第九話『カイザー視点』
なんでこんな事になったんだよ……
ローズウェル王国の王太子として笑顔を貼り付けて、挨拶に訪れるレイナス王国の貴族たちと言葉を交わしながらカイザーは内心小さくため息を吐いた。
本来ならば夜会には新妻となった愛しいリシャーナと出席していたはずで、今頃は二人で愛を深めながら会場の中央でダンスを楽しんでいたかもしれない。
しかしなぜか俺の隣に張り付いているのはレイナス王国の王女ガブリエラ・レイナス姫だ。
わざとらしく自らの胸を俺の腕に押し付けながら上目遣いに見上げてくるが、ある意味強烈な妻を娶ったせいか、全くその気にならない。
新婚旅行とはいえ他国を訪問する事にした時点で親善大使としての役割や社交は覚悟していた。
レイナス王国にはローズウェル王国建国時多大な支援を貰っており、その恩もある。
またこの大陸で唯一竜と言う強大な戦力を有する国で、リシャの数代前のダスティア公爵夫人がレイナス王家の直径の姫君だったこともあり、ロベルト宰相の薦めを受けての訪問だった。
もちろん、そこにはリシャが竜祭りを見たいと言っていたとロベルトから聞いた情報に、もしかしたら喜んでくれるのではないかという下心があったことは認めよう。
実際に竜祭りへの新婚旅行を話したときにはとても喜んでくれた。
普段見せないはにかんだような笑顔につい押し倒してしまい翌朝起き上がれないでいるリシャに怒られることもあったが後悔はしていない。
しかしこのように強引に引き離されようとは思わなかった。
饒舌に自国の素晴らしさを語り、ガブリエラ王女は俺を自国の貴族たちに引き合わせて行く。
しかしなぜかたまに違和感を感じるのだ。
人の流れを見て、紹介したい高位貴族がいる場所に案内しているのはわかる、しかし時折、切な気に会場に視線を走らせて何事もなかったように歩きだす。
何度も何度も似たようなことが続いたため、彼女が特定の人を避けているのがわかったのだ。
それもそのはず、彼女の視線の先にいるのは一見白髪に見えるプラチナの髪に珍しい赤い瞳をした美青年だった。
仕立てのいい紫紺の夜会服からみて高位貴族の者だろう。
何度も立ち止まるたびに確認すると視線の先を辿ったが、ほぼ視線の先にその青年が居るためまず間違いはないだろう。
さんざん振り回されレイナス王国が用意してくれた貴賓室に足を踏み入れれば、待ち構えていたフォルファー・ドラクロアに着ていた夜会服を脱ぎ手渡した。
「お疲れ様でした。 リシャーナ様は先にお休みになられました」
「そうか、だいぶ遅くなってしまったからな」
手早く首元を締め付けていたスカーフを外し胸元を寛げれば、自然と新鮮な空気が体内へ行き渡る。
ローズウェル王国の王太子として訪問している以上自国が侮られることがないように、いつも以上に気を張っていたらしい。
「ルーベンス殿下より早馬が来ております。 どうやら王妃様が第一王子殿下を呼び戻そうとしていらっしゃるそうで、ヒス国の王族と縁談を考えているようです」
はじめは険悪だった腹違いの弟ルーベンスはなぜか今では俺を兄と慕い王太子としての執務を補佐してくれるようになった。
なんでも自分が敵わないリシャーナを手玉に取る姿が尊敬に値するらしい。
「意外だったな、王妃はまだルーベンスを担ぎ出してくると思っていたが、まさか兄上を引っ張り出してくるとはよほど俺に王位を継がせたくないらしい」
異母兄は生まれつき視力に障害を抱えており、ずっと静かな田舎で育っている。
いくらルーベンスが臣下に下ると公言したからと言って、そんな兄をまた継承者争いに引っ張り出してくるとは予想外だった。
「今頃は王都ので味方集めに躍起だろう。 しばらく泳がせると陛下と宰相が決めたのなら現状維持で待機させてくれ」
陛下も王妃の振る舞いに何かと思うことがあるらしく、王妃の身辺調査を進めている。
また俺やリシャーナを狙って暗殺を企てる可能性もあるため、新婚旅行と外交を兼ねてレイナス王国へ出ることになったのだ。
しばらく些細な報告をフォルファーから聞き、目処がついたところで寝室へと足を踏み入れる。
真っ直ぐに寝台へと向かったが、誰もおらず視線を巡らせると、窓際にある猫脚のアンティークなテーブルセットにうつ伏せに寄りかかり寝息を立てているリシャーナを見つけた。
その背にはストールが掛けられているものの、夜には気温が下がり底冷えしてしまう。
「こんなところで寝ていたら風邪引くぞ」
ゾライヤ帝国の遠征軍に拐われた時に、男の振りをするために切った髪は元の長さの半分程まで伸びた。
長い髪は女性のステータスになっているこの世界で、女性が髪を切るのは神の花嫁として神殿に入る修道女になるものだけ。
それほど大切な髪を切り落とさなければならないような危険な状況になど二度とあわせない。
さらりとした金茶色の髪に指を滑らせ毛先に唇を寄せれば、僅かに身じろぎしたあと、小さなくしゃみをするリシャーナを寝台へと運ぶために横抱きで抱き上げる。
ゾライヤ帝国から戻ったリシャーナは綺麗に痩せ、俺でも抱えられる程に軽くなった。
リシャーナの身体を寝台に横たえてその隣へ潜り込み、柔らかな身体を抱き締める。
明日はリシャーナを連れてレイナス王国の歴代王家の歴史的な資料が保存されている資料館へ行ってみようか。
そこにはまだ孵らない竜の卵も展示保管されているらしい。
そんな事を考えながらうつらうつらとやってきた心地よい睡魔に身をゆだねる。
いつ殺されるのだろうかと怯え暮らしていた幼い頃には想像もつかなかった大きな幸せ。
この幸せを失った時、俺は……
思わず感じてしまった恐怖にリシャーナの身体に縋り付く。
「むにゃむにゃ、カイの浮気者〜!」
寝言で不貞を疑われた、浮気ってガブリエラ王女のことか?
「俺に浮気なんか出来る暇があるか、お前の相手だけで沢山だっつうの」
夜中に眠りながら移動し、寝返りを打ったリシャーナの踵が俺の顔に降ってきた痛みで目が覚めたのはやはり無言の抗議だったのだろうか……