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マテリアル  作者: ラギ
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主人公ですら把握できていない物語 2

「あ、ちなみに僕の名前は城島優だぞ。良かったら覚えてくれよな」

 そんな明るい社会人一年生の自己紹介とともに、二人は保健室を出た。いつの間にか時刻は午後七時。そろそろ日も落ち始めようかという時間帯だ。校舎内は電灯で明るいものの、人気はない。

 はずなのだが、

「あ……彩花、くん?」

 ふと背後から名前を呼ばれて振り返る。受験のために初めて訪れた学園に知り合いはいないはずだけど、名前を呼ばれれば無視するわけにもいかないだろう。といっても、それこそ一緒に受験に来た友人にしても、誰と一緒だったのかを彩花は覚えていないわけだが。

 いずれにせよ、名前を呼ばれたのだから知り合いだろうと思って彩花は振り返り、

「……えっと?」

 首を傾げることになった。

 振り向いた先にいたのは一人の女子生徒。灰城学園中等部の制服の上から黒いカーディガンを羽織っている。肩まで伸びたショートヘアが全体的に幼い印象を生み出していた。

 どこか物静かでまだ子どもっぽさを感じさせるような雰囲気の女子生徒。ぱっと見ただけでも可愛いと思えるその少女だが……彩花には一切の見覚えがない。

 しかし名前を呼ばれたことからも分かるように、向こうは確実にこっちのことを知っているわけで。彩花なんて名前はそうあるものでもないし。

「あ……えっと、その……」

 確実に元クラスメイトでしかも超仲良かった人なんだけど誰だっけ? というリアル同窓会状況に陥って、彩花は言葉に詰まる。こういう場合、向こうはこっちの内心を知らないのだから名前を聞いたりするわけにもいかないのだ。

「あ、あれ……? 彩花くんじゃ……ないですか?」

 挙句の果てには声をかけてきた女子生徒の方がちょっと泣きそうになってしまっていた。声のかけ方もおずおずとした感じだったし、気が弱いんだろう。

「あ、いや、彩花ではあるんだけど……」

 彩花ではあるんだけどあんた誰、と尋ねるわけにもいかず、彩花は視線を彷徨わせる。というか、記憶の有無以前に学園の中等部のそれも女子生徒の知り合いが自分にいるはずがないのだが……本当に誰だこの人。

 二人の間に気まずい空気が流れるが、それを変えたのはいまいち空気を読まない城島だった。

「お、季蜜じゃないか。何してるんだ?」

 ――季蜜、氷。

 ――へえ、変わった名前だな。何してるんだ?

 ――あのね……。

「――っぁああ!!」

 城島の言葉をきっかけに突然頭の中に浮かび上がってきた断片的な会話の記憶と激しすぎる頭痛に、彩花は立っていることもできず、呻いて床にしゃがみ込んでしまった。

「え? ぇええっ!?」

「おや、記憶が戻ったようだな」

 いきなりの彩花の異常事態に目を丸くする女子生徒と冷静すぎる城島。その反応の差は生徒か教師かの違いだろうか。いっそ冷たいとも思える城島の対応は、ただ単にこういう事態になれているだけだと信じたい。

「季蜜、もしかして今日の高等部の受験前に彩花と会ったのか?」

「あ、えっと、はい……」

 城島に何気なく尋ねられただけなのに季蜜(恐らく名前は氷)と呼ばれた女子生徒はびくっ! と肩を震わせて恐る恐る答える。人当たりが良い城島にそんな態度ということは、気が弱いのは確実だろう。

 頭痛をごまかすために彩花が努めてそんなことを考えていると、

「彩花、未現体の影響で失われた記憶は基本的に戻らない。無理に取り戻そうとすると重たい後遺症が残る可能性もあるから、考えちゃダメだぞ」

 ようやく、城島も教師なんだなあ、と実感できた彩花であった。



 おろおろして落ち着かない氷とにこにこ笑って色々話しかけてくる城島に十分ほど待ってもらい、彩花は頭痛の治まった頭を押さえながら立ち上がった。

「今日は厄日だな……」

 げっそりとした顔で、そんなことを呟く。

 目標の灰城学園の入学試験に合格したこと自体はこの上なく喜ばしいのだが、どうもその後は悪いことが続いている気がする。

人生で良いことと悪いことは同じだけ起こる、なんていう教訓があったような気がするが、どうも彩花の場合は悪いことの方に比重が偏っているらしい。良いことである受験合格の記憶は消えたし。

頭を振って痛みの余韻を飛ばしていると、とてとてと氷が小走りで近づいてきた。

「彩花くん、大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ。……えっと、季蜜でいいんだよな?」

「あ、はい。季蜜氷です。……初めまして?」

 彩花の記憶が失われていることは城島から説明を受けたらしく、疑問形でちょこんと頭を下げながら自己紹介をする氷。彼女にとっては今さらのことなんだろうが、彩花にとってはとてもありがたい。

 ちなみに近くに寄って初めて分かったことだが、氷は背が低かった。百五十ぎりぎりあるかどうかくらいだ。この背の低さも、華奢な体格や幼く見えるショートヘアと相俟って彼女が子どもっぽく見える要因だろうか。

「一応、彩花くんの受験の前が初対面で……氷が困ってたの、助けてもらったよ?」

 さらに子どもっぽい点を発見。自分のことを名前呼び。

 いっそ見ていて微笑ましいくらいの氷に、しかし彩花が返すのは苦笑いだ。

「ごめんな、覚えてなくて。思い出そうとするだけで危ないらしいから、悪いけどここから初対面で始めさせてくれ」

「うん」

 バツが悪そうに頭を掻きながら言う彩花に、氷は素直にこっくりとうなずく。あれ、なんか会話の感じが城島の時と違う……? と彩花が内心で不思議がっていると、

「それにしても季蜜、どうしてこんな時間まで学園に?」

 城島が会話に加わろうとした途端、びくぅ! と肩を跳ね上がらせた。

「あ、いや、その……」

 まるで飼い主に叱られた子犬のように小さくなって彩花の背中にこそっと隠れ込んだりまでしている。……どうやら気弱というより人が苦手の性格らしい。だって、教師とはいえそれなりに親しい感じの相手に話しかけられてこの挙動不審だよ? いや、城島なら初対面の相手にでも馴れ馴れしくぶつかっていきそうだけど。

「あの、高等部の受験で事故があったって聞いて、彩花くんと別れてすぐだったからもしかしてって思って……でも、違う人だったらって思うと、保健室に入っていけなくて……」

 え、事故なの?

 いくらなんでも気弱すぎる氷のことはともかく、彩花が最初に驚いたのはそこだった

 受験のことは城島からは未現体の暴走だと聞いていたのだが、氷は事故と聞いたという。彩花としても仮にも試験を合格しているわけだし、まさか事故を起こしたとは思っていなかったのだが、

「ああ、ぶっちゃけ事故だぞ。ていうかもう事故っていうレベルじゃなかったぞ、あれは」

 彩花の内心を読み取ったように、腕を組んだ城島が当然のように言う。……マジですか?

「試験で使う未現体は出力を抑えてあって、まず事故は起こらないんだけどな。それでも大規模な事故を起こすほどの才能を持ってる彩花だから、合格なんだぞ」

「……俺、知らない間に結構とんでもないことやってたんですね」

「そうだな。あれは前例がない大事件だったぞ。……それに、そっちもな」

 そっち?

 城島の台詞に違和感を覚え彼の視線を追ってみると、その先にいたのは氷だった。彼女は未だに彩花の後ろで彼の服の袖をぎゅっと握って隠れている。城島の視線から逃れるようにまたちょっと移動までしていた。

 あんた季蜜にセクハラでもしたことあるんですか? と思わず疑わしそうな視線を返すと、

「おいおい、変な想像するなよ。季蜜は元から人見知りが激しい上に、知ってる相手でもよっぽど時間をかけて親しくならないとそうなんだぞ」

 な、と城島から同意を求められ、氷はまた彩花の後ろに隠れる。確かに城島の言う通りで人に対して苦手意識があるようだが……。

「いや、俺って今日が初対面だったんじゃ……?」

「だからすごいって言ってるんだぞ。一体何をしたら季蜜が初対面でこれだけ心を許すんだ?」

「あ、あの、氷は……」

 神妙な態度でうなずき合う二人におずおずと意見を挟もうとした氷だが、

「……がおー!」

「はぅあ!?」

 両手を上げてふざけた怪獣のものまねをする城島に完全にビビらされていた。

 その反応を見て満足したのか、城島はふう、と息を吐くと、

「ま、時間ももう遅いしお互いに事情も分かったからな。今日の所は帰るとするぞ。季蜜もせっかく彩花と仲良くなったなら一緒に送っていくぞ? さすがに女子生徒を家に泊めるわけにはいかないけどな」

「……? 彩花くん、城島先生の家に泊まるの?」

「ああ、今からじゃ家に帰れないから仕方なくな」

 ここまでの話の流れを知らない氷に一連の出来事を説明すると、

「あ……」

 何かを思い出したような声を漏らした。

「あの……気に入ってもらえるかどうかわからないけど、提案してみていいですか?」

「別に気に入らなくても怒ったりしないから敬語はやめろ」

「えっと、それなら……」

 氷は顎に指を当ててちょっと考えるようにしてから、

「氷が借りてるアパート、確か隣の部屋が空いてたよ?」


          ♪♪♪


 で、氷の情報と城島の「どうせ入学したら住宅施設借りて島に住むんだろ? 季蜜もいることだし、話を通しておいてあげるからそこに決めちゃえよ」という城島の適当な提案に乗っかっていざ入学した時のための下見がてらにやって来たわけだが、

「へえ……なんか結構良さそうなところだな」

「そう言ってくれると嬉しい、かも」

 連れて行かれた先にあったのは、アパートというよりはちょっとしたマンションのような建物だった。ぱっと見た感じはきれいだし、想像していたのよりも大分大きい。これなら学園の寮にも引けは取らないだろうと思えるほどだ。

 氷が言うには、一見お洒落な雰囲気も漂っているこのアパート、学園からバスで一時間ほどという立地のせいか家賃はあまり高くない。そもそも基本的に学生が借りるものなのだから、そう値が張らないように考慮されているのだろう。

「えっと、学生契約なら……」

 氷は指を折って何やらさらに細かく計算しているが、彩花としては自分でも十分に住める条件の住宅だと分かった時点で自己完結している。頼んでもいないのにそういうことをしてくれるのは彼女の性格だろうな。

 とにかく、城島も帰ってしまったことだし、今晩はここに泊まるしかないようだ。文句の付け所がない物件だし、文句があったとしてもそれを言える立場ではない。素直に借りておくとしよう。

 ……ていうか、隣でこれだけ頑張って氷が家賃の計算を続けてくれてるのにやっぱり帰るとか言えないわけで。



 三階建てのアパートなのにご丁寧に設置されているエレベーターを迷わず使わせてもらい、二人は氷の部屋があるという三階に上がってきた。

 先導してくれる氷に続きフロアを歩くと、外見だけでなく実際に中に入ってみてもまだ新しい建物の雰囲気がよく分かる。

「氷の部屋はここだよ。人がいなくて空いてる部屋は隣のここ」

 少しして、氷は一つの部屋の前で立ち止まった。表札を見てみると確かに「季蜜氷」と手書きの文字で記されている。あ、文字は意外ときっちりした感じだ、とちょっとした驚きを感じたのは内緒だ。だって、本人の性格的には丸文字書きそうだし。

 続けて隣の部屋の表札に視線を移すと、確かに空き部屋のようで空白になっている。そのさらに隣は名前が書いてあるし、空いているのはここだけのようだ。

 ちなみに部屋が空いているのは曰く付きだからとかいうことではなく、この部屋にいた人物が学校を卒業して島を出たからだそうだ。これだけの優良物件を発見できたし、受験での事故もそう悪いものじゃなかったかもしれない。

「豆知識だけど、このアパートで学園の生徒なのは氷と彩花くんだけだよ。他の人たちは別の学校」

 補足するように氷がそう説明してくれた。学園体からバスで一時間という通学の不便を考えれば、当然のことかもしれない。彩花はまだ通うわけではないから実感もないが、氷も毎日大変なのだろう。

「彩花くん、四月からここの部屋を借りる?」

 最後に、少しだけ期待を込めた声音で氷はそう訊いた。なぜだか知らないけど彩花には心を許しているようだし、彼女としてはそうしてほしいに違いない。彩花にとっても知らないことだらけの学園で早速友達ができたことはとてもありがたいので、

「ああ、そうさせてもらおうかな。……まあ、ちょっと気が早いけどさ」

 途端、氷はぱあっと表情を輝かせて、やった、と小声で心から嬉しそうな呟きを漏らした。本当にこいつに何をしたんだろうな、俺。不思議で仕方がないし、今度訊いてみよう。入学して落ち着いたらゆっくりと。

(とりあえず今日はこの部屋に泊まらせてもらって、朝早くに帰れば学校に間に合うかな)

 あ、帰る前に部屋の契約もしていかないと。他の受験生は合否発表もまだだからフェアじゃない気もするけど、そこは目を瞑ってもらおう。

 日本の方にある中学のことや明日の朝の出発のことなどを彩花がのんびりと考えていると、

 ppp、ppp、ppp……

 質素な電子音が辺りに反響して大きく響いた。

「悪い、電話みたいだ」

 氷に断りを入れてから、彩花はポケットの中の携帯電話を取り出す。普段はこんな時間に電話がかかってくることもないし、多分、城島から連絡を受けた保護者からだろう。

 そう思っていたのだが、

(誰だ、この番号……?)

 携帯電話の画面には着信中のお知らせとともに見慣れない電話番号の表示。一瞬いたずら電話かとも思ったが、今の自分の状況なら通っている中学の担任から電話がかかってくることもありえる。無視するわけにもいかないし、もし本当にいたずらだったら切ればいい。

 若干の警戒心を抱きつつも彩花は通話ボタンを押し、



『お、彩花か? こちらはみんなの憧れ、城島先生だぞ!』



 プツ。ツ――、ツ――、ツ――……。

「あれ? 電話、もうおしまい?」

「ああ、大丈夫だ。気にしないで――」

 ppp、ppp、ppp……

「……電話、鳴ってるよ?」

 ちょっと困った風にしつつも親切に伝えてくれる氷に笑顔で軽く頭を下げ、彩花は彼女からちょっと離れた場所で通話ボタンを押す。

『お、彩花か? こちらはみんなの憧れ、城島先――』

「ちゃんと分かって切ってることに気づいてくれませんかねぇ!?」

 思わず絶叫していた。

 いや、良い人だっていうのは分かるけど、この人のテンションって疲れるんだよ。現役中学生がついて行けないレベルの天真爛漫さを発揮するんだもん、常に。正直さっき学校で別れた時にはちょっと肩の荷が下りた気分だったよ。まさか今になって電話がかかってくるなんて全く予想してなかったよ。

 少しだけ離れた場所で目を丸くしている氷に大丈夫だ、と視線を送って彩花は通話に集中する。本当なら反射的に叫んでしまったこの心境を伝え、理解してもらいたいところだが、さっさと話を終わらせることが先決だ。

『おいおい、先生からの電話をわざと切ったりしちゃダメだぞ』

「それについては今度会った時に謝らせてもらいますよ。俺が入学する一ヶ月後まで覚えてたらですけど」

 相変わらず相手を疲れさせるハイテンションにげっそりとしながら思わず彩花が通話口に向かって毒を吐くと、

『ふっふっふ、甘いな彩花。君が僕と再会するのは一か月後じゃないぞ』

「はあ? だって、入学式は四月じゃないんですか?」

『確かに入学式は一ヶ月後の四月だぞ。ただし、僕と彩花の再開は明日なんだぞ』

 もしかして明日の朝、島を出る時に見送りにでも来るつもりなのかな、と彩花が携帯電話を耳に当てたまま首を傾げていると、

『彩花。明日、学園に来なさいだぞ』

「学園に?」

『そう、学園に、だぞ』

「でも俺、明日は日本に帰らないと学校もあるんですけど……」

『そのことなら心配ないぞ』

 ふっふっふ、と電話の向こうで不敵に笑う城島。ただ事ではないその雰囲気に、電話なのについ身構えてしまう彩花に、城島は言い放つ。



『真藤彩花。一ヶ月早いけど、学園の入学を許可するぞ!』


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