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マテリアル  作者: ラギ
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もう止まらない物語 4

空間が揺らいだ。

 時空を無理矢理捻じ曲げたかのように揺らめき、まっすぐに突っ込んでくるそれを視認した瞬間、契は横に跳んでいた。

 直後、一瞬前まで自分が立っていた地面が無残に切り裂かれ、コンクリートの破片に成り下がる。もしもその場に突っ立っていたら、契も全身から鮮血を噴き出す羽目になっていただろう。

「風を操る能力、ってとこか」

 そんな恐ろしい風景に物怖じした様子など微塵もなく、契は冷静に敵の能力を分析し始める。

「鎌鼬を強力にしたようなもんだな。刃が見えねぇ上に距離も関係ねぇってのは厄介だが、攻撃の前には揺らぎが見える。避けるのは容易いぜ」

 告げる契を、高椋は冷めた視線で眺めていた。自分のことを分析している契のことを評価しているようにも見える。

「ランクとしてはBくらいだろうな。俺の敵じゃねぇよ」

「……単純なものだ。とてもそう強い生徒だとは思えないが」

 その台詞には、落胆の色が濃く表れていた。

「例えば、だ。ただこれだけの動作で、俺の攻撃は回避不可となるが」

 ゆらり、と。

 緩やかな、緩慢とも思える動作で高椋が右手を振るう。その手が空間をかき乱しているかのように、即座に揺らぎが生じた。風を操ることによって発生する揺らぎだ。あの揺らぎに捕まれば目に見えない鎌鼬に寄って全身を切り裂かれることになるが、加減したのか失敗したのか、この攻撃は弱い。契の目から見ても揺らぎが明らかに遅いし小さい。

 避けられる。そう判断して一歩後ろに下がったが―

 ちくり。

 針を刺す程度、カッターの刃先がうっかり手に触れてしまった程度だが、確かな痛みを契は感じた。痛みの出所は背中の下辺り。

 同時に、灯が叫んだ。

『春神先輩、後ろです!』

 その声が届いた瞬間、考えるよりも先に契は地面を蹴っていた。大きく横に向かって跳び、迫りくる攻撃を回避する。さらに追撃に備えて素早く身構えようと拳を握りしめ―

『あ、すいません、そこまで大袈裟な攻撃じゃありませんでした』

 間の抜けた訂正に思わずこけそうになった。

「んだそりゃ! でけぇ声出すからよっぽどかと思っちまったじゃねぇか!」

『驚いたんですよ! 急に後ろにも揺らぎが見えたから……』

「後ろにも……?」

 灯の言葉に引っ掛かり、大慌てで自分が飛びのいた場所に視線を戻す。よほど遅い攻撃だったらしく、揺らぎは未だに進み続けていた。ついさっきまで契の前だった場所と―もう一つ、契の背後だった場所に。

 契の背中に触れたのは後者の鎌鼬だろう。二つの揺らぎはゆっくりと蝸牛のように空間を這って進み、やがてぶつかり合って互いを消滅させ合った。

「これで分かったか。分からないのであれば相当の無能であろうが」

 それを見届け、高椋が口を開く。

「俺の攻撃に方向は関係ない。数の制限はない。威力の限度はない。風はいつでもどこにでも、限りなく自由に存在するものだが」

 突き出した高椋の手の平の上に、小規模な木枯らしが発生する。風には、時間も場所も何の影響ももたらさない。頬を撫でるそよ風も、都を破壊するトルネードも、高椋はその全てを意のままに操れるのだ。

 関係はない。制限はない。限度はない。限界はない。上限はない。どれだけ遠い距離であろうと瞬く間に駆け抜ける。風には明確な不可能がない。

 それを操ってしまう高椋にも、目に見える限度はないのだろう。人間にははっきりと存在するそれも、後に得た能力によって簡単に失せてしまう。元来、未現体とはそういうものだ。人間ではどう足搔いても越えられない高い壁を、手に入れた異能でいとも容易く乗り越えていく。その魅力に取りつかれた人間は犯罪行為にまで手を染める。染めてしまう。我が物となった強大な能力を誇示したがる人間は必ずいる。

 果たして高椋鋭利とはそのような人種なのか。もしそうなのであれば、契は彼を許さない。そんな世界一下らない理由で誰かを傷つける人間を、絶対に許してやることはできない。彼は誰よりも優しいと評され、そして暴君とすら呼ばれる存在だ。罪のない人々を傷つける存在からは身を挺してでも守り、人を傷つける誰かは徹底的に潰す。行き過ぎた優しさこそが彼の持ち味。それを侮る相手が悪い。

 どの道、もう許されない所まで敵は来てしまっているのだ。

「先手必勝ォ!!」

 風を操る高椋に対して、基本的に素手で挑むしかない契の能力は相性が悪い。ランクの差はあっても戦法次第ではそんなもの、楽に覆されてしまう。

 ならばどうするべきか。簡単。高椋が攻撃を仕掛けてくる前に殴り飛ばしてしまえば済むことだ。猛然と駆け出した契は、至近距離にまで迫った高椋に向けて、振り上げた拳を容赦なく振り下ろすべく力を込める。反撃はあるだろう。こちらがどれだけ速くとも、風に速度の上限はない。

 だから、一撃だけ耐える。最初の一撃だけは歯を食い縛って堪え、そして殴る。高椋の攻撃は風を刃に変質させ、人体を切り裂くものだ。食らえばよろけるかもしれないが、後退はない。致命傷さえ与えられなければ、契には一発で高椋を殴り殺す自信すらある。

 不可視の刃によって与えられるだろう痛みに内心で身構えながらも、契は握った拳を全力を込めて振り抜き―

 ―全身を襲う衝撃と共に、後方に吹き飛ばされた。

 契自身が何かをしたわけではない。彼の攻撃はまだ高椋に届いてすらいなかった。一体何をされたのか咄嗟に把握できない。自分がとてもきれいな放物線を描いて空中を舞っていることだけが、漠然と客観的に理解できるただ一つのことだった。

「だから単純だというのだ。学生風情の思考など簡単に読めるが」

 呆れ果てたことを隠そうともしない高椋の声が、耳元で叫ばれているようにがんがんと響く。意識が飛びそうなほど朦朧としているのに、痛みは感じなかった。ただ気持ちの悪い浮遊感だけが全身を包み込んでいる。

 続く衝撃はその直後。背中から突き上げてくるような鈍痛と何かが潰れるような、折れるような鳥肌の立つ効果音で、どうやら地上に落下したらしいと察した。気を失わなかったことは幸か不幸か。生きているのだから幸だと言いたいところだが、神経が千切られてしまったのかと思うほどに体の感覚がなかった。

 こつ、こつ――硬質の足音が徐々に近くなり、大きく聞こえる。

「大方貴様は、一度の斬撃程度ならば耐えられると踏んだのだろう。どうしようもなく浅はかだと言わざるを得ないが」

 足音が大きくなるのに比例して、高椋が近づく。

「風には速度も距離も方向も数も威力も―そして、形も定められていない。刃となることもあれば鈍器となることもあるのは当然だが」

 つまり、契は風の刃で切り裂かれたのではなく、巨大な金槌にでもなった風に思い切り殴り飛ばされてしまったということか。

 だが、謎の攻撃の正体を明かせたところで、もう遅い。既に契は致命傷と言っても差し支えない程の傷を負っていて、このまま放置していれば勝手に死んでしまうような有様なのだ。

 おまけに今は、意思を持った災厄が一歩ずつ確実に迫っている。

 あまりにも追いつめられてしまっているこの状況を知る訳もなく、初めに契が放り投げた通信機からは興奮したシークの声が漏れ聞こえていた。灯を介するよりも直接伝えた方が早いとでも考えたのだろうが、その報告は誰にも届かない。

『ハルハル、不法入島者たちの目的、締め上げて吐かせたにゃーよ!』


          ♪♪♪


 今の世の中で金を得るのに、最も効率の良い方法とはなんだろうか。

 働くとか、骨董品を売るとか、誰かに借りるとか、きっとその方法はいくらでもある。ただ金を得るという目的のみに関して言えば、時給の安いアルバイトでも達成できるのだ。

 ただし、それらはあまり効率が良いとは言えない。働くことは正道だが地味だし、骨董品は本物なら高額も期待できるが外れもある。借りることに至ってはいつか必ず返さなければならないのだから±零だ。

 では、最も簡単に、しかも確実にかなりの高額を得られる方法とは何か。

 それは、未現体の売却だ。

 ランクによって金額に多少の差はあれど、今の世では未現体に何よりも価値があり、Eランクでも上手くやれば平均的な公務員の生涯賃金程度の金額に換えることができるのだ。もちろん未現体の売却行為は一般では厳しく禁じられているし、そもそも未現体を手に入れることができる身分というのは限られている。法を犯すことを恐れず、さらに未現体売却のための裏のルートに手を出せば、もう表社会で堂々と生きることはできないだろう。

 それでも、高椋鋭利の目的はそこだった。

 希少価値が高く高価な未現体を手っ取り早く手に入れるには、それらが大量に保管されている場所を狙えばいい。そしてそんな場所、世界中探したって未現島以外にはありえない。

 彼は全財産を投げ打って、裏の市場で風を操るCランクの未現体を手に入れた。名前など聞かなかったし名付けてもいない。彼にとって重要だったのはそんなことよりも、手に入れた未現体が無事に適合するかどうかだったのだ。

 果たして入手した未現体は見事に適合し、高椋は強大な力を手に入れた。それからの彼は能力を使いこなすために血反吐を吐くような努力を重ね、未現島の内情についてありとあらゆる手段を用いて調べ、さらにはそこでの教師であり顔見知りでもある城島に接触を試みた。それだけでは足りないと島を占拠するための仲間も集め、計画は完璧に練り上げた。

 実行した計画は滞りなく進み、達成は目前。夜が明けるまでに島を占拠し、高ランクの未現体を根こそぎ奪ってしまえば五十人以上の仲間と分け合ってもかなりの額になる。城島の裏切りなど想定内。だからこそ最初に不意打ちで審査団を潰したのだ。

 物語の中にしか存在しない想像上の極悪人のように、高椋はただただ金のためだけに罪なき人々を蹂躙し続ける。



 表層だけを見れば、そういうことになってしまうだろうか。

 あるいは、深層までを知ってもそうとしかならないだろう。

 例えどんな理由があろうとも、高椋がしているのはそういうことでしかないのだ。

「これで記憶は全部戻っただろう」

 わずかに感情の戻った声音で城島は問うた。さきほど感じた期待は相変わらずそこにそのまま残っている。

 彩花は、初対面の頼りないイメージがなくなった教師に小さく頷いた。



「先生は……犯人の―高椋の手助けをしてたんですね」



「……ああ」

 肯定は短く、明瞭だった。

 彩花の取り戻した記憶の中では―城島は高椋の共犯者と言って差し支えない存在だった。

 彼は高椋に港の警備が薄くなる時間を伝え、侵入してから行動を起こすまでの潜伏場所を用意した。不法入島者たちの目的である、『希少な未現体が数多く保管されている』灰城学園にその情報が流れないよう操作していたのも城島だ。

 本当は何もかも知っていたのにそんな素振りは一切見せず、城島は犯罪者に手を貸していた。

 全ては―島の人々を守るために。

「僕が協力しないのであれば島の人間を無差別に殺す。高椋はそう言い放ったからな。逆に僕が協力するのであれば、誰も傷つけずに未現体だけを持って島を出る、とも」

 過去の己の決断を悔いるように、城島は顔を歪めて唇を噛み締めていた。それも仕方のないことだ。島を守るために苦渋の決断を下して犯罪者に手を貸したというのに、当の本人たちは島に入った瞬間に一方的な攻撃を始めてしまったのだから。

 城島が今日―厳密に言えば昨日―になって急に風紀委員に時間のことを明かしたことも、その辺りが原因だろう。このまま何も対策を講じなければ不法入島者たちがますます過激な行動に出ると危惧した彼は、せめて風紀委員たちにその凶行を止めてほしいと願ったのだ。

 もっとも、それ以前から―それこそ彩花を島に引き留めた瞬間から、城島の抵抗は始まっていたようだが。記憶を取り戻したことによって、明らかに妙だったここ数日の城島の不可解な行動には納得がいった。

「とても申し訳ない話だけど、僕は彩花と会った瞬間に協力してもらうことを決めていたぞ。理由を訊かれれば直感とした答えようのないことだけどな」

 彩花が協力してくれることも、Aランクの強力な未現体に適合することも、城島には最初から察しがついていたということか。確かに、協力を求められるのも納得ではある。

「一応言っとくけど、記憶を封印する前の彩花の同意はもらっているぞ。記憶を封印したのは、余計なことを考えずに能力の習得に集中してほしかったからだ」

「……そのことも思い出してます」

 それは面接の時にも聞いたことだ。形だけだが正規の学園の面接試験を終えた後で、城島は高椋たちのことについて話し出した。どうやら二人は高校時代の同級生らしいが、性格的にもかなり馬が合わなかったようだ。

 それでも、嫌いなはずの城島に最初こそ脅迫まがいの行為はなく純粋に頭を下げて協力を仰いだ高椋だが、城島が協力を断った時点で能力を使い脅しに入ったらしい。

「僕の能力も強力だが、高椋に勝てるとは言い切れなかった。それにもし僕が戦って死んだら、協力者を失った奴らがすぐにでも凶行に及ぶかもしれない。そう考えると、ひとまずは従うしかなかった」

 その裏で彩花にAランクの能力を習得させるなどして、五十人の不法入島者への対策を練っていたということか。初めから風紀委員会にそのことを明かさなかったのは、少しでも勝率を上げたかったからだという。確かにAランクがいるといないとでは大違いだが、しかしこれには大きな誤算が生じた。

 城島の予測では、彩花は苦戦したとしても三日あれば〝黒栄式〟を使えるレベルには達するはずだったという。しかし、彩花はどうあってもそれができなかった。時間が足りないとかいう話ではなく、どうあっても不可能だったのだ。

「今なら分かります……〝黒栄式〟は所有者の心に深く関わる未現体。扱うなら強い意志を持っていないといけなかったのに、俺はそれを失っていた」

「ああ。元々はその意志があったはずなんだ。だが、彩花はそれを失くしてしまっていた。理由は―」

「入学試験での事故、ですね」

 彩花が記憶を失う原因となった入学試験。事故による記憶喪失というのは建前で、実際はEランクの未現体を使い、その能力で記憶を封印していただけのことだったのだが、実はそれだけではなかったのだ。

 実はあの時、事故も本当に起きていたのだ。

 実際にEランクを使って記憶を消す作業を行ったのは彩花だが、Aランクに適合するほどの資質を持つ彼の未現体に対する未熟さゆえか、作業中にEランクは暴走を始めた。彩花自身の指定した記憶のみならず、それ以外の記憶まで蝕み始めたのだ。

 その結果、彼の脳からは失うはずのなかった記憶まで消えてしまった。良い例が氷との出会いや未現体のランクに関する知識のことだろう。そしてさらに、失われた記憶は彩花から、彼の強さの根源とも言うべき意志を奪っていった。

 城島がさっきからずっと何を期待しているのか、今の彩花なら分かる。その意志がしっかりと戻ってきているかどうか、彼は確かめたいのだ。

 その証拠に、城島は問うた。

「彩花、お前は人の前に立つことを嫌っていても、それに耐えて英雄にはなると言ったな。……お前をそうさせるものは一体何だ?」

 その問いに、もはや考えて答える必要はない。

 ようやく取り戻すことのできた意志を、彩花は言葉に変えるべく口を開く。

「俺は―」



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