地下の宴‐2‐
地下の宴‐2‐
キッチョムの前で木製のジョッキを軽々と持ち上げ、デビーがワインを喉に流し込んでいる。喉元には分厚い肉がタプタプと揺れている。ジョッキをテーブルに叩きつけると酒臭い息をまき散らす。かなり酒がまわってきているようだ。
「美味だ!美味だよぉ…でも!でも!知っているかい、キッチョム!」
隣で片膝を椅子の上に引き上げてワインと飲みながらスタンはちらりとデビーをみた。キッチョムは硬いパンを小さくちぎり口の中へ放り込みジョッキを握った。
「実際のところこのワインは美味だ。でもデスブーツがそう思わせてるんだ。生きてるときに飲んだオルス酒店のワインはこんなものじゃなかった!まるで、そう口の中でクルクルと回りながらいい女がダンスを踊っている。まさにそういった感じだ!」
「いまじゃどうなんだ?」あきれてスタンがいうと、ディブィはふと考えるそぶりをみせる。そして立ち上がってこういった。
「うん!舌の上で大量のノミが飛び跳ねているんだ!」
キッチョムは口に含んだワインをぶちまけた。スタンはそれを見て大笑いしたがデビーはそれ見たかとしたり顔だ。
「ほら、見たことか!そうだろ?キッチョム」
「ちがうよ、君がへんなこというからだ…」キッチョムは慌てて袖でテーブルを拭いている。
「ああ……ごめんよ」ディブィは巨体を椅子におろすと「ほら、あそこを見て。ソファで飲んだくれてる爺さんだよ」
キッチョムとスタンがソファに目を向けるとひときわ大きいジョッキを抱いていびきをかいている老人がいる。壊れたソファに身をうずめ、鼻から頬が薄く紫色になっている。生きている頃は赤かったのであろう。
「しってるよ、あれがオルスだ」スタンがそういうとキッチョムも頷いてみせた。
「オルス酒店のもと親方だ」デビーはそういうと続けていった「死の間際、町の奴らは親方に死人の免罪符を取らせたんだ。ワインの味を保つためだった。息子はまだ若かったからね。オルスは死んでからずっとそのカウンターの傍に立ち毎日テイスティングしてメモを取った、そして息子にブドウの配合はこうだ、熟成はああだって手紙を書いたんだ」
「で、どうしてこんなノミが飛び回るような味になるんだ?」スタンは話の腰を折った。
「まあ、聞けよ、話し終わってないから……」ディブィは不服を表した目でスタンをみた。「味は日に日によくなっていった。季節が変わり新しい果実を収穫するころにはまた格段に味がよくなる。みんなテイスティングする親方を囲んでワインのうんちくに耳を傾けた、親方は演説さながらに講義をした。しかし、ある日を境にワインの味は変わらなくなった。それ以上に味は悪くなる一方だ。一人、また一人と親方のテイスティングに興味を失っていった……」
キッチョムはちらりとソファに深くうずもれるオルスを見た。ただの飲んだくれかと思っていたが、そういう時期もあったのかと思うと少し哀れだ。ディブィの話はまだ終わっていなかった。腰をかがめテーブルに上半身を乗り出している。キッチョムは机が傾かないように腕をテーブルに乗せ体重をかけた。
「オルスはテイスティングで味が悪くなっていくのが許せなかった。怒り心頭で手紙を書き、飲んだくれてはジョッキを壊すんだ。オルスがテイスティングする度にジョッキが壊れたんじゃ、みんなたまったもんじゃないだろ?」
スタンはそらそうだとばかりに頷いて見せた。
「…うん、だからみんなでオルスのテイスティングを辞めさせたんだ。そのかわりあの大きなバケツ…というかジョッキを渡した。その日からあのジョッキでノミのワインをがぶ飲み、カウンターじゃなくあのソファーがオルスの居場所になった。まるで毎日死んだように…、毎日そう、まるで死んでいるかのように、いや、かなり死んでいるかの……。その…」
「わかってる、とっくに死んでる。死んでるけど、その、魂も失ったかのようだ」
「そう、そのとおり!!」デビーは合点がいったかのように机を叩くと興奮して立ち上がった。「スタンの言うとおりだ!」
「まあまあ、いいよ、座れよ」スタンがデビーの袖をひっぱり椅子に腰を落とさせた「いまのはアレグロが使った表現を盗んだんだ」
「そうか、そうだったのか…」ディブィは尊敬に似たような眼差しを遠くで何やら叫んでいるアレグロに向けた。そしてキッチョムの顔に視線をうつすと「その、つまり、僕が言いたいのは、もっと上手いものが食べたくて…おいしいワインが飲みたい…」そういうとディブィは肩を落とした。
キッチョムはデスブーツを見渡した。寄進品を集めるのがキッチョムの仕事の一つだ。しかし「寄進品」とは名ばかり、どれもこれもガラクタか、三級品、劣化版だった。このワインがいい例かもしれない…。
寄進品は町と教会との契約だ。何百年と続いてき経緯がある。この教会は町なしではやっていけないし、町もまた教会なしではやっていけないはずだった。しかしいつの間にか、この教会は、この墓場が…。町の人々のお荷物となっていた。
「わかってる、わかってるんだ…ディブィ…」キッチョムはそういうとデビーの肩に手を置いた。「…僕が何とかする…」
「おいおい、何とかするってどうするんだよ?!こればっかりはどうしようもないだろう。デビーと約束するなら食い物以外にするんだな」
スタンがそう言ったのを耳にかけるよう様子もなくキッチョムは立ち上がった。
「そろそろ部屋に戻るよ…」そういうとキッチョムは立ち上がり、椅子に掛けてあったマントを手に取った。「デスダストを作らないと…」
「キッチョム、金曜日には寄進品を集めに行くんだろ?」デビーが子供のような目をキッチョムに向けている。期待と好奇心が入り混じった目付きだ。
「ああ…」キッチョムは笑って見せた。
「そうか、はは」デビーが嬉しそうに笑っている。
「なんだ?そんなにうまいものが喰いたいのか?」三人が目を向けると、いつから そこにいたのかゲイルがカウンターに持たれてジョッキを傾けワインを飲んでいる。
「ゲイルだって喰いたいだろう?」いぶかしげにデビーがそう言うとゲイルがキッチョムのもとに近づいてくる。
「まともな寄進品なんてキッチョムには無理だ、手に入るわけがないだろ。町の奴らはこいつのことを死人の使いだとか、悪魔の墓守だとか呼んでるんだからな。なあ、キッチョム、町の奴とまともに話したことあるのか?」キッチョムの顔にゲイルの酒臭い息が吹きかかる。キッチョムはゲイルから目を離した。事実、キッチョムは町の人間とほとんど会話をしたことなどなかった。恐れられる以上にキッチョムは町の人間を恐れているのかもしれない…。
「おまえは町の人間が怖いんだろ?ハハハ。図星か?!」
キッチョムのマントを握る手に力がこもった。
スタンは椅子を蹴り上げ立ち上がった。
「おっと!俺は親切でいってやってるんだ。俺を誰か忘れたか?オスカー家のゲイル様だぞ?町一番の権力者だ!いいか、うまいものが喰いたけりゃ、うまい酒が飲みたけりゃ、このゲイル様に頼むんだな。頭を下げてお願いすれば…、そうだな、考えてやってもいい、ハハハハ!」そういうと高笑いをしてゲイルは自分のテーブルへと戻っていく。
スタンが後を追おうとするのをキッチョムが腕を握って引き留めた。
「おい、俺はもう我慢の限界なんだけどな…」スタンが腕を引き払おうとする。
「君もそう思ってたろ!?僕が町の人間を恐れてると…」
「……!」スタンは驚いたようにキッチョムを見つめた。しかしその通りだった。「そ、そんなこと…」そう言いかけながらスタンは目線を落とした。
「ほんとのことだ…」キッチョムはテーブルのジョッキを手に取り「僕は大丈夫だ」そういって二人にジョッキを持つように促し、微笑んだ。
スタンはジョッキを手に取った。デビーもそれに続いてジョッキを手に取り立ち上がった。
二人がジョッキを手にしたのを確認するとニヤリと笑いキッチョムは叫んだ。
「死者の胃袋に!!」これは飲み干せの合図だ。
スタンとデビーは慌てるように「死者の胃袋に!」と声高にいうと一気にジョッキを傾けた。三人の喉元に大量のワインが流れ落ちていく。口元からワインが漏れ落ちていく…。三人はほぼ同時にテーブルにジョッキを叩きつけた。
「じゃあ、デスダストをつくるよ」
「ああ、頼んだぞ!俺たちはお前なしじゃ生きていけないんだから、な!デビー!」
「そのとおりさ、僕の体はみんな二倍あるからデスダストもみんなの2倍頼むよ!」
「ああ…考えとく…」キッチョムはクスリと笑うと二人に背を向けた。
キッチョムが階段を駆け上がっていくのを二人は見届け、椅子に腰かけた。
ディブィはちらりとスタンを盗み見た。なにやら真剣に考え込んでいる様子で言葉のかけようがない。かといってカウンターにワインを取りに行くのも妙に気が引ける。
空になったジョッキの底をただただ覗き込んでいると後ろから後頭部をひっぱたかれた。
「いて!」
スタンがニヤニヤ笑ってデビーを見ていた。
「なにするんだよ!スタン!」
「お前は余計なことじゃべりすぎるんだよ!」
「ああ…ごめんよ…」デビーが肩を落とすと、ジョッキが目の前に二つ置かれた。
「いいから、はやくワインついで来てくれよ、夜は長いんだ」
「ああ!そうだね、夜は長い」スタンの機嫌が悪くないと思うとほっとしたようにディブィは笑みを見せ立ち上がり、カウンターへ急いだ。
スタンはぼんやりとディブィの巨体を眺めていたが、実のところキッチョムのことで頭がいっぱいだった。