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マテリアル  作者: ラギ
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もう止まらない物語 1

彩花が目を覚ました時、時刻は既に夜中の十一時を過ぎていた。

 ちなみに、優しい誰かが起こしてくれたとか、親切な誰かがベッドのある保健室に運んでおいてくれた、などということは一切なく、寝た時と同じように演習所の真ん中で大の字のままだった。

 しかも、演習所内に自分以外の誰かはいなかった。

「嘘だろ……?」

 上半身を起こして周囲を見回し、壁に埋め込まれているデジタル時計で現在時刻を確認し、彩花は茫然とした表情で呟いた。もしかして夢を見ているのでは、と頬をつねってみると期待に反して痛みがある。

 つまり、現状は言ってしまえば放っておかれて取り残されたというわけで……。

「嘘だろ……」

 もう一度、絶望感たっぷりに彩花は繰り返した。確かに特訓から解放された途端に熟睡してしまったことは反省すべきかもしれないが、まさか夜中の校舎に放り出されるとは思ってもみなかった。

 とりあえず、このままここにいると不審者と変わらないし帰らないと……あれ? この時間ってもうバスも来ないんじゃ……? ていうか何だか騒がしそうにしていた事件の方は一体……と、頭の中ではうまくまとまらない思考が次々浮かんでは消えていく。

 とにかく、学園から出ようと彩花が立ち上がった瞬間、

 フッ―

 空中に、風を切るような音と一緒に、こちらに向かって駆けてくるような姿勢の氷が現れた。

 いや、あれは駆けてくるというより……。

 勢いがつきすぎて止まらなくなっているような……?

 直後、演習所内に派手な衝突音が響いた。



「ご、ごめんなさいっ!」

「あー、いや、大丈夫だ……」

幽霊に怯えている子どものように小さくなって何度も頭を下げる氷に、彩花は後頭部を押さえながら答えた。突如空中に現れて、しかもそのまま突っ込んできた氷を抱きかかえるようにして受け止めて倒れたので、床に強打してしまったのだ。きっと明日には瘤になってしまうだろう。

「あ、あの、春神先輩に彩花くんのことを訊いたら、その、寝てたから放置してきたって言われて! それで、慌てて戻ってきたから!」

 一気にまくしたてる氷の首には、確かに彼女固有の未現体である鈴付きの首輪が巻かれている。つまり、慌てていたせいで勢いをつけすぎてしまい、瞬間移動後の着地に失敗したということか。強力な能力も使用者次第ということを示すいい例である。

 彼女は、珍しく大声かつ早口で喋りきったせいか、頬を紅潮させて肩で息をしていた。普段が物静かな性格だからなあ、と氷の息が整うまでちょっと待って、彩花は彼女に疑問をぶつけることにする。

「それで、春神先輩は……?」

「あ、えっとね……」

 できるだけさり気ない調子で訊くと、謝り倒していたことなどさらっと忘れてしまったようで、氷は指折りこれまでのことを話し始めた。

 審査団強襲、情報の遮断、五十人の不法入島者……氷の語ることはどれもこれも耳を疑うようなことばかりだ。思わずもう一度頬をつねってみるが、さっきと同じように痛みはある。

「それで、時間ももうすぐだから、みんな外にいるの」

 まるで世間話のようなテンションでまとめられたわけだが、どう考えても歴史に刻まれるレベルの大事件だ。寝ている彩花なんか誰も気にかけないのも納得である。

(ていうか、なんで俺は引き留められたんだろうな……)

 契は城島の作戦かもしれないというようなことを漏らしていたが、やはりそうは思えない。現に彩花は事態が動き出すまで一時間を切った今でも、未現体を扱うことができないのだ。城島が何を思って彼を特別新入生にまで仕立て上げたのか、結局は分からずじまいだ。

「あのね、多分だけど外はこれから危険になるから、彩花くんにはここで待っててほしいの」

「ああ、分かった……季蜜は?」

「氷は行かなきゃ。時間がなくて避難勧告も出せてないし、五十人が何をするのか分からないけど、警備はしなきゃ」

 風紀委員会だから、と言う彼女の表情は、どこか誇らしげだった。

「もう零時まで三十分もないから、行くね。無事に終わったら迎えに来るから、安全になるまで待ってて」

 ―ああ、分かった。

 答えようとした言葉が、咄嗟に出てこなかった。

「……彩花くん?」

「あ、おう。分かった。ここにいればいいんだな」

「うん、待ってて」

 こくりと頷いた直後、氷の姿が一瞬にしてその場から消えた。歩く時間も惜しんで、外に移動したのだろう。

 そして、取り残された彩花は。

「すっきりしないな……」

 腕を組み、眉を寄せて唸った。

 今のは、何なんだろう……言葉が詰まったとか、思考が停止したとか、そんな表現が相応しいだろうか。いや、違う。もっと明確に、返事が遅れてしまった理由があるはずだ。

 そう、うまく言い表すことはできないけれど――。

 そこで素直に頷くことは、果たして正しいのか、という漠然とした疑問。なんとなく、あくまでも直感的にだが、あの瞬間、彩花は不安に襲われたのだ。

 まるで、本来自分の中にはない感情が突然芽生えたような感覚。どうしようもなくもやもやとした、すっきりとしない気持ちが自分の中で広がっていく。

 気がつくと、彩花は演習所を飛び出していた。


          ♪♪♪


 二十三時四十七分。

『もしもし。「黒猫」は所定の位置につきました。どうぞ』

 瞬間移動によって学園から移動した氷は、右耳にイヤホンを挿しこみながら簡潔に告げた。イヤホンの先はカーディガンのポケットの中にある通信機に続いている。風紀委員会特製の一品で、手の平サイズだが抜群の性能を誇り、現在は緊急招集で集まった風紀委員七十二名と通信が繋がっている。音声はイヤホンで伝わり、スイッチを入れて身につけていれば声は勝手に拾ってくれる優れものだ。

 もっとも、ほとんどの委員たちは音声の受け取り側であって、発信側はたったの四人しかいない。言うまでもなく学園に籍を置く、風紀委員会本部の四人である。

『暴君』、『道化』、『夢幻』、『黒猫』。

 本名よりもむしろ通り名の方がよほど有名な彼らは、風紀委員会支部と協力して活動する場合、お互いをそう呼び合う。その通り名が、四人の強さを直接的に示すキーワードでもあるのだ。

『了解です。「夢幻」もスタンバイできました。どうぞ』

『にゃー。「道化」もOKにゃー。どうぞ』

 イヤホンから相次いで灯とシークの声が届き、通信機の接続が確認された。感度は良好。問題はなさそうだ。

『おう、「暴君」も準備完了だ。それじゃあ確認するぞ』

 最後に、いざという時にリーダーシップを発揮する契が口を開いた。

『事前に入った情報では、不法入島者約五十名の行動開始時刻まであと十二分。こちらの戦力は風紀委員会七十二名。数では上回ってるが、なにせ相手は審査団をぶっ倒すほどの手練れ揃いだ。油断はできねぇ』

 今回、不法入島者捕縛に動くのは風紀委員会のみだ。本当なら審査団にも協力を仰ぐところだが、強襲されてただでさえ人手不足な審査団ではどこまで頼りになるのか分からない。中途半端に協力されて委員会の輪を乱されるのも、言ってしまえば迷惑だ。

 もちろんそれ以前に、恐らく犯行グループに関係している城島の配下である彼らのことを信用しにくかった、ということもあるのだが。

『「道化」は中央区の西半分、「黒猫」は中央区学園付近、「夢幻」は学園の風紀委員会本部、「暴君」は中央区の東半分。もちろん状況によって持ち場は変わるが、ひとまずそれぞれ待機はできてるな? それに支部の方も、東区、西区、南区、北区にそれぞれ―』

 零時に不法入島者が行動を起こすと分かってから風紀委員会支部と連絡を取り、七十二名の人材をかき集め、さらにそれぞれに細かい持ち場とちょっとした指示まで与えた契の手腕には、氷も舌を巻いた。本当に、不良の姿をしていることがもったいなくて仕方ない生徒だ。

 今も淡々とそれぞれの持ち場をわざわざ声に出して確認しているが、それにもこれといった問題点はない。この途方もなく広い未現島を、七十二名という少人数で警備するには最適の配置だ。

 氷は、詰まることなく続く契の声を意識の端に置きながら、少し離れた場所に見える学園の大時計に目をやった。時刻は二十三時五十二分。猶予はあと八分だ。

 首元にぶら下がる鈴に手をやって、氷は深く頷いた。


          ♪♪♪


 二十三時五十七分。

『―これで確認は終わりだな。残り時間は三分。各々、気合入れていくぞ!』

 風紀委員会の通信が終了したことを確認し、高椋鋭利はふん、と鼻を鳴らした。

「所詮は子どもか。盗聴されている可能性すら考慮していないが」

 未現島の通信は基本的に審査団が管理している。これは貴重な未現体の情報を極力外に出さないための措置で、必要とあらば島内の通信を無断で傍受することもできる。

 現在その権限は中央区所属の審査団、ひいてはその拠点を制圧した高椋にあり、風紀委員会の通信ぐらいなら楽に盗み聞くことができるのだ。

 高椋は携帯電話を操作して、今頃は一分を惜しんでいるだろう仲間たちにメールを打ち始めた。盗聴した風紀委員会の布陣を伝え、それらを避けるために最適の指示を次々に送りつける。相手は学生といえども全員が優秀な能力者だし、数ではこちらが劣っている。余計な消耗を防ぐためにも予定時間ぎりぎりまでこもっていたわけだが、正解だったようだ。

 メールを送り終えると携帯電話を折り畳み、高椋は立ち上がった。

 そして―足元に転がる重傷の審査団員たちを気にも留めずに通信機材の積まれた室内を後にする。返り血を浴びて元から黒い服装がより一層どす黒くなっていることを気にも留めず、黒い手袋を嵌めながら、悠々と彼は行く。

「中央区の拠点も制圧は楽なものだ。楽すぎて心配になるくらいだが」

 二十三時五十九分。


          ♪♪♪


 校庭に出た途端、激しい頭痛が発症した。

 いや、場所の問題というわけではないだろう。この頭痛はここ数日で何回か味わっている。失った記憶を取り戻すときに襲ってくるものだ。そっとしておけば治まるようなものではなく、ただ苦しみだけが続く。戻ってこようとしている記憶さえ諦めれば落ち着くことは分かっているが、そうしようとは思わなかった。

 ぎしぎしと、頭蓋骨が軋んでいるかのような錯覚さえ感じる頭を押さえ、ふらふらと覚束ない足で何とか前に進んでいく。まったく学校とは思えないほど広い校庭の、どうにか中心付近まで行ったところで、膝が折れた。

 暗い。時間を考えれば当然のことだが、朝からついさっきまで室内にいた彩花にとっては今になってようやく知ることのできたことだ。学園には夜間照明もないらしく、校庭を見渡しても一切照らされている様子はない。

 そういえば、島の学園施設密集地帯では生徒の夜遊びなどを防止する目的で街灯も最低限なのだと聞いたことがある。一帯が極端に薄暗く、本来の目的もある程度果たせているものの、暗闇に乗じたひったくりなどの犯罪も増加しているらしい。

 校舎に設置された巨大な時計に目をやると、時刻は二十三時五十九分。一時も休むことのない秒針は、既に円盤の半分を通り過ぎている。

「思い出せたのか?」

 ふと、自分に問いかける声が聞こえた。夜の闇のせいで姿は見えないが、気のせいや幻聴ではない。視界一面の黒から染み出たようなその言葉は、間違いなく彩花も知っている人物のものだ。

「まだ……思い出せてません……」

 頭痛を堪えながら、彩花はなんとかそう答えた。思い出してはいないものの記憶はそこまで戻ってきているようで、明らかに痛みが増している。

「でも……さっき季蜜と話した時に、俺の中には……はっきりとした違和感がありました。きっと……それが、なくなってしまった俺の志……」

 ずきずき。ずきずき。

 頭を万力で締めつけられているかのような激しい痛みが、容赦なく彩花を苦しめる。思い出したいという彩花の思いが、ぐんぐんと記憶を引き寄せているのだ。

「そこまで来たなら、もう思い出せるだろう」

 暗闇の向こうから、声が返ってくる。

「彩花、お前は人の前に立つことを拒絶していたな。過去のトラウマのせいで注目を集めることに耐えられないって。だけど、お前の目指すものは英雄だ。大袈裟じゃないぞ。お前の望む未来では、お前は人々の憧れの英雄になる」

 幼い子供を諭すような、それなのにひたすら厳しい声が暗い空間を流れるように渡っていく。

「それでもお前がそこに進みたいのなら、その理由を述べてみろ」

 かち、かち、と校舎の時計の秒針が進み続けるその音が、やたらと大きく響き渡る。

 零時まであと五秒、四秒、三秒―

 そして、その時が来た。

 長針と短針が真上を指して重なり、世界が一変する。

 学園も、街も、研究施設にいたるまで、島中の明かりが全て点灯し、昼間のような明るさに包まれる。

 夜から朝に、急激に時間が巻き戻ったかのような白い世界の中で、彩花は膝を震わせながらも立ち上がり、正面にずっと立っていたのだろうその人物と対峙した。

「彩花、お前は英雄になれるのか?」

 鋭い視線で問いかける彼――城島に向かって、彩花は一歩踏み出した。


          ♪♪♪


『この島って全力出すとこんにゃに明るいのにゃーね。初めて知ったにゃー』

「余計な私語は禁止だ。クソ、審査団ども、楽に陥落しやがったな」

 とてつもなく吞気な態度のシークに注意して、契は突如として昼間のように明るくなった街を見渡した。零時丁度という時間のことを考えても、敵は定石通り暗闇に紛れてくるものと思っていた彼としては大きな誤算だ。意表を突くにしてもやりすぎだろ。

 うろ覚えの知識だが、ここの電力は日本から供給されるものを島の電力会社と審査団が分割して管理していたはず。

「だから審査団に何でもかんでも任せるべきじゃねぇんだよ……」

 思わず契が悪態をついてしまうのにも無理はない。なにせ考えてみれば、島の保安に通信網、電力などの重要なものはほとんどすべて審査団任せなのだ。理由として彼らが島内最強だからということもあるが、その代わり、審査団が負ければこの通り。島の主要機関が乗っ取られたのも同然だ。

 時に「審査団至上主義」などと揶揄されるこの体制に常日頃から不満を抱いていた契としては、顔をしかめたくもなるというものだ。使っている通信機にしても、通信網が掌握されたとなればいつまで繋がっているかも分からない。

 だから、その前にこちらも行動を起こす。

「赤星。とりあえず俺たちを頼む」

『了解しました』

 返事は耳に差し込んだイヤホンからではなく、何もないはずの空中から聞こえた。

『風紀委員会本部は全員視界に入りました。島全体の様子も見えています』

 空間から発生するような彼女の声に、契は満足そうに頷いた。

 これが灯の真骨頂。

 そもそも彼女は今、他の風紀委員たちのように外に出て警備を行っているわけではない。先ほどの通信でも確認されたように、学園の風紀委員会室にいるのだ。理由は単純明快で、灯には戦闘行為を行う能力がないからである。彼女自身は見かけどおり喧嘩もできないような性格と身体能力だし、未現体の能力もただ幻覚を生み出すだけのものだ。

 しかし、逆に援護に回った時の灯の強さは並のものではない。目に見えないサイズの幻覚を無限とも思える数生み出し、島中に死角のない監視網を形成するその能力は、他の誰がどう足搔こうとも足元にも及ばない程だ。

 結果、例え通信機が使えなくなったとしてもすぐ近くにいる目に見えない幻覚がその代わりとなり、同時に現状を事細かに伝えてくれるのだ。もちろんそれだけ強力な能力となるとそう長い時間は発動できないが、問題ない。要するにさっさと片付けてしまえば済む話だ。

「よっし、行くぞ。夜だってのに、こんなに明るかったら寝ることだってできねぇからな」


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