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17 メシアの大樹

 墓標をもたず、免罪符を持たない死人、スタンリー・ベルフォードはメシアの大樹の根元深くに鉛の棺桶とともに埋められていた。

 ソルマントの墓場の端にメシアの木はあった。太く大きな幹はまるで大木を絡めたようにねじ曲がり太くどっしりとしている。枝葉は大きく手を広げうっそうと葉を茂らせている。メシアの大樹の太い根は地中深くにまで広がっていた。

 その地中に根の隙間を縫うように人ひとり這って進めるほどの小さな穴が道を作っていた。デスブーツの奥に死人たちの棺桶部屋があったがスタンリー・ベルフォードのそれは小さな穴倉でしかなく土壁があらわになり添え木が天井を支えていた。スタンリー・ベルフォードは長年かけて道を作り今では墓場の柵を超え、外に出れるまでになっていた。いつもは穴を覆っている木の蓋が今は地面に乱暴に放り出され、暗い穴が口を開いている。


 スタンはメシアの大樹の枝葉の中に身をひそめていた。太い一本の枝に腰かけ、木の幹にもたれかかっていた。そこはまさに彼の特等席だ。暗い夜が別れを告げるかのように朝の冷たい冷気があたりを漂い始めていた。スタンは遠く墓場の向こうの墓守の小屋を見つめていた。夜の静けさの中ひっそりとその小屋はたたずんでいる。いつもは明かりがついているその小屋にその夜明かりは灯されていなかった。

 スタンはぼんやりと小屋を見つめていた目を、メシアの大樹の枝葉に向けた。

「……なあ、あいつ…どんな顔してた?俺の屍を盗み出し、たった一人で墓穴を掘ったんだ……」スタンは独り言をつぶやくようにメシアの大樹に語りかけていた「必死な顔してたか……?それとも…泣いていたかな?」そういうとスタンは口元に笑みをみせ、笑って見せた「んな、わけないか……」

 枝葉は風を受け微かに震えていた。

「ここに来るといつも考えるんだ……あいつが俺の墓穴を堀り、埋めるとき、どんな顔してたんだろうって……。お前はここから見下ろしていたんだろ?なあ、あいつどんな顔してた?……俺は知ってたんだ……あいつがどんなに外の世界に憧れを抱いていたか…あいつがどんなに陽の光の下の生活に憧れていたかを……。初めて俺がここを訪れたときあいつはまだガキだったんだ。ここを訪れるたびに、旅の話を聞かせた、世界がどんなに光にあふれ好奇心を満たしてくれるか……。あいつの中で夢や希望がどんどん膨らんでいったのがわかった。俺もうれしかった……でも……残酷だよな……。俺はあいつのその気持ちを、このソルマントの墓場を利用することを思いついちまったんだ……俺が……あいつに夢をみせ、希望をいだかせたのに……俺の屍をこの墓場に埋めるように仕向けた……。俺はあいつとデスダストに人生のすべてを賭けたんだ、そしてあいつがどうするかもわかっていた。でも、どうしてもわからないんだ……あいつがどんな表情で俺の屍をこの墓場に埋めたのか……あの頃、おれはあいつの考えてることが手に取るようにわかっていたのに……」

 スタンの眉根に苦痛の色が見えた。歯を食いしばりそよぐ枝葉を見つめる。

「ただ、俺にもわかることがある。あいつは今も外の世界への憧れを捨てられないでいるのさ……とんだ誤算だったよ。馬鹿みたいだな……。あいつがいなくなれば俺の計画はすべて水の泡さ……」

 スタンは視線を落とした。静かに音をたてて揺れるメシアの大樹の影を見つめた。

「おまはメシアなんだろ?だったら俺をここから救い出してみろよ……。キッチョムをここから救い出してやれよ……。……無理だよな……お前はメシアなんかじゃないただの大木だ。……あいつはどうして俺をお前の足元に埋めたんだろう……おれはメシアなんかじゃない……ただの……ただの死人なのに……」

 スタンは片膝を引き寄せ胸に抱くと顔をうずめた。低く喉を締め付けられているような声が夜の闇に微かに響いた。

「……ときどき考えるんだ。あいつとここを出て世界中を旅してる自分を……冗談を言って、喧嘩をして、酒を飲んで……日の光の下、世界中を二人で渡り歩くんだ、馬を駆り、船に乗って、遠くへ、もっと遠くへ……。…夢みたいだろ……。……でも、あの頃なら、あの頃ならそれができたんだ……!!どうしてそうしなかったんだろう……!?俺にはそれができたのに……俺だけがあいつの夢を叶え、希望を現実にすることができたんだ……。どうしてそうしなかったんだろう……!?そうしていれば俺も、俺も……この苦しみから解放されていたんだ!!」

 夜明けはすぐそこまで迫っていた。メシアの大樹の枝葉の中で、微かに顔をあげ、その目を膝上にのぞかせるスタンの瞳が光っていた。

「……帰ってこいよ……。帰ってきてくれ!!俺はお前を信じるしかないんだ。お前は必ず帰ってくるんだ……。俺に残された道はそれしか残されていないんだ…お前を信じ続けることしか……おまえが俺に残された唯一の、希望なんだから……」


 デスブーツの灯火を吹き消しながらクラギナは横目でディヴィを見つめた。肩を落としテーブルに力なく腰かけて押し黙るディヴィを遠目に見ながらクラギナはため息をついた。

「そろそろ日が登るわ……」そういうとクラギナは残されたランプを手に取りディヴィの座るテーブルへと歩み寄る。すでに死人たちは二人を残し自らの棺桶へと帰っていた。

「キッチョム帰ってこなかったのかしら……顔をみせなかったわね」

「僕のせいだ……」

「な、なにいってるの?!」クラギナは驚いたように声をあげディヴィを見つめる。

「やっぱり約束なんてしなきゃよかったんだ……スタンのいうとおりだった。友達に無理な約束をさせちゃいけないんだ」

「……ばかね……。本気で言ってるの?」

「だって…キッチョムはいつだって、どんなに忙しいときだって必ずデスブーツに来ただろ?どうしてこないのさ?」

「そんなの自分で考えなさいよ!!わたしに聞かないで!!あなたたち友達でしょ?都合のいい時だけ友達面しないで!!約束が守れないくらいなによ!そんなの謝ればすむことじゃないの!」

「でも……」

「でもなによ!?キッチョムが臆病者の腰抜けだって認めるようなものじゃないの!?」

「そんな……」

「いい!!謝ることは勇気のいることよ、でもキッチョムはあなたたちを恐れるような臆病者じゃない!そうでしょ……?だったら、別に理由があるのよ」

 ディヴィはクラギナの瞳を見つめた。声を荒げてはいたが決して怒っているのではなかった。

「さあ、胸を張って!!顔を上げるの!!信じてるんでしょ?キッチョムを……。彼が姿を見せるまでの間信じて待ち続ける……。それでいいじゃないの?」

 ディヴィは手のひらを握りしめ顔を上げると、立ち上がった。

「信じてるさ……。あたりまえだろ?……また明日やせ我慢だ!」

「そう、それでいいのよ!それにダイエットにはちょうどいいじゃない」そういうとクラギナは笑いカウンターへ向かって行く。

「僕はもう棺桶にもどるよ、知ってた?鉛の棺桶は腐敗の速度を遅くするんだ。キッチョムが教えてくれたんだ。クラギナも早く戻ったほうがいい」

「あら、そうなの?それは初耳だわ、教えてくれてありがとう……」クラギナはカウンターに置かれたジョッキを手に取り棚へ置きながらそっけなく答えた。

「どういたしまして、きっと目尻の小じわや口元のしわにも効くと思ってね」

「な!なんですって!!あたしをいくつだと思ってんの!!」クラギナは手にしたジョッキをディヴィに投げつけた。

「し、親切でいったんだ!」そういうと慌ててディヴィは逃げ出した。

「大きなお世話よ!!ほんとあんたは一言多いわね!!」デスブーツの奥にディヴィが逃げ込んでいくのをクラギナは見つめながら舌打ちをした「ほんとバカばっかり!」そう罵り声をあげるとクラギナのお腹が金切り声に似た声を上げた。

クラギナはカウンターに倒れ込み、ランプを眺めた。ぼんやりと炎が瞬いている「ああ……なんか食べとけばよかった……。と、とにかく棺桶にもどらないと……まさか鉛の棺桶に美容の効果があったなんて思わなかったわ……」


 クラギナの持つランプの明かりを最後にデスブーツは闇に包まれた。

 叫び声と歌声、さまざまな雑音が消え去り、静寂がデスブーツに訪れた。死人たちの体はしびれ、冷たくなる。太陽が登ろうとする頃、彼らはただの屍とかす。どのような夜明けが訪れようと陽の光は彼らに対して無情だった。

 そして、山を越えて昇ってくる太陽はソルマントの墓場を明るく照らし出す。メシアの大樹の枝葉の隙間に陽の光が差し込んでいく。だが、そこにはすでにスタンリー・ベルフォードの影はなかった。





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