16 .キッチョムのいない夜-2-
最小限の明かりが灯されている自警団の詰所の中には8人ほどの男たちが息を殺すように押し黙って聞き耳を立てていた。ほの暗いその部屋の中、一番奥の窓際の壁にもたれかかりながら、テーブルに肘を立てかけ蝋燭の明かりに照らし出されるているロウガン・ハン・オスカーをバレル・ガードナーは見つめていた。
ほんの数分前の出来事だった。グレスデンの町になにかが破壊されるような音とともに数頭の悲鳴に似た馬の嘶きが響き渡ったのだ。
誰もが身を縮め耳を澄ました。ドアに手をかけ外に出ようとしたものもいたが、今夜は誰一人として外へ出てはいけないという指示が町中にでていた。ローガンは詰所にいた男たちにもその指示を守らせた。なにがあっても外にでてはいけない、これはローガン・ハン・オスカー自身が町中に下した命令だったからだ。
どれくらい時がたったのだろうか、誰一人として外の様子が気にならないものはいないはずだった。それはとうのローガンとて同じであろう。そんなことを考えながらガードナーはローガンの横顔を見つめていた。
しかし、ガードナーは揺れる蝋燭の炎に浮かびあがる涼しげなローガンの横顔を見てふとある考えが浮かんだ。彼にとって目的は一つだ。その目的のためならほかのことがどうなろうと知ったことではないのではないだろうか?たとえ町の人間が黒焦げになろうと、切り刻まれようと彼は眉ひとつ動かさないだろう。仮に、彼が声を上げたとしても命令に背いたものへの怒りのためだろう……?
そんなことを考えていた時だった。ドアを開け慌てて入ってきたものがいた。肩を激しく揺らし外を指さした。荒い息をなんとか抑えようとしながら言葉を吐き出そうとしている。かなり走ったのか汗だくになり言葉がでてこない。その姿はどこか怯えているようにも見えた。
「ロ、ローガンさん……!!い、いま……いま…」
ローガンは立ち上がり男を睨み付け、歩み寄った。
「おまえ、どうして外にでたんだ!!」
自警団の一人の男が慌ててドアを閉め、男に顔を向ける。
息を切らせながら男は顔をあげるとロウガンを見つめた。
「いえ、その……ハカモリが……グレスフォードの……!!
「グレスフォード!?」ロウガンは顔色を変え、男の肩をつかんだ「グレスフォードが、グレスフォードがどうしたんだ!?」
「ハ、ハカモリがグレスフォードの馬車を、襲ったんです……!!」
「……!!」ロウガンの瞳が怒りに満ちていく。
「……馬車は、四頭引きの……リディアさんの……」
ロウガンは男を床になぎ倒すと怒りに震えながら、拳を壁に打ち付けた。
「リディアが!!リディアが乗っていたのか!?」
男は首を落としうなだれた。男の肩をガードナーは掴み引き上げると椅子に座らせた。
「お前は見たのか?ハカモリが馬車を襲うところを…?」ガードナーはそういうと男の瞳を覗き込もうとする。
男は首を振ると顔を上げた。ガードナーはその眼から男が恐怖でおびえているのを見て取った。ガードナーの肩を握る手に力がこもる。しかし、男は首を振ると続けた。
「わたしが外へでたときにはもう馬車は横転し、炎をあげていました。そこに……そのすぐそばにハカモリが立っているのを見たんです……」
「リディアーヌ・グレスフォードは……」
男はうつむき首を振るだけだった。
「そんな……」ガードナーにはそれが本当に墓守の仕業なのかどうなのか?いまではどうでもいいことのような気がした。いや、彼の中ではそのことが真実となりつつあった。まるで男の恐怖がガードナーにも伝染したようだった。彼は冷静さを失いつつあった。
ガードナーが男の肩から手を離した。
その時、別の男が詰所に飛び込んできた。息を切らせながら詰所の中を見回すとすでに知らせは届いていると感じ取ったのか、壁に片手をつきなにも言わずに肩を揺らしている。呼吸を整えながら男は言葉を発した。
「グレスフォードの馬車が……」
「わかってる……」ロウガンは壁に拳をあててじっと壁を睨み付けながら言った。
重い空気がうすぐらい詰所にいる男たちの肩にのしかかっていた。
「リディアーヌは……?」ガードナーはそう問いながら男に歩み寄る。
男はふと顔をあげた。どうやら詰所の中には自分の持ってるすべての情報があるわけではないことらしいことを感じ取り、壁から手を離し男たちに向き直った。
「ああ…、リディアさんは、リディアさんなら無事です…。どうやら気をうしなっただけのようで……」
「ほんとうか!?本当なんだな!?」ロウガンは男の襟首をつかみ引き寄せた。
「ええ!!…本当です!グレスフォード家の近くで待機していたものの話だとルッベが屋敷に無事つれ帰ったと……」
ガードナーは張りつめていた空気に安堵の色が見えると肩の力を抜いた。そして眼をローガンに向けた。しかし緩んだ空気の中、ローガンは一息つくどころか恐ろしいほどに怒りで肩を震わせていた。唇をかみしめ目を見開いている。ガードナーは知っていた。いや、町中が知っていることであろう。ローガン・ハン・オスカーはリディアーヌ・グレスフォードに惚れているのである。惚れている一方で影では好き放題女と遊んでいる。大勢の中の一人かとも思っていたが、どうやらそれが特別で、本物であるらしいことをガードナーはこの時悟ったのである。
つまりは、ハカモリはローガン・ハン・オスカーの逆鱗に触れたのである。
「いいか、お前らはもう外へ出るんじゃない……。なにが起こっても予定通りことを運ぶんだ……。ハカモリに絶対に悟られるな。奴は絶対いつも通りの道をいく、俺たちはこの通りを通ったことを確認したら例の場所へ移動するぞ……」
男たちは息を飲み、無言でうなづいた。
「ハカモリをこの手でなぶり殺しにしてやる……、そして二度と息を吹き返さないようその体を灰にしてやるんだ……魂の行き場を奪い、地獄をみせてやるんだ……」
ガードナーの背中が凍りついたように冷たくなり、悪寒が走った。詰所に低く響くローガンの怒りと憎しみに満ちた声、それいじょうに冷たく光る青い瞳にガードナーの背筋は凍りついたのだ。まるでローガンの瞳こそが死人の瞳であるかのようだった。
「おまえら、何してるんだ……、蝋燭の炎を消せ、予定通りといっただろう……」
自警団のひとりが我に返ったように慌てて蝋燭へ駆け寄ると炎を吹き消した。
詰所は恐ろしいほどの暗闇に包まれた……。重たく体が凍えるほどの暗闇。男たちはその暗闇の中耳をそばだたせ、息を殺し、蹄の音が聞こえ始めるのをじっと待つのだった。