121『無記名の封筒』アラン視点
昨夜、俺の部屋に届けられた封書には差出人の名前がなかった。
俺の部屋は王族専用寮にあり、寮母を通して不審物が紛れていないかを確認した手紙が配られる。
薄い水色の封筒の端をナイフで切り落とし、確認した書面には『明朝のはじめの鐘がなる前に学生寮の庭園奥にあるあずま屋にてお待ちしております シャノン・フリエル』とのみ記載されていた。
こちらの都合を考えもしない手紙に違和感を感じ眉をしかめた。
交流を持つようになってからあまり長くはないが、リシャーナと一緒にいるシャノン嬢しか知らないとは言え、いままでこのような文を寄越したことはなかった。
明日は足を怪我したリシャーナを見舞うために、彼女の部屋へクリスティーナ嬢とルーベンス殿下と向かう予定だ。
翌朝であれば時間にも余裕が持てるし、問題ないだろうと指定された通り庭園へ向かった。
僅かに普段よりも雲の流れが早く近い……今日は天気が崩れるかもしれないと思いながら、俺は指定された庭園へ踏み込む。
朝露に濡れる芝を踏み、奥へと進めば待ち合わせ場所として指定されているあずま屋が見える。
先に来ていたらしいシャノン嬢は、疲れたようすで遠くの方を見ていたが、やって来た俺に気が付いたのだろう、深々と頭を垂れた。
「朝早くこのようなお呼び立てをしてしまい申し訳ございません……アラン殿下」
「こんな早朝にひとりで人気のない場所へ異性を呼び出しとは感心しませんね。 どういったご用件ですか……シャノン・フリエル嬢?」
婚約者でもない年頃の男女が人目を避けるようにして密会など、あらぬ憶測を呼びかねない。
「アラン様……フリエル公爵令嬢を貴方の妃に迎えるつもりはありますか?」
こちらへ近づくなり上目使いに聞いてきたシャノン嬢に首を横に振る。
「残念ながら俺の心は決まっているのでね、要件はそれだけですか」
話はそれだけかと思い、寮へ戻ろうとシャノン嬢に背を向けると、シャノン嬢はなにかを決意したように口を開いた。
「 はぁ、ちょっとお待ち下さい。 妃云々は只の殿下方の意向を確認したかっただけですから、あのアンポンタン娘以外に興味がない両殿下を落とせとか、やるだけ無駄、無理なのはわかっていましたからね。 私がお呼びだてした本題はそちらじゃないんです」
「本題とは?」
「イザーク・クワトロとレブラン・グラスティア。 私の後見として付けられた方々なのですが、アラン様は覚えていらっしゃいますか?」
イザークと言う名前は正直言って覚えてはいない。
しかしレブランと言う名には覚えがあった。
『レブランを近付けるな』
足を痛めたリシャーナを抱いて帰ったあの日、カイザー殿が言っていた名だ。
なぜ近付けるなと言ったのかは解らないが、静かだが大災前の山頂を思い描かせるような怒気がひしひしと伝わってきた。
「そのレブランと言う男が何を……」
「イーサンと言う名前に心当たりはありませんか?」
「っ!?」
ダンッ!と俺は両手を伸ばしてシャノン嬢を彼女の背後にあるあずま屋の柱に拘束する。
「イーサンはどこにいる!」
アルファド兄上から更迭中だったイーサンの馬車が襲われ行方がわからないとの連絡が来ていたが、まさかシャノン嬢の口からその名前がでるとは思わなかった。
詰め寄る俺の後頭部を何かが強襲し、痛みが走った。
「痛ってえ!」
「大丈夫!?」
視線を走らせれば小石と言うには少し大きな石が足元に転がっている。
どうやら頭の痛みの原因はこの石のようだ。
一体どこから飛んできやがった。
「あー、すみませんでした!」
生け垣の向こうから現れたふわふわした金茶色の髪は五日間の安静を言い渡され、この場に居るはずのない人物に見える。
「あれ? リシャ、なんでここに?」
「えっ、リシャ?」
痛む頭を軽く振り、シャノン嬢を拘束していた両手を柱から離して、リシャに手を伸ばせば、何故か青ざめながら二歩三歩と後退り脱兎のごとく逃げ出した。
「おっ、お邪魔しましたぁ~あ!」
逃げられた事実がグサリと心に突き刺さる。
「はっ!? ちょっと待て!」
「リシャ! 迷うから戻ってきなさい!」
リシャーナの方向音痴は壊滅的だ、直ぐに追いかけなければ何かしらの厄介事にぶち当たる。
それが分かっているのに、先程のリシャーナの傷付いたような諦めたような顔がちらついて直ぐ様追いかけることができなかった。
「アラン様! 私の足ではリシャに追い付くことはできません! ぼけっと突っ立ってないでリシャを捕まえてください! はやく!」
加減なく平手を俺の背中に叩き込まれ、金縛りが解けたようにリシャーナを追って走り出したが、リシャーナの後ろ姿がどこにも見当たらない。
「ちくしょう、なんであいつはこうも逃げ足が速いんだよ」
どんよりとした暗雲から次第に雨が降り始め、濡れた地面は緩み泥濘に足をとられる。
「どこに行ったんだよ……リシャのやつ!」
雨はやむどころか勢いを強め、刻一刻と過ぎていく時間に焦燥だけが増して行く。
「アラン殿!」
雨の中濡れるのも厭わずに俺の所へ現れたのは、リシャーナを見つける為に一番頼りになる一方で、今一番会いたくない男だった。
「カイザー殿、まだリシャが見付からないんだ、すまないが捜すのを手伝ってくれないだろうか」
「勿論そのつもりできた。 手分けして捜そう、どの辺りを捜しましたか?」
「とりあえずリシャが走っていった方角を優先して捜していたんだが……」
「それはどちらですか?」
「あぁ、あっちだ」
リシャが走っていった方角を示せば、何故かカイザー殿はリシャが進んだ方角よりも右斜め下方向へ走り出す。
「カイザー殿!?」
「アラン殿下は向こう側をお願いします。 リシャは真っ直ぐに進んでいるつもりでも何故か無意識に進路が右に右にと曲がる癖があるんです、だから消えた方角よりも右側か反対方向を捜したほうが良い」
そう言って迷うことなく庭園を進んでいくカイザー殿を見送った後、俺はカイザー殿の勧めにしたがってこれまで捜していた方角の反対方向へ捜索を変更した。
右に進む癖? リシャーナ本人すら自覚していないだろう癖を把握していたカイザー殿……
俺はリシャーナの一体何を見てきたんだ?
沈みこんだ心は雨に濡れた衣服を着るよりもなお重く、捜しに行こうとする身体の動きを妨げる。
それでも足を動かして何か痕跡がないかと捜し続けた。
こちらには居ないのかもしれないと考えて踵を返すと、雲の隙間から地面へと差し込んだ光の筋を背景に現れたカイザー殿によってリシャーナ発見との報告がもたらされた。