16 .キッチョムのいない夜-7-
人ごみの揺れる影を見つめながら歩を進め、その耳に狂気とも思える叫び声を聞きながらバレルガードナーは人ごみをかき分けていく。ハカモリに自らの恨みを込めた一撃を加えんと出遅れた若者の肩がガードナーの背にぶつかる。ガードナーはその若者の肩を掴み後ろに引きはらった。
ことが終えた人ごみの中心にロウガン・ハン・オスカーの背中が見えた。
「もう、いいだろう!お前ら本当にこいつを殺す気なのか!?」目を見開き笑顔をあたりに向けてロウガンが叫んでいた。彼の肩は息荒れることなく落ち着いていた。その半面で周りの男たちの肩は激しく揺れ、息を荒くしている。
「ハカモリをなぶり殺しにするんだ!」
「そうだ、殺せ!」
口々に叫ぶ男たちの声を聴くとロウガンは両手を上げた。
ハカモリの体を足元に踏みにじりながらロウガンはあたりに目を向け満足そうにうなずいた。
「わかっているさ!わかっているとも!!」ロウガンはハカモリを蹴り上げると満足そうに笑みを見せた。仰向けにされ死んでいるかのようにピクリとも動かないハカモリの瞳は瞼に隠され血が顔を覆っていた。
ロウガンは目を上げると不満をその眼に宿す男の肩に手を置き強く握り引き寄せた。
「俺はおまえの勇気を見た!」
そしてロウガンはそばにいた若い男の頭に手を置き激しく髪をくしゃくしゃにしながら微笑んだ。
「俺はお前の正義を見た!!今日ここにいる全員の心が一つになり新しい時代を迎えたのだ!!いいか、新しい時代は苦しみ続けたもの全員で迎えるんだ!このグレスデンの町のみんなで新しい時代を迎えようじゃないか!いまや俺たちの勇気は証明された!俺たちの正義は成就されたんだ!!しかし冷静でなくてはならない!奴の魂が帰ってくることは絶対に許されない!この肉の器に閉じ込めてすべてを灰にするのでなければ、こいつの魂はまた我々を苦しめることとなるだろう!!いいか、明日太陽が頭の上高く上った時、ハカモリの魂は神の怒りに触れ消滅するだろう!なぜなら我々の勇気と正義は神々の賞賛に値し、神もその重い腰をあげずにはいられないからだ!こいつはもはや日の光から逃げ隠れすることは許されない、われわれがこいつの罪を!行いを!陽のもとへ晒し、グレスデンの新たな歴史のはじまりとしようじゃないか!我々の勇気と正義がグレスデンの新たな歴史の礎となるだ!!勇気と正義の町グレスデンだ!!」
男たちは声を失い、呆然と立ち尽くしロウガンの声に聞き入っていた。誰もが恍惚とした表情を見せ、新たな町の風景が、太陽が昇り始めるとともに広がることをその胸に思い描いていた。
「やつを…立たせろ…」ロウガンは振り向きハカモリのそばで呆然と立ち尽くす男たちに命じた。慌てて二人の男がハカモリの腕をつかみ引き上げる。ロウガンはフードを取り払い、前髪を掴んだ。ハカモリの顔を引き上げるとその顔を見つめた。血が髪の隙間から流れ落ちてくる、眼ははれ上がり、唇もはれ上がっていた。
「どんな面だったか……いまとなっては想像もつかんな……。いいか、その魂に刻み込んでおけ、この町は勇気と正義の町……グレスデンだ……」そういうとローガンは口に含んだ唾をハカモリの顔に吐きつけた。「俺のパラダイスだ……俺のものに触れた当然の報いだ……それを教えてやる……」
そういうとロウガンは強く握る拳を上げた。ハカモリの鼻筋を流れ落ちる鮮血とロウガンの唾液、口から血が吐き出されるとロウガンは眉根をよせ不快感を表した。髪を握る手を離し、手のひらにつく赤い血を眺めた。
「汚ねえな……」
ロウガンはハカモリの正面に立つと身構え、足を振り上げた。ロウガンの固いブーツが唸るようにハカモリの腹部に食い込んだ。両手を支えていた男たちとともにハカモリの体は吹き飛ばされた。地面は黒く染まり静寂があたりを支配するとロウガンは叫んだ。
「パラダイスだ―――!!」
男たちは息を飲んだ。微かに声が響き始めた…「ロウガン…」誰からともなくその声が口をついて出てくる。「ロウガン…ロウガン……」男たちの口元は震え、その言葉をささやき始めていた。「ロウガン……ロウガン……」それは次第に大きくなっていた。男たちの喉が激しく震えた。
「……ロウガン!ロウガン!!」やがてそれは賞賛の声となり、歓喜を帯び叫び声へと変わっていった。
「―――ロウガン!!―――ロウガン!!」
「――ロウガン!―――ロウガン!!」
ロウガンは肩を震わせ振り向き、顔をあげその賞賛を体に浴びた。
歓喜の声をその耳で聞きながらバレル・ガードナーはハカモリを見た。鉄の鉤棒が足元に転がっている。
となりにいた男がガードナーの肩を掴み服をきつく引っ張った。ガードナーはその男を睨み付けるように肩越しに顔を向けた。
「なにを……!」
ガードナーは言葉を飲んだ。男の眼は血走り大きく見開かれている。しかし口元には笑みを浮かべ大声で叫んでいる。拳をつくり胸元でその腕を振るいながら叫んでいた。
「ロウガン!!ロウガン!!」
「……ロ、ロウガン……」かすかにガードナーが声を出すと男は満足げにうなずきながらさらに声を上げる。
「ロウガン!!ロウガン!!」
「ロ、ロウガン……ロウガン…」男はガードナーの声が少し大きくなったのを見て取るとその眼をロウガンに向け拳を高々とあげ叫び続けている。
「ロウガン……ロウガン……」そう声をあげながら再びハカモリに目をやった。ハカモリは真っ赤に染まった泡のような鮮血を口から吐き出していた。はだけたマントの下の深い傷口が目にとまった。三本…いや、4,5……三本の深い傷が並び、それを挟み込むように2本の小さな傷が肩から胸に走っていた。ガードナーはあたりを見わたした。遠くに熊手やなにかがちらほらと見えていたがどれも長さが均一であったり刃数が少なかったりと、傷跡とは一致しないことは明らかだった。ハカモリ自身の鉤棒も同様である。
致命傷になりかねないようなその傷にガードナーが歩み寄ろうとしたとき、襟首をつかまれ男たちに引き戻された。
「ああ……、ロ…ローガン…ローガン…」ガードナーは諦めたようにうなだれ、声をだし夜空を仰ぎ見た。歓喜の声は夜のグレスデンの町を揺るがせ、その声を聞きつけてか窓にあかりが灯り始めていた。
雲の隙間を西へ西へと移動しながら、月は夜空からその様子を無情に眺めているだけだった。