
いいお返事をしてくれたクリスティーナ様の隣へ声を掛ける。
「貴女ひとりでお二人は正直申し上げて無理でしょう」
「はい、カイザール様の参加は拒否権無しですわ!」
「だろうと思ってましたよ。 わかりました、ご一緒いたします」
「おい、俺は行かないからな!? 無視すんな!」
きゃんきゃん喚いている駄犬様は放置してヨウル様に改めて準備を御願いして私たちはそれぞれの部屋へと案内して頂いた。
「明日にはご用意出来ますので、今日はごゆっくり御休みください。 ご夕食をとのことですがいかがなさいますか?」
先導していたヨウル様に聞かれたので参加する意向を伝えて、案内されたのは大きすぎない洋室の一人部屋だった。
大切なのでもう一度! 久しぶりの一人部屋。
「ううぅ、今から二人部屋にして頂けませんよね?」
「私は一人部屋でありがたいですね。 四六時中殿下と同室などおそれ多いですから」
クリスティーナ様の独り言は無視させて頂きます。 一人部屋最高!
「では主にはそのように伝えさせて頂きます。 メイドを呼びに越させますのでごゆっくり御休みください」
そう言って他の三人を案内してヨウル様が部屋を出て行った後、少しして部屋の扉を叩く音がした。
夕食の迎えが来ると言っていたけれど、いくらなんでも早すぎる。
「はいどうぞ」
自ら部屋の扉を開けると、巨人と妖精が立っていた。