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4.バレル・ガードナーの名推理


 バレル・ガードナー隊長のブーツがアルトの薄暗い部屋で音を立てている。ゴツゴツと不格好な音がタムズの耳に響いていた。アルトのベットに腰かけ頭を抱えるタムズの前をバレル・ガードナーは小一時間行ったり来たりしているのだ。彼はグレスデンの自警団の頭領である。胸を張り、ねじれた赤ひげを顎から耳元まで蓄えている。威厳を装ってはいたが傲慢さがにじみ出ている。質の悪い葉巻を口にくわえてもうもうと煙を出している。

「正直に言おう、タムズ」口元の葉巻を指に挟むと手に取った。口に残った煙を舌で押し出すと唇を舐める。葉巻の先の火種を眺めながら続けた「私はさきほどからおまえの言っていることがまったくもって信じられんのだ」

 タムズは顔を上げた。涙を枯らした目は腫れぼったく力がない、まるまると太っていたタムズの顔はほんの数時間でげっそりとし、顔色が悪く白くなっていた。

「君は悪魔を見たといったな…。いると思うか?悪魔が…。じつはわたしは神さえも疑っている。このケルビム・サムに誓おうじゃないか、断じて悪魔などおらん」バレル・ガードナーは膝に届くほど長いベストをめくり腰の拳銃に手をあてた。バレルの腰の拳銃は黒い犬の装飾が施してあり、犬の口から銃口が飛び出ている。

「わたしはケルビム・サムで仕留めることができる存在しか認めん。…そしてこの部屋に来てわたしが正しいことを悟ったのだ」

 タムズは疲れた目を無理やり上げてバレル・ガードナーを見つめた。


 小一時間前、タムズの部屋で話をしていたガードナーはタムズの話を聞き終わると、アルトの部屋はどこだと言い出した。そして二人はアルトの部屋にやってきたのだ。そしてガードナーはベッドに腰掛けるタムズの前を赤ひげをなぜながら行ったり来たり…。そして葉巻をつけたのだった。


「私の半分くらいの背丈で背筋の曲がった黒マントの男…、鉄の音を響かせ鳥のように空を飛び二軒先の屋根に飛び乗る。そしてそいつは角を生やしている。……まさに悪魔だ。そうだったな」

 タムズは力なくうなずいた。

「タムズ、ここから通りが見えるな。ちょうどこの張り出した屋根の下が店のドアだろう?」ガードナーが窓の下をのぞき見ると町の人間がランプをもち集まってきている。自警団の団員が持つ松明が炎をあげてあたりを明るく照らし出し、集まる人々の顔を浮き上がらせている。ガードナーが窓から見下ろしていることに誰一人気付いているものはいなかった…。

 そう、あのスプリング・ヒールド・ジャックを覗いてはだ…。


 

 タムズの肉屋からそう遠くはない屋根の上に大きな煙突があった。煙突は月を背にして大きな暗い影を屋根に落としていた。その影の中にじっとスプリング・ヒールド・ジャックは潜んでいた。

 彼が見ている世界は赤い幕で覆われている。ゆらゆら陽炎のように揺れ色を失っていた。黒は強烈な赤に反転し、白いものはうっすらと赤いだけだ。それは彼の目玉が炎でできているからだった。炎が燃え盛る音が耳鳴りのように鼓膜に響いている。昼間になれば日の光は彼の世界をただの白銀へと変えてしまうだろう。

 タムズの店を遠くから眺めながら、町の人間の顔を見る。みんな赤く光る瞳をしている。窓の傍で男がなにか口を動かし言葉を発しているのが見える。

 なぜそこにいるのか、スプリング・ヒールド・ジャックにもわからないでいた。ただ胸にうずくなにかがここにいるよう彼に命じたのだ。彼はただ胸にうずく何かしらを抑え込みじっと我慢をしていた。



「アルトはこの部屋に一人だった…」ガードナーはそう言った。独り言か、それともタムズに答えを促しているのか。タムズは何も言わずガードナーから視線を外し暗い床を見つめている。

「この窓から油を撒けば町の奴らは焼け死ぬだろうな…」

 タムズは驚いたように視線をガードナーに向けた。

「この窓から外に出て、油を撒き火をつける。もしくは火のついた油をぶちまけるか…。まあ、どちらにしても簡単なことだ」

「ああ、あなたはなんて恐ろしいことを…」タムズの手がきつく握りしめられた。ガードナーは構わず話を続ける。

「アルトが近々結婚するというような噂があるな、しかしだ、わたしはあのマゴニーが許すとは思えん。アルトの母親がわり、いまではこの店の女主人といってもいい。アルトほどのかわいい女性ならば他に良い縁談があろうに、靴屋の使用人とはな…。まあ、ただの噂だ」

「マルゴーに式の話をした…マルゴーは頷いて見せたんだ!式を挙げることを承諾したんだ!お前に何がわかる!」タムズはたちあがり声を荒げた。

「おっと、そう大声をだすな…。マルゴーが生きていればその口から聞かせてもらおうじゃないか」そういうとドアを見ろとばかりに顎を動かす。

 そこにはウィリアム・ブロディー医師が立ち尽くしていた。丸い眼鏡をかけ高い鼻、優しく聡明な男で微笑みを絶やさない男だ。だがこのときはばかりは暗い顔をしていた。丈の長い薄手のコートを着ている。大きな黒い革の医療用バッグを手に持ちタムズが大声を上げているのを目を丸くしてみていた。

 タムズはブロディー医師に駆け寄ると両手で彼の肩をにぎりしめた。喉から言葉を吐き出させるように激しくブロディー医師の体を揺らした。

「マルゴーは、マルゴーは無事なのか!?」

「ええ、命はなんとか……」強く肩を握るタムズの腕にブロディー医師はやさしく手を置いた「……ですが、顔のほうは……わたしにはどうしようもない……」

「……も、もどらないのか……」わかっていたことだった、タムズは焼けただれる娘の顔をこの目で見ていたのだ、唇は見当たらず、奥歯が一部はみ出していた。いたるところ血がにじみ出ており、肉から皮がはがれ落ちていた…。

 タムズはブロディー医師の前に跪き、嗚咽を上げ始めた。

 ブロディー医師は部屋に入りながら、襟元のボタンを外し首筋を軽くした。ため息をついてベットに腰を下ろした。

「タムズさん、少々残酷だが、聞いてほしい……」そういうとタムズの背中を見つめ話を続けた。「彼女の唇は、上唇も下唇もわからないほどだった、かろうじてメスを入れたが……喉も焼けている。正直、言葉を離せるか……話せてもいままでのようにはいかないだろう……」ブロディー医師は大きく呼吸をして背筋を伸ばした。「目は、もう見えない……」

タムズが床に頭をぶつけ泣き叫ぶ声が響きわっ立った。町の人も階下にいた自警団も2階に目を向けずにいられないほどの叫び声だ。ブロディー医師は立ち上がり、タムズの背中に歩み寄り膝をついた。そして肩に手を置いた。

「タムズさん、そのように大きな声を出してはいけません…。マルゴーはまだ気を失っています。眠っているんですよ。あなたが気をしっかり持ち、マルゴーとアルトを支えなければ……」

 タムズは唇を閉じ嗚咽を押し殺した。喉の筋肉が顎の骨をきつくしめつける。目をきつく閉じ、あふれ出る涙を力づくで押さえつけようとした。

「この町の中でも稀にみる美しい女だったんだがな……。」ガードナーがそういと、タムズはブローディー医師の腕を振り払いたちあがった。ガードナーに駆け寄り襟元を掴むと窓の備え付けられた壁に背中ごと後頭部を叩きつけた。

「お前に!お前になにがわかる!!」

 ガードナーは後頭部の痛みに顔をゆがめている。

 ブローディー医師は立ち上がり、タムズとガードナーに駆け寄る「タムズさん、落ち着いて!」タムズの腕をきつく掴むとガードナーを睨み付けた。「あなたも口がすぎますよ!!」

「ああ…」そういうと両腕でタムズの力を失った手を振りほどいた。タムズは床に崩れ落ちた。

「…すまなかったな、口が過ぎた」

そう口にするガードナーの耳に馬のひづめの音…馬は店の前でとまり鼻を鳴らしている。ガードナーはちらりと外を見た。馬上から飛び降り地に足をつけた若者は肩まで伸ばした美しいブロンドの髪をもっている。

「おっと…グレスデンの王子様のお出ましだぞ…」ガードナーは軽く舌打ちをした。

「ブロディー…」ガードナーはブロディー医師を見た。ブロディー医師が頷きタムズに寄り添うのを確かめると靴音を響かせて階下へ向かうのだった。


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