知らない間に進行していた物語 4
広大な敷地を持つ未現島は五つの区に分けられている。
灰城学園を有する中央区を中心に置き、それぞれの方角に対応するように東区、西区、南区、北区。さらにそれぞれの区は細かな番号を振って仕切られているが、その全てを把握している島民はいない。
ただし、今は未現島の島民でもないのにそれらを全て把握しきっている男がいた。
高椋鋭利。
強力な能力者で構成された審査団を瞬く間に制圧した男。
彼は西区の住宅地を亡霊のように暗く、気配すら感じさせずに歩いていた。未現島に住む人間の大半は働いている大人か学校に通う子どもかだから、日中は堂々としていても誰かに気づかれる可能性も低い。高椋もそれを知っているからか、足取りに迷いはなかった。
やがて彼は一つのマンションの前で立ち止まり、大きく息を吐いた。
「ここか。寝る場所さえあればいいと言ってあったはずだが」
どうやら注文していたのよりも立派な潜伏先でも用意されてしまったらしい。高椋の顔には不満そうな色があった。
「機嫌を取ろうとでもしているのか。無駄だと言ってあるはずなのだが」
bbb、bbb、bbb……
やれやれとでも言うかのように高椋が首を振ったその時、胸ポケットの中の携帯が震え始めた。画面を見てみると、同時通話の着信だ。通話人数は五人。高椋は無表情のまま通話ボタンを押した。
「俺だ。人数が少ないようだが」
『他が少し手間取ってるみたいでして。連絡を受けましたが、問題はないようです』
「多少の時間はかかっても文句は言わん。周囲に怪しまれる方が問題だろうが」
電話の向こうの声は港を占拠した際に一緒だった覆面の男のものだ。恐らく他の四人もその中の人物だろう。ただし、他の四人は聞き役のようで、会話には参加しようとしない。
「あれだけの人数だ。移動するにも大事だろうが」
『ええ。でもアイツがわざわざ島中の住宅施設を借りまくってくれたお陰で何とかばらけてますよ』
「当然だ。奴には俺たちに逆らえん理由があるが」
『そうでしたね。・……それでは、引き続きそれぞれの潜伏先まで辿り着けたかの確認連絡を俺が行うので?』
「構わん。しばらくは事前の指示通りで続行だが」
分かりました、と通話相手が言うのを聞いてから、高椋は声のトーンを落として静かに追加の指示を出す。
「三日後だ。三日後には全力を出せるようにするべきだが」
♪♪♪
「三日後だ。三日後までに完璧に仕上げるぞ」
指を三本立てた手を突き出し高らかに宣言した城島に、彩花を含む生徒五人はひきつった表情を返した。
「それは……いくらなんでも厳しいだろ。未現体を初めて扱うなら、慣れるまでで三日かかるぜ?」
代表するように契がそう言ったが、城島は三本の指を人差し指一本に変え、ちっちっち、と左右に振った。
「そんなにのんびりやってる時間はないぞ、契。大丈夫、彩花は素質があるんだからきっとできるぞ」
「時間がねぇっつってもよ……中学の卒業式の一週間前には一旦帰るとしても、三週間はあるじゃねぇか。それだけあれば十分に仕上げられるんじゃねぇのか?」
「分かってないな、契。三週間あるからってそんな時間をかける僕じゃないぞ。ま、三日で完璧とまではいかなくてもそこそこ扱えるようにはなってほしいな」
ふーん、と一応頷いた契だが表情を見る限り納得はしていないようだ。シークもそれは同じなようで、
「にゃー。キジちゃん、今回は珍しくスパルタにゃー?」
と首を傾げていた。どうやら城島がこれだけ無茶を言うのはかなり稀なことのようだ。ていうか、キジちゃんというのは城島のことだろうか? そういえば春神契のことをハルハル、彩花のことをサイくんとも呼んでいたし、あだ名つけのセンスは最悪のようだ。
「ま、確かにスパルタ気味かもな。でもせっかく素質があるんだ。早く使えるようになるに越したことはないだろ? それに、そのためにわざわざ風紀委員会を招集したんだぞ」
季蜜は召集前に彩花と仲良くなっちゃってたけどな、と城島が笑って、そのことに関しては終わりのようだった。
そこからは全員しばらく黙ったままで歩き(その間に氷の混乱は治まったようで、また彩花のすぐ後ろに来た)やがて目的地に到着した。
「第二演習所……?」
やけに物々しい扉にかけられたプレートには、なんだかやけに堅苦しい雰囲気の文字。これだけ広い学園なら何でもあるのだろうか。
「演習所は未現体の訓練をするための部屋だぞ。特別頑丈に作られていて、部屋の中で核爆弾を爆発させても絶対に壊れないくらいだぞ」
「ものすごく物騒ですね……」
何でもあるとは言っても、さすがにそれは……。
しかし、城島は部屋の中に入りながらなんでもないことのように言う。
「未現体はそれだけ危険なものってことだぞ。特に彩花はランクの高いものしか適合しないだろうしな」
「ランク?」
「あれ? ランクが分からないんですか?」
彩花の疑問符に、灯が重ねるように疑問を発した。しかも、
「あん? 未現体を扱うのにランクが分からねぇだと?」
「にゃー。なんでそれが分からなくて合格なのにゃ?」
「彩花くんってすごいんだよね……?」
契、シーク、氷まで次々と不審な視線を彩花に送ってきていた。な、なんだ? ランクっていうのはそんなに常識的な単語なのか?
急いでいたせいで間違えて女性専用車両に乗り込んでしまった男性のようなアウェー感に彩花が冷や汗を流していると、
―ランク。
―AからEまでの、強さの基準。
「あ……っ!!」
突然、頭の中に浮かび上がってきたのは一つの記憶。
それは、彩花が学んできたはずの知識の記憶だ。
あまりに激しい頭痛にふらつく彩花を近くに立っていた氷が慌てて支え、何とか倒れずには済んだものの意識が朦朧としてくる。
「彩花、記憶が戻ったのか? 下手に思い出そうとしちゃダメだぞ。知識はまた学べばいいことだからな」
心配するような城島の声も、今の彩花にはどこか遠くから響くようにしか聞こえなかった。
「記憶? どういうことだよ?」
「契も噂くらい聞いてるだろ? 昨日の受験での事故のことだぞ」
「にゃー。そのことにゃら、もう結構知れ渡ってるにゃー」
「もしかして、あれって真藤さんのことなんですか?」
ずきずき。ずきずき。
「さ、彩花くん……?」
引かないどころか段々とひどくなっていく痛みに、体重のほとんど全てを氷に預けながら、彩花は思い出していた。
ランク。
未現体の能力をAからEの五段階に分け、強さの上下関係を明確化したもの。
Eランク程度なら誰でも扱うことができるが、Aランクほどになると一つの未現体に一人しか適合者が現れない。
ランクが高いほど希少性も高く、また、それを扱う難易度も高くなる。
「あ……ぐ……っ」
思い出さないようにしていても次々と蘇ってくる知識の記憶に、彩花は歯をくいしばって耐える。一つ記憶が戻ってくるたびに悪化する頭痛で気を失いそうになるが、そうするとまた新たに記憶が消えてしまいそうだからだ。
小柄な氷が彩花の体重を支え切れなくなり、二人とも倒れそうになると、今度は城島が彼の肩を抱えた。
「彩花、記憶のことを意識するな。何か別のことでも考えるべきだぞ」
「別の……こと……?」
「そうだな、例えば……」
どん。
「うわっ!」
「きゃあ!」
ちょっとだけ考え込む様子を見せると、城島は抱えていた彩花の肩を軽く押した。軽くとは言っても、彩花の体にはほとんど力が入っていない上に非力な氷ではまともに支えきれない。結果、彩花は氷を巻きこんで床の上に倒れ込むことになり、
「煩悩全開にしてみたらどうだ?」
「……っっ!!」
俯けの方向で倒れた彩花のすぐ下には仰向けに倒れた氷の体。彼女の体を潰さないようになんとか手をついて体を支えようとした彩花だが、体に上手く力が入らないせいで肘が曲がってしまったためにお互いの顔は超至近距離。息がかかりそうなくらいの距離感に、頭痛も吹っ飛んだ。
おまけに、
「あ……彩花、くん……?」
顔を近付かせた氷は照れているかのように視線をさ迷わせ、熟れたリンゴのように頬を赤く染めていた。視線がふと合わさると頬の赤みは増し、もじもじと恥ずかしそうに両手を空にさ迷わせているその姿を見せられて、理性を保てるはずが……
って、
「あんた中学生に何させてんだ!?」
がばぁ!!
渾身の力を振り絞って立ち上がり、彩花は絶叫した。その絶叫で力を使い果たし、今度は氷の真横に仰向けに倒れ込む。
「一ヶ月もすれば高校生じゃないか」
「季蜜は一ヶ月経っても中学生だろ!」
「いいじゃないか。青春の甘酸っぱい一ページだぞ」
「人前で青春の甘さも何もねぇよ! 酸味しか感じねぇよ!!」
おずおずと立ち上がって倒れている彩花からちょっと距離を取った氷をよそに、城島と彩花はぎゃーぎゃーと言い争いを続ける。正確には騒いでいるのは彩花だけで城島はにこにこ笑っているのだが、傍から見れば同じようなものだ。
「とりあえず頭痛は治まったみたいじゃないか」
「もっとやりようがあったと思うけどな!?」
ちなみに、どうしようもないこの言い争いの終わりは、
「にゃー。でもサイくん、結構得したって思ってないにゃ?」
「……言い返せない」
だった。