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発端

初の近未来モノ?です。執筆途中の作品ですので、更新がものすごく遅くなるかも知れませんが、気長にお付き合い頂けたら幸いです!

 一

「はぁ……。」

一体、今日何度目の溜息だろうか?高く澄み切った秋空を見上げながら、新城直哉しんじょう なおやは途方に暮れていた。彼の鬱々とした心中とは裏腹に、吹き抜ける爽やかな風が、心地良い季節の到来を告げている。全身汗にまみれながら、街中を駆け回っていた夏場を思えば、随分と快適な環境になったものだが、それとこれとはまた別だった。

 医療機器製造販売会社である、株式会社メディテックに入社し、営業の仕事をするようになってから、三年半の月日が流れていた。就職活動が一段落した約四年前の年の瀬、内定を取っていた電機メーカーが突如破産申請をし、就職それ自体が白紙に戻った為、総合病院に医師として勤務する父の紹介で、何とか今の会社への就職にこぎつけることが出来た。ただでさえ、医者になる遺伝子を受け継がなかった直哉は……血の繋がらない父である為、元より遺伝することは無いのだが……引け目を感じていたのに、彼に対するコンプレックスは、その出来事からさらにいや増すことになったのは、言うまでもない。

 しかし今、直哉が途方に暮れている理由と、そのコンプレックスは全く関係が無かった。

 山中伸弥教授が、ノーベル生理学・医学賞を受賞してから約二十年が経つ現在、iPS細胞を使用した医療技術が飛躍的な進歩を遂げ、また、医療用3Dプリンターの普及により、ヒトの臓器を作製することが比較的容易となった。それに伴い、臓器移植法も大幅に改正され、iPS細胞から培養された臓器であっても、一定の基準を満たせば、移植を必要とする全ての患者に対して行える様になり、それまでは一部の専門的な技能と知識を持つ、国立系の医療法人等でなければ行えなかった移植手術が、医師さえ技能を身に付ければ、地域の総合病院レベルでも行える様になった。そのことにより、移植を希望する患者数も爆発的に増え、どの病院でもこれまでの治癒医療ではなく、移植再生医療がより重視されることとなった為、メディテックの様な医療機器を取り扱う会社は、帰路に立たされていた。

 何故なら、治療や検査に必要とされる機器の販売が落ち込み、転じて細胞を培養し、臓器を作製する為の機器や、移植手術の際に、サポートを行う機器等の販売が伸びる……といった現象が起こり、会社の主力製品が急速に入れ替わりつつあるからだった。

 日本でももちろん、移植医療の最新機器等は開発されていたものの、『法律の壁』が自由化を阻み、なかなか一般に普及することは無かったのだが、臓器移植法改正後、一気に受注が増え、製造が追いつかないといった悪影響が出始めていた。もちろん、直哉の勤める会社でも製造販売や海外製品の代理販売も行っているのだが、やはりそれらの製品の供給が需要に追い付けずに、受注をストップせざるを得ない上、元来の主力製品は販売が落ち込んでいる為、会社を取り巻く環境が厳しいことに何ら変わりはなく、今日も営業活動に苦戦していることが原因だった。

 重い足を引き摺りながら、営業車を停めているパーキングへと向かう。このまま会社へ戻れば、間違いなくまた係長から嫌味をねちねちと聞かされる羽目になるだろうが、致し方ない。

 プルルルル……

 その時、ウェアラブルデバイス……メガネやリストバンドの様な、身に着ける形状のデジタル端末で、直哉はリストバンドタイプを使用している……から、音が鳴り響く。着信を知らせるコールだ。先日の直哉の営業先で中堅病院の『成田クリニック』と、ディスプレイに表示されていた為、急いでフリックする。

 「メディテック、第一営業部の新城です。……そうですか!ありがとうございます。いえ、大丈夫です、すぐに伺いますので。」

 通話を終え、小さくガッツポーズを取る。先方の、検討しておくとの言葉通り、直哉の会社から検査用機器を購入すると、連絡が入ったのだった。早速契約の手続きをしたい、との申し出に、急いで車に乗り込む。先程までの憂鬱さは、すっかりどこかへ消え失せ、晴れ晴れとした気分で、ハンドルを握った。

「どうですか、『景気』の方は……?」

販売契約に関する手続きを終え、成田クリニックの事務局長を務める中川氏に、そう問いかけると、彼は苦虫を噛み潰した様な顔つきをして、

「うちみたいな小さな病院は厳しいね。今までなら簡単な手術をするだけで治すことが出来ていた腫瘍ですら、近頃の患者達は皆『転移するかもしれないから、新しいのと取り替えてくれ!』って、こうだろ?機械の部品交換じゃあ無いんだから、そんなに簡単にいかないよ!と、説明するんだけれど……まぁ初期の患者なら費用の面もあるから、大抵引き下がるんだが、ステージが進んでいる場合なんかは特に、替えろ替えろとうるさくて。今までの技能しか持たない医者だけじゃあ無理だから、移植技術を習得した先生を何とか迎えたんだが、給料の面で大変でねぇ。でも仕方が無いね、患者達が求めるものを提供するのが、医療従事者の務めだから……。それに、うちはまだラッキーだよ?これ位の規模の病院じゃあ、移植技術を習得した医者の確保自体が難しいからねぇ。」

「改正・臓器移植法の施行以降、医師の確保がより難しくなったとは聞いていましたが、こちらの病院でも、そういう事情がおありなのですね……。お察しします。」

それは本当の思いだった。こうした悩みは、営業先をまわっていると、毎日の様に聞かされているからだ。残念だが、医療の発展に対し、それに従事する人間の能力がついてゆけていないのも、今日の日本における現状であった。

「そちらさんも大変だろうけれど……まぁお互いに頑張るとしましょうか。」

「そうですね。ありがとうございます。」

この気さくな事務局長の額に刻まれた、以前より深くなった皺を見つめながら、礼を述べた。


 二

「ごめんね、直クン。あれから私、熱が出ちゃって……。」

意気揚々と営業活動を終えた金曜日の夜、付き合っている芝谷明希しばたに あきと一月ぶりに会った。明希とは大学のサークルが一緒だったが、当時はそれぞれに付き合っている彼氏、彼女がいたこともあって、ただの友人の一人にすぎなかったのだが、卒業してから二年後の元サークル有志達の集まりで再会した際、二人ともフリーになっており、自然とそういう流れになった。

昨夜は、明希がリクエストした店で食事をした後、一人暮らしをしている彼女の部屋に行き、久し振りだったことも手伝って、かなり激しく抱いた。そして、休日である土曜日の今日、二人で映画を観に行く約束をしていて、直哉は流石に背広のまま……という訳にはいかず、朝になって一度自宅へと戻った。夕方からの上映分で予約を取った矢先に、明希から連絡が入ったのだったが……。

映画業界も一時期低迷の時代を迎えたが、約十年前、既に一般に普及していたウェアラブルデバイスの、更に進化形である、『ワンネス・システム』と呼ばれる、さながら登場人物の一人になって、映画の中に入り込める鑑賞方式が登場し、現在ではそれが一般化した為、業界全体が再興しつつあった。

  『ワンネス・システム』とは、まず登場人物……主人公で無くとも構わないが、それに対応しているのは、大抵主要な登場人物数名に限定されている……の中から、自分のお気に入りを選択、設定すれば、五感のすべてがその登場人物と一体化し、映画の世界に入り込むことが出来る鑑賞方式のことだ。そして、それを可能としているのが、『ワンネス・システム』専用のリストバンドで、大まかな言い方をすれば、装着すると痛みを感じない程度の針が出て、そこから神経に向け、様々な信号が送り込まれることにより、登場人物の感じている視覚、嗅覚等が、まるで自分の感覚の様に感じられる仕組みとなっている。

 ただそれには、医療用として既に使用されていたiPS技術……ほぼ拒絶反応を無くし、より一体感を得られる様にする……が使われており、もともと心臓にペースメーカーを付けている人や体調のすぐれない人、精神的な病を患っている人が使用すれば、重大な事故に繋がりかねないとして、機器を装着した際、体温や心拍数、血圧等をスキャンするシステムが搭載されている。その為、今日の明希の体調だと、完全に門前払いになるのは、目に見えていた。

 もちろん、医療用としての『ワンネス・システム』……下肢に障害のある人のリハビリ用として、実際に歩行を可能とさせる、あるいは盲目の人が、視覚神経の状態によっては『視る』ことを体感させる為の機器はあるが、あくまでハンディキャップを持つ人の為の実用性を重視しており、当たり前だが、映画用の様なエンターテインメント性からはかけ離れている。

 この、従来の『ウェアラブルデバイス』とは異なる最大の特徴……元は医療用として開発された技術ということが、市販化を妨げているパラドックスとなっているのだが、実は裏ルートでは、ドラッグ類と同じ様な恍惚感を与える『ワンネス・システム』機器が販売されている……というウワサを耳にすることもあった。

 それはさておき、今の直哉は、明希の心中を察することが最優先だった。

 「そんなの全然構わないって!それより身体の方は大丈夫なのか……?」

 公開が決まってから、彼女が何度も行きたいと話し、心待ちにしていた映画で、しかも、今日はその公開初日の為、直哉は体調もさることながら、彼女の気持ちを気遣い、そう声を掛けた。

 「……うん。」

 受話器の向こうから、明希の弱々しい返事が辛うじて聞こえる。さぞかし残念に思っているのだろう。

 「今日はもう無理するなよ?初日に行けないのは残念だろうけれど……近々行けば良いんだから。」

 「……。」

 元気付けるつもりで、そう言ったのだが、彼女からの返事がない。もしかして、泣いているのだろうか……?そう考える直哉の耳に、突然信じられない言葉が飛び込んできた。

 「ゴメンね、直クン……私達、別れよ?」

 「……は?」

 直哉はかなり素っ頓狂な返事しか出来なかった。しばらくの沈黙の後、

 「どうしてだ?訳が分からない……俺の事が嫌になったのか?」

 なるべく落ち着いた口調で、そう尋ねる。だが、少しでも油断すると、大きな声を上げてしまいそうだった。すると明希は、まるで母親の様な慈愛に満ちた口調で、

 「……勘違いしないで?別に直クンが嫌いになったって事じゃないの。他に好きな人が出来たわけでも無い。ただ……」

 「ただ……何だ?」

 声を押し殺しながら、彼女に先を促す。完全に動揺していた。

 「直クンと、その……寝た後って私、必ず体調が悪くなるのよね。熱が出たり、気分が悪くなったり…。ずっと気のせいだと思ってた。たまたま体調の悪い時に当たったんだろうなって。でも……こう毎回毎回だと、何だか怖くなってきて……。」

 「……。」

 思い返せば、そうだったかも知れない。冬休みを利用して、明希とスキー旅行に行った時も、翌日彼女はゲレンデで具合が悪くなり、ホテルで寝ている羽目になった。この夏にグアムに行った際も、やはり到着した次の日に熱を出し、予定していたツアーに行けなくなったのだ。もちろん直哉としても、体調を崩している彼女に、求める様なことはしなかったから、どちらの場合もまたその次の日になると、明希の体調が戻り、旅行が終わる頃にはすっかり元気になっている……というパターンだったのだが。

 「だからと言って、直クンが悪い訳じゃなくて、私と直クンの、その……体の相性が悪いのかなぁ?と思って……。」

 彼女の、遠慮がちに話される言葉を聞きながら、直哉は大学時代のことを思い出していた。そう言えば、あの頃付き合っていた、高校時代からの彼女にも、同じ様な事が無かっただろうか?流石に経済的な余裕が無くて、一緒に泊りがけの旅行に行った記憶は無いが、確かにホテルには何度か行った事があった。そして、当時の彼女もやはり次の日、体調を崩したと話していた……唐突に、そんなことを思い出す。

 「……次から、必ずゴムを付ける。それなら大丈夫だろう?だから、考え直してくれないか?」

 過去の物思いを振り払い、懇願する様な口調で語りかける。だが、電話の向こうから小さな溜息が聞こえ、

 「ちゃんと付けてくれた時も、やっぱり気分が悪くなったの。今日みたいに熱は出なかったけれど……。その……前カレの時は、そういうことの後に体調が悪くなるなんて、一度も無かったから……。」

 最後は彼女が、「ごめんね、直クン……さよなら。」と声を震わせながら、通話を切った。

 だが直哉は、彼女を引き留めることが出来なかったことではなく、自分自身に対する疑惑で、頭の中がいっぱいだった。

 (もしかしたら俺は生まれながらに、何か障害でも持っているのかも知れない……それとも、タチの悪い病気にかかっているのか?)

 そう思うのには理由があった。就職してからの健康診断は、医療に携わる会社だということもあり、年齢に関わりなく、全社員に血液検査が課されている。もちろん大学時代にも、毎年健康診断はあったが、実験で薬品や放射線等を使用する学生はともかく、直哉は電気系専攻の中でも、そういった研究はしていなかった為、血液検査は課されていなかった。私的に献血等に行ったことも……まだ無い。子供の頃、体調を崩して血液検査をした……という記憶も無い為、実質的に社会人になってからが初めてということになるだろう。

 現在、会社での健康診断は、それぞれの部署ごとに受診する日時を指定され、派遣医療機関が執り行うことになっているのだが、営業社員は取引先の都合によって予定を左右される為、外部の医療機関を受診して、その結果を会社へ報告しても良いことになっており、やはり直哉も入社してから二年共、会社の健康診断の日時には都合がつかず、父の勤める病院で受けていた。それは、父の熱心な勧めもあったからだ。

 「会社に余計な経費を使わせるのは、申し訳が無いだろう。私が引き受けるから、直哉、お前は診断結果だけ報告しておきなさい。決して他所の医療機関を受診しない様に……な。」

 自分が先天的もしくは後天的にしろ、何か障害がある……それとも病気にかかっているのだとしたら……父の強引な勧めにも理由が付く。

 (もしかしたらHIVキャリア……?でも、セックスの相手の体調が、一時的に悪くなったりするものなのだろうか……?)

 検索サイト等で調べてみるものの、やはりよく分からなかった。分かったことと言えば、もしHIVを発症したのであれば、発熱や倦怠感は、発症時に現れる症状だと言えなくもない……ということだけだった。

 ただ、明希と付き合い始めてから約二年、それ以上彼女の症状が重くなることは、直哉が把握している範囲内では無かった。それに、もし直哉が感染源だとすれば、彼女以上に何かしらの症状が出ても良い様なものだが、ここ数年で特に体調が悪くなったという自覚は全く無かった。しかも明希の様に、突発的に熱が出たり、体調が悪くなることすら無い様な状況だ。

 直接父に訊く……という方法もあるが、あの人の事だ、きっと自分が本当に知りたい事など話してくれないだろう……取り付く島の無い彼の横顔が脳裏に浮かび、暗澹とした気分になる。もちろん、忙しいというのも理由の一つであろうが、自分が養子となった経緯を、まともに話してくれたことが、果たしてこれまでにあっただろうか……?

 自分の出生についての『真実』は、実は高校受験の際、戸籍謄本を見て初めて『養子』だということを知ったのだ。その時に問い詰めた父から、やっと聞き出せたのが、彼の勤める医療機関で、出産した親が失踪し、取り残されていた子供だった……ということだけだった。

 なぜ妻帯者では無い父が、幼子を引き取ることになったのか、自分の生みの親の親類などに連絡がつかなかったのか……?疑問は尽きなかったが、どれも曖昧な返事しかして貰えなかった。

 突然思い立って、洗面所に向かう。鏡に写る自分の顔……どこか具合の悪いところが有るのかどうかは分からないが、自分の目にはずっと疑問を持っていた。顔立ちは日本人だと言われれば、そう見えるのだが、瞳の色がどうしても腑に落ちなかった。黒や茶色ならば、もちろんそうは思わないが、自分のものは灰色掛かった深緑……余程光に照らされるか、間近で覗き込まない限り、気付かれることは無いのだが、明らかに日本人のそれではない。おそらく本当の親のどちらかが、日本人では無かったのだと思われるが、なぜそのことについても、父は話してくれないのだろう?それとも実は目の色は、日本人云々ではなく、自分の障害だか病気が原因なのだとしたら……?それが明らかになれば、自分がすぐにでも会社を辞めなければならなくなる……と考えた、あの人なりの気遣いなのだろうか……?

 すっきりしないまま月曜日を迎え、重い足取りで出勤する。実は同僚の、佐野虎次郎さの こじろうとその彼女、そして直哉と明希の四人で、次の週末、郊外の紅葉スポットへ出かける約束していたのだ。顔を合わせれば、土曜日に彼女と別れたと、そう話さなければならない。

 虎次郎はスラリとした長身のハンサムで、コミュニケーション能力に長けているから、社内から取引先、それに行きつけの飲食店の店員や果ては町行く人にまで、彼女には事欠かない。だがそれは、単純に女に対してだらしないということでは無く、彼がモテるからこそのことだろう。

 しかし、直哉が出会った時の虎次郎は、今の優男的な雰囲気では無く、現に直哉が父の紹介でこの会社に入ったという事に噛みついて来た、同期の中でただ一人の存在だった。直哉にしてみれば、コソコソと陰口を叩いているのに、自分の前では何事も無く振舞う連中の方が苦手だったので、ストレートにぶつかって来た虎次郎のことは潔い男だと、その時点で好感を持ったのを覚えている。ただどういう訳か、その後、虎次郎も直哉の事を気に入ったらしく、二人は言いたいことを言い合える、数少ない友人同士となった。

 そんな虎次郎ならば、週末までに彼女をつくれば良いのだと、そう言うに決まっているが、世の男全員がそんなに簡単に行かないという事については、ヤツは理解出来ないに違いない……そんな風に思いつつ、自分の席に着いた。

 「新城くん、これ回覧ね。」

 物思いに耽る直哉の目の前に、そう言ってタブレット端末を差し出したのは、同期入社の営業事務、矢島優衣だった。

 「サンキュ、矢島さん。」

 礼を述べつつ、回覧だという文書を確認した。今や社内の連絡事項は、そのほとんどが電子媒体で行われるのだが、時々情報を発信する部署の気まぐれで、紙ベース時代の名残なのか、タブレット端末が回ってくることがある。年配社員への気配りか、それとも社員同士のコミュニケーションを図ることが狙いか……?若手社員達の憶測はそんな感じだが、ただただ以前からのやり方を踏襲しているだけなのかも知れない。かくいう直哉も、自分あてに直接届くメールはともかく、電子掲示板の情報全てを毎日チェックしているわけでは無かった。他部署から発信されている内容まで確認すると、膨大な量になる為だ。

 『社員同士のコミュニケーション』といえば、今回覧用タブレットを手渡してくれた優衣は、虎次郎と同様に同期入社だし、週末に明希の代役で誘う、という手もあるのだが……。

 (そういうワケには……いかないよな。)

 彼女のはち切れんばかりの後姿を見送りながら、気付かれない様に溜息を吐いた。

 「あっ……!」

 回覧文書に目を落としたと同時に、思わず声を上げる。健康診断……今年度の社内で行われる日程が書かれていた。

 (営業部は……今週水曜?明後日じゃないか!)

 運良く……というか、悪くというべきか、その日は今のところ急ぎの予定は入っていない。出勤後すぐの時間帯に設定されているし、上手くいけば、社内で受診出来るだろう。そうすれば、父が隠している自分の真実が明らかになるかも知れない。

 (もしも『HIVキャリア』ならば、もうこの会社には居られなくなるだろうけれどな……。)

 もちろん、そういった感染病に掛かった人間でも、働き続けることが可能な会社は増えている。だが、例外的な企業が存在するのも確かで……ここは医療に携わる会社だというのも関係しているのだろうが、やはりその『例外』だった。

 自虐的な思いに駆られながらも、この内容が自分のウェアラブルデバイスでも見られる様に、スケジュールへ『健康診断 大会議室にて』と登録した。

 

 「よう、直哉。あれ……どうした?元気無いねぇ。」

 会社のエントランスホールで声を掛けられ、振り返ると、首を傾げる虎次郎の顔が目に映った。エレベーターの前で横並びになると、平均身長より若干背丈がある直哉でも、少し上を向かなければ彼の目を見ることが出来ない、端正な顔立ちの同僚を軽く睨みつけながら、

 「……朝飯食ってないから、腹が減っているんだ。」

 「あ、そうか!今日健康診断、あるんだっけ?しまった俺、食って来ちまった。」

 そう答えながらも、虎次郎はちっとも『しまった』という顔つきをしていない。エレベーターに乗り込みながら、どうせ行きつけの診療所の受付だか看護助手にお気に入りがいて、そこに行くつもりなのだろう……と考える。もしかして女医ならば、まさに当の本人……ということも、この男の場合、有り得そうだが。

 先程の会話が聞こえていたのだろう、一緒に乗り合わせた総務部だと思われる女子三人組が、隣で忍び笑いを漏らしている。

 「お前とゆっくり話しているヒマは無いんだ。十一時に新日本メディカル販売の山野さんに呼ばれているから、さっさと健診済ませて行かないといけないからな。」

 「へいへい、トップセールスマンの新城君は、人気者だからねぇ!」

 虎次郎にニヤニヤ笑いながら、肘で小突かれる。確かに同期の営業マンの中では、一番売り上げていると自負しているが、この場で言われるのは、とてつもなく恥ずかしかった。案の定、今まで女子社員達の視線は、主に虎次郎に注がれていたのが、その一言で一斉にこちらを向く。

 その時、タイミング良く(悪く?)エレベーターが目的の階に着いたので、彼女たちに軽く会釈しながら、エレベーターを後にした。虎次郎の欠点を一つだけ挙げるとすれば、女子高生に匹敵する程、おしゃべりな事だろう。

 「茶化すなよ……。あぁそうだ、悪いけれど週末はナシ、だ。」

 指でバツ印を組みながらそう言うと、虎次郎は少し顔を歪ませて、

 「どうした?明希ちゃん、また体調悪いのか?」

 この男の記憶力でも、『また』と思う位、やはり彼女はいつも具合が悪いイメージなんだな……そう申し訳なく思った。最も、自分が原因かどうかは、まだ分からないのだが……。

 「……別れたんだ。」

 「ほえ!?マジ!?」

 虎次郎の素っ頓狂な声が、入ったばかりの営業所に響き渡る。口の動きだけで、「バカ!声がデカい!」と悪態を吐きつつ、自分のウェアラブル端末から電子掲示板の行き先欄に、『健康診断』、『新日本MD』と入力すると、すぐにその場を離れた。

 営業マンは、出社したことを証明する為、この掲示板への入力が義務付けられていて、営業所内で入力しなければ、GPSによる現在地情報が一致しない為、出社したと認められない。直行や出張の場合は、行き先から掲示板へ入力しなければならず、後日提出する報告書の日程や行き先の内容が、掲示板の情報と符合するかどうか、見極められる様になっている為、当たり前だが『ズル』は出来なかった。入社間もない頃は直哉に限らず、この行き先から掲示板への入力をついつい忘れがちで、そうなると後日、反省文を提出させられる羽目になる。

 (あのおしゃべり男、まさか営業所中に言い振らすんじゃないだろうな……。)

 一瞬不吉な思いが頭をよぎるが、振り払う。いくらなんでも虎次郎のヤツ、そこまでバカじゃないはずだ……そう思い直した。第一、直哉がフリーになったとアナウンスすれば、虎次郎の『取り分』が減る可能性だってあるだろう。自分でもくだらない考えだと思いながら、そんなとりとめのない物思いに耽っている間に、健診を終えていた。ネクタイを締め直し、背広を羽織って身支度を整えてから、臨時の健診会場となっている大会議室を出て、そのまま取引先へと向かった。

 それから更に秋の深まる一カ月程度、平日はいつもの様に忙しく仕事をこなす反面、週末は明希と別れて、しばらくは暇を持て余すのかと思いきや、直哉の思惑とは裏腹に、会社の同期でのバーベキューや、大学での催しに、自分を含めたOB達と手伝いに行くといった、秋ならではの行事が盛りだくさんだった為、すっかり健康診断の事など頭から抜け落ちていた。だから、自分の端末に健診結果が届いた時、一瞬動揺したのは言うまでもない。

 必死に自分を落ち着かせながら、パスワードを入力してドキュメントファイルを開封した。当然だが個人情報にふれるものは、指紋や網膜認証もしくはパスワードを入力しなければ、見られないシステムになっている。直哉は、指紋、網膜のどちらの認証方式でも、度々エラーになった為、面倒だが旧来のパスワード入力方式を使っていた。

 「……何だ、コレ?」

 思わず上ずった声をあげる。同時にハッとなって、辺りを見回したが、幸い今の呟きを聞いている人は居ない様子だった。周囲を気にしながら、もう一度診断結果の内容に目を凝らす。

 やはり、見間違いでは無い。身長、体重、BMIといった、身体的特徴を表す数値は表示されているものの、肝心な血液成分の数値については、米印のオンパレードになっていた。そして予想通り、総合判定欄には、『要再検査』と太字で表示されている。父に健康診断をしてもらった時は、赤血球数から血糖、コレステロールなどの値……もちろん正常範囲内……が、当たり前だが記載されていた。

 さらに驚いたのが、医師所見欄に、『血液中に異物が混入した可能性が有ります。再度医療機関を受診して下さい。』との文言だった。異物が混入!?そんなことがあり得るのだろうか……?

 ただ、『要再検査』の原因が、自分の健康状態というわけではなく、別の理由だったので、また医療機関に赴かなければならないことが、途端に煩わしい事に思えてくる。しかし、会社にきちんとした検査結果を報告する義務があるから、放ってはおけないだろう。だからと言って、今更父の病院を受診するわけにはいかないから、自分でどこか探さなければならないのは、正直言って面倒だ……虎次郎行きつけの?診療所でも紹介してもらうか……そんなことを考えながらトピックに、この診断結果の文書の標題を『要再検査』として、張り付けた。

 結局、仕事の忙しさにかまけて、そのまま師走に入ってしまった。昨日いよいよ人事から、催促のメールが届いていた為、今日明日中にでも医療機関を受診しなければならないだろう。ただでさえ忘年会シーズンに突入し、営業マンは接待の機会がぐんと増える時期だ。年末が近付けば近付く程、時間を取るのが難しくなるのは、目に見えている。今日は予定より早く営業活動を終えることが出来たし、虎次郎行きつけの診療所は、確か普通の医療機関より、ビジネスマン向けに遅い時間まで受診してもらえるという話だったな……と考えながら、営業日誌に入力……こちらも、外勤から戻ったことが分かる様に、営業所内で当日分を作成する必要があるのだが、内容如何によっては時間が掛かる為、作成だけしておいて、後日の入力でも構わない……している最中に、自分の端末に電話がコールされていることが表示される。滅多にコールされることが無い、社内から連絡が入っていることに驚きつつも、通話表示をフリックする。昨日の今日だから、まさか人事からのお叱りの連絡では無いだろう……と思いつつ、

 「はい、第一営業部の新城です。」

 そう答えると、指向性スピーカーから、

 「お疲れさまです、人事部の斎賀さいがです。」

 確か健診の案内の際、担当者になっていた先輩社員の声が聞こえた。画面に表示されている顔写真を見ても、直接会ったことは無いな……と思いつつ、

 「お疲れさまです。すみません、まだ受診していません……。」

 直哉が恐縮しながらそう申し出ると、斎賀は女性らしいコロコロとした笑い声を上げながら、

 「ですよね〜。違うんです、催促の連絡じゃなくて……新城さんの健診結果、血液検査のデータが変だったんですよね?」

 「……そうです。『血液に異物が混入した可能性がある』と書かれていて……それで、データが全く取れなかった様です。」

 戸惑いながらもそう答えると、彼女は「あらら……そんなヒドイ事ってあるんだぁ!」と、呟きながら、

 「医療機関の担当者から、血液検査を委託していた検査会社が、たぶんミスをしたのだろう……ということで、連絡があったんです。それで、先方で再検査をしますから、いつでも都合の良い日時にいらして下さい、ということでした。もちろん、検査費用も掛かりませんので。」

 「いつでも……?」

 無料で再検査が受けられるのは、検査側のミスであれば当然の事だとも言えるが、医療機関がいつでも構わない……というのは、本当だろうか?訝しそうに尋ねる直哉に、斎賀は明るい声で、

 「ええ、来る前にご連絡頂ければ、土日でも、夜中でも……もちろん平日の診察時間帯であっても、優先して対応しますって。」

 「それは有難いですね。……で、医療機関というのは?」

 直哉にとって、これ以上都合の良い申し出は無いだろう。まさか、父の勤める病院では無いだろうか……?嫌な予感を抱きつつも、先を促す。

 「羽田記念病院です。先程、新城さんのメールに詳細は送っておきましたから、場所はURLから確認して下さいね。電話番号もメールに記載してありますから、まずそこへ連絡して下さい。」

 父の病院では無かった……そのことには安堵し、斎賀に礼を言って通話を切る。それにしても、羽田記念病院とは……。最先端の移植手術が『売り』で、急成長している中堅総合病院だ。場所は営業に行った事がある為、確認するまでも無かったが、この病院に対する直哉の営業成績が芳しくなかった為、思わず渋面になる。ここの事務局長がやたら高慢な男で、直哉の会社の取扱機器が旧式で扱い辛い……等と一々嫌味を言われる為、正直あまり良い印象を持っていなかった。だが、指定されたからには、ここで再検査を受けるしか無いだろう……そう思いつつ、メールをチェックすると、彼女の言っていた通り、連絡先の電話番号と、担当者名が『三澤』と書かれている。例の事務局長でなかったことに安堵しつつ、

 (本当にいつでも構わないのだろうか……?)

 半信半疑のまま、その番号をコールした。

 「羽田記念病院、受付 西崎でございます。」

 「お世話になっております、メディテック 第一営業部の新城と申します。健康診断の再検査の件で連絡させて頂きましたが……三澤様はおられますか?」

 「はい、少々お待ち下さいませ。」

 『西崎』と名乗った受付の女性事務員は、機械的な受け答えだけをし、やがて保留を表す電子音の曲が流れてくる。何と言う曲だったかなぁと考えていると、呼び出し音に切り替わり、

 「はい、三澤でございます。」

 先程電話に出た事務員よりは、若干年輩だと思われる女性の声が耳に入って来た。

 「お世話になります、メディテック 第一営業部の新城です……。」

 「再検査の件ですね、お伺い致しております。この度は大変なご迷惑をお掛けし、申し訳ございませんでした。」

 直哉から用件を述べるより先に、三澤の方からそう言って謝罪される。どうやら高慢であるのは、例の事務局長だけらしかった。向こうが下手に出でいる間が好都合とばかりに、

 「それで……いつでも良いと伺ったのですが、今日これからでも大丈夫ですか?」

 「はい、大丈夫です。具体的に何時頃になりそうですか?」

 本当にいつでも大丈夫だった……直哉の思惑とは裏腹に、彼女はこちらの無茶振りにも全く動じなかった。かえって直哉が言葉に詰まりながら、

 「ええと、一時間後位……七時過ぎにはそちらにお伺い出来ると思いますが。」

 「かしこまりました。受付でお名前をおっしゃって頂ければ、すぐにご案内致します。それでは、お待ち申し上げております。」

 「ありがとうございます、よろしくお願いします。」

 これは、急いで社を出なければならない状況になったが、たまたま都合良く、今営業所には帰り支度を始めた女子社員しか居なかった。ちなみに同期二人、矢島さんと虎次郎は、電子掲示板を見ると既に『退社』となっている。

 係長を筆頭に、残りの営業マン達が帰って来る前に退散しよう……そう考え、手早く営業日誌を入力し終えると、慌ただしく席を離れた。

 

 四

 会社の最寄り駅は、仕事を終えたサラリーマン達でごった返していたが、羽田記念病院までの交通機関は、乗り換えがスムーズにいき、直哉の予想より早く到着することが出来た。早速病院の受付窓口へと向かう。すでに『診察受付終了−時間外窓口へお回りください』という電子案内板が表示されていたが、三澤の言っていた通り直哉が名乗ると、すぐに検査室へ案内された。採血を終え、内科の待合で座っていると、予想以上に早く名前を呼ばれ、まだ待合に残っている患者達を尻目に、中待合も通り過ぎ、内科診察室の前まで案内される。

 (何だか申し訳ないな……。)

 見た目では、病気かどうか判断がつかない人がほとんどだが、この言い様の無い居心地の悪さを感じてしまうのは、やはり自分が、『医療機関側のミスによる再検査』という切り札を使ってしまったからだろう。俯いたまま、診察室の扉に手を掛けた。

 「新城さん、お待たせしました。」

 そこには、診療助手の看護師と、白衣姿の医師が居た。縁無しメガネを掛けているが、iPS細胞を使用した再生医療が普及した今日では、視力矯正の為に使用する人は皆無だから、彼のウェアラブルデバイスだと思われた。

 医師の胸元のIDに『羽田』と書かれているところを見ると、彼がこの病院の院長なのだろうか?年の頃は父親とほぼ同じだと思われたが、人を寄せ付けない雰囲気の父とは一線を画した、柔和な笑みを浮かべて挨拶をする羽田に、若干親しみを感じる。

 立ったまま挨拶をしようとする直哉に、椅子を勧めながら、

 「申し訳無いことをしたね、わざわざお越し頂くことになってしまって。」

 「いえ……。」

 医師という職業……おまけに院長という地位にあるというのに、腰の低い人だな……などと考えてから、実は自分の身内が最も愛想の悪い部類なのかも知れない……そう思い、苦笑する。そんな直哉の考えなど、全く気付かない様子の羽田は、

 「今回の血液検査の様に、データが取れなかったのは初めてかい?」

 「はい……。入社して二年目までは、父の勤める病院で受けましたが、こんなことは一度も無かったので……。」

 その言葉に、羽田はまじまじと直哉の顔を見つめ、

 「まさか君、『伊丹総合病院』の新城先生の息子さん?」

 「はい、そうですけれど……?」

 唐突な質問をされ、思わず目を見開く直哉に、羽田は微笑みながら、

 「僕と新城先生はね、帝都大の同期なんだよ。」

 「へえ、そうなんですか!」

 彼の言葉に、普段は絶対に見ることの出来ない父の、ある一面が垣間見えた様な気がして、思わず笑みが浮かぶ。直哉の表情を見て気を良くしたのか、羽田は更に、

 「僕も新城先生も、卒業後数年間は帝大病院に残っていたんだが、僕は父の病院を早々に継ぐことになってね。僕が帝大病院を去って間もなく、彼も辞めて、伊丹に移ったと聞いて、正直驚いたんだ。新城先生は僕と違って優秀でね……iPSの臨床研究で彼の右に出る者は居ないくらいだった。だから、ゆくゆくは教授になって、『白い巨塔』を築くものだとばかり、思っていたんだけれど……。」

 昭和から平成に掛けて活躍した作家、山崎豊子の代表作を引き合いに出すと、悪戯っ子の様な顔つきをした。だが直哉は、父が元々帝大病院に居たのは知っていたものの、iPSの臨床研究に携わっていた事……今の病院で彼は内科医をしている為、そんなことを全く知らなかったから、複雑な表情を浮かべていたに違いない。

 (あの人は本当に、俺に何も話してくれていないんだな……。)

 直哉が黙り込んだことを、羽田は特に不審に思わなかった様子で、

 「それにしても、こんなに立派な息子さんが居たとは知らなかったよ。彼は確か……結婚していない様に、記憶していたものだから。」

 「養子なので……父と血の繋がりは無いんです。」

 「そうなのかい?」

 思わず苦笑しながらそう答えると、羽田は驚いた声を上げた。直哉は尚も自虐的な笑みを浮かべながら、

 「私は、病院に置き去りにされていたんだそうです。」

 その告白に羽田は、「そうか……。」と唸ったが、それ以上の事は詮索してこなかった。そして、この話題には二度と触れまいとでも思ったのか、

 「それで、君の血液検査の件だけれど……実は僕も『異物が混入』って点が気になってね。」

 「……はい。」

 直哉の返事を境に、羽田の顔つきが険しくなる。不安に駆られながらも、次の言葉を待った。

 「検査機関に残っていた検体を顕微鏡で見たんだが、確かに血液だけではなかった。それが何かまでは、恥ずかしながら分からなかったのだけれども……。それで今、何かが混入してしまった原因を検査機関で調べてもらっているが、混入してしまった分については、今更どうこう言っても仕方がないので、とにかくさっき採血した分を検査機に掛けてみたんだ。」

 生唾を飲みこんで、ぎこちなく頷く。すると突然、羽田は相好を崩し、

 「特に異常は見られなかったから、安心しなさい。」

 その言葉を聞いたとたんに、大きく息を吐き出した。自分で考えている以上に緊張していたのだろう、いつの間にか息を止めてしまっていたらしい。その様子を見ていた羽田は、声を上げて笑い、

 「何か気になる症状でもあったのかな?」

 彼の問い掛けに、直哉は戸惑いつつも、元恋人が自分と関係を持った後に、必ず体調を崩した為、その原因が自分の障害もしくは病気のせいかも知れない、ということ……だが、自身に自覚症状は無い、と話した。

 「このこと……新城先生には相談しなかったのかい?」

 「あの人に訊いても、きっと何も教えてくれないでしょう。それで今回、初めて会社の健康診断を受けてみたのですが……。」

 「『再検査』になってドキリとしたと、そういうわけか!」

 羽田は再び声を上げて笑いながら、

 「大丈夫、君は健康だ。少なくとも今はね。恋人の体調が悪くなるというのも、彼女の言った通り、本当に相性の良し悪しがあるんだよ?……まだ若いうちは特にね。」

 「ありがとうございます。」

 直哉は、悪戯っぽく片目を瞑る羽田に、大きく頷いた。

 「また新城先生に言い難いことがあったら、うちに来ればいいよ。いつでも相談に乗るから。」

 そう笑顔で言う羽田に一礼し、受付に寄って検査結果の電子データを受け取ると、羽田記念病院を後にした。

 (親父も、あんな風だったら良かったのにな。)

 一瞬、そんな思いが頭を過ぎるが、振り払う。父に期待するのが、そもそも間違っている……あの人は優秀で、他人を寄せ付けない孤高の人なのだから。例えそれが、義理とはいえ、自分の息子であっても……。

 電車の中で堂々巡りをしている間に、自宅最寄り駅に着いた。都心部の主要な駅前ほどでは無いものの、ここでもクリスマスのイルミネーションが、行き交う人々の目を楽しませている。ただ、直哉の脳内は完全に『花より団子』状態らしく、

 (……それにしても、腹が減ったな。)

 そう思い、駅前のラーメン屋で腹ごなしをすることにした。平日の夜九時前の時間帯だというのに、意外と店内は混雑しており、驚く。やはり師走……ということだろうか?

 「一人かい?」

 直哉に気付いた店長が、そう声を掛けてきたので頷く。ここは、子供の頃から度々利用している馴染みの店だった。子供の頃は主に父と、そして学生時代は友人達と訪れていた為、一人で来るようになったのは、社会人になってからだ。すると、何とかカウンターに一人分、席を設けて貰えた。礼を述べながら席に着き、いつものチャーシュー大盛りを注文する。

 (高校時代は、これに餃子とチャーハンも合わせて食っていたな……。)

 若かりし頃の自分の食欲に舌を巻きつつ麺を啜りながら、シーズン中であれば野球中継を映しているはずのテレビ画面に目をやると、ちょうど九時のニュースが流れ出した。

 店がもっと空いている時は、店長と近況を話したりもするのだが、今日彼は忙しく立ち回っていて、店に入って来た際に、尋ねられた以外は一言も話していない。もとより直哉も、忙しい人を捕まえて話をしたい程、おしゃべりでは無い為、何の意図もなくニュース画面を見つめていた。いつもより、サイレン音が賑やかだな……などと考えながら。

 そろそろ食べ終わる頃合いになって、『臨時ニュース』というテロップが流れ、この近くの民家で火事があったことを知らせる。道理でサイレン音が多かったはずだと思いつつ、驚く直哉と同じ様に、テレビ画面を見ていた若者グループ達が、「この近くじゃね?」「マジ!?」などと口々に話し始め、店内は一層賑やかになった。すると、いきなりテレビ画面が切り替わり、火事の詳細をアナウンサーが伝え始める。その内容に、直哉は凍りついた。

 「……○○区××四丁目の住宅より出火し、現在消火活動が続けられておりますが、この家に住む医師の男性、五十六歳と、二十六歳の長男とは連絡が取れておらず……」

 「お代はいいから早く行け!」

 店長の声にハッとなる。大きく頷き、礼を述べながら、店を飛び出した。

 (親父……まさか?まだ病院だよな?)

 全力で駆けながら、父の番号をコールするが、話し中になってしまい、思わず舌打ちする。勤務先の病院にも掛けたが、同じく話し中だった。どちらも情報を求める通話で、回線がパンクしているのかもしれない。自宅の電話に至っては、うんともすんとも言わなかった。ますます自宅が火事だというのが、現実味を帯びて来る。

 自宅に近付くにつれ、消防車や救急車のサイレン音が大きくなり、物思いが掻き消されていった。そして、手前の交差点に差し掛かった時、あまりの光景に目を見開く。自宅の方から赤い炎が立ち上り、道路は消防車で埋め尽くされていたからだ。そのまま呆然と立ち尽くす直哉の横を、取材に来たプレス関係者だろうか?何人かが走り去って行った。その後ろ姿を追いかける様に、直哉も後に続く。

 延焼を恐れた近所の人達と、やじ馬が入り混じった人垣を掻き分け、立入禁止のテープが張られた所まで何とか辿り着く。紛れも無く、自分の家が燃えていた。絶望的な気分になりながらも、すぐそばで「危ないから下がって!」と、声を張り上げる警察官に向けて、怒鳴る様に、

 「新城です!ここの住人の!!」

 「じゃあ、新城直哉さん!?」

 三十代位だと思われる警官は、そう言いながらテープを押し上げて、直哉を立入禁止エリア内に招き入れた。

 「どうなっていますか?父は!?」

 とにかく情報が欲しい一心で、その警官に詰め寄ると、彼は硬い表情で、

 「まだわかりません。ただ職場の方から、七時頃に帰宅したとの情報が入っていて、現在消火活動と合わせて捜索中です。」

 「……わかりました。」

 警官の答えに満足したわけでは無いが、ここは待つしか情報を得る手段が無さそうだった。もう少し消火活動が進むのを、見守ることにする。その間、情報を聞きつけたとみられる会社関係者や友人達から、直哉の携帯に連絡が入ったが、自分は無事だが、父はまだ分からない……としか答えようが無かった。

 それから直哉にとって、永遠とも思える時間が過ぎ……消火活動の成果が現れ始めた。明らかに火の勢いが衰え、煙に代わって白い水蒸気が立ち上り始める。先程までは輻射熱のせいか、あまり気にならなかった焦げ臭いにおいが、一気に周辺を覆い尽くしたかの様だった。

 しばらくして、「おい、担架!」などの怒号が飛び始める。もしや父が……?と、考えていると、先程の警官が駆け寄ってきて、

 「お父さん、見つかりました。ただ……心肺停止の状態で、現在蘇生処置を行っています。間もなく病院へ搬送されますので、救急車へ同乗して下さい。」

 「……はい。」

 程無く、担架に乗せられた父が、救急隊員たちによって直哉の元に運ばれてきた。想像していた様な、黒焦げの状態では無かったが、恐らく一酸化炭素中毒を起こしてしまったのだろう、青白い顔や手足が、彼の命の灯がすでに消えていることを物語っていた。搬送中の救急車内でも、一生懸命蘇生処置を行う救急隊員達を横目に、直哉はただただ茫然と、父の姿を見つめることしか出来なかった。

 その後、父の勤務先である『伊丹総合病院』へ搬送され、異変を聞きつけ、病院へと駆けつけてくれた父の同僚達に見守られる中、死亡が確認された。

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