そして動き出す物語 5
シークの逃走劇は朝になっても島中に報道されたりしなかった。要するに審査団に捕まるようなへまはしなかったということだ。
「逃げきれねぇよ、普通」
彼からのモーニングコールで昨夜の出来事を聞かされた契は、呆れと尊敬の入り混じった声音で呟いた。全員が未現体で武装している審査団から走って逃げきるとか、常識的に考えてありえねぇ。聞いている途中でこの電話は夢なんじゃないかと本気で思ったことは、契にとって一生の秘密である。
とにかく、シークはそんな前人未到の偉業と一緒に興味深いことを報告してくれた。
「審査団に異変、か……」
どうやら最初はこっそり調べようとでも思っていたらしいが、はっきりとした異変を感じ取ったからだろうか、報告してくれたこと。
「つぅことは城島の妙な態度も審査団関連。それなら犯罪の匂いはしねぇが、彩花を使おうとしてたのはどういうことだ?」
まさか彩花を審査団に引き込もうと? ……んなわけねぇか。
頭の中に浮かんだ推理を、即座に否定する。審査団は島を守るために未現体を扱える大人たちで構成された組織だ。特に年齢制限があるわけでもないが、少なくとも学生が所属できるようなものじゃない。
だとすると、他の可能性は……。
「……ちっ、考えて分かることでもねぇか」
がしがしと頭を掻き、契は登校の支度を始めた。
審査団関連の事情があるのなら、少なくとも犯罪に関わってはいないだろう。
今日一日で調査に成果が得られなかったら、そこで終了。
心の中で、そう決めて。
♪♪♪
「ね、寝坊回避……」
一ヶ月も経てば春とはいえまだまだ冷え込む朝の空気に首をすくめながら、彩花は眠たそうな両目をごしごしとこすって呟いた。昨日遅くまで行われた契指導の特訓のせいで今日も今日とて体力的にはかなり厳しいのだが、二日も続けて氷に起こしてもらうのも気が引けたので頑張って自力で起床してみせた直後なのだ。バス停までなんとか歩いてきたものの、正直、帰って布団の中に戻りたい。
「うん、彩花くん、偉いよ」
そんな今にも立ったまま眠ってしまいそうな彼の隣では、ほんわかとした笑顔を浮かべた氷が小さい子を褒めるようにして言っていた。よしよし、とあどけない雰囲気の彼女が年上の彩花の頭を撫でているのも奇妙と言えば奇妙な光景だ。
「卒業式のために日本に戻るまでまだまだあるし……俺、生きてられるかな」
「大丈夫だよ。春神先輩だって、死ぬまではやらないはずだし」
「いや、それは分かってるけどさ。ていうか、はずってなんだよ。やらないよって断言してくれよ」
氷はフォローのつもりだろうが、むしろ恐怖心が大きくなった彩花である。
彼女の空回りするフォローや天然の性質を知っていても、やはり慣れることはできない。彩花が思わずぶるっ、と身震いしていると、
「(あの子、風紀委員会だよね……)」
「(ああ。何で活動してないんだ……?)」
「(四人全員で動いてたっておかしくないような事件だと思うんだけどな……)」
ふと耳に入ったのは、バスを待っている周囲の生徒のひそひそ声。学園の制服を着ている彼らはどうやら、風紀委員会である氷の姿を見かけて不審に思っているようなのだが……。事件、などという何やら不穏な単語も聞こえてくるし。
「彩花くん、バス来たよ」
しかし、彼の思考は何気ない氷の一言で終わってしまった。
「あ、おう」
周囲の視線をなんとなく気にしつつ、彩花は氷の後についてバスに乗り込んだ。
♪♪♪
―気づかれてますね。
城島から少し離れた場所を飛んでいる橙色の羽の蝶の幻覚から得られる情報を元に、灯はそう判断した。彼女は城島に見つからないよう、見つかったとしてもごく普通の蝶に見えるよう幻覚を操作していたのだが、その甲斐もなく彼は灯の幻覚を看破している様子なのだ。それでいてこちらに向かってアクションを起こすわけでもないからよく分からない。
―そもそも、気づく時点で半端ではないんですけど。
灯には自分が完璧な幻覚を操っているという自負と、風紀委員会に所属しているという実績がある。今まで他人に幻覚を見破られたことはないし、それこそぱっと見で分かるようなものでもない。
それを城島はちょっと近づいただけで見抜いてしまったのだ。さすがは審査団長といったところだろうか。恐らくは灯がなぜ自分を尾行しているのかだって理解しているのだろうが、こちらに対して言葉をかけることすらしない。
それは、本当はやましいことなどないからか、それとも言い訳できないようなことを行っているからか―
『止めてくれよ』
城島のその言葉が誰に向けられたものなのか、灯は最初分からなかった。幻覚越しに得られる視界の向こうでの人の声は、まるで携帯電話越しのそれのように無機質だ。そしてその声は周りの誰かに向けられたものではない。今、城島の周囲には誰もいない。
いや、違う。
一人だけ、姿は見えなくても確かに近くにいるのだ。
灯が、すぐそばに。
『十六時間後の今晩零時。それが始まりの時刻だ。風紀委員会総出になる。準備はしておいてくれ』
「……どういう意味、ですか」
思わず、口に出して問う。幻覚から言葉を発したい場合は灯自身がそれを口に出す必要などないのだが、これは一種の癖のようなものだ。どの道、頭でも同じ台詞を思い浮かべているのだから、ちゃんと城島にも幻覚伝で伝わっている。
『すぐ分かる』
幻覚の方を振り向きもせずに城島が言った直後。
ぷつん―とテレビの映像が途切れるように、幻覚からの視覚情報が途切れた。灯の意思によるものではない。強制的に〝虹幻〟の能力に制限がかけられたのだ。
まず間違いなく、城島の能力だろう。
灯はシークの方に出現させている幻覚に頭の中で指示を出すと同時に、携帯電話を取り出した。
♪♪♪
「おう、分かった。本人がそう言ったとなると、いよいよただ事じゃねぇな。調査を開始した俺たちの直感も間違っちゃいなかったわけだ。後はシークの調査でもっと詳しいことが分かればありがてぇが……ま、無駄にはなんねぇだろ。とにかく、今はまだ行動しなくていい。また後で連絡する」
携帯電話の通話を切り、契は肩の荷を下ろすように一息ついた。その表情から察するに、彼もここ最近は疲れが溜まっているのだろう。よくよく考えれば、朝から夜まで彩花の特訓にとことん付き合い、他の風紀委員に指示を出し報告を聞きそれらを元に考えを巡らしているようなハードな日々だ。どちらかといえば、平然としている方がおかしいくらいだろう。
しかし契は弱音を吐くこともなく、すぐに表情を引き締める。
「季蜜、いつでも動けるように準備をしておいてくれ。赤星の連絡によると―」
彼の口から説明された城島の言動は、彩花を驚かせるのに十分だった。
「それって放っておいていいんですか? 何か企んでるのはもう確実なんだから、今から止めに行けば……」
「それはダメだよ、彩花くん」
意外にも、異論を挟んだのは氷だった。
彼女は、よく考えて、と人差し指をぴんと立てて、
「風紀委員会総出になる、準備しておいてくれっていうのは、明らかにこれからの出来事を止めてくれって氷たちに指示してるよね。でも、直接そう言ってるわけじゃないし、その気になればどこにいる誰をどうにかしてくれとも言えるのに、そうはしてない。そもそも自分が止まれば済むことなのに、その選択肢がないの」
つまりね、と氷は言葉を探すように視線を迷わせ、
「きっと城島先生は何かを企んでるけど、その中心にはいないんだよ。むしろ、誰かが企んだ何かの計画に無理矢理参加させられてる感じ。もしかしたら計画の中心の人に監視とかされてるかもしれないよ。だから監視の中でも伝えられる最低限のことだけを伝えた。きっとそれ以上を伝えると、計画の中心の人が行動を起こしちゃうんじゃないかな」
「その考えが妥当だろうな」
氷の後を引き継ぐように、契が続ける。
「風紀委員会総出っつったら、デカい犯罪に関わってんのは明白だ。あくまで推測にすぎねぇが、城島の野郎、犯罪者に脅されてるのかもしれねぇな。計画を漏らせば殺すとでも言われてるのか。そうじゃなきゃ、あいつ自身が犯罪計画を企てるとは思えねぇ」
もしかしたら、と呟いて、
「ここ最近の態度がおかしかったのも演技かもな。俺たちにわざと不信感を抱かせて、自分の周囲を調べるように仕向けた可能性がある。何はともあれ、俺たちに真実を明かせない立場まで追い込まれてるのは確実だ。だからなんとか計画を阻止しようと、俺たちを利用したんだ。要するに、城島を確保しても意味がねぇ。主犯が行動を起こしてから素早くこっちも動くしかねぇよ」
顎に手を当て淡々と述べていく契。もちろんそれらは何の証拠もない想像にすぎないが―彩花は絶句していた。
風紀委員会とは、そこまでの思慮の上で行動するのかと。
普段ふわふわした雰囲気の氷でさえ、腕を組んで考えていればとてもそうは見えない。
「それでも、何で彩花が利用されてんのかは分からねぇけどな。どっちにしろ、俺たちのすることは変わらねぇよ」
日常的な会話のそれとなんら変わらない気怠そうな態度で言い切って、契は腰に手を当てた。
「今日の特訓開始だ。今晩零時までっつう目標ができて良かったじゃねぇか」
♪♪♪
一方、シークは(今度は素直に灯の助言に従って)審査団の拠点に忍び込むことに成功していた。
彼もすぐそばを飛ぶ薄紅色の蝶の幻覚を通じて灯から城島の言動について報告を受けていたが、だからといってやることが変わるわけではない。むしろ、彼に何があったのか、その手がかりを探すならやはりここだろう。
灯からの報告を受けた時点で、シークの仕事は城島が巻き込まれている事件、理由の調査なのだ。もちろん後日談的にすべてが解決してから本人に訊いても良いのだが、どうせなら知っておいた方が各々、自分の行動を決めやすい。
その程度の気持ちだった。
『シークくん……これって……』
「……にゃんか、やっべぇくらいに大事ににゃってきたにゃー」
無人の室内のデスクの中から盗み出した書類を眺め、二人は言葉を詰まらせていた。
「ていうか、キジ先生が犯罪に関わってるの確定にゃ。……そう言えばミーは今朝外にいる時、周りから『なんでこいつここにいるんだ』みたいにゃ視線を感じてたんだけど、アカにゃんは?」
『私本体はずっと室内にいるからよく分からないんですけど……確かに、シークくんはそういう視線を向けられてましたね』
「ハルハルからもこんな話は聞かなかった。まるで……ミーたち風紀委員会だけがこの事件を知らにゃいみたいにゃー」
『それだけじゃありません……学園の生徒もですよ』
「学園生だけが知らにゃい……? あからさまに隠されてるにゃー」
シークは盗み出した書類をその辺に放り捨て、がりがりとカラフルな頭を掻いた。その書類に記されているのは『強襲を受けた審査団員の入院と不審人物の不法入島に関して』の報告。二人は知る由もない、高椋のことだ。
「何か、そっちの方が調べる必要ありそうにゃ。ここはもう終わりにするにゃー」
自らの判断でその場を去ろうとするシークだが、
「おい、こっちにいたぞ!」
「にゃああああああああぁぁぁぁぁぁぁあああ!?」
審査団に見つかり、絶叫しながら駆け出した。




