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27.キッチョムとリディア-5-


「……あの時、誰かが……叫んだのよ……。ハカモリが……ハカモリのガキが盗みをはたらいたぞ!!って……。わたし……、足がすくんで動けなかった。違うって声をあげようとしたわ、でも……なんだか、通りの様子が一瞬にして変わってしまって……、なにが起こってるのかわからなくって……。とても恐ろしくなってしまったの。いたぞ、こっちだ……、そんな大人たちの声が聞こえていたわ、わたしは恐ろしさに震えながら通りを歩いたわ……。足をとめて揺れる人だかりをただ眺めていた……。やがてあたりが静かになったの……。わたし動けなかった……。恐ろしさにただ震えていたわ。人ごみが道をつくったとき、そこにほこりまみれになって、額から血を流したモリスが立っていたわ。腕にあなたを抱いてた……、血を流し、力なく頭を垂らして……。わたしのほうへモリスは歩いてきた……。わたしは涙を流しながらただ見ていただけだったわ、あなたの顔から血の気が引いて……、かすかに開いた瞳にはもう、輝きが失われていたわ、ただ白目があるだけで……わたしあなたが死んだと思った……。わたしが声をあげていれば……」

 リディアは奥歯をきつくかみしめた。頬を涙がつたい落ちる。高ぶる鼓動に喉が締め付けられ、絞り出すように声を発した。

「……わたしが、あなたを助けに人ごみに飛び込んでいれば……あんなことにはならなかったのに……!!……モリスがそばに来たとき、あなたの腕が力なくわたしの前に落ちてきた、血が腕をつたい落ち地面に黒いしみをつくって……わたしモリスの顔をまともに見ることも、あなたに声をかけることもできなかった……。瞳を閉じモリスになにか言われるんじゃないかと震えてさえいたのよ……。でもモリスは私に気付くこともなく歩いて行った。わたしが瞳を開くとリンゴが見えたの……、ぐしゃぐしゃに踏みにじられ……つぶれて……唾を吐きかけられて……。まるで……あなたのようで……わたしのようで……、今思えば……それが、わたしたちの未来のように感じていたかもしれないわ……。だから、怖かったの……あなたが生きていることを知った時も、あなたが墓守になったと聞いたときも、一言謝りに来ることさえできなかった……。ただ教会のそばを通るときあなたの姿を探すばかりだった……。声をかける、その勇気さえ……ありもしないのに……!!」

 キッチョムはまるで眠っているかのようにリディアに背を向けていた。ハカモリの小屋に静寂が訪れる。


 リディアはただきつく書物を握りしめていた。なにか言葉を探したがもうなにもでてこなかった。かすかに喉をゆるめると力ない声が自然と口から発せられた。

「ごめんなさい……。わたし……」

「話は終わっただろ……」リディアの言葉をさえぎるようにキッチョムの背中が語る「帰ってくれないか……いったろ……そんな話、聞きたくもない……」

「……そう……、そうよね、わたしはあなたに憎まれても……、恨まれても、仕方ない……。当然よね……」

 リディアは立ち上がり、キッチョムの硬く石のように動かない背中を見つめた。

「帰るわ……、ただこれだけはわかってほしいの……。わたしはただ話をしに来たのでも、ただ謝りに来たのでもないわ……。過去は変えられない……、だからせめて未来を変えたかったのよ……」リディアはキッチョムから目を離し扉の前に立った。壁に立てかけられた鉤棒が彼女のそばにあった。リディアはふとその鉤爪に目を向けた。化け物に襲われた夜、明るく白銀に輝いていた。しかしいま、その鉤づめはまるで灰のように色を失い、ヒビが走っている。彼女の微かに泣きはらした瞳が悲しみに震えた。いまにも崩れてしまいそうなその鉤づめに手を伸ばし、指先で触れた。

 その瞬間、指先が熱を持った。リディアは驚き眼を見開いた。飛びのくように指を胸に引き戻した。

 鉤づめに青い閃光がぼんやりと走り、不思議な模様が浮かび上がった。リディアの胸に、涼しげな風が吹き抜けるような、それでいて暖かい懐かしさのような感情がこみ上げてくる。

「なにをしてるんだ……?話がおわったら帰るって約束だろ……」キッチョムの腹立たしげな声がリディアの背中を押した。

「わ、わかってる……。……ねえ、わたしたちは生きてる限り、歩み続けなければならないのよ……。いま思ったの……、わたしたちには未来を変える力が当然のように備わってる……ねえ、そう思わない?」

リディアは扉を開いた。すでに日は沈み、かすかに陽の光を残した青い夜が訪れていた。

「また夜が来るわね……。あのとき、友達になろうってあなたに伝えることができていたなら、わたしたちにどんな夜が訪れていたのかしら……」

「出て行けよ!!」

「ええ……、そうするわ」リディアはすでにキッチョムの言葉に動じることはなかった。扉を閉め、柵につないでいた馬にまたがると、ひとつ軽くため息をつき漆黒の闇に包まれていこうとする空を睨み付けた。すでに山の影を浮き上がらせるように巨大な月がその顔をのぞかせていた。


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