知らない間に進行していた物語 2
同刻。未現島のとある港での出来事。
通常通りに到着した定時船を迎え、港を管理する審査団は入島許可のための準備を始めていた。
出入島審査団――通称は審査団。
未現体の最先端を研究し続ける未現島では、情報を守るために島に入るにも島から出るにもその度に彼らの厳重な審査を受けなければならない。また、情報を守るという目的のために審査団に集められた人材はどこをとっても超一流。未現体の扱いにも長けているために、例え犯罪者が船に乗ってやって来たとしても彼らが負けることはない。
港にても空港にしても、島に出入りする手段の存在する全ての場所に審査団がいる。未現体の情報とはそれほどのことをしてでも守る価値のあるものだからだ。
しかし、実際の彼らの仕事はせいぜい島に出入りする者に書類を提出させる程度のことだ。審査団の情報は島の外でも広く知れ渡っているし、それを知ってなお彼らに挑もうとする馬鹿などいないのだ。
定時船もいつも通り、荷物の搬入か何かだろう。あるいは新たに島での研究に参加する科学者や、島の学校に通う子どもの保護者のような入島希望者も乗っているかもしれない。どちらにしても審査団はいつも通りの手慣れた仕事を確実にこなすだけだ。
そんな日々が続いていたからだろうか、彼らは忘れていた。
非日常は、唐突に訪れるということを。
「退け。従わないのならば傷を負う羽目になるが」
船から降りてきた男の威圧的なその台詞の意味を審査団が理解する前に、暴風は訪れた。
ふっ―
ろうそくの火を吹き消すこともできないようなささやかな風が港中に吹き抜け、
「倒れ伏せ。どうせ逆らうことなどできんだろうが」
直後。
数十人の審査団の体が一斉に切り刻まれ、悲鳴と鮮血が辺り一帯に噴出した。見えない人間に斬られたかのように次々と人が倒れ、意識を失っていく。
「なっ……!?」
わずかに攻撃の届くのが遅れた審査団の一員が驚愕できたのもほんの一瞬。
直後には、全ての審査団員が赤く染まって地に伏していた。
「行くぞ。ようやくここまで来たのだろうが」
一瞬で血溜まりになった港に降り立ち、男は背後の船に向かって振り返ることもせずに呼びかける。それを合図に、停泊している船から次々と覆面を被った人間たちが現れ、港を埋めていく。
ほんの数分で、港は覆面を被った数十人の人間に埋め尽くされた。
「船員は? 奴らには顔を見られていたと思うが」
「意識を奪って縛り上げてきました。船は自動操縦で適当な海域を巡回するように設定したから、時間稼ぎは十分です」
審査団員たちを数秒で制圧した暗い雰囲気の男に、覆面たちの中の一人が丁寧な口調で答える。暗い雰囲気の男だけが覆面を被っていないし、恐らくはこのグループのリーダー的存在なのだろう。
暗い雰囲気の男は覆面の返答に頷き、携帯電話を取り出した。電話帳から一つの番号を呼び出し、電話をかける。
「高椋鋭利だ。予定通りに到着したが」
『……引き続き予定通り。以上』
プツ。
電話の相手は本当に必要最低限のことだけを伝え、返事も待たずに通話を切った。
「偉そうな男だ。自分の立場が分かっているのか疑問だが」
通話の相手の態度に忌々しそうな言葉を吐きながらも、自らを高椋と名乗った男は執拗にそれを恨んだりはしない。彼にとって重要なのは、これから先の計画を一寸の狂いもなく実行することだ。
「各々、予定通りだ。失敗することは許されないが」
そうして誰に知られることもなく、未現島に不穏な空気が持ち込まれた。
♪♪♪
「悪い悪い。業務連絡が入ってしまってな」
携帯電話を片手に明るく謝る城島に、最初に文句を漏らしたのは金髪の不良生徒だった。
「俺たちを呼びつけといて待たせるんじゃねぇよ。帰っちまうぞ」
「おいおい、勘弁してくれよ。もう彩花だって来てるんだぞ」
「言われなくても知ってる。俺はさっさと用事を済ませろっつってんだよ」
ぎろっ、と効果音がつきそうな鋭い視線を彩花に向ける不良生徒。この不良が誰なのかも分からない彩花はただただビビるばかりである。教師から来いと言われて行った先に喧嘩っ早そうな金髪がいたら、怖いと感じるのも仕方のないことだろう。
ていうか、氷が若干震えながら学ランの袖を握ってきてるんですけど。大丈夫なのか、これ。
「(季蜜、この人たちはお前の知り合いじゃないのか?)」
「(不良さんとピエロさんとモデルさん)」
「(個性的すぎる!!)」
小声でひそひそ話を実行して氷から得られる情報に有益なものはなさそうだった。確かに三人とも外見上の特徴をとらえた表現ではあるが……これでは彩花のことはどう思われているのか分かったものじゃない。
と、
「おい、そこ! 内緒話してんじゃねえ!」
二人の会話が聞こえたのか、金髪の不良生徒が声を張り上げる。例によって氷が肩を跳ね上げて彩花の後ろに隠れたが、相手は気にする様子もない。どうやら彼女のこの気弱な行動は広く認知されているようだ。
「あ、すみませ――」
「てめぇも季蜜と同じで初対面だと緊張するタチか? ち、別に取って食おうってわけじゃねぇんだから気楽にしてやがれ。おら、飴食うか? ん? おいてめぇら、こいつが学ランだからってじろじろ見てんじゃねぇぞ。気にしちまってるじゃねぇか」
「優しい!?」
ひそひそ話のことを謝ろうとした矢先、急に口調は乱暴のまま優しい態度を見せ始めた不良生徒。彩花に向けられていた周囲の視線を追い払うほどの細かな心遣いに、驚きを隠すことができない。
「にゃー。ハルハルは『優の暴君』にゃんて通り名をつけられてしまうほどにギャップが激しいからにゃー。びっくりするのも当然にゃー」
驚愕のあまり固まってしまっている彩花の肩に手を回し、やけに馴れ馴れしく距離を詰めてきたのは氷がピエロと表現したカラフル頭の全身アクセサリー少年だ。
「ちなみにミーは『災い道化』なんて呼ばれてるにゃー。良かったら覚えてにゃ」
「は、はあ……生徒に通り名って、なんかすごいですね」
遠慮なくガンガン距離を詰めてくる自称『災い道化』の強烈な個性に戸惑いながらも、彩花は曖昧に返事を返しておく。実際、『優の暴君』も『災い道化』も高等部の制服を着ているから高校生だろうし、彩花の常識の中に通り名をつけられている学生―というか、現実に通り名をつけられている人間自体がいなかったのだ。
「それが、私たちの場合はそう変わったことでもないんですよ。未現体って元の素質によって得られる能力の強さに大きな差がありますから」
しかし、その彩花の常識をさらりと否定したのは三人の中で最もまともそうな女子生徒だった。氷がモデルと表現していたが、確かにファッション雑誌にでも乗っていそうな容姿と雰囲気だ。
「特に私たちって、自分で言うのもおかしいんですけど他より大きく突出した素質を持っていますから。どうしても何かの形で有名になっちゃうんです。それが通り名っていう形なんですよ。ちなみに私は『立体夢幻』です」
へえ、と感心したように頷きながらも彩花は女子生徒が使った『特に私たちは』という言葉に引っ掛かっていた。こういう言い回しをするということは、この三人は学園での成績優秀者か何かということなのだろうか。『立体夢幻』の女子生徒はともかく、『優の暴君』や『災い道化』がそうだとはとても思えないのだが……。
まあ、とりあえず『立体夢幻』の言葉にどういう意味があるにしろ、彩花が訊きたいことは一つだけだ。
「ところで、三人とも名前はなんていうんですか?」
むしろ、何で誰も普通に名乗ろうとしないのかが分からない……。
その後の自己紹介によると、三人の名前と通り名はそれぞれ、
春神契―『優の暴君』
小鳥遊疾駆―『災い道化』
赤星灯―『立体夢幻』
となるらしい。
「シークって呼んでにゃー」
カラフル頭の『災い道化』だけはそう注文を付けてきたが、他は呼び方に関してこだわりはないらしい。三人とも年上のようだし、普通に先輩と呼ばせてもらうことにしよう。
「それに、季蜜さんにも通り名がありますよ」
「え、そうなの?」
補足するような灯の意外な言葉に、彩花は目立たないようにちょっと離れた場所に立っている氷に顔を向けた。通り名をつけられているのは学園でも特に突出した素質を持つ生徒だという灯の説明と、気弱で常に人の後ろにいるような氷の印象が一致しなかったのだ。
すると氷は素直にこくりと頷いて、
「氷は『不可視の黒猫』だよ」
えっへん、と誇らしげに胸を張ってみせた。
「えっへん、です」
灯もその隣に立って同じように胸を張る。なんとなくタイプも近そうだし、この二人は結構気が合いそうだ。氷も灯に対してはあまり怯えた態度を表に出さないし、もしかしたら仲は良いのかもしれない。
そう思っていたら、
「……隣で胸を張っちゃダメ」
氷が急に胸の辺りを両手で隠すようにして灯からすっと離れてしまった。
あれ、どうしたんだ? と才華が訝しんだのもほんの少しの間のこと。
胸を張った体勢だと、灯と氷では明らかに上半身の強調のされ方が……。
「とう!」
邪な考えが頭に浮かびかけた才華は、氷に思いっきり脛を蹴られた。
「痛ってぇ!? いきなり何だよ!?」
「今、む、胸を見てた! 赤星先輩と氷の胸の大きさを比べてた!」
「い、いや、そんなことは……」
「氷は、まだ、これから成長期だもん! これから赤星先輩みたいに大きくなるもん!」
「それを大声で言うのもどうかと思うけどな!?」
なぜか顔を真っ赤にして大胆発言をしてしまう氷。どうやら彩花は彼女の大きなコンプレックスに触れてしまったようだ。
そのまま二人でギャーギャーと言い合っていると、
「……なるほど。確かに人格者としてはすげぇな」
「だろ? 人格者ってのは大げさかもしれないが、人に好かれる才能は大したものだぞ」
その二人には聞こえない所で、契と城島がそんなことを話していた。