真相
五
葬儀は伊丹総合病院の職員達や、直哉の会社の同僚が手伝いをしてくれたお陰で、滞りなく無事に終えることが出来たが、自宅の現場検証や警察による事情聴取に応じなければならず、とりあえず住む家を探すこともままならなかった為、二日間はホテル住まいだったが、虎次郎と彼の両親の好意で、住居が見つかるまで居候をさせて貰うことになり、更に三日が過ぎた。
昨日、ようやく手頃な物件を見つけ、今週末に入居する手筈となり、ついでに買い揃えた真新しい背広姿でリビングに向かうと、直哉の姿を見た虎次郎が、パジャマ姿のままでコーヒーメーカーをセットしながら、
「あれ?今日から出勤するのか?」
そう驚いた様な声を上げる。直哉は小さく頷き、
「今週いっぱいは、ここから通わせて貰うけれどな。」
「あら新城君、うちはいつまでだって居てくれて良かったのに……。虎次郎のお目付け役が来てくれたって、主人も喜んでいたのよ?本当に、この子も新城君みたいに真面目なら良かったんだけれどねぇ。」
朝御飯の用意をしながら、二人の会話を聞いていたらしい、虎次郎の母が割り込んできた。それを聞いた虎次郎は、顔を顰めながら、
「ちょっとそれ、どういう意味だよ?酷いなぁ、俺、ちゃんと真面目に毎日仕事に行ってるぜ?な、そうだろ?」
助けを求めるかの様に、直哉の方を向いて、肩を竦める。
「……そうだな。」
虎次郎に向かって頷きながら、ダイニングに腰掛けると、すかさずてんこ盛りのご飯や味噌汁を目の前に置かれる。手を合わせてから、湯気の立ち上るそれらを口へと運んだ。
(父とこんな風に朝飯を食べた事なんて……殆ど無かったな。)
家族の団らん、人から受ける好意……そして優しさ。そんな当たり前だが、今まで自分には縁のなかったことが、皮肉にも父の死と引き換えに与えられて、涙が滲みそうになる。だが、父に鍛えられたせいか、他人に自分の感情を気付かれない様にすることだけは得意だ。終始笑顔で、虎次郎と彼の母の話に相槌を打った。虎次郎のおしゃべりなところは、母親似なんだろうな……と思いながら。
会社に出勤後も、父の葬儀を手伝ってくれたことへのお礼を言いに、方々へ駆けずりまわったり、その他諸々の手続きに関する説明を受け、結局まともな営業活動は行えなかったのだが、これまでに味わったことの無い疲労感に包まれながら、虎次郎の家に帰宅した。
「……ただいま。」
何と言おうか迷ったものの、そうインターホンで声を掛ける。
「あ……お帰りなさい。」
虎次郎の母は、一瞬躊躇った様な声を上げたが、そう返事をした。やはり『ただいま』は、厚かましかったか……などと考えながら扉を開くと、玄関先に黒いビジネスシューズが三足……一足は女性のものが並べられていた。どうやら来客中だったらしい。それならば、リビングではなく、自分に貸し与えられた部屋……すでに家を離れ、結婚して近くに住んでいるという虎次郎の姉のものだった部屋へ向かおうとしていると、リビングルームのドアが開いて、虎次郎の母が、
「新城君、ちょっと……。」
いつになく強張った表情でそう告げられる。不審に思いながらも、彼女の後に続き、リビングに入ると、黒いスーツを身に纏った男二人と、同じく黒っぽいスーツ姿の女がダイニングに腰掛けていて、直哉の姿を認めると、男が一人、歩み寄って来た。
「新城直哉さん?私、警視庁、捜査一課の麻生と言います。」
胸元のポケットから警察手帳を取り出して、直哉の前にかざす。三人の中では、一番年長のこの男が刑事だとすると、残りの男女もそうなのだろう。だが、捜査一課とは……?殺人などの事件を扱う部署の人間が現れた事に、驚きを隠さないまま、
「……どのような御用件でしょうか?」
虎次郎の家にも係らず、わざわざ自分に刑事だと名乗ったということは、直哉がここに居候をしていると聞いて、訪ねて来たのに違いなかった。もしかしたら現場検証の際には、父が使用していた暖房器具が老朽化していて漏電し、可燃物に引火したことが原因ではないか……という見解だったのに、放火か何かされていた証拠でも見つかったのだろうか?
頭の中で色々考えを廻らせていると、
「とにかく署までご同行願えます?」
麻生と名乗った刑事は、有無を言わさぬ口調でそう言いながら、直哉の肩に手を置いた。この中年の刑事は、彼より頭一つ分背が低く、決して恵まれた体格の持ち主ではないのに、その鋭い眼光には、少しでも気を抜くと射抜かれそうだった。
「……父のことで?」
「そうだ。」
直哉の質問にあっさりそう答える。しかし、彼は完全に混乱していた。この刑事の態度は、明らかに容疑者に対するそれだ。まさか自分が放火か何かの犯人だと疑われている……ということなのだろうか?
「もう少し、待ってもらえませんか?新城君と同じ会社に勤めている、うちの息子ももうすぐ帰って来ますので……。」
只ならぬ雰囲気に、虎次郎の母がそう声を掛けてくれる。彼女の顔つきは、不安の為か歪んでいた。すると刑事は、鋭い眼光はそのままで、相好を崩すと、
「すみませんねぇ、佐野さんは全く関係が無いのに、お騒がせしてしまって。そう息子さんにもお伝え下さい。では、失礼します。」
虎次郎の母にそう挨拶をし、くるりとこちらを向いた麻生の顔は、完全にハンターの様だった。そのまま、無抵抗の直哉の腕を強引に引っ張って、玄関へと向かう。
「……放して頂けませんか?逃げませんから。」
あまりのこの刑事の横暴さに、怒りで腸が煮えくり返りそうだったが、勤めて冷静にそう言うと、彼は直哉を見て、鼻でせせら笑いながら、
「ほう、良い心掛けだ。……乗れ。」
直哉が靴を履き終えたのを認めると、高飛車な物言いのまま、家の目の前に着けた白いセダンに乗る様命じられる。外にもう一人、車で待機していた刑事が居たらしい。家の中に居た残りの男女も、女は助手席に、麻生ともう一人の男は、直哉の両脇を固める様に後部座席に乗り込む。
全員が乗り込むのを確認すると、運転手は到底丁寧とは言い難い勢いで、車を発進させた。
「そのウェアラブル端末と他諸々、渡せ。」
車が動き出した途端、麻生が直哉の手首をつかみながら、そう言ってくる。
「ちょっと待ってくれ!状況が全く分からない。」
彼の方を睨みながら、強い口調で尋ねる。この状況では、到底落ち着き払ってなど居られなかった。
「もうすぐ逮捕状が出る。……で、現在、任意同行中ということだ。」
「一体どんな罪状で!?」
思わず大きな声を上げる。何故そんなことになったのか、全く訳がわからなかった。だが、麻生は動じるどころか、余裕たっぷりの笑みを浮かべ、
「君は大学で、電気系を専攻していたそうじゃないか。」
「……それが何か?」
「電化製品に小細工する……なんて、朝飯前だよな?」
要するに、直哉が父を殺す為、暖房器具に細工をし、火災を起こさせた……そう言いたいに違いない。口元には、まるで蔑むかの様な笑みを浮かべる麻生の顔を見て、直哉は怒りでおかしくなりそうだった。とにかく自分を落ち着かせるために深呼吸をして、
「……言っている意味がわからない。」
口ではとぼけながら、この刑事を睨む。だが彼は、直哉の形相に怯むどころか、ニヤリと笑いながら、
「まぁ、詳しいことは署で……な。」
そう言うと、自分の眼鏡とイヤホン一体型のウェアラブル端末に着信があったらしく、二言三言やり取りし終えると、再び直哉に向き直り、
「今、逮捕状が出た。……午後七時二十八分、容疑者逮捕。」
そう言いながら、自分の懐から取り出した手錠を、無造作に直哉の手に掛ける。既に半拘束状態だった自分に手錠をする意味が、果たして有るのだろうか……?そう思い、怒りに震える直哉を全く気にする様子も無く、腕からリストバンド型端末をもぎ取り、さらに背広の内ポケットに手を伸ばそうとする。
直哉は思わず、「何をするんだ!?」と抗議しながら身を捩った。
すると、麻生ともう一人の刑事が直哉を両側から押さえつけ、
「だから、ウェアラブル端末とその他諸々渡せって言っただろう!?」
屈辱に顔を歪ませるが、そんなことはお構いなしに、麻生は平然と、彼の持ち物であるはずの財布、筆記具を引っ張り出し、
「流石、良いモノを持っているな。お前の年齢だと、随分クラッシックな趣味だが……ああ、でも新城先生は本当の父親じゃあなかったんだったな。」
わざわざ直哉の目の前に、見せびらかす様に持ち上げる。それは、モンブランの万年筆とボールペン……父が就職祝いとして、一揃いで買ってくれたものだった。今やボールペンはともかく、万年筆は実用品としての役割を終え、製造するメーカーがほぼ無くなり、骨董品並みに手に入らなくなっていた。おそらく父は、駆けずり回って探してくれたのに違いなかったが、当時は、今時筆記具を使って直接字を書くことなどほとんど無いし、万年筆なんて持っているヤツは皆無だ……と言って拒んだ。だが、そんな直哉を見透かす様に、
「お前は小さい頃、ずっと私の胸元に挿してある万年筆を、羨ましそうに見ていただろう?これは……私が医師になった時、父から贈られたものだ。だから、お前に渡すわけにはいかなかった。だが、お前が一人前になった時、私もお前に万年筆を贈ろう……そう考えていた。直哉、お前はもう誰の庇護も必要のない、一人前の男だ。これはその証なのだから、使うかどうかは別として、受け取りなさい。」
その後、父に言われた通り、使わないと分かっていながら、背広の内ポケットに挿して、常に持ち歩いていた為、火災の日も無事だった、数少ない物品の一つとなった。それらが目に入った瞬間、父との二十数年の時間が、一気に過去へと引き戻される。
直哉が小学生の頃、父は恐らく今と変わらず忙しい身であったはずだが、参観や運動会といった行事には、欠かさず参加してくれていた。今にして思えば、かなり無理をして時間を作っていたのに違いないのだが、そんなことをこれっぽっちも感じさせなかった。
剣道部に所属していた中学生の頃、試合相手を突きで失神させてしまい、その生徒の親から行き過ぎた抗議があった際にも、自分の目が行き届いていなかったせいだと説明し、直哉を責め立てることなく、頭を下げてくれた。
高校に進学してからは、いよいよ自分の実力が、父ほどのものでは無かった……おまけに父とは血の繋がりが無かったことにショックを受け、自虐的になって反発ばかりしていた時も、
「直哉、そうやってくさっていたって、お前と私は法的には親子だ。お前だって、血の繋がりだけが親子だと思っているわけではないだろう?問題はお前の中にあって、本当に血が繋がっているとか、そんな事は関係が無いことに気付いているはずだ。いい加減、拗ねるのは止せ。……まぁ、私も直哉に本当の事をずっと言えなかったのは、お前に『本当の父親じゃない』と思われたくなかったからだけれどな……。ははは、お互い様の似た者親子じゃないか!」
そう言って、珍しく声を上げて笑う父の顔が、つい先日の事の様に目に浮かぶ。そうだ……自分は、父に対してコンプレックスは持っていたが、普段は無口でろくに会話をしない、無愛想な父であっても、心から尊敬していた……そのことに今更ながら気付いた。
「誰が何と言おうと、俺の親父はあの人だけだ。あんたにそれを否定する権利は無いはずだろう?違うか?」
「……ま、そうだな。」
直哉の声音に不穏な響きを感じ取ったからか、麻生はあっさり肯定し、引き下がった。その後、凶器になる可能性のある物ということだろうか、ベルトやネクタイ、それにネクタイピンも取り上げられ、また逃走防止の為か、靴もサンダルに取り替えられた。
直哉もそれ以上抵抗せずに押し黙ったまま……他にすることもなく、時々車窓から見えるイルミネーションを目で追う。ただ、本来であれば綺麗なはずのそれらが、今の彼にはやけに寒々しく感じられた。
六
その後、入念な身体検査をされ、留置場への入場手続が行われると、先に取り上げられていた物品の内、財布だけは返還された。どうやら、これだけは凶器になり得ないと判断されたらしい。そして、たまたまなのか故意なのかはわからないが、直哉が留置された部屋は、自分一人しか居なかった。気を遣わないで済むという点では有難かったが、その事件の当事者でなければ、新聞記事に目を通すことも可能であるはずだから、誰か他の人が居れば、自分が逮捕されることになった経緯の報道内容を、尋ねることが出来ると思っていたのだが……。残念ながら、それは叶わなかった。
「……虎次郎のヤツだけにでも、連絡出来たらなぁ。」
思わずそう呟く。結局、彼とは入れ違いになったまま、自分は連絡手段を絶たれたままだ。虎次郎自身は、彼の母親から何かしらの情報を得ているかもしれないが、今の状況では、上司や同僚達、それに直哉の担当する得意先に、大変な面倒をかけてしまったことを釈明するのは困難だろう。流石に今更会社に申し出たところで、放火殺人の容疑で捕まった自分を、そのまま在籍させる様なことはないであろうが、せめて『自分は絶対にやっていない』という弁解くらいはしたかった……そう思った。
与えられた夕食を食べ終え、正座の体勢のまま物思いに耽る直哉の元に、警察官が三名現れ、一人が直哉のいる部屋の鍵を開けると、残りの二名が中に入ってきた。そして直哉に、
「今から聴取を行う。立て。」
係官の一人がそれだけ言うと、再び彼に手錠を掛け、腰ひもを巻く。そして、二人に挟まれる様なかたちで、その場から移動を始めた。
(しっかりしろ!自分はやっていない……とにかく、そう言い続けるんだ!)
事情聴取を前に、自分自身に喝を入れる。そう、これは明らかな誤認逮捕だ。どんなに過酷な取り調べをされたとしても、やっていないことをやったと言える訳がない……そう自分自身に言い聞かせ、萎えそうになる心を奮い立たせた。
そうして、ある部屋に入る様、指示される。予想通り、机と椅子が置かれていて、手錠と腰ひもをされた状態のまま、椅子に座る様に命じられた。ただ、その部屋に入った時、直哉を逮捕した刑事である麻生が居たことを、全く不自然に思わなかったが、何故か『羽田記念病院』の羽田医師が、部屋の片隅に立っていて驚く。思わず、
「羽田先生?何故、あなたが……?」
と、直哉が問いかけるのとほぼ同時に、後ろに立つ係官に背中を押され、机の上にうつぶせにさせられた。
「な、何を……!?」
直哉の疑惑と抗議の声にもお構いなしに、更にもう一人が頭を押さえつけにかかる。両手に手錠を掛けられ、更に腰ひもで身体に固定されている為、まったく抵抗出来なかった。その状態の直哉に、羽田が近付き、おそらく彼が持っていたのであろう何かを、首に巻きつけられたらしく、一瞬ヒヤリとして吸い付く様な感触がした。その直後、首回りに無数の針で刺し貫かれる様な痛みを感じて、思わず悲鳴を上げる。直哉の声に反応するかの様に、体を押さえつけていた係官二人が手を放し、そしておもむろに腰ひもと手錠を外した。すぐさま自由になった手で、自分の首をさすってみるが、何かに触れている様な感覚は伝わってこなかった。だが、首回りを一周する様に、先程の様な強烈な痛みでは無いが、チクリとする感覚がわずかにある。特に首の後ろ……脊椎の周辺は強い違和感があった。
(今のは、何だったんだ……!?)
茫然と羽田を見つめる直哉に、彼はニヤリと笑いながら、
「新城君……驚くのはまだ早いよ?」
次の瞬間、脳天に雷が直撃したかの様な衝撃を受け、椅子から転げ落ちる。一瞬、目の前が真っ白になり、無数の火花が散った様に見えた。おそらく時間にすれば、十秒程度だったのに違いないが、まるでスローモーションの様に長く感じられた。
羽田は床に這いつくばったままの直哉を見下ろしながら、
「ほう。やはりこの程度では、何とも無いのか……。」
「……え?」
直哉の疑問の声に、羽田は仕方が無いとでもいう様に肩を竦めると、壁際まで下がった。するとその直後、頭上からハンマーを叩きつけられたかの様な衝撃を感じて、声にならない悲鳴を上げながら、床を転げまわる。衝撃を感じたのは、やはり先程と同じ位の短い時間だったのであろうが、しばらくの間、まったく動けなかった。ようやく荒い息を吐きながら、何とか上半身を持ち上げようとする直哉を見て、羽田は満面の笑みを浮かべながら、手を叩き、
「素晴らしい!これだけの衝撃を与えても、君はまだ動けるのだね!」
羽田のはしゃぐ様な声が聞こえるが、直哉は床に這いつくばったまま、ガンガンと痛む頭を、何とか持ち上げるだけで精一杯だった。
「……一体、どういう事だ?これ……何だよ!?」
そう絞り出す様に言いながら、震える手を首元にやる。触っても分からないが、やはり首に何かが巻かれているのだ。そう問い詰める直哉を一瞥しながら、
「『ワンネス・システム』用のリストバンドを玩具とするならば、それは精密機器だね。」
「……え?」
羽田の答えに茫然としたままの直哉に向かって、彼はニヤリと笑い、
「あれは、あくまでそれに近い体感を得られるモノにすぎないからね……。君の首に着けたものは、感覚だけでなく、実際物理的な事象も、ある程度なら具現化出来るんだよ。だから『普通の人』なら、今君に与えたのと同レベルのインパクトでも、命に係わるダメージを脳に受けただろうね。」
直哉は混乱していた。今、一体自分に何が起こっているのか、全く理解出来ずにいた。救いを求める様に、係官達を見上げるが、皆無言のままだった。麻生も、昨日は自分に対してあんなに居丈高な態度を取っていたのに、今は心なしか青ざめている様子だった。
「どこまで耐えられるのかな?だが、死んでしまっては、元も子もないし……。」
羽田が物騒な事を呟きながら、自分の手元を覗き込む。彼のメガネ型ウェラブル端末に、若干光が反射するのが見えるところをみると、どうやら先程から、直哉の首に巻きつけた何かを、あれでコントロールしているのに違いなかった。
(『ワンネス・システム』と同じ原理……?何にせよ、あれで操作させなければ、さっきみたいな事は出来ないはずだ……。)
とにかく、隙を突くしかない。直哉は、羽田の気を何とか逸らす方法を考えながら、
「俺が何故耐えられたのか……あんたは知っているんだな?」
その質問に、彼はニヤリと笑いながら、
「君は何も知らなかったみたいだね。新城先生もヒドイなぁ、少しは話してあげればよかったのに……。まぁ僕も、君の血液を見なければ、わからないままだっただろうけれどね。」
血液……会社の健診での血液検査の際、異物が混入し、『要再検査』になったのが発端なのか……?羽田の答えたことに驚きつつ、さらに先を促す為に、質問を繰り返す。
「親父は何か知っていたということか……?」
「知っているも何も……君を創り上げたのが、当時の僕や新城先生を含む、帝大の研究チームだったんだよ。」
「え……?」
羽田の言っていることが、全く理解出来なかった。創り上げる……?一体どういう意味なのだろう?茫然とする直哉に向かって、羽田は全く躊躇わず、
「要するに君は人間ではない、ということだ。まぁ、人間という生物を、我々の様な人型と定義するのであれば、少なくとも地球上のいずれの人種にも当てはまらない……とでも言えば良いかな?そうそう、君の血液の『異物が混入』というのは、検査機では判別出来なかったという意味だよ。そりゃあそうだよね?人間では無い、別の生物の『血液』なんだから、それ自体が『異物』になるに決まっている。」
人間ではない?地球上のいずれの人種にも当てはまらない??訳が分からず、パニックに陥りそうになる。だが羽田は、直哉の戸惑いを笑い飛ばす様に、
「もっとも、君は我々が創り出したのだから、地球生まれ……ということにはなるね。ほら、伝承などで、神社仏閣に何かのミイラがご神体として保管されている……という話を時々聞くだろう?もちろん眉唾なものもあってね、伝承では、『かっぱの手』とされていたご神体が、実はただのカワウソやヘビの体の一部で、遺伝子検査をすれば判明するものも随分あったと聞いたが、当時の研究チームは、それらの中でも遺伝子検査では判明しなかった生物の、iPS細胞を作製することに成功したんだ。そして、それを元に受精卵を創り上げ、様々な生物を誕生させようとした。その一つが君だったというわけだよ。」
「……。」
羽田が話している言葉は分かるのに、内容を理解しようとする力が、今は失われていた。もし本当に、ある生物のiPS細胞から受精卵を作製したのだとしたら、当時はまだ認可されていない……現在でも、不妊に悩むごく一部の患者にのみ許されている技術であるはずなのに……自分でも違和感を覚えるところがそこであったことに、内心苦笑した。
黙り込む直哉に、羽田は少しおどけた様な顔つきをして、
「ただ君は、誕生から半年程度で死亡した……と、僕は聞かされていたんだけれどね。ある程度の耐性が付くまでの期間は、誕生させた生物たちを『創造班』が管理していたから、君が『人型』をしていたということも知らなかったし……。血液だけは既に調査対象に入っていたから、君の検査用の血液を見て、当時のサンプルのものと同じだと気付いたんだ。でもまさか新城先生が、君を自分の子供として育てていたとは……そんなの、全く想像して無かったよ。」
『人型』……その言葉に、自分は一体どんな生物から創られたのだろう、と考える。ホラー映画に登場するエイリアン?それとも、昔話に出てくる妖怪だろうか?……こんなことを考えている自分自身、ショック状態で、既にまともな思考回路を持ち合わせていないのだろうな……そう、ぼんやりと思った。そんな直哉の様子に全く気付いていないのか、それとも気遣う必要など無いと考えているのか分からないが、羽田は先程までとは違う、冷ややかな声で、
「それにしても、彼はなんという余計な事をしてくれたんだろう。おかげで、君にはこの社会で生活する権利が与えられてしまっていて……それをリセットさせるのは、大変な骨折りだった。」
その言葉にハッとなる。自分を陥れたのは、間違いなくこの男だと分かったからだ。
「まさか……あんたが、親父を殺したのか!?」
突然声を荒げた直哉を一瞥し、先程よりもさらに冷ややかな声で、
「人聞きの悪いことを言わないでもらいたい。ひとまず君を、元通り実験用サンプルとして引き受けたい、うちの病院ならその為の機材も充実しているから……と、新城先生に交渉に行ったんだ。元々君は、新城先生を含む、帝大研究チームの『創造班』が、ヒトより優れた治癒能力を持つ……つまり細胞分裂の早い生物を、実験を重ね誕生させたものなのだよ。……そうそう、君は『黄金の血』と呼ばれる、Rh null型の血液を持つ人が、ごく少数だが存在するのを知っているかい?」
突然の質問に、出鼻を挫かれた様な思いをしつつも、頷く。ABO式の血液型全てに輸血が可能な、Rh null型という血液を持つ人が存在することは、簡単な知識程度には知っていた。実は今の会社に入るまでは、知らなかったのだが……。
直哉の反応に、羽田は先程までとは打って変わって、人懐っこそうな笑みを浮かべる。
「君の血は、言うなれば『プラチナ・ブラッド』だね。治癒能力が人間の十倍以上早いんだ。だから君自身、子供の頃に酷いケガをしたり、病気を患ったという記憶は無いんじゃないのかな?」
そう言われて、意識を過去へと送る。確かにケガをしたことはあっても、大抵の場合、一晩眠れば翌朝には完治していた。ちっぽけなものなら皆、そんなものだろうと思い、あまり深く考えたことは無かったのだが……。それに、度々学級閉鎖になったクラスに居たのに、自身はインフルエンザなどの感染症に罹った記憶も無い。要するに、現在に至るまで血液検査が必要となる程の病気にかかったことが無かったのだ……考え込む直哉に向けて、羽田は更に話を続ける。
「それにね、初めの内は提供された側に拒絶反応が若干あるものの、後からその生物の体内でも、治癒的な働きをすることが分かったんだ。それで当時、僕達の『医療班』が、その特性を医療の発展に活かす為に、君をサンプルとして使用するはずだった。だが新城先生は、君は死んだと偽った上、あまつさえ所有権は当時研究チームに所属していた全員にあるというのに、独り占めしている状態だった……。しかも彼は、折角の研究成果を生かすどころか、その後の研究自体を行っている様子が無かったから、そんなのは宝の持ち腐れだと言って、説得したんだよ。」
そう話す羽田の姿に、薄ら寒いものを感じる。彼にとって、直哉の存在はあくまで『実験用サンプル』だということだ……。苦々しく顔を顰める直哉に、さらに畳み掛ける様に、
「我々の仲だし、今までの事はもう無に帰するから、本来の研究を再開させる為、新城先生も協力して欲しい……こちらから、そう譲歩したんだ。それなのに、彼は拒絶した。君は既に自分の息子で、社会的にも人間として生活することが認められているから、一切手出しはするな……とね。まさか、実験用サンプルに情を移すとは……彼の変貌ぶりには、本当に呆れたよ。」
まるで理解出来ないとでもいう様に、二、三回首を横に振る仕草をし終えると、今度は直哉の目を見て、
「そこで、仕方なく強硬手段に出ることにした。新城先生から君という『息子』を切り離すのと同時に、君自身も社会から離反した存在にしなければならない……要するに、父親を殺した……ということにすれば、そのどちらも達成出来るだろう?」
まるで良いことをして、褒めてもらえると思っている子供の様に、無邪気な口調でそう話す羽田を見て、直哉は更に顔を顰めた。
「確かに、新城先生を失ったことは痛手だったが……君さえ手に入れば、我々だけで研究を進められるしね。」
そう言う、羽田は初めて少し寂しそうな表情をしたが、すぐに元通りの無邪気な笑みを浮かべる。そんな彼の顔を見て、直哉は思わず身震いした。
要するに……直哉を社会的に陥れ、本来の、『医療の発展に活かす』ことを目的として造られた『サンプル』として扱う為には、父を殺す必要があった……ということだ。彼は全身の血が沸騰するのではないかと思う程の怒りを覚えた。思わず、羽田に飛び掛かろうとする彼を、係官二人が押さえ付けに掛かる。両腕を掴まれた不自由な体勢のまま、
「それなら、あの時……俺があんたの病院に再検査に行った時に、俺をそう言って説得すれば良かったんじゃないか!俺が応じなかったら、力ずくで拘束すれば良かったんだ!そうすれば、少なくとも親父は死なずに済んだ……そうじゃないのか!?」
そう羽田に怒鳴りつけたが、彼は何を言っているんだとでもいう様に、呆れた表情で、
「それだとまるで、僕が君を監禁したかの様に思われて、血迷った新城先生に訴えられてしまったかも知れないじゃないか。それに君自身にも、既にコミュニティが出来上がっていたから、突然君が居なくなれば、関わりのあった人達に不審に思われるだろう?でも君は本来、マウスやモルモットと同じ『実験動物』なんだ。それなのに、こんな手の込んだことをしなければならなくなって、今回は僕だってほとほと参ったんだよ。本当なら、すぐにでも研究を再開したいところだが、僕にも本来の仕事があるしね……。とりあえず『抑制モード』にしておくから、今のうちに彼をうちの病院へ運んでおいてくれないか?」
二人の係官に向けて、そう言い終わった瞬間、直哉は糸の切れた操り人形の様に、その場に崩れ落ちる。係官二人が必死で助け起こそうとするが、全く力が入らなかった。まるで首から下の神経が無くなってしまった様に、何も感じない。係官の声で、自分が失禁していることに気付くものの、その感覚すら分からなかった。その様子を見ていた羽田が、
「そうだ、良いことを教えてあげよう。実は君の首に巻いたものは、君の血液から作製したiPS細胞を使って培養し、造り出した皮膚状組織に、『ワンネス・システム』を応用した細工を施したものだ。今はまだだが、あと十二時間程度で文字通り、君の身体と一体化する。そうすれば、脳細胞へ神経繊維が伸びた状態になり、僕が君自身を自由にコントロール出来る様になるんだよ。今は『ワンネス・システム』より出力自体は大きいが、せいぜい運動能力を抑えたり、痛みを与えることしか出来ないがね。間もなく意識を失うことになるから、今のうちに『人間』として生活をさせて貰えていたことに対して、君の父上に感謝しておくといい。まぁ、目覚める頃には、何も分からなくなっているだろうけれどね。」
羽田を睨んでやろうと思うのだが、体が全くいう事をきかず、顔を向けることが出来なかった。やがて、ドアの開閉音が聞こえ、羽田がこの部屋を出て行ったことを悟る。
父を殺された悔しさと、自分が置かれた境遇への絶望感から涙が溢れ、止まらなかった。その後しばらく、自分でも何を言っているのか分からないことを罵り、喚きながら……腹筋にも力が入らない為、周りには唸り声の様にしか聞こえなかっただろう……泣き続けた。何故か麻生がずっと隣で、「何でこんなことに……。」などと呟きながら、頭を撫でてくれていた。
七
その夜、虎次郎は直哉が警察に連れて行かれたと、帰宅してから母に聞かされた。そのしばらく後、ニュースの速報などで、「先日の火事で死亡した医師の息子が、自宅を放火した疑いで逮捕」という情報が流れたものの、警察から自分たちへ事情の説明は一切無かった。恐らく直哉本人は、いずれかの警察署内で留置されているはずだが、確か一定の時間が経過しなければ、連絡を取ることも、面会も不可能で、一刻も早く状況を知りたい虎次郎は、現時点では気を揉む事しか出来なかった。
(それにしても、皆どこに目ぇつけてんだ?直哉が親父さんを殺すなんて……そんなことするわけねーだろ!?見てわかんねーのか?)
今朝、虎次郎にしては珍しく、電子版新聞やネットニュースだけでは満足出来ず、情報欲しさにテレビのニュースも見ていたが、チャンネルによっては、直哉が養子だったことで、親子の間に確執が有った……などと、近所の人のインタビューなどを組み合わせて、ある事無い事報道している番組もあり、思わず心の中で毒吐く。
虎次郎の苛立ちを承知しているのか、それとも、直哉の逮捕にショックを受けている為か、いつもなら慌ただしく「早くしないと遅れるんじゃないの!?」などと、おせっかいな事を口にする母も、ずっと押し黙ったままだった。
テレビの報道を見ているのも馬鹿らしくなり、電源を切ると、母が我に返った様に、
「朝御飯……食べる?」
そう尋ねる。だが、眼の焦点が微妙に合っていない様だった。ぎこちなく虎次郎が頷くと、夢遊病者の様にフラフラと立ち上がって、台所のカウンター内へと入って行った。
やはり、母は昨日の出来事がショックだったのだろう。直哉の逮捕はもとより、彼が家に戻るまでは、母が刑事たちの相手をしなければならなかったらしく、彼女曰く、針のムシロだった……というのは、大げさな表現では無いに違いない。
虎次郎は、直哉の父が亡くなり、彼が自分の家に居候をするようになってから、あまり寄り道をせずに帰っていたのだが、昨日に限って、営業所で係長につかまり、定時に帰れなかったことが、今更ながら悔やまれた。
「母さん……俺、しばらく会社休むから。」
いつもの様に、御飯と味噌汁を目の前に置く母に、そう声を掛けると、彼女は顔を顰めながら、
「どうするの……?」
「昨日来た刑事、『警視庁、捜査一課の麻生だ』と名乗ったんだろ?とにかく、そいつに会って、話をつける。」
虎次郎の言った事に、目を丸くして、
「あんた……会うったって、そんなに簡単にいくと思うの?」
「とにかく、俺にやれることをやってみたいんだ。でないと、直哉が今どこに居るのか……そんなことだって、俺らわかんないままだしさ。」
そう言って意気込む虎次郎に、母は珍獣でも見る様な目つきで、
「うちのバカ息子が、珍しくヤル気になってる……。」
「うわぁ!それ、チョーひどくねぇか?」
虎次郎の抗議に、母は声を上げて笑いながら、
「頑張んなさい、きっと新城君は、あんたの助けを必要としてる。」
母の目に光るものがあったのは、気のせいでは無いだろう。それには気付かない振りをしながら、ご飯を口元へ運ぶ。そして……虎次郎は直哉と出会った約四年前の事を思い出していた。
虎次郎の父は、口うるさい小心者タイプだ。母はさばけた性格で、細かいことには口出ししないのだが、父は自分たちが子供の頃から、自分や姉が何か父の気に入らないことをしたり言ったりすると、大抵ものすごい剣幕で怒り出した。それがイヤで堪らなかったのだろう、二つ年上の姉は、二十歳そこそこでさっさと結婚し、家を出て行った。その時も、一悶着あったらしいのだが……その頃になると、父は虎次郎に直接的には何も言わなくなっていた。
それには理由があった。虎次郎が中学生の頃、まだ彼の背が父より低い間は、いつも怒鳴られていたのだが、虎次郎の方がやや大きくなった頃、訳の分からない事をいつまでも怒鳴り散らす父に嫌気が差し、思い余って突き飛ばすと、彼の肋骨が数本折れてしまった。
その出来事があってから、父は虎次郎には何も言わなくなり、何かあると、捌け口は姉へと向けられることになってしまった様だ。その後、父に申し訳ないと思う気持ちはもちろんあったのだが、自分は悪くないという思いと、父が無様に自分の様な子供に負けた事……そんな父を情けないと感じ、総じて家族にも嫌気が差して、部活動に打ち込む毎日を送った。
恵まれた体格もあって、虎次郎はバスケットボールで頭角を現し、推薦で大学にも入った。しかしある日、不運な怪我が彼を襲う。右膝靱帯断裂……もちろん、iPS細胞を使用した手術を行えば、元通りの……プロでも活躍出来るレベルまでの回復が望めたであろうが、保険が適用されるのは、通常の生活レベル……iPS技術を使わない回復手術だけだった。すでにプロの選手として活躍しているのならともかく、そんな保険適用外の高額な手術費用を支払える経済的な余力が、一学生に有る筈無く……親も、おそらく自分を大学に行かせるだけで精一杯だろう……虎次郎は断腸の思いで、バスケットボールを諦めざるを得なくなった。
今の会社に入社したのは、それまでの虎次郎のバスケットボールでの活躍を汲んではくれたものの、決して簡単に内定を取れたわけでは無く……高校、大学とは違い、バスケットボール以外の力だけで、勝ち取ったものだったのだ。
そんな折、間もなく入社を控えた新年の内定者懇親会で、初めて直哉に会った。入社試験や面接、また内定者の集い等で一度も顔を合わせたことが無かった事に疑問を感じていると、彼は父親が医者で、その口利きで内定を貰った……という噂が聞こえてきた。
中小企業のサラリーマンに過ぎない、あの情けない父しか居ない虎次郎にとって、父親が医師という地位にあり、おまけにその力に頼って、あっさり就職まで決めてしまったという直哉の存在は、自分の無念の挫折とも相まって、何とも許し難く映った。皆の目の前で、そのことを問い詰めるのは気が引けたが、全員が周知の事実であるにも関わらず、誰も尋ねようとはしない……だが、彼の居ないところで批判をしているヤツも居ることを知り、虎次郎としては、正々堂々と尋ねたいと考えた末の行動だった。
すると直哉は、虎次郎の剣幕に困惑した表情を浮かべつつも、
「父が医師であることも、彼の伝手でこの会社に就職を決めたことも事実だが……俺は養子で、父と血の繋がりは無いんだ。それに……父は優秀だが、俺はそんな父の力を頼らなければならない程度の、つまらない人間にすぎない。ただ、『優秀すぎる親』というのも、子供にとっては結構辛いものがあるのだけれどなぁ……。」
そう目を伏せながら、自虐的に答えた。虎次郎は、伝手のことをあっさり認めた直哉に、内心驚きつつ、
(つまらない……たって、東部大の工学部だろ?俺から見れば、十分優秀なんだけど。)
そう思ったものの、自分と置かれている立場は全然違うのに、実は家族の中で一人居心地悪く感じている……という点は、似ていることに気付いた。
そうして虎次郎は、直哉の言い訳をしなかった潔さ……しかも、開発部門ではなく、自分と同じ営業職を希望したことで、妬みや羨望の気持ちが、いつしか親しみと信頼へ変化していた。それに、彼の境遇を知ったからこそ、父とは仲良くとまでいかないにしても、顔をあわせれば、挨拶位は交わす様になったし、母や姉に対しては自然に接することが出来る様になったのだ。言うなれば、自分と家族の仲を修復してくれた恩人、ということになる。
直哉自身は、虎次郎と出会ったことによって、父親に対するコンプレックスを克服出来たかどうか、知る由は無かったが、直哉が父親を尊敬するあまり、却って自身を自虐的にさせている、ということには気付いていた。気丈に振る舞ってはいたが、それ程尊敬する父を失った直哉の心の痛みは、計り知れないだろう。そこへ追い打ちを掛ける様な今回の逮捕劇に、虎次郎は何か言い様の無い悪意が働いている……と感じていた。
(直哉、待ってろ!麻生とかいう刑事をとっ捕まえて、ゼッタイに無実だって訴えてやる。)
食事を終えると、会社の電子掲示板へアクセスして有給の申請をし、足早に自宅を出た。