18.裸足のリディアーヌ・グレスフォード-4-
悪ふざけ……。ロウガンは口元に冷笑を浮かべ、見下すようにリディアをその冷たい瞳でにらみつけた。
「リディア!!」ルッベの声がリディアに届いた。その声は喉の奥で微かに震えているようだった。
ロウガンを睨み付けていた瞳をルッベへと向ける。小さくうなづくとルッベのそばで何事もないようにやすりで爪を研いでいるモンスリー・ハン・オスカーを見た。ふてぶてしいその態度に臆することなくリディアはモンスリーのもとへやってくる。
「モンスリー・ハン・オスカー!いますぐこの悪ふざけをやめてひきあげなさい!」
その一喝するような声を聴きはじめてモンスリーは目を上げた。
「悪ふざけとな……」そういうとモンスリーは口元に冷笑を浮かべる「……そうだな、そのとおりだ、じつのところこんなものは茶番だ。しかし止める気にはなれんな。リディアーヌ、庶民というものはじつにくだらないものに目を向けたがるものだ。それが茶番であれ、悪ふざけであれ、いかさまであっても、……気にすることはしない。わたしはこの町の長として彼らの見たいものをみせるべきだと考えている。それを取り上げる権利は、わたしにも、お前にもありはしない。おわかりかな?」
「……なんですって、こんなの間違ってるわ。町の人々の過ちを正すのが長としての役目、正しい道を指し示すのが長としての役目……」
モンスリーは声を上げて笑った。
「正しい道が?そんなものどこにある?我々は道なき道を歩んでいるのだ。庶民に高尚な道を望んでなんになる?道を誤ったからといってやつらが後悔するか?どんなことでもすぐに忘れる輩だ。しかし、恨みつらみは別だ。この茶番をとめて、恨みつらみを抱きこそすれ、感謝する人間がいると思うか?わたしは町長だ……庶民の代表だということをわすれないでくれるか?」そういうとモンスリーはヤスリへと目を向け深く腰を落とし爪を研ぎ始めた。
「墓守は……ソルマントの使いだわ。これはあなたとグレスフォード家、そしてソルマントのプライス神父で決することよ……そういう決まりのはずだわ、そういう契約だったはずよ!!忘れたとは言わせないわ!!」
モンスリーの爪を研ぐ手がとまった。
「三部会を開けと……?」
「ええ……、そうよ」目を上げたモンスリーの眼をリディアは睨み付けた。
「ああ……そうか、そうだったな……。で、そんなしきたりがいまさらなんになる?」
「なんですって!?」
「もうおそいといってるんだ……」
リディアはモンスリーのいっている意味がわからず、眉根を寄せモンスリーを見つめた。モンスリーの目はすでにリディアに向けられているのではなかった。怒りとも嫌悪ともとれるようなその表情にリディアは身を震わせた。
「あいつはイカれてる、狂ってるんだよ……」
モンスリーの見つめる先のロウガン・ハン・オスカーは笑みを浮かべていた。冷たく何も語らない目ではあったがその表情には嘲笑とさげすみが見て取れた。リディアは振り向きその眼を見た瞬間に駆け出した。それと同時にロウガンは身をかがめ走り出していた。彼の眼には黒々と噴煙をあげながら火をまとっている地面に落ちた松明が写っている。
「ロウガン!!やめて……!!」
上げるべき高笑いがすでに喉を揺らし始めていた。耳には幻聴のように人々の上げる歓声が聞こえていた。ロウガンは手を伸ばした。もう自分をとめることができるものはいない。いまここにロウガン・ハン・オスカーは町を救う救世主となるのだ。
指先が松明にふれた。ロウガンはなにかの糸がふつりと切れるような違和感を覚えた。
その指先はロウガンの指先ではなかった。ごつごつとした不格好な指先だ。
その指先は松明を握り持ちあげた。
バレル・ガードナーだった……。
ガードナーは手に持つ松明の炎をぼんやりと眺めていた。
視野の端でとらえるロウガンは足を止め、にやにや笑みを浮かべながらも、微かに嫌疑のまなざしを自分に向けている。そして松明を寄こせというように手を差し伸べている。そのことに彼は気づいていた。いまなら、ロウガンにこの松明をうやうやしく芝居じみたことでもいいながら引き渡すことができるであろう。この芝居を続けることができるであろう……。
しかし、彼の耳にはそれが聞こえ始めていた。心の中の天秤が振れるのを感じた。オスカー家とグレスフォード家、グレスフォードの天秤の皿にはいま大きな重りがのせられようとしている。彼の日和見主義で権力志向の天秤が振れるのに十分な重り……。
六頭引きの馬車の荘厳ともいえる蹄と車輪の音。それが遠くから町の通りに音を響かせ近づいて来ていた。揺れる野次馬の頭、そこに大きく開かれる道、彼はそこにやってくる馬車に目を向けた。
運転台にのる痩せた大柄の初老の老人、コールリッジの馬を引き止める声が通りに響いた。馬車は停止した。
そこにいる誰もが馬車の扉を緊張の面持ちで見つめる。
リディアはいぶかしげに馬車を見つめ、モンスリーは目を細め椅子から立ち上がっていた。ロウガンは怒りの矛先を馬車へと向けるように扉を睨み付けた。
コールリッジが運転台から降り、馬車から踏み台を引出して階段をつくると扉がゆっくりと開き、アレーネ・グレスフォードの足首が見えた。
そのとき水桶が音をたてた。白い煙が立ち上り、松明の火は消えた。驚いて振り返り、自分を睨み付けるロウガンの目が怒りに満ちているのが、ガードナーには容易に想像できた。その眼を見ることなどできるわけがなかった。
だからこそ、彼は両手を広げつつ驚きの声を上げながらうやうやしく馬車に歩み寄る。その額には脂汗が見て取れた。
「これはこれは、六頭引きとは……いや!りっぱですな!見るたびに感嘆の声をあげずにいられませんな!!」
アレーネ・グレスフォードは背筋を伸ばし地に足をつけ、いぶかしげにバレル・ガードナーを見つめていた。その目を見返しガードナーは続けた。いまや口の中は乾ききっていた。
「……その、なによりもお日柄がよろしいようで……!!」
「お日柄もなにもないでしょう……この物騒な状況は」そういうとアレーネは野次馬をみやった。誰もがその視線から逃げるように目を泳がせていた。
アレーネは腕にコートをかけていた。ガードナーの前を通り過ぎるとリディアに向かい歩みを進める。
「あなたは恥をお知りなさい……。なんですかその恰好は……」リディアの肩にコートを掛けるとモンスリーに目を向ける。コールリッジが慌てて靴をリディアの足元に並べた。
「靴なんてあとよ!!先に彼を……」リディアは声を荒げ、コールリッジまでもにらみつけている。
「いいからお履きなさい!!」
「でも……!!」
「聞こえなかったの?」
「……わかったわ!!」リディアはまるで靴を踏みつけるようにして足を入れ、靴を履いた。
「コールリッジ、彼を……」アレーネの声を聴き、コールリッジは慌てて人柱とされている墓守のもとへ向かう。
「ルッベ!なにしてるの手伝って!!」リディアはコールリッジの後を追いながら、放心状態のようにその場をただ眺めていたルッベに声をかけた。
ルッベはその声を聴くと、袖で顔を拭いリディアの後を追いかけるように立ち上がり駆け出した。
「モンスリー、墓守はソルマントの者、町の人間がどうにかできるものではありません。それぐらいのこと、あなたならご存知でしょう」アレーネはルッベが立ち上がり駆け出すのを見ながら、モンスリーに顔を向けずに声を発した。
「無論、知っていますとも……」そういいながら椅子から立ち上がっていたモンスリーはアレーネの横顔をみやり、笑みをみせた「だからといって、町の人間が望むものをみせないわけにはいきますまい。墓守の一人や二人すぐにでも代わりは見つかるでしょうに。あえてあの墓守を生かす意味などありはしない。そうでしょう?なんならわたしが見つけてきましょうか?新しい墓守を……」そういうとモンスリーは声をたてて笑った。「まあ、世間の奴らからしたら、犯罪者を罰する手間が省けて好都合でしょうな、ソルマントにとっても悪い話じゃないでしょう。茶番は幾度となく繰り返されることになりますがね」そういうとモンスリーはさらに声を上げて笑う。
「墓守は連れて行きます。……あとは、好きになさい」そういうとアレーネはモンスリーに背を向けた。
モンスリーの高笑いは空回りするかのように声を落としていく。そして歩き去るアレーネの背中を見やった。鉄のヤスリを首にあてながらモンスリーは鼻を鳴らし、もといた椅子に腰を落とす。
そして、まるで苦虫をかみつぶすような表情を浮かべながら、わが息子、ロウガン・ハン・オスカーを見つめていた。