27.キッチョムとリディア
≪キッチョムとリディア≫
キッチョムの体は墓守の小屋に引き戻され、激しく床に打ち付けられた。うめき声をあげ床を這いつくばる。彼が人の気配を感じ顔をあげると、そこにリディアーヌ・グレスフォードがいた。
床にしりもちをつき、震える瞳で呆けたように高炉を凝視している。唇は震え、瞳が涙を浮かべていた。恐怖に満ちた目がなにかを訴えかけるようにじっと高炉を見つめていた。腕があがり震える指先が高炉をゆびさした。
キッチョムが高炉に目を向けると赤い水晶が炎をあげている。炎は黒い爪を持つ腕に形を変えていく。手のひらを広げるとそこに炎の瞼を持った赤い瞳が現れる。その瞳はリディアをとらえた。腕は燃え盛る音をたててリディアに襲い掛かる。
キッチョムは慌てて立ち上がると同時に高炉の扉に手をかけていた。肩で扉を持ち上げると炎の腕に叩きつける。その腕は弾き飛ばされ標的を見失った。しかしすぐに炎の瞳はキッチョムに目を向けると標的をキッチョムに変え、彼を襲った。間一髪しゃがみ込み、その腕をかわしたキッチョムは、もう一方の扉に手をかけると力いっぱい引き上げた。
扉は炎の腕を吹き飛ばし、固くその口を閉ざした。重たい鉄の音が響き、鉄の杭が姿を消し、鍵がかかる。
キッチョムは膝をつくと息も絶え絶えに激しく肩を揺らした。冷たい汗が額をつたい鼻筋に線をつくる。
「あ、あなたはあそこで何をしていたの……?それに今のはいったいなんだったの……?」
微かに恐怖に震えるリディーアーヌ・グレスフォードの声が聞こえた。
馬車に乗る彼女の姿が思い出された。風に揺れる前髪、呆けたように自分をじっと見つめていた。なぜ彼女がここにいるのか、彼女は自分を恐れているのではなかったのか?そんなことを思いながら、ふと彼女へ眼を向けた。
さっきまで恐怖に包まれていたその瞳が彼を見つめていた。
「……きみこそ、どうしてここにいるんだ?」
「わたし?わたしは確かめに来たのよ。あなた……、昨日町に来たでしょう、あの化け物から町の人をまた助けてくれたでしょう?」
「それは……」
キッチョムはリディアから目をそむけた。スタンはやはり町へ行き化け物と戦ったんだ。そして返り討ちにあった。うすうすそのことについては気づいていた。ハカモリのマントを羽織り、傷だらけで皮膚がまるで焼けただれたような悍しい姿になって返ってきた。小屋の前で倒れ込み、虫の息だった。ロシュが騒ぎ立てなければ、気づかずそのまま朝を迎えていたかもしれない。
しかし、そのことは彼女にいうべきではない。スタンはおそらく墓守の姿で町にいったのだ。
キッチョムはだまってうなづいた。
「ああ……。たしかに町に行った……」そう言いながら、腰を上げるとベットに力なくもたれかかる。
「そう、墓守を見たという人がいたのよ。あなたの傷のことを思うと、まさかって思ったけど、そう……やっぱりあなただったのね」
「だったら、なんだっていうんだ……。もうわかったろ、僕なんだ……。出てってくれないか……。傷が痛むんだ……。」
「いえ、まだよ」恐怖心は消えているのか、強い口調で声を発し、リディアは立ち上がった。
「なっ……、まだほかになにか……」キッチョムはそういいながら、目の前にいる女性が自分の命を救ったグレスフォードの人間であることに思い当たる「そうだ……君たちが僕を救ってくれたんだったな……。感謝してる……」そういいながらも彼はうつむき、リディアに目を向けようとはしなかった。ただリディアが部屋を出ていく音を待っていた。
「そんなことどうでもいいの、あなたはあそこで何をしていたの?いったいなんだったの?」
キッチョムは驚いたようにふと顔をあげリディアを見つめた。
リディアのブルーの瞳の輝きを見つめる。まるで白銀の翼をもつ女性がそこに立っているように思えた。しかし、彼はその考えを振り払い考えた。
……いったいなんだったんだろう。あの女は……。あの地獄の怪物は……僕は地獄に踏み入ろうとした。掟を破ろうとしていたんだ。……だからなんだっていうんだ、とっくに掟は破っているんだから……。いまさらどんな未来が僕に……。