知らない間に進行していた物語 1
灰城学園入学試験の翌日。
時刻は既に午前七時。本当ならとっくに日本の中学校に戻っているはずの彩花は、
「なあ、なんか俺だけ浮いてないか……?」
学園行きのバスの中で妙な疎外感を味わっていた。
「大丈夫。彩花くんが気にしなければきっと大丈夫」
「それ、浮いてるってことじゃないか……?」
隣に立っている氷は拳をぐっと握りしめてさりげなくフォロー失敗していた。
二人がいるのは灰城学園行きの無人運転バスの中。
ちょっとだけ詳しく説明すると、登校する生徒たちで身動きもできないほどに満員になったバスの中。二人は座ることもできずに吊革に掴まって(吊革に手が届かない氷は彩花の服の裾を握って)立っているわけだが、問題なのは彩花の服装だ。
別に一見して誰からもおかしいと思われるような奇抜なファッションをキメているわけではない。今の彩花が身につけているのは至ってまともな学校の制服だ。これから学校に行く学生としては当然の格好と言える。
問題なのは、それが未現島の学園のものではなく、日本の中学のものであるという点。
彩花の通っている中学の制服はごく一般的な学ランだ。袖に白い線が入っていて、その本数で学年が分かるようになっていること以外は全国的に通じる代物だろう。バスの中で浮いてしまうような要素は本来ならない。
ただしここは未現島の灰城学園行バスの中。乗客は彩花を除いて全員学園の生徒たち。一体何がどうなってしまうとその中で彩花だけが浮く羽目になるのか。
答えはただ一つ、制服の違いだ。
バスの向かう先にある学園の制服は学ランではなくブレザー。バスの乗客である生徒たちはみんな、きっちりとネクタイを締めている。デザインとしては全体に落ち着いた雰囲気の藍色が配色され、きっちりとした細く鋭いシルエットが特徴的だ。中等部と高等部でデザインに違いはあるものの、彩花のように学ランを着ている人物は他に一人もいない。
そうなると当然、何だこいつ? という真っ当な疑問が含まれた周囲の視線は一つ残さず彩花に集まってきてしまうわけで。
つ、辛い……。
ただでさえ「本当なら今ここにいないはずの人間」とし居心地の悪さを感じているのに、こうなってしまうととことん肩身の狭い思いをするしかなかった。
唯一、隣に立っていて事情を理解してくれている氷の存在が救いではあるものの、それだけでは心安らぐことはできないのだ。
「なんで俺がこんな目に……」
「が、頑張ろう? ほら、学園が見えてきたよ」
不器用な言葉ながらも本心から応援してくれる氷が本気でありがたいのは確かだが。
「そもそも城島先生が勝手に話を進めすぎなんだよな……」
一日は始まったばかりだというのに疲れ切ったようなため息をつき、肩をがっくりと落とす彩花。
事の発端は、城島から昨晩いきなりかかってきた電話だった……。
♪♪♪
入学試験を終えた日の夜、氷とアパートの下見をしていた彩花の元にかかってきた城島からの電話は、とても現実離れしたことを告げた。
「入学……許可?」
『そうだぞ、入学許可だ。本当は新入生の入学は四月だが、彩花は特例で明日ってことだぞ』
「ああ、なるほど……って、えぇ!?」
城島の言葉の意味を彩花が理解できたのは十秒ほどの時間が経ってからだ。
『どうしたんだ? 驚いたような声を出して』
「驚いてるんですよ!! いきなり何言いだしてるんですか!?」
『だから、彩花は明日から学園に――』
「だからその意味が分からないんですって!!」
そこから無駄に数分を進展しない不毛な言い合いで浪費し、彩花が得た情報は、
1.彩花は受験の様子を見る限り、未現体を扱う素質が人並み外れている。
2.しかし、その素質を扱いこなせるようになるには時間がかかりそう。
3.だから、せっかく島にいることだしそのまま入学して訓練させることにしようと考えた。
4.超特例だけど、学園始まって以来の素質を持ってる彩花だから無理も通す。
5.ちなみに彩花に拒否権とかない。必要な手回しは既に全部行った。
というものだった。
なんていうか……とにかくむちゃくちゃだ。
「あの……俺、入学とか言われても準備とか何もできてないんですけど」
『それはこっちで手回ししたから問題ないぞ。保護者の方の了承ももらって、必要な荷物は明後日までに届くことになってる。アパートも季蜜と同じ所に決めるだろ? とにかく明日、学園に来てくれれば入学手続きをさらっと行うぞ』
反論を許さない勢いで一気にまくしたて、彩花は何も言い返せない。実際、城島の言う手回しは完璧すぎて反論すべき点が見つからないのだ。
『あ、中学の卒業式はもちろんちゃんと出させてあげるぞ。式の一週間前には日本に帰れるようにするから、ちゃんと中学最後の思い出を作ってきなさい、だぞ』
そういうところの配慮も何気にしっかりしてるし。
『中学の先生も、そういうことならって喜んで許可してくれたぞ。それに、保護者の方も意外とあっさり許可してくれて助かったな』
「意外でも何でもないですよ。保護者とはどうも折り合いが悪いんで」
『そうなのか? ちゃんと仲良くしないとメ、だぞ』
「善処します」
『そうか、なら問題ないな。それじゃ明日、学園で』
城島との通話はそこで終了。
事態を完璧に把握して納得したわけではないが、そうなってしまったのだから彩花としても行動せざるを得ない。明日になって学園に行ったら城島からもう少し詳しい話を聞こうと心に決め、彩花は通話の間待っていてくれた氷の元に戻った。
彼女に訊くことはただ一つ。
「季蜜、毎朝何時に学園に行ってるんだ?」
だって、彩花は氷と一緒じゃないとどのバスに乗ればいいのかもまだ分からない状態なのだ。
♪♪♪
精神的に地獄だったバスでの移動時間を終えて、彩花と氷は停留所から学園までの道のりを歩いていた。ここでも周囲の好奇の視線をひしひしと感じるが……密閉されたバスの中と比べたら大分ましだろう。
「そういえば聞きそびれてたんだけど、季蜜は何年生なんだ?」
わざわざ並んで歩いているのに黙っているのもなんだか気まずいので、彩花はそう訊いてみる。実を言うと横で話題を探しておろおろしている感じの氷の姿が見えていたからという理由もあるのだが、彼女には内緒にしておこう。
尋ねられた氷は、話しかけられたことが嬉しいのか笑顔を浮かべて彩花の方を向いた。城島に話しかけられた時とかなり対応が違うな。
「氷は中等部の二年生だよ。四月からは三年生」
「てことは俺の一つ下なのか……」
まあ、確かに外見とかの雰囲気もそれくらいだよな。今はまだ同じ中学生だけど、いかにも年下って感じだし。
彩花がそんなことを考えていると、
「……真藤先輩?」
「……いや、マジでそういうのはなしで。なんか一気によそよそしくなったし。一つくらいの年の差なんて、あってないようなもんだろ」
「じゃあ、彩花くん」
「おう、そっちの方がしっくりくるな。うん、季蜜は未現島での俺の友達第一号だし、そういう感じで頼む」
「友達……。……えへへ」
学園に辿り着くまでの道のり、彩花は季蜜のお陰で思いの外周りの視線や疎外感を気にせずにいることができた。
♪♪♪
その頃、学園では城島に率いられて三人の生徒が彩花の到着を待っていた。
「季蜜の登校時間的にそろそろ来るはずだぞ」
わくわくした様子で彩花を待つ城島とは対照的に、後ろに控えている三人の生徒はあまり乗り気ではない。
「期待の新入生だか何だか知らねぇけど、俺らが会う意味があんのかよ? 未現体の訓練なんざてめぇがやっときゃいいだろ」
腕を組んで立っている、教師をてめぇ呼ばわりした男子生徒はいわゆる不良というものだろう。肩を超すくらいまで伸ばした髪を金髪に染め、ネクタイも緩めているし上着も着崩していた。細い割に大きくていかにも力強そうな体格の体にはかなりの迫力があった。さっきから登校してきている生徒たちは彼から大きく距離をとるようにして歩いているが、本人は慣れているのか気にする様子もない。
「ミーも正直どうでもいいにゃー。朝から招集されるのって眠いからやめてほしいにゃー」
続いて発言した男子生徒は、個性の塊のような存在だった。
ノーネクタイと上着の着崩しは不良生徒と変わらない。いや、ネクタイは完全にない分、不良生徒より悪いか。もっとも、この少年にとってはその程度の校則違反などまだ序の口だ。
実際に見れば即座に理解できるその特異性。ふざけた口調で欠伸をかましている少年は幼児が絵具を適当に塗りたくったようなカラフルな頭髪をツンツンに固めて四方八方に飛び出させ、しかも頭のてっぺんから爪先までじゃらじゃらと全身にアクセサリーを身につけていた。顔にはデカいサングラスまではめているし、ある意味で不良よりもよっぽど近寄りたくない人物である。
「まあまあ、そう言わずに待ってましょうよ。きっとすごい人なんですよ、新入生さん」
最後に発言した三人目は、そこに立っているだけで相当目立つ男子生徒二人に負けず劣らず人目を引く女子生徒だ。
とは言っても、彼女は二人と違って目立つ服装や格好、髪形をしているわけではない。どこにでもいるありふれた学園の生徒と何ら変わりなくそこにいるだけだ。ただし、それだけで人目を引いてしまうほどのオーラを彼女は持っていた。
言ってしまえば、可愛いということだ。何がどう可愛いとかいう話ではなく、ただ可愛いとしか表現できないようなその女子生徒に、登校中の生徒の視線も完全に奪われてしまっている。唯一変わっている所と言えばストレートロングの黒髪の後ろ髪の毛先五センチくらいを赤く染めていることくらいか。しかし、それも彼女の持つオーラの前には一つのチャームポイント程度のものでしかない。
そんなそれぞれが外見だけでも個性的すぎる三人の生徒に城島は、
「あ、あれじゃないか? ほら、一人だけ学ランだぞ」
一切の注意を払っていなかった。
例えどれだけの奇人変人が集まろうとも城島は城島。そもそもこの教師が一番の奇人であり変人なのだ。どれだけの個性を持ってきてもこの無駄なハイテンションに勝つことは難しいだろう。
「くそ、なんで俺がこんなことに付き合わされんだ……」
「にゃー、ミーと一緒にダッシュで逃げるにゃら今の内にゃー」
「あ、あの、二人とも冗談ですよね……?」
「今さら逃げたりしちゃダメだぞ。三人とも、しっかり協力してもらうからな」
できることなら一生関わり合いになりたくない個性的な人間の渦の中に、彩花は確実に近づいてきていた。