113『あいつの隣を譲ろうとは思わない。』アラン視点
リシャーナを連れて去っていく二人を見送った俺は、リシャの紅潮した顔とあきらかな挙動不審に高揚を抑えきれずにいた。
昨日カイザー殿が先に見付けて連れ帰ってきたリシャの服は不自然に背中部分が汚れていた。
普通大木に背中を擦り付けるか地面に寝転がりでもしない限りあんな汚れのつき方はしないだろう。
何かが有ったのは明白なのに、カイザー殿は首を横に振るばかりで要領を得ない。
朝からカイザー殿を誘い出して剣術の稽古に誘い出してリシャーナと二人きりになれない現状の苛立ちを発散していた。
刃を潰した剣を交えて見れば改めてカイザー殿の剣の腕が本物であることを痛感する。
素早い太刀捌きもそうだが、剣の重心がぶれないため受け止めた剣はずっしりと重い。
何度となく競り合いながら一進一退の攻防を繰り返して居たときに、リシャーナがやって来た。
「おはよう、どうした? こんな時間に外にいるなんて珍しいな」
「おはようございますアラン様。 少し朝の散歩をしていただけですわ」
声をかければいつもと変わらない様子で挨拶を告げるリシャーナだったが、カイザー殿が声をかければあきらかにいつもと反応が異なった。
「おはようリシャ。 いくら朝だからといってひとりで出歩くのは感心しないね」
「カイザー様。 おはようございます昨日はありがとうございました」
「……いや、良い。 気にするな」
いつもは全力でぶち当たるリシャーナのどこかよそよそしく見える態度に違和感を覚えた。
そしてリシャーナを見詰めるカイザー殿の視線の甘さに発散したばかりの苛立ちが再燃してくる。
「昨日? 何か有ったのか?」
そう聞けば、困ったような助けを求める視線をカイザー殿に向ける。
誤魔化すような二人に苛立ちを募らせながらも、冷静を心がけて話を聞けばどうやら昨日の太ったと言われた事で運動をしようと思い立ったらしい。
ズボン姿のリシャーナはゾライヤ帝国の遠征軍にいた頃を彷彿とさせ、おかしくは無いかと首をかしげる姿が、可愛くて鼓動がはねあがる。
「かわーー」
「可愛いよ。 でもひとりでは不用心だ。 運動なら私がつき合おう」
俺の言葉を遮るように誉めたカイザー殿が当たり前のように申し出た。
「いえ、もう戻りますのでお気になさらずお二人で稽古を続けてください」
断りをいれて寮へ戻ると言うリシャーナを送り届けようと動いたカイザー殿の手を拒否するように避けた姿に驚いた。
「じっ、自分で戻ります!」
「あっ! ちょっとまて! そっちは!」
「えっ、うぎゃ!」
突然走り出したリシャーナは俺の制止も聞かずに案の定水を学院内へ引き込むために掘られた側溝へ右足を踏み外して落ちた。
「大丈夫か!?」
「大丈夫ですか!?」
心配して駆けつけて見れば右足は見事に泥に汚れ、水に濡れた上着が身体に貼り付き艶かしい。
恥じらいに上気した顔で見上げてくる姿は目に毒で反応がおくれた。
「だっ、大丈夫! ……痛ッ!」
「もしかして右足を痛めたのか?」
痛みに身体を伏せたリシャーナに手を伸ばしたカイザー殿に触らせたくなくて、強引に抱き上げた。
自分で歩くと暴れるリシャーナをなだめてカイザー殿に振り返り医師を連れてきて欲しいと頼んだ。
「……わかった、リシャを頼む。 レブランを近付けるな」
低い声でそう告げ、俺の剣を持ち瞬くまに走り去っていった。
レブラン……たしかシャノン嬢の隣にいた奴だったか。
ついつい無意識で運びやすいように肩にかつぎ上げれば、ジタバタと暴れだしたリシャーナを、からかうためのバランスを崩してやれば必死にしがみついてくる。
こんなやり取りも久しぶりだった。
「しかし、なんでいきなり散歩する気になったんだ?」
「……ったじゃん」
「ん? なんて言ったんだ?」
俺の背中に顔を埋めるようにして答えた声が聞き取れずに問い返す。
「だから、アラン様が肥ったって言うから……少し運動しようかなーと、思ってみたり?」
はっきり聞こえた内容に顔が綻ぶ。
「ふっ、なんで疑問系なんだよ。 そっか、減量するなら付き合うから言えよ? それから肥ったって元のリシャ戻るだけだろう。 太かろうが細かろうがリシャはリシャなんだとクリスティーナ嬢をみてると思うんだよな」
実際コロコロしていたリシャーナも最近ではあれはあれで味があって良かったと思える。
「まぁ、確かに痩せてた方が可愛いけどな」
顔が見えないからか、するりと口からでた賛美にリシャーナがみじろいだ。
「か、可愛い?」
だからかも知れないな、普段なら自制がかかった本心がするりと口から滑りだした。
「おう。 嫁に貰いたいくらい可愛いと思ってるぞ俺は」
肩の上で無反応になったリシャーナを向かい合うように抱き直せば、顔を真っ赤に染めたリシャーナが潤んだ瞳で見つめてきた。
高鳴る鼓動を抑えることが出来なくて俺は覚悟を決めた。
「リシャ? 俺のお嫁さんになって一緒にゾライヤ帝国に来てくれないか?」
「えっ、いや、だって、えっ!?」
俺の突然の告白に狼狽えるリシャーナの唇を奪う。
軽く触れるだけの、柔らかな小さな唇を壊してしまわないように優しく口付けをすれば惚けたようにリシャーナが見上げてくる。
「すぐに俺を恋愛対象には見れないかも知れないし、どうせリシャの事だから俺の気持ちになんて気が付いてなかったんだろ? 返事は直ぐじゃなくていい、俺との結婚を、将来を共に歩む者として考えてくれないか?」
そう告げれば視線をさ迷わせた後、俺の肩に額を埋めて弱々しく頷いた。
そんなことがあったお陰で無事男として認識させることに成功した訳だが、どうやら成功しすぎたようだ。
俺の一挙手一投足に過剰反応するリシャーナの変化は、恋敵にも的確に伝わったらしい。
「アラン殿? これは一体どういう事か説明していただきたいですね」
今にも射殺さんばかりの殺気を放ちながら近付いてくるカイザー殿。
「どうもこうも俺は自分の気持ちを伝えただけだ」
「なっ!?」
目を見開いたカイザー殿の顔を真っ正面から見詰める。
「近々セオドア・ローズウェル国王陛下とダスティア公爵に正式に婚約を申込むつもりでいる」
リシャーナは公爵令嬢だ、本人がなんと言おうと家のため、国のためにいずれは嫁がなくてはならない。
ならその嫁ぎ先は……ゾライヤ帝国だ。
目の前の美丈夫をリシャーナが異性として意識し始めていたことは知っている。
だからといって俺は誰にもあいつの隣を譲ろうとは思わない。
仄かに芽生えた他の男への恋心など強引にねじ曲げるまで。
「あいつは俺のモノだ……」
カイザー殿の横をすり抜けながらそう告げて振り返らずに寮の自室へ戻った。