第四十話『内股ヒュン』ロベルト視点
「うちの陛下もしっかりグランテ王国の血筋なんですがね」
そんなに大きな声を出したわけではなかった私の言葉は、ヴゥラド大司教の背後にいた青年にしっかりと聞こえたらしい。
それもそうだ、たまたま息継ぎに被ったため聞き取ったヴゥラド大司教が怒りに顔を赤らめてこちらへ殴り掛からんばかりの勢いでいるのだから。
服の袖口を背後に隠しながら下履きの中に隠していた小型ナイフを引き抜き刃を保護する入れ物を外し手首の縄を切り落とす。
少しばかり皮膚も切ったが顔には出していない、隔離するためだろうこの牢の部屋に入れられたのは私と陛下の二人だけだし、陛下は通路にいる叛逆者に釘づけて気が付かないだろう。
縄抜けは出来たが今だに両腕を拘束されたままに見えるよう振る舞いこちらに近づいてくるようなら牢の中から腕を伸ばして人質にでもしてやろうかと思ったが、ヴゥラド大司教を引き止めた神官たちに宥められて動けずにいる。
「そうですね、例え母親が平民の王女であろうとも、少しばかりグランテ王国の血は継いでいるのは間違いないのでしょう」
それまで口を開かなかった海神の子の青年が私の言葉を肯定した。
なんだろう、もしや協力しているだけで完全な味方ではないのか……
「ほう、大司教猊下よりもローズウェル王国の歴史は知っているようだ」
「我が主が王となる国の歴史は多方面から把握しております、一方だけから見ていては勝者によって捻じ曲げられ、欲に溺れ信仰すら失った末に真実を見誤りますから」
そう、この青年はヴゥラド大司教を厭うている。
利益による繋がりなら案外崩しやすい物だが、いかんせん彼が望むのはヴァージル・ヒス王子の戴冠によるグランテ王国再興らしいのでこちらから譲歩できる材料が少なすぎる。
「そう海神などと言う存在しない神を信じなどするから双太陽神の加護を失うのだ」
青年の嫌味はどうやらヴゥラド大司教には通じなかったらしい。
「君、名前は? 今からでも遅くありません、こちらに来ませんか?」
ヴゥラド大司教を無視して背後に視線を走らせ海神の子と視線を合わせる。
ふっ、と笑うと踵を返して後ろにある扉に手を掛けた。
「貴方こそこちらへ寝返るのなら歓迎いたしますよ宰相様」
どうやら名前は教えてくれるつもりはないらしい青年の姿に人見知りが激しい黒猫を想像してしまった。
「私を無視するでない!」
ガシャンと牢の格子に投げ飛ばされた年若い神官の身体がぶつかり崩れ落ちた。
まだリシャーナと変わらない歳頃の小柄な少年は頭でも打ったのか気を失ってしまっている。
「くそっ、どいつもこいつも忌々しい」
ズカズカと距離を詰めるとヴゥラド大司教は倒れた少年神官を蹴り飛ばした。
「やめろ! なんてことを! 仲間なのだろう!」
セオドア陛下が制止の声を上げるが、ヴゥラド大司教がそんな陛下を見下すようにあざ笑う。
「なかま? その下級神官が? 笑わせるな大司教の役に立てるのだから感謝してほしいくらいだなっ!」
見下すように吐き捨てるとまた少年を踏みつけようと足を上げた為、舌打ちしながら拘束されたフリを諦めてヴゥラド大司教の足首を右手で掴み引き上げる。
「なっ! 拘束していたのではなかったのか!?」
「拘束されていましたよ、さっきまではねぇ!」
身長差を利用して上げられるだけ片足を持ち上げれば目の前にヴゥラド大司教の白いタイツに隠された股間が映る。
「このっ、護衛神官! 早く私を助けろー!」
「遅いよ」
そう、敵の前に急所を晒してはいけません。
左腕に力を込めて持っていた小型ナイフをヴゥラド大司教の短刀に突き立てる。
断末魔が牢屋内に響き渡るがナイフの刃を返すようにしてエグリ切り下ろし引き抜くと、白目を剝いて泡を吹きながらその巨体が石の床に倒れだしたので掴んでいた足首を押しやった。
「ヴゥラド大司教様!」
駆け寄ってきた同行の神官はヴゥラド大司教に近寄るが、先程の一部始終を見ていたため格子へ近づいてくることはない。
「早くここから出て大司教様の手当を、運び出すぞ!」
「運び出すって“この”大司教様をでございますか!?」
「そうだ! 文句を言うな!」
混乱しているようだが、流石に負傷し気絶した上司を捨て置く事は出来ないらしい。
「ほら、早く縫い付ける処置をしなければぽろりと取れて排泄すら難儀するようになりますよ」
「お前はそれでも同じ男か!」
重い身体を持ち上げるのは無理だと判断したのか、牢獄から上階へ向かうための階段を塞いでいた扉を外して担架にする事にしたらしい。
しかしヴゥラド大司教自体が成人男性の二倍体であり、扉に乗せても階段は狭いため左右からは支えることができず二人で階段を登らなければならない。
重さに耐えかね後続の神官が階段から転げ落ち、その上にヴゥラド大司教が降ってくる……ふむ、大惨事である。
これで少しばかり時間が稼げる。
「宰相様……えげつねぇ」
一連の流れを見ていた他の投獄者達が自分の股間を内股にして静かに格子から離れていた。