27.キッチョムとリディア-3-
「そうね、どこから話せばいいのかしら……」リディアは書物の背表紙を指先で触れながら声を発した「わたし……あの日もそうよ。町をうろついていたわ、散歩しながらなにか面白いものはないかって、小さい頃から男の子みたいにやんちゃだったから、屋敷が退屈でしかたなかったのよ。屋敷の人たちから逃げ出すみたいに黙って散歩に出かけたわ。そこで一人の少年を見つけたのよ。わたしより少し背が小さくて、白くて薄汚い修道服に身を包んでいた」
キッチョムは驚いたように目をあげた。
「そう、それがあなただった……」
「やめてくれないか、その話、そんな話聞きたくもない!!」
「いやよ。でなきゃ、わたしここから出ていかないから。そうね、ここであなたがどんな生活を送ってるか眺めているのも楽しいわね」
「……。そんな話してなんの意味がある」
「そうね……自己満足かしら」
その言葉を聞き、キッチョムはリディアを睨み付けた。
「でも、わたしの中の時間があの時停まってしまったわ。なにか大事なものが石のように固まってしまったの。あなたの記憶の中からもわたしの存在が消えてしまったわ。わたしは止まってしまった時を動かしたい。ただそれだけよ。それにいままで勇気がなかったのよ、あなたに会う勇気がなかった。怖かった……もし話を聞いてわたしに憎しみを抱いても、一生恨まれるとしても、甘んじてそれを受け入れるわ」
キッチョムはベットにふてくされるように横たわった。膝をたて天井を睨み付けた。
「いいさ……、とっとと話を終わらせて出て行ってくれ!」
「ええ、話を終わらせたら出ていくわ。約束する」
ふてくされるようにベットに横たわったキッチョムを見つめながら、リディアは口を開いた。
「足早に歩くモリスのそばで、あなたはモリスの服をきつく握っていたけれど、町のあらゆるものに目を奪われていたわ。気づいたらわたし、あなたたちの後をつけて歩いていたの。あなたの好奇心に満ち溢れた瞳をみながら思ったわ、私たちきっといいお友達になれるんだって。しばらく歩いているとあなたのモリスの服をきつく握っていた指先がほどけていった。行き交う人に目を奪われ、町の家々に目を奪われ、あなたの瞳はお店の商品に夢中だった。モリスはそんなあなたに構うことなく歩くんだもの、当然だわ」
まるで子供心がわからないといったふうに呆れて見せながら、リディアは分厚い本を机の上においた。そして薄汚れた壁を見つめながら、言葉を探した。
「……ふと、あなたが足を止めたとき、モリスの体が人ごみに掻き消えていったの。わたしはあなたに声をかけるチャンスをうかがっていたのよ。でも、慌てたわ。なんて声をかければいいのかしら?わたしその時になって初めて、自分が何の言葉も用意してなかったことに気付いたの」
リディアは微かに笑みをみせた。横目にキッチョムを見つめ、その時のことを楽しかった思い出のように思い返していた。