6.白い霧の中で-ガードナーの家路-
6.白い霧の中で-ガードナーの家路-
辺りに深い霧が漂い始めた。煙突の陰に隠れているスプリング・ヒールド・ジャックは町の人々が去っていくのをじっとみていた。彼らが姿を消したあと、いくつかの通りの角から白い霧がスプリング・ヒールド・ジャックのもとへ流れてくる。夜はもとの静けさを取り戻す。彼の呼吸は荒くなり始めていた。
自警団隊長バレル・ガードナーは家路の途中であった。ほんの一時前から足元に深い霧がまとわりついてきた。突然霧が発生するのはこの夜で2度目だった。いまや彼の後についてきているのは、副隊長のカール一人である。
「不気味ですね…」カールは霧を蹴り上げながらガードナーに話しかけた。霧が吹きあがり、渦を巻いている。
ガードナーはいぶかしげにカールを見た。
「そうか…?ただの霧だ」
「そう、そうですね…」自分が臆病風に吹かれているものとガードナーに思われたくはなかった。彼は腰のサーベルを抜いた。月の光が反射した。「私は明日このサーベルを鍛冶屋に持っていき、手入れをするつもりです。墓守を地獄へ送りかえしてやる!!」そういうと足元に揺れる霧に切りつけた。空を睨み付け奇声を上げてサーベルを振り回した。
「お前は俺の言ったことを覚えてないのか?」ガードナーがそういうとカールはサーベルを構えながら キョトンとした目をガードナーに向けた。
「と、いいますと…」
「まずは、その物騒なものを腰におさめるんだな…」
「ああ…!」カールは慌ててサーベルを鞘に戻した。
「いいか、俺はアルトから目を離すなといったんだ…」
「はあ…、そうでした。しかし、墓守は…」
「お前が町の奴らの茶番に付き合う必要はない」
「はっ!!」そういわれてカールは胸を張った。自分は町の人間とは違う特別な存在だといわれてるような気がした。
「お前は墓守のことをどう思っている?」カールはガードナーの横顔を見た。何か考えているのがわかる。なんだか遠くを見ているのだ。
「はあ…悪魔…」そういいかけてカールは言葉を飲み込んだ。悪魔はおそらくケルビム・サムでは打ち殺せないであろうからだ。「実のところ彼らは…犯罪者です。凶悪な…」
「そのとおりだ」
カールはほっと胸をなで下ろし、言葉をつづけた。
「あるものは海賊の頭領だったと聞きます。ケルト海を死体で埋め尽くし陸を作った。そしてあるものは金で人殺しをする暗殺者だったと聞きます。老若男女、彼はチェスをするように人殺しを楽しんだと…、そして今の墓守は人肉を食し、血をワインのように飲んだと聞きます…」
「そうだ、その通りだ…。しかし、人肉を食し、血をワインのように飲んだという男は、先代の墓守だ…」
エギオン…。その名前を口にしかけたが、ガードナーはやめておいた。エギオン、その名前は忘れようとしても忘れることはできない名前だ…。
暗い町の路地をまだ若いバレル・ガードナーが息を切らせて走っていた。モジャモジャの髭はまだその顎にはなく、赤毛は白い帽子で隠されていた。当時、彼は副隊長だった。いまのカールと同じように白い帽子にカラスの羽をつけていた。そして腰にはケルビム・サム。年老いた隊長が若くたくましい彼に託したものだった。若いガードナーは誇らしかった。毎日ケルビム・サムで悪人を仕留める自分を想像して楽しんでいた。
彼はコソ泥を追っていた。痩せこけた男はパンを握りしめ路地を右に曲がり、左に曲がり逃げ道を必死で探している。しかし路地裏は彼の前に高い壁を置いたのだ。行き止まりだった。
ガードナーは足を止めた。ケルビム・サムの導火線に火がついていた。ガードナーの胸が高鳴った。ケルビム・サムに火をつけたのはこれが初めてだった。銃口をコソ泥に向ける。
「パ、パンを盗んだだけだろ…」男はまだ若い男だ、少年のようにも見える。
「それはなんだ?」ガードナーは男のもう一方の手を顎で示した。
「これは…肉だ。パンと肉を盗んだんだ…」
「りっぱな泥棒だぞ。あと5秒ほどだ…ほかに言い残すことはないか?」
ガードナーはこの時をどれほど待ち望んだことか、いまや導火線は火薬に火をつけようとしていた。
「僕は!僕は…」慌てて男は口を開いた。
その時だ、ケルビム・サムが口から火を噴いた。凄まじい音が路地に響き渡り、ガードナーの腕がはじけ飛んだ。ガードナーが宣告した時間よりも2秒ほど早かった。
男は下っ腹に風穴を開け吹き飛んだ。行き止まりの壁に体をぶつけると壁にずるずると背中を擦り付け倒れ込んだ。風穴から白い煙が立ち上っている。
ガードナーはケルビム・サムに触れ銃口に施された犬の装飾を興奮した目で見つめた。ケルビム・サムに触れると熱を帯びている。あたりに硝煙のにおいが立ち込めている。叫び声をあげたいという衝動を必死に抑えながら、くつくつと肩で笑った。
「僕は…僕はソルマントの死人なんだ…」
男の声が聞こえた。振り向くと男はいつの間にか立ち上がっている。胸に空いた風穴に指を突っ込んだり撫でてみたり、不思議そうに眺めている。白く立ち上る煙を両手で振り払う。
「僕はソルマントの死人なんだ…」男はそういうと慌てて道に落ちているパンと肉を拾い上げた。「これ、返すよ…悪気はなかったんだ…」そういうとガードナーの足元から少し離れたところにパンと肉を並べておいた。「もう、帰らないと…墓守にみつかったらきっとひどい目に合わされる…」
ガードナーは怒りに震えた。まだ熱いケルビム・サムを握りしめ、いいようのない怒りに震えている。それでいて何も言葉が出ない。
死人はガードナーがなにも言わず、怒りに震えているのをみると反応を見るように笑った。しかし笑みは帰ってこない。男は肩を落とすと「ごめんよ、脅かすつもりはなかったんだ。ただ、外にでたかったんだよ」そういうと駆け出そうとした。
しかし次の瞬間、男は後ろに体をのけぞらし吹き飛んだ。男は細く長い悪魔のような腕に後ろの襟首を掴まれ引き戻されたのだ。ガードナーが見たものは黒く長い鉄の棒。先が三つ又に分かれグニャリと曲がっている、まるで悪魔の手首がついているようだった。吹き飛んだ死人を黒く大きな影がしっかりと受け止めた。
「エ、エギオン…!」
背中の黒い影を首をねじり見上げて男は声を上げた。エギオン…たしかにそう言った。いつの間にそこに立ったのか、ガードナーは全く気付かなかった。ガードナーは影を睨みつけたが心の中は恐怖に支配され、言葉を発することができない。黒く大きなマントをはおり、フードを被ったの男の顔はよく見えない。ただ顔に大きな傷があるのがちらりと見えた。
「度が過ぎるな…クロード」
「ご、ごめんよ…。ただ外に出たかったんだ。うまいものを食いたかったんだよ」男はそういうと道に置かれたパンと肉を指差した。
黒い男が深いため息をついたのがガードナーにはわかった。
「すまなかったな…。驚かせたか…」男の声は意外にも優しい響きを伴っていた。軽々と死人をわきに抱えると「その、黙っていてくれるか?このことをだれにも話さないでほしい…」
ガードナーはただ頷いた。いやだとは言えなかった。黒い影から感じられる威圧感がガードナーから言葉を奪っていたのだ。
「そうか…」男の口元に笑みが浮かぶのがちらりと見えた。ぶらりと力なくうなだれていた死人が顔を上げガードナーに笑みを向けた。ガードナーと目が合うと嬉しそうに手を振って見せた。
大きな影が体を動かすと、ガードナーは後ずさったが、とっさに手を上げ影に向かって指をさした。
「いいか!だ、黙っててやる!」大きな声を出したが、指先から腕にかけて激しく恐怖で震えている。その声を聴いて男は固まったが、ガードナーはかまわず続けた。「その代り、二度と!二度と死人を外へ出すんじゃない、一歩たりともこの町に近づけるな!!」それがガードナーの精いっぱいだった。そういいながらいつ腰を抜かすかと不安で仕方なかった。
フードが動き、男の顔が露わになった。顔に大きな傷のある男だ。しかし、ガードナーを見つめる目はどこか悲しげだった。
「わかった…。約束しよう…」そういうと男は地面を強く蹴り飛び上がった。壁を蹴って屋根を掴むとひらり体を反転させて屋根の上に飛び乗った。死人をわきに抱えて軽々と屋根に飛び乗ったのだ。ガードナーはその機敏な動きに目を奪われた。
男が姿を消すとケルビム・サムを見つめた。腹の底から怒りが湧きあがる。
「わたしは絶対に認めない…。ケルビム・サムで仕留めることができないものなど…」
ガードナーが腰に収めているケルビム・サムを握りながら何か考えているのをカールは不思議そうに眺めている。
「あの、墓守がどうかしたんですか?」
ガードナーは我に返った。カールの顔を見ると再び歩きながら話を始めた。
「彼らはその罪を償うために生涯を死人にささげた者たちだ。決して許されぬ罪だ…決してな…。だが、今の墓守は少し事情が違う。お前も噂くらいは聞いているだろう」
「ええ、もちろん。その…孤児で、幼いころから教会にいたということくらいは…」
「なにか罪を犯したのか?」
「はあ…、小さいころから町に姿を現してはよくものを盗んだりと…。それくらいですかね…」
「そんなところだな…」
ガードナーの言葉を聞きカールはほっと胸をなで下ろした。
「われわれは自警団だ、町を守らねばならん。そして誰よりも現実的でなければならん。噂以上に大事なものは、自らの勘と思考だ。わかったな?」
カールは目から鱗の思いだった。この瞬間自分はまた一つ賢くなったのである。そしてカールは歩みを止めた。
「わたしはこれから行くところがありますので!」
ガードナーは足を止め振り向くと、笑みを浮かべカールを見た。カールは敬礼をすると足早にもと来た道を戻っていった。
墓守か…。不意にエギオンの悲しげな瞳が頭をよぎった。それだけではない、今まで見たことのない記憶、忘れていたのだろうか…。グロード…死人だ。やつは屋根の上に運ばれようとするときもガードナーを見つめていた。悲しそうな瞳に涙をためて、さみしげな表情が記憶の中でクローズアップされた…。
ガードナーは笑った。死人に涙など…。そうつぶやくと記憶を消し去るように頭を振り、また歩きはじめた。