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人外

 八

 何の音だろう?……ここは、何処だろう?寒い……まるで氷の上に乗っている様に、体中が冷たい。薄く開いた目に、誰かの後姿が映る。親父……?そんなはずはない。彼はつい先日、火災に巻き込まれて亡くなったのだから……。

 そこまで考えたところで目が覚めた。頭をもたげ、辺りを見回す。そこは二、三畳程度しかない狭い部屋だった。四方を壁に囲まれていて窓が無いものの、一か所に出入り口だと思われる四角く区切られた部分があり、さらに上を見ると、出入り口らしき部分の上部には、三、四十センチ程度の隙間が開いていて、どうやらその部分から、部屋の外の空間と繋がっているらしかった。そしてその隙間から、時々何かの動物の声の様な音が聞こえてくる。覚醒時に聞こえていた何かの音は、これに違いない。

 それにしても、この部屋にはベッドはおろか、何も置かれていなかった。あの隙間から逃亡を試みるにしろ、まずこの何もない状態では……出入り口らしい部分にも、ドアノブの様な出っ張り一つ見当たらない……あそこまでは絶対に上れないだろう。

 そして直哉は気を失っている間、そのまま床に転がされていたらしく、身体が冷え切っていた。あまりの寒さに震えながら、自身を抱きしめる様に腕に手をやると、もともと自分が着用していたカッターシャツにスラックスでは無く、入院患者が着る様な白衣だけしか身に着けていないことに気付く。おまけに、もしかしたら紙オムツでも穿かされているのかもしれない、下半身の感覚が慣れない感じだった。

 今の状態を確かめるつもりで立ち上がると、唐突に意識を失う前の出来事がフラッシュバックする。そう……確か首から下の身体の感覚がなかったはずだった。それに……

 (目覚めた時には何も分からなくなっている……ヤツはそう言ってなかったか?)

 直哉の心配とは裏腹に、今のところ身体に異常は無さそうだった。しかも、自分の意志があるし、身体も思い通りに動かせている。そこで何となく、両手を開いたり握ったりしてみた。やはり間違いなく、俺は俺だよな……そんなことを考えている時、突然出入り口だと思われる部分が外側に向かって開き、羽田が顔を覗かせた。彼の姿を見て、思わず直哉は後退さる。

 「君が覚醒したのは、モニターしていたからわかったが、まさか『一体化』をキャンセルされるとはね。さすが『人外』といったところか……。」

 そう驚いた様な声を上げた。事情は分からないが、状況から、ひとまず危機を免れることが出来た事が分かった。だが彼のメガネ型ウェアラブルデバイスは、昨日と同じく光を放っている……。

 「……仕事熱心ですね。一晩中、俺の事をモニターしていたなんて。」

 昨日の二の舞は避けたい……なんとか気を逸らせようと、ジャブを打って出る。しかし、羽田には逆効果だったらしい、直哉を見て顔を歪ませると、

 「『実験動物』に話し掛けられるのは、不愉快だな……。持続性は期待出来ないが、即効性は有る様だ。しばらく大人しくして居なさい。」

 「……?」

 昨日と同じ様に、また首から下の感覚を奪われると思い、身構えていたが、それは違っていたらしい。一体今度は何をしたのか問い質そうとして、声を出せないことに気付いた。何度か試みるが、口からは息が洩れる音しかしない。動揺する直哉を尻目に、再び手元を動かして、

 「皮下組織を少し採取する。大丈夫、全く痛みは無いはずだ。ただ、持続はしない様だから、後で痛みが出るかも知れないね。まあ君は、傷の治りも早いから、どうってこと無いだろう。」

 そう羽田が言い終えた途端、昨日と同じ様に、直哉の身体から力が抜ける。そんな彼の身体を、羽田は無造作に転がして仰向けにし、大腿部に何か器具の様な物を当てた。直哉は首一つ動かせなかった為、どの部分に何をされたのか、さっぱりわからなかったが、またしばらく気を失った後、身体の感覚が戻ったと同時に、痛む箇所があることで、ようやく理解した。

 その後、一体どの位の日数が経過したのだろう……とにかく毎日が地獄だった。身体の感覚を奪われた上での体組織の採取は、後から痛みがあるとは言え、確かに一日もあれば、すっかり元に戻ったが、神経系の回復の過程を調べると言って、痛覚がある状態で筋組織を採取された時は、おそらく拷問並みに、ひどい仕打ちだったに違いない。羽田は、直哉が言葉を発するのを嫌い、大抵声を出せない状態にされた為、機械的に作業をこなしている様子だったが……。確かにその時も、一日経てば身体の傷は治った。だが心に負った傷は、確実に直哉を蝕んでいった。

 (どうして誰も助けに来てくれないのだろう?虎次郎も、当てにはならなかったという事か……。)

 (『人間』ではない俺を助ける義理は、虎次郎には無いさ。)

 (親父は、いずれこんな目に合うと分かっていて、幼い頃から俺を育てたのか?一層の事、そのまま見殺しにしてくれれば良かったんだ……。)

 (でも羽田は、親父が『自分の息子だから、手を出すな。』そう言ったと話していた……。)

 (俺は『人間』じゃない……でも、心は……感情は『人間』のものだ。羽田……ヤツこそ身体は、生物学上の『人間』かも知れないが、あれで心は『人間』だと言えるのか……?)

 (ヤツにしてみれば、俺は『実験動物』にすぎないんだ。逆に俺も、マウスに気を配ったりしないだろうし……。)

 そんな風に、意識のある間はずっと頭の中で延々、自問自答を繰り返していた。

 一方、虎次郎は麻生刑事に面会を求むべく、毎日警視庁に通い、三日目にしてようやくその機会を得た。直哉の居場所、面会の可否……そんなことを、矢継ぎ早に尋ね、そして、彼は絶対に父親を殺してなどいないと、必死に訴えた。

 「佐野さんの様な友人が居るとは……彼は幸せ者だね。」

 「……?」

 虎次郎は完全に戸惑っていた。彼が今面会しているこの男からは、母に聞かされていた威圧感の様なものが、全く感じられなかったからだ。だが、直哉の事について、知っている様子だから、この刑事が麻生という人物で間違いないのだろう。虎次郎の困惑に気付いているのかどうかは分からないが、彼は真剣な眼差しで、

 「……外で話をしたい。君の都合は?」

 突然の問い掛けに驚きつつも、麻生の顔を見ながら頷く。すると、『カフェ・カミーノ』と書かれた喫茶店の名刺を渡され、

 「そこで少し待っていてくれ。すぐに行くから。」

 虎次郎は言われた通り、名刺をウェラブル端末……虎次郎も直哉と同じく、リストバンドタイプを使用している……のリーダーにかざして3Dマップを表示し、二駅先にあるその店に向かった。

 「いらっしゃいませ〜!」

 店内は、昼を少し過ぎた時間というのもあって、サラリーマンや制服を着た女性達で、混雑していた。この辺りはビジネス街だから、恐らく近くの会社の社員達が昼食に来ているのだろう。これは、店に入れないかもなぁ……と考えていると、カウンターの中から三十代位の女性が一人、虎次郎の前に進み出て、

 「シン君……麻生様のお連れ様ですよね?お待ちしておりました。」

 「え?……あ、はい。」

 どうしてわかったのだろう?虎次郎の疑問が顔に出ていたのか、

 「スラッとしたハンサムが行くから、案内しておいてくれって連絡がありましたので……。」

 彼女はそう言うと、悪戯っぽく笑い、虎次郎を店の奥にある個室に案内してくれた。虎次郎が椅子に座るのを見届けてから、水とメニューを差出し、

 「ご注文をお伺いするのは、シ……麻生様が来てからの方がよろしいかしら?」

 「麻生刑事のこと……シン君って呼んでる?」

 先程驚かされたお返しに、虎次郎がそう切り返すと、彼女は観念した様な顔つきをして、

 「……私、自称『内縁の妻』なの。もっとも、シン君はどう思っているか、分からないんだけどね。」

 砕けた口調で、身の上話を始めた。

 「分からないって……どうして?」

 虎次郎の問い掛けに、天井を仰ぎながら、

 「詳しくは話せないんだけど……彼、十五年前に奥様と子供さんを亡くしているの。私とは、五年前から一緒に暮らし始めて……でも初めに、籍は入れないって言われたから……。」

 「お姉さんはそれで満足なんだ?」

 お姉さんという呼びかけか、その質問に対してなのかは分からないが、彼女は苦笑しながら、

 「あら嬉しい、お姉さんだなんて!……そうね、満足している訳じゃないけれど、彼には彼の苦悩があるから、仕方が無いのよ……。」

 そう言って、彼女はトレーを持っている手元に視線を落とした。つられて、虎次郎も彼女の手元を見ると、火傷の痕だろうか?少し捲った袖口から見える手首の皮膚が、ケロイド特有の引き攣れ方をしていることに気付いた。虎次郎の視線に、彼女は一瞬気まずそうな表情を浮かべたが、口を開こうとはしなかった為、彼も何も訊かなかった。ただ現在では、iPS細胞から皮膚と皮下組織を作製し、患部に移植する手術がごく一般的に行われている為、何故それをしないままなのか……?という疑問は持った。もしかしたら虎次郎と同様に、経済的な理由で諦めた口かも知れないが……。

 「日替わり二つ、持って来てくれないか?」

 そう言いながら、麻生が姿を見せる。

 「かしこまりましたぁ!」

 虎次郎が店に入って来た時の様に、元気に返事をしながら、彼女は個室を後にした。

 「お待たせしたね……早速だが、君に話しておきたいことがある。ただし……このことは、オフレコでお願いしたい。」

 「……直哉の事ですよね?」

 そう言って、顔を近づける虎次郎に、麻生は苦笑いを浮かべながら頷いた。

 「俺が彼の元を訪れた時、人は見かけに寄らんものだなぁと思ったんだ。……良い意味で。」

 「やっぱり、直哉は無実なんですね?」

 麻生は、虎次郎の言葉に一瞬動きを止めたが、目は逸らさないまま、頷き返した。

 「じゃあ、どうして……!?」

 さらに詰め寄ろうとする虎次郎に向かって、両手を広げ、

 「まぁ落ち着け。私だって、今回の事には怒りを覚えているんだ。そうでなければ、君に本当の事を話したりしないさ。」

 ひとまず深呼吸をし、自分を落ち着かせようとする。一呼吸おいてから、

 「じゃあ、麻生刑事は何で直哉を逮捕したんっスか?」

 「上からの命令だよ。でもその時は、私も鑑識から提供された証拠や情報が正しいと思っていた。もちろん、逮捕状だって出たしね。あの日、少し引掛かることがあって留置場に残っていなければ、未だに彼を犯人だと思ったままだったかも知れない……。」

 「引掛かること?」

 虎次郎の矢継ぎ早な質問に、どう答えたら良いのか、考えているのだろうか?額に手をやり、そして、

 「すまん、ちょっと構わないか?」

 麻生は断りと同時に、懐から煙草を取り出す。だが良く見ると、電子煙草だった。虎次郎たちの会社でも、やはり医療系ということで、基本的に煙草はご法度だが、電子煙草に関しては、医師の診断書が必要となるものの、許可されていた。入社と同時に禁煙を要求され、突然ニコチンを絶たれると、それまで日常的に摂取していた人間にとっては、かなりのストレスになるので、それを軽減するための措置だった。ただ、虎次郎の様に、もともと煙草を吸わない立場の人間から見れば、あまり関係のない事だったが……。

 虎次郎の考えていることを察したのか、

 「なかなか止められないんだよ。ただ……火は苦手でね。」

 麻生は一息吸った後、そう言って苦笑する。だが、彼の言った事と、先程の彼女の話した事が、奇妙に一致した。本当は、踏み込んではならない領域かも知れない……そう思いつつ、

 「……もしかして、ご家族が亡くなられたのって、火事が原因だったんッスか?」

 虎次郎の質問に、麻生は一瞬目を見張ったが、

 「フミのヤツだな……。」

 恨み言を呟きながらも頷いて、

 「そうだ……放火されたんだ。俺はその晩夜勤で、自宅に居なかった。」

 一人称が『俺』に変わったなぁと思いながらも、虎次郎は「そうだったんですか……。」と、神妙に相槌を打った。

 「フミの……さっきの店員の母親の、再婚相手だった男が放火犯だった……。」

 「……え?」

 今度は虎次郎が目を見張る番だった。不意に、彼女の手首から見えていた火傷痕を思い出す。

 「当時、俺たちはたまたま同じマンションに住んでいた。彼女の家が、うちの家の一階下でね……もっとも、うちの子はまだ二人とも小さかったし、彼女は中学生だったから、挨拶を交わす程度の付き合いしかなかった。」

 そこまで話すと、麻生はまた電子煙草を咥えた。そして、自分を落ち着かせようとしているのか、大きく息を吸い込んでから、ゆっくりと吐き出し、

 「俺も家族を失ったが、彼女もその時、母親を亡くした。母親が死に物狂いで逃がしてくれた……そう言って、自分が火傷していることに構わず、泣きじゃくっていた……。」

 『その日』の記憶が蘇ったのであろう、麻生は苦悶の表情を浮かべる。だが、それ以上話すのを止めようとはしなかった。

 「その男と彼女の母親の間に、一体何があったのか、今となってはもう誰にも分からないんだ……。男の方もすぐ後に、自殺しちまったからな。」

 「そんな……。」

 最愛の家族全員を奪われたというのに、その犯人は自殺していた……どれ程の無念さを感じただろう?虎次郎は、この男の苦悩を垣間見た様な気がした。

 「フミの話によれば、おそらく母親がその男……義父に別れを切り出したのだろう。しかし男は納得していなかった。それで無理心中を図った……そういうことだったらしい。それまでは穏やかで、フミに対しても優しく、本当の娘の様に接してくれていたらしいが……。だが、彼女にしてみれば多感な年頃での母親の再婚だ……素直に『お父さん』と呼べないし、何かと冷たく接してしまっていたと話していた。もしかしたら子供特有の感性で、その男の暗黒の側面を、既に感じ取っていたのかもしれないがね……。」

 虎次郎は、あの女性の……明るく振舞っているのに、どこか違和感があるのを感じる理由が何かを、今理解した。

 「フミに……彼女には何の非も無い。それは俺もよく分かっている……当時もそのつもりだったし、今でもそうだ。でも……彼女はずっと自分自身を責めている。自分が義父に、いつまで経っても懐こうとしないから、母が別れを切り出したのかもしれない……そう思い込み、十字架を背負ったままだ……。だが、俺も彼女と同じなんだ。あの日、どうして俺は家に居なかったんだろう……俺が家に居れば、皆助けられたのに……そう、自分自身を責めている。それを止めたくても、どうしても止められないんだよ……。」

 麻生は虎次郎の方を見ようとしないまま、口元に電子煙草を運ぶ。一息吸うと、ゆっくり目を瞑りながら、煙(実際は煙に見える水蒸気なのだが……)を吐き出した。それはまるで祈りを捧げている様に、虎次郎には見えた。

 そして麻生は、不意に顔を上げると、

 「放火で人が死ぬ……というのは、残念だが珍しい事では無い。特に俺みたいな稼業の人間にとっては、日常茶飯事的な事件の一つにすぎない。だから、義理の息子が養父を……普段穏やかに見えるが、もともと両者の間に何らかの歪が有って、ちょっとした事が引き金となり、父親を殺す……ありがちな事件だな、そう思ったんだよ……あの時は。だが俺自身、過去の出来事を引き摺っていたせいで、冷静さを欠いちまっていたのかも知れないな……。」

 「……どうして直哉が犯人じゃないって分かったんだ?」

 虎次郎は、先程問いかけたのと、同じ質問を繰り返す。すると、麻生はバツが悪い様子で、虎次郎から目を逸らしながら、

 「彼は左利き、だろう?」

 「そうだけど……それが何?」

 突然麻生が投げかけた質問に、訝しげに答える。麻生は、相変わらず虎次郎から目を逸らせたまま、

 「逮捕の際、凶器になり得そうな所持品を、彼から取り上げたんだが……筆記具が、背広の右側の内ポケットに挿してあった。だが、鑑識から提供された、細工した部分に付着していたとされる指紋……これは右手のものだった。もっとも、指紋自体は彼のものに間違いが無かったんだが、左利きの人間が、咄嗟に右手の指紋を……そんな分かり易いところに残すか?という疑問が残ったんだ。だから、それとなく本人に『左利き』なのかどうか、確認しようと思ってね。なのに、あんなことになるとは……。」

 「あんなこと……?」

 虎次郎の疑問の声に、麻生は一度目を合わせたものの、すぐ視線を泳がせ、

 「まさか、あんな目にあわすなんて、俺だって知らなかったんだ……。」

 弁解する様に呟く。だが虎次郎は、苛立たしそうに声を荒げ、

 「あんたが元々知っていたとか、そんなことはどうでもいい!一体、何があったんだ!?」

 胸倉に掴み掛りそうな勢いで、顔を近付ける。その剣幕に、麻生はまるで正気を取り戻したかの様に目を見開くと、

 「正直、俺にもよくわからん……『何が起こっても、一切口出しはするな』という条件で、取り調べに立ち会う許可はあっさり下りたんだが、何故か羽田という医師も来ていて、新城君に近付いたかと思うと、『ワンネス・システム』を応用したという何かを、彼に……そう、取り付けたんだ。すると彼は、まるでその医師に操られるかの様に、全く動くことが出来なくなった。そうして新城君の事を……帝大時代、新城先生と共に研究していた頃に創り出した実験サンプルだと……ただ何故なのか理由はわからないが、新城先生が羽田医師と他の研究員達を騙し、新城君を『息子』として育てていた……だから彼を、新城先生を殺した犯人に仕立てて社会から隔離し、元々の実験サンプルに戻すんだと……そんな事を話していた。」

 「……なんだって?」

 今度は虎次郎が戸惑う番だった。話の展開についていけない……元々は、直哉の無実を認めさせる為に、この麻生という刑事をとっちめるはずだった。ところが、全く違う意向が働いていた……要するに羽田という医師が、直哉を犯罪者に仕立て上げた真犯人……ということなのだろう。

 「とにかく直哉が無実なのは、もう分かってんじゃねーか!何でその『羽田』って野郎をとっ捕まえねーんだよ!?」

 虎次郎の言葉に、麻生は自虐的な笑みを浮かべ、

 「それが出来たら、苦労は無いさ……。残念だが、俺には何の権限も無い。こうやって、こっそり君に本当の事を話すこと位しか出来ないんだよ……。」

 「……。」

 そう話す麻生の手はいつしか、投げ遣りな口調とは裏腹に、電子煙草を強く握りしめているらしく、血管が青く浮き出ていた。彼自身ももどかしさを感じているのだ……それが分かり、虎次郎は口を噤む。

 「今、新城君は羽田記念病院にいる……これは間違いない。ただ、俺が動くわけにはいかないから、フミに頼んで面会人と偽り、入院患者の名前を調べて貰ったが、案の定、表向きには『新城直哉』という『患者』は存在しなかった……。だから、彼が今どういう状況なのか、俺にも全く把握出来ていない。情けない話だよ……。」

 麻生は、自虐的な笑みを浮かべながら、虎次郎の方を見た。このベテラン刑事にすら、どうすることも出来ない状況を生み出しているのは一体何なのか……虎次郎には見当もつかなかったが、自分の心は既に決まっていた。

 「あいつはきっと……助けを待っている。かといって、あんたにゃどうしようもないらしいから、俺が何とかする。」

 その言葉に口を開こうとする麻生を、虎次郎は制し、

 「麻生刑事……本当のことを話してくれて、そのことには感謝している。あんたにどうしようもないことが、俺に何とか出来るかなんてわからない……でも、何もしないで諦めるのは嫌なんだ。」

 「そうか……。」

 麻生は一瞬、眩しい物でも見るかの様に目を細め、そう小さく呟くと、

 「俺も……出来る限りの手は尽くしてみる。だが、期待はしないでくれ……。」

 そう言いながら、目を伏せる。虎次郎は、彼からは見えていないであろうが、深く頭を下げた。

 

 九

 「ハッ、ハッ……ここまで来れば、ヤツの操作も届かないよな……?」

 このフロア内には、直哉が入れられていた部屋の様な区画がいくつもあるらしい、その隙間を縫う様にがむしゃらに走った後、通路からは奥まっていて見えにくい場所を見つけ、そこでようやく立ち止まる。数日振りに全速力で駆けた為、まるで肺が悲鳴をあげているかの様に息切れがした。

 ここ数日、羽田が直哉に何らかの操作をして、体組織を採取する際、初めの内こそ身体の感覚が無いが、数分も経てば元に戻る様になっていた。つい先程も羽田が来て、恐らく直哉の動きを抑える操作をしたのだろうが、一分も経たないうちに、身体の感覚が戻った為、隙をついて逃げ出し、今に至る……というわけだった。

 羽田が直哉の首に巻かれている何かを操作しているのは、短距離無線通信のいずれかの規格を使用していると思われた為、ある程度の距離を保てば無効になるはず……そう考え、安堵の溜息を吐いたその時、何かが脳天を直撃し、その場に頭を抱えて蹲る。知らぬ間に悲鳴をあげていたのだろうか?開き切った口元から、だらしなく涎が流れ落ちるが、自分ではどうすることも出来なかった。ようやく戻った視界に、天井付近の壁面に取り付けられている、無線の中継用機器が見えた。

 (そりゃあ、そうだよな……。)

 麻痺した頭で、そう考える。自分の身体の状態を、離れたところからモニター出来るのだから、中継機器があるのが自然だ。そうなると、羽田の操作から逃げられる場所は、この建屋内には無いということになる。これで、何らかの対策を講じられてしまえば、ずっと身体の感覚を奪われたままにされるかも知れない……。恐らく羽田のものだろう、足音が近づいてくるのを、直哉は絶望的な気分で聞いていた。

 「……ぐぅっ!」

 再度頭に衝撃を感じ、呻きながらその場に転がる。痙攣をおこしているのか、身体は小刻みに動いているのに、自分の意志では指一本たりとも動かせなかった。

 「まさかとは思うが……逃げられるつもりだったのかな?」

 羽田の冷ややかな声が聞こえ、ようやく動かせる様になった首を、少しだけそちらに向けると、彼のウェアラブルデバイスであるメガネの奥から、ゾッとする様な視線を感じ、思わず身を捩ったが、それは何の意味も成さなかった。

 「うぁぁぁぁ……っ!」

 羽田のメガネが光を反射し、手が何かを操作する様な動きをした途端、これまでとは比較にならない程の痛みが、直哉の頭を襲い、喚きながらその場を転げまわる。

 「これは、身を以て教えなければならない様だ。」

 「……ぐぁぁっ!!」

 これまでは、数秒程度の痛みに過ぎなかったが、それがずっと続き……気付いた時には、元々自分が居た部屋の中だった。

 鏡が無いから分からないが、今自分の顔は涙や涎の跡でグチャグチャに違いない……鈍痛が残る頭でボンヤリと思った。そう……ここへ入れられてから、一度も鏡に写る自分自身を見ていない。だから、この首に巻かれた何かが、一体どうなっているのか分からないままだった。やはり……手で触れても、何かを触っているという感触は無く、自分の首に直接触れているとしか思えなかった。首の方も同様で、自分の手と首の間に、何かが有る様な違和感は全く無かった。

 もし見た目にも、『普通』にしか見えなければ……そこまで考えてゾッとする。直哉のことを『自由にコントロール出来る様になる』……それは羽田が、まさに確信が有って言った言葉だったに違いない。直哉自身は、どうやらそれを『キャンセル』したらしいが、それこそ『普通の人間』であれば、彼の意のままにコントロール出来ているのだろう。しかも、その操られている人間が社会に紛れていても、見た目には全く分からないのだ……。

 恐ろしい考えに首を振りながら、ゆっくり立ち上がろうとしたその時、いきなり目の前が真っ暗になった。何だろう……停電だろうか?もしもそうならば、通信機器系も使えなくなっており、逃亡のチャンスかも知れない……直哉はそう考えつつも、こう暗くては、出入り口らしき場所一つ、どこなのか分からずに、壁を手探りで伝いながら少しずつ歩を進める。すると、何かにぶつかった。

 「……!」

 自分では、アッと声を上げたつもりだったが、口からは息の漏れる音しか出なかった。どうやらぶつかったのは人であったらしく、腕を掴まれたかと思うと、その瞬間には足を払われており、背中から床に叩きつけられる。

 「……っ!!」

 あまりの痛みに息が詰まる。だが、やはり声は全く出なかった。痛みで身体が硬直している間に、自分の手首と足首を何かに固定される。これは……痛覚がある状態で、体組織を採取される時と同じだった。体中を悪寒が走り抜ける。

 「視覚があると、ロクなことを考えないだろう?」

 やはり……頭上から聞こえて来たのは、羽田の声だった。今の言葉で、何も見えないのは停電のせいなどでは無く、視力を奪われている為だと分かった。

 「まぁこれも、君にとっては一時的な効果しかないだろうから、さっさと終わらせる。安心したまえ。」

 羽田がそう言い終えるや否や、鋭い痛みが左足の膝を襲う。思わず悲鳴を上げるが、同じく声も奪われているらしく、先程と同様に大きく息を吐き出す音しか聞こえなかった。自分の声が出せない分、皮肉にも羽田の言葉がはっきり聞こえてくる。

 「これを君の足に埋め込んでおけば、とりあえず持続的に機動性を抑えられる。君の場合、腱を切ったとしても、治癒能力が高いから無駄だろうが、これなら半永久的に電気信号を送り続けることが出来るからね。例えるなら、体内にスタンガンが入る様なものだ。」

 (……嫌だ!止めてくれっ!!)

 動かせる首を目一杯横に振りながら、そう叫ぶ。だが、一切声には出せなかった。自分の荒くなった息遣いだけが、むなしく耳に響く。

 「君がいけないんだよ?逃げようとしなければ、ここまでする必要はなかったんだ。ようやく手に入れた大事なサンプルだから、今失う訳にはいかない……だから、仕方が無いんだ。そもそも君をコントロールさえ出来ていれば、こんな面倒な事をせずに済んだのだが……それは言っても栓の無い事だね。」

 (逃げない!もう逃げたりしない……だからお願いだ!それだけは、止めて!!)

 そう言っているつもりだが、全く言葉にはならなかった。視力は少しずつ回復して来ているのか、だんだんと目の前が明るくなって来たが、どちらにしろ今の危機的な状況は、覆すことが出来そうになかった。

 (うぁ……っ!!)

 今度は右足の膝を、先程と同じ痛みが襲いかかる。

 (助けて!誰か……っ!!)

 痛みのせいか、絶望感からかは分からないが、まだちゃんと視界の戻らない目から、止めどなく涙が溢れる。

 (……お願いだ!誰か、助けてくれ!!)

 頭の中では、そう言ったつもりだったが、呻く様な声が自分の口から洩れただけだった。声も徐々に戻りつつあるのだろうが、あまりの痛みに、そんなことを考える余裕は全くなかった。

 「……お前、どうやってここに来た?」

 突然、羽田の明らかに動揺した声が聞こえる。痛みに耐えながら、必死で目を凝らすと、薄ぼんやりとした彼の輪郭が見える。そして、彼が顔を向けていると思われる方に目をやると、こちらもまだはっきりとは見えなかったが、人らしき輪郭が見えた。やがて雲が晴れて行く様に、その人物の顔が見え始める。

 「……?」

 直哉には全く見覚えの無い、二十歳になるかならないかという位の若い女だった。目を見張るべきは、直哉が着ているものと同じ様な白衣を身に纏っているだけで、全く化粧っ気が無いのにも係らず、『美の化身』とでも呼べそうな、彼女の美しさだった。おまけに白衣の上からでも、彼女の美しい体のラインが分かる程、非の打ちどころの無いスタイルをしている。

 ただその女の顔は、まるでショーウインドウから突然動き出したマネキンの様に無表情で、羽田の詰問を全く気にしていない様子だった。それどころか、驚くべきことに、直哉の目をジッと見つめていたかと思うと、

 「やっと……見つけた。」

 「え……?」

 彼女の形の良い唇が笑みの形を作り、謎の呟きが発せられる。直哉は訳も分からず……呆然と彼女の目を見つめ返した。すると、ある事に気付く。そう……目の色が、直哉と同じ灰色掛かった深緑だった。見つめ合う二人の間に割って入る様に、羽田が彼女の前に立ち塞がり、

 「『F21』か?どうやって部屋を出た?」

 彼はウェアラブルデバイスを操作しながら、先程と同じく女を詰問するものの、突然雷に打たれたかの様に、動きを止める。女は何事も無かったかの様に、ゆっくりと羽田を通り越して、直哉の目の前まで来ると、立ち止まった。

 「君は一体、誰なんだ……?」

 掠れてはいたが、何とか声を出せる様になっていた。だが、女は直哉の質問にも答えず、無言のまま膝を折ると、更に顔を近づけて来る。目の前に、白衣越しではあるものの、彼女の形の良い乳房が透けて見え、常時ならば顔を赤らめていただろうが、今彼にはそんな余裕など無かった。

 「ずっとあなたを……あなた達、○○○を待っていたの……。」

 「……え?」

 まるで愛の告白をされている様な言葉が、彼女の吐息と混ざるが、何と言ったのか聞き取れない言葉があり、思わず問い質す。すると、彼女は妖艶とでも言うべき笑みを浮かべながら、直哉の上に覆い被さって来た。彼女の長い髪が、彼の頬をくすぐる。そして……

 「う……っ!」

 首筋に鋭い痛みが走り、呻き声を上げる。だがそれは、ほんの一瞬の出来事で、再び彼女の顔が視界に入ると、口元に目が釘付けとなった。彼女の真っ赤に染まった唇から、異様に長く伸びた歯が二本、はっきりと見えたからだ。

 「そんな、まさか……吸血鬼なのか……?」

 自分の発した言葉ながら、全く現実味が感じられなかった。これはきっと、長い悪夢が続いているに違いない……そう靄の掛かり始めた頭で、必死にそう言い聞かせ……そのまま直哉は気を失った。

この後の更新は……かなり先になると思います(T_T)

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