20.アンデッドvs悪魔-2-
黒い人影はゆっくりと顔をあげた。恐ろしい顔に醜い角、焼けただれた口元に笑みを見せ、唇の端から、黒い煙が噴き出ている。
羽織っていたマントから腕がゆっくりと現れる。長く伸びる鉄の爪が光った。その腕で地面を支えるとギシギシと異様な音をたててゆっくりとヤナックたちのもとへ歩み始めた。
ヤナックは妻の肩を抱き、慌てて家の中へと駆け戻り辺りを見わたした。煙が勢いよく壁の隙間、床から吹き出し、天井で渦を巻いている。ヤナックは逃げ道を探そうとするが裏手の窓の外にも赤く燃え盛る炎が行く手を阻んでいた。
ケティは膝をつきその胸にきつくレイトを抱きしめ、瞳にたまる涙をその瞼で頬に流す。
鎌をその手に握るとヤナックは妻と息子の盾となり、じっと醜い化け物を見つめた。しかし、彼にはなすすべなく、怯えた膝はガクガクとほんとうに音をたてているように震えていた。
『さあ……、不運なご家族よ!!ここが悩みどころだ!!俺の炎であっという間にあの世に行きたいか?それともじりじりと炎と煙につつまれて死にたいか?……結末がどうあろうと人はその自我というやつで決断したがるものだろう?さあ!!お前たちの欲を見せてみろ!!愚かさの象徴というやつだ!!』
震えるヤナックたちをあざ笑うかのようにスプリング・ヒールド・ジャックはドアへと歩み寄り、木の床に足をのせた。鉄が床に擦れる音が薄気味悪く響くと、ドア枠に火がついた。炎が四角く立ち上がる。まるで猛獣が飛び込むための火の輪のようだった。
ヤナックにはそこに飛び込む勇気が出てこない。ただその炎を見つめ震えている。
『……さあて!!第3の選択だ!!お前たちにこのドアをくぐる勇気があるか!?そのさびれた鎌でかかってこい!!俺の爪は血に飢えているんだ!!一瞬でお前らを切り刻み、血の海に肉片を沈めてやろうじゃないか!!あわや、肉片の一切れ、血の一滴でもこの炎を越えて外に出すことができたら、俺はお前たちを褒め称え、愚行とともに永遠に地獄で語り継ごうじゃないか!!お前たちは亡者たちの語り草となり、その愚行は賞賛の的となるのだ。聞こえるだろ?亡者がお前たちをあざ笑う声が!!やつらはお前らの愚行をネタに酒を飲んでいるのさ!!……時間切れだぞ!!さあ、俺を楽しませてくれ!!どれを選ぶんだ!!』
スプリング・ヒールド・ジャックは腰をかがめ身構えた。バネに体重が重くのしかかる。大きく開かれた口に炎が渦巻いている。
壁はあざを作ったように黒い炭を広げた。そこから勢いよく炎が立ち昇る。家は完全に炎に包まれている。ヤナックの耳に熱で弾け飛ぶガラスの音が響いた。
そのときだった。恐ろしさで震えながら息子レイトが口を開いた。
「パパ……パパ……、ハカモリが来たよ……」
「ちがう……あれはハカモリじゃないんだ……」そういうとヤナックの胸に後悔にもにた思いが頭をもたげた。本当の恐怖、死の恐怖か……、それとも目の前の化け物に怯えているからか……、ただ彼は自分たちの過ちをそこに見出さずにはいられなかった「ああ……、わたしはなんてことをしてしまったんだ……でも、もう取り返しがつかない……」そうつぶやくと力なく鎌を腕から落とし、ケティとレイトを強く抱きしめた。
―――パパ……ハカモリが来たよ――――
スプリング・ヒールド・ジャックは床に手を付け身をかがめた、口を広げ炎をこれ見よがしに震える家族に向ける。
『どうした!?俺を楽しませてくれ!!なにを震えているんだ!!この臆病者が!!最悪だ!!逃げ道を残しておくんだった!!遅くはないぞ!!悲鳴をあげろ!!助けを呼べ!!おれは悪あがきが見たいんだ!!……』
その時、スプリング・ヒールド・ジャックは肩を何者かに掴まれた。
『……って、いまいいとこなんだよ……邪魔しな……』スプリング・ヒールド・ジャックは肩にのせられた手を払いのけた。払いのけたその手の平は異様に固く、三つ指の、ひん曲がった鉄の棒だ。それには見覚えがあった。
『……ッ!!』まるで体の中の炎が蝋燭のように心細く揺れるのを感じた。冷たい悪寒が背中を走る。つい今しがたまで気配すら感じなかった背後に、恐ろしいほどの殺気を感じる。
ジャックが振り向こうとしたとき、鉤棒がすでに彼の首をとらえていた。ずるずると恐ろしいほどの力で引きずられる。首にかかる鉤棒に鉄の爪をひっかけ引きはがそうとするが、首をしめつけるようにひっかかるそれはおいそれとは引きはがせない。床にカカトのバネが傷をつくる。
肩越しに目を上げるヤナックとジャックの視線とがぶつかった。その瞬間ジャックの体は引き上げられ宙に放り投げられる。口から炎を吐き出しならジャックは宙を舞った。
石畳に叩きつけられると顔をあげ、雨のうっすらとしたカーテンの向こうにいる影を睨み付け、足を石畳につけ立ち上がった。
――――おまえ、スプリング・ヒールド・ジャックなんだろ……?
忘れていたんだ。おれはずっとお前のことを探していた……。
ようやく思い出せた。俺がなにもので、なにを求めているか……。
さあ、カスパー・ハウザーの魂をこっちによこせ――――――
その声を聞くと、炎の瞳がいぶかしげに燃え上がった。
『ハカモリが俺のことをしっているのか?ヒャ――――――――――ッ!!これはいい!!お互い相思相愛だったというわけか?!さて!こないだの続きといこうか!!お前のバカさかげんは俺のよおく知るところだ!!そしてその血ヘドを吐きながら這い上がってくる愚かさもな!!』
墓守は雨の石畳に歩み出ようと歩を進める。石畳には雨が弾け音をたてている。雷鳴とともに石畳が明るく光った。
墓守のフードの影に隠れた瞳が青く光る。その瞳を炎の瞳は焼き尽くそうとするかのように睨み付けていた。