二十六話『迷子はいくよどこまでも!』
ふんふっ、ふんふ、ふーん。
どうも、鼻歌を歌いながら竜の卵と森を散策中のリシャーナです。
落下した際に負傷した身体は痛いけど、移動できない程じゃないし、それよりも今は気分が晴れ晴れとしている。
正直自分がどこを歩いていて、どこに向かっているのかさっぱりわからないけれど、とりあえず竜卵に着いていくしかないでしょう!
ローズウェル王国の王太子であるカイザー殿下の妃としてローズウェル王家に王太子妃として嫁いでからと言うもの、彼の妃として恥じないように気を付けて気を付けて、気を付けぇぇぇてきたけども開放的すぎる大自然を前にして悟りました。
「自由だー! そして私は王太子妃も淑女も向いてなーい!」
カイの妻として柄にもなく真面目に、大人しくお妃様をやっておりましたが、なんだろう色々な事起こりすぎてナーバスになってた。
悪阻も確かにキツいけれど、それにここ数ヶ月のストレスが加わって心が弱っていたみたい。
竜の卵……ええぃ、呼びにくいな。
よし今日からドラゴンの卵、訳してドラタマと呼ぼう。
「ドラタマ、この坂を登るの?」
話しかければぴょんぴょんと軽快に二回跳び跳ねる。
ふむ、二回なら『はい』だね。
ドラタマと呼んで良いかと聞いたら『はい』とも『いいえ』とも跳ねなかったため勝手にドラタマと呼んでいる。
このドラタマのパートナーが私のお腹にいる子なら、きちんとした名前は我が子がつけるだろう。
まぁ、私に似たらネーミングセンスは期待できないけどね。
適度に休憩を挟みつつ途中ドラタマに案内されて皮さえ剥けばそのまま食べられる果物を収穫しては頬張り、小川に寄っては清流で喉を潤す。
不思議なことに悪阻よりも強く生存本能が働いているようで、取れたて新鮮な果物は美味しかった。
きっと一人だったらもっと絶望したり不安に襲われたりしていたんだろうけど、少し前を重力を無視して坂道を登っていく転がる非常識と言う相棒のお陰で救われている。
川下に向かわずにたぶん直角に進んできた……はず。
いまいち自覚はないけれど、どうやら私はカイいわく方向音痴らしい。
前世の記憶を思い出してからスマートフォンの位置情報から目的地への経路が検索できてリアルタイムて案内できるシステムのありがたさをしみじみ感じる。
身体の真正面に地図が自動修正されるあの地図が大変恋しい。
この世界にも方角を知るための星やら太陽の昇り降りがあるみたいだし普通の人はそれである程度わかるらしい。
私には星の見分け方がわからないけどね。
太陽の位置とか朝と夕方にしかわかんないって、ちゃんと太陽が登ってきた方角に進んでた筈なのに、気が付けば目の前に夕陽が見えるんだもん。
……方向音痴って大変だわ。
まぁこんなんでも公爵令嬢でしたし、屋敷以外を一人で出歩く機会なんて、記憶を思い出すまでほとんどなかったから方向音痴って気が付かなかったのよ。
そんなわけで遭難してから二日目、人の気配がして振り返った。
「おい! 女がい……ぐわっ!?」
整える事すらされていない無精髭をはやし、薄汚れた不衛生な衣服を纏ったいかにも山賊や盗賊ですと言わんばかりの風体で武器を手に現れた男が仲間を呼ぶために張り上げた声は、見事なターンを決めながら加速して跳ね男の腹部にめり込んだドラタマによって止められた。
「うわぁー、痛そう」
ドラタマの破壊力に引きつつも、なるべく早くこの場から離れた方がいいと判断して男がいた方角から反対へと走る。
速攻で男を無力化したものの、どうやら男の声はしっかりと仲間に届いていたらしく、背後から複数の声が追いかけてくる。
「いったいなんなのよ、次から次へとっ……ひっ! いやぁぁぁあ離してぇえ!」
追っ手を迎撃しながら奮闘するドラタマに感謝しながら必死に走って、走って走って、突然横から現れた何かに腕を拘束され悲鳴をあげた。
「全く手間をかけさせやがって」
回り込まれた!? なんとか逃げなくちゃ、カイの馬鹿、何で助けにきてくれないの!?
恐怖に力の限り暴れるけれど、びくともしない。
「不気味な卵にいったい何人仲間をやられたと思ってやがる」
忌々しそうにそう言いながらいま逃げてきた方へと坂道を引き摺れる。
痛い、いたい、痛いっての!
あまりの痛みにギュッ固く目を瞑る。
「助けに来なさいよ! カイのバカぁぁああ!」
力の限り悪態をついて叫ぶと、小さな呻き声が頭上で聞こえ、顔を上げると男の肩口に矢が刺さっていた。
「リシャ! 伏せろ!」
その声に必死に地面へすがり付けば、第二射、三射と放たれた弓が男の身体に突き刺さり坂道を転げ落ちていく。
「カイ!?」
声が聞こえた方向へ視線を向けて、認めた姿に涙が次から次へと溢れてくる。
放ったばかりの短弓を構えたカイの姿に、疲弊した心に安堵が広がる。
「リシャ!」
後ろから走ってくる護衛達を振り切る様にこちらへくるカイに両手を伸ばし……髪の毛を掴まれて引き上げられた。
「この女の命が惜しければ動くんじゃねぇ」
首筋にピタリと当てられた血の気が引くような冷たい感触は金属のそれで、ギラついた長剣が視界に入る。
「リシャを離せ!」
短弓を投げ捨てて、長剣に手を掛けたカイが一歩距離を詰めようとしたところで、首筋に痛みが走りつぅぅっと首筋を液体が伝う感触に首の皮が少しだけ切れた事を感じとる。
「殿下!」
「動くな!」
駆けつけた護衛達を強い声で静止したカイはこちらを怒りをみなぎらせた眼でこちらを睨んでいる。
「どうやらカイザー殿下の急所がこの女だと言う情報に間違いはなかったようだな」
「狙いはなんだ」
「なに、お前に国に戻られてはこまるお方がいるんでね。 この女が大切なら武器を捨ててこっちへ来てもらおうか、おっと護衛は動くなよ。 動いたら即刻この女は双太陽神の身許へ逝くことになる」
髪を掴んだ手を容赦なく引き上げられて小さくて呻く。
「やめろ! わかったそちらへいく」
「来ちゃだめっ!」
焦ったように武器を投げ捨てて歩き出したカイの姿に、痛みと自分にはなにもできない悔しさで涙が止まらない。
「リシャ、大丈夫だ」
微笑みを浮かべたカイの口が音もなく「動くなよ」と言っている。
その言葉が何を示唆しているのか無条件でわかるほど察しはよくないけれど、彼が動くなと言うならば、私は山になりましょう。
なにか起こって反射的に動いてしまわぬように、ギュッと両目をきつく瞑る。
視野を塞いだお陰か、嗅覚や聴覚に感覚が集中し出す。
そのせいで隣にいる野党の破壊力ある体臭に収まりかけていた悪阻が顔を出す。
そしてこちらに向かって背後からなにかが転がる不吉な音を察知してゾワリと悪寒が走る。
ヒュンと鋭い風切り音がして私を拘束していた男が無意識に反応したのか一瞬拘束が外れる。
怖い逃げたい、けどカイは動くなと行ったのだ。
そのまま動かずにいればドン!と言う鈍い追突音が続いて賊の声が遠ざかる。
ガタガタ震えそうになる身体を優しく、労るように包み込んだいい匂いにほっと力が抜けた。
ゆっくりと目を開ければ、少し疲れたように、目の下にうっすらと隈まで出来たカイの顔を見上げる。
少し汗臭いけれど、嫌悪感はわかない。
何時もより高い体温に抱き締められて、安堵する。
「遅くなってすまない……」
「助けに来てくれてありがとう」
ひとしきりカイの包容に癒されていたところ、雰囲気を読まずにやって来たフォルファーが何か納得したように頷いた。
「やはり我が国の王太子妃殿下は崖から落ちたくらいで、儚くなるようなそんじょそこらご令嬢と違いますね、ご無事で何よりでした」
にこやかに言われた言葉にイラッとする。
「ふふふっ、お陰さまでこの通り大丈夫よ、ドラタマやっておしまい!」
フォルファーの背後からこちらへやってくるドラタマの姿を見つけて声をだす。
「ドラタマとは何ですか? 私ほどカイザー殿下の優秀な側近はおりませ、ぐふぉ!?」
私の指示に反応したらしく、しかも敵ではないと理解しているのか大変控えめな速度でドラタマがフォルファーの両膝の裏に突撃し、フォルファーを膝カックンして地に沈めていた。
うちのドラタマが賢すぎて可愛い!
外交問題とかどうでもいい! 私が王太子妃だからドラタマの所有権で国同士の外交問題になるってんなら、ダスティア公爵令嬢に戻ってもいい。
王太子妃に向いてないのは先ほど再確認したことだし、ダスティア公爵令嬢にもどってそして王家からカイを婿に貰えばいいじゃないか。
そしたら王太子妃と言う重圧はないし、カイの異母である王妃様と嫁姑戦争しなくていいし、フォルファーは熨斗をつけてルーベンスに押し付けちゃえばいいんじゃね?
明言は避けているみたいだけど、実子であるルーベンスを次期国王にしたいらしい王妃様にカイが睨まれることもなくなるじゃん!
うん、我ながら案外名案かもしれない。
「カイ、王太子やめてダスティア公爵家に婿に来ない?」
「「「駄目に決まってるではありませんか!?」」」
賊の捕縛をしていた護衛騎士達から即座に却下されました。
ちぇっ、名案だと思ったのにな。