15.ダブル フェイトフル エンカウンター-5-
リディアはふさぎこむ影を、眼を開き見つめ続けていた。彼女は今にも轢かれそうになっている人影を前に瞳を閉じることができなかった。彼女が身を震わせその眼を閉じようとしたとき、人影が顔を上げたのを見たのである。その眼は赤くひかり、ちらちらと炎のように揺れていた。彼女はそれを見て取ると瞳を閉じるのを忘れ凝視したのである。
そして、馬の体で影が見えなくなったその瞬間、耳を塞ぎたくなるほどの激しい鉄の音が響き割った。
黒く大きな影がまるで黒い大きな鴉のように飛び上がったのである。その影の中には真っ赤に燃える瞳。ちらちらと口元に蛇の舌のような炎が見えた。
ベック少年は両手で顔を隠しうめき声をあげている。リディアは窓から身を乗り出しベック少年の肩を掴み激しく揺らした。
「大丈夫!!轢いてないわよ!!」
「え……」ベック少年は顔から両手を少し引き離し覗き見るようにリディアを見た。
「飛んだのよ!!私たちの頭の上、馬車を飛び越えたの!鳥みたいに……」
「鳥だったの!?」
「ちがう…!ちがうわ!!」リディアはそういうと恐ろしい鉄の音がいまだあたりに響き渡っていることに気付いた。
「シッ……」リディアは人差し指を口に押し当てベック少年に黙っているように促した。
「なに……?なにこの音……?!」
「私たちを追ってきてるんだわ……ベック止まっちゃだめよ!!いそいでスピードを上げて!!」
ベック少年はなにか言いたげな顔をしたが、恐怖からか声がでなかった。何度もうなづくと震える手で鞭を取り、馬の体を激しくたたき上げた。
リディアは馬車の中にいそいで取って返した。車内で膝間づくと座っていたシーツに手をかけた。がたりと音を立てたが、シートはびくともしなかった。リディアはシートを揺らした。そして思い出したかのようにシートを自分の方へいったん引いた。リディアの方へ音を立ててシートは引き寄せられた。シートを持ち上げると彼女はその中に首を突っ込んだ。
馬車の隠し箱の中にはいろんなものが見て取れたが、多くは日用品にガラクタだった。彼女は手を突っ込み片っ端からものを掴んだ。傘を取り出すと「違う!!」そういって箱のそとへ放り出す「これも違う!!」そういって箒を放り投げた。焦れば焦るほど見当違いのものが出てくる。斧を取り上げると「ああ…、重い、ちがうの!!」彼女の求めいているものは一つだった。ナイフでもなかった。
それは彼女の手に触れると小さく音を立てた。重くずっしりとしていたが、彼女のあこがれの武器だった。細く長いサーベルを彼女は箱の中にようやく見つけることができた。それを取り上げると胸に抱きしめた。
胸の高鳴りを感じた。体は恐怖で締め付けられ動くことができなかった。鉄の弾ける音がいたるところから聞こえてくる。どの方角から聞こえてくるのか見当がまったくつかない。戦いたいと思う心とは裏腹に体は石のようになりただただ震えていた。
「馬車をとめるな!!絶対に止めちゃいけない!!」
有無をいわせぬ力強い声に彼女は瞳を見開き、後部座席の窓を見つめた。墓守の影がすぐそこまで近づいてきていた。彼女はその影を見つめた。いつの間にか三つ又の恐ろしい鉤棒の先端が白く銀色に輝き、あたりに崇高な輝きを放っていた。
「彼は……見方だわ!!」
彼女は心の中でそう叫ぶと、腰をあげ左手のカーテンを勢いよく開いた。そこには流れゆく霧と石畳、怪物の影はなかった。反対側のカーテンに向き直り、彼女はサーベルの鞘を握った。いつでも握りに手をかけられるように身構える。そして、耳を澄ました。鉄の音は確実にカーテンの向こうから響いている。すぐ扉の向こうにいる気配すら感じた。
そして意を決すると、カーテンを勢いよく開いた。リディアはっきりとその恐ろしい顔を見ることとなった。まるでドアにへばりついていたかのようにスプリング・ヒールド・ジャックの顔がそこにあった。
彼女は握りを強く握りしめ勢いよく力を込め、サーベルを引き抜こうとした。しかしサーベルはガリッと鈍い音を立て、鞘の口元から赤い錆を吐き出した。半ば鞘から出た刀身は赤い錆にまみれ動きを止めていた。
すさまじい音とともに扉の一部と窓ガラスが破壊されカーテンが刃物で切られたかのように引き裂かれた。
リディアは腕を上げ身を守ったがその勢いに吹き飛ばされたかのように腰を落とした。
「そ、そんな……」彼女は鞘からサーベルを抜こうとするが頑なに動く様子はなく赤い錆が擦れ落ちてくるばかりだった。ふと目をあげると前部の窓を見た。ルッベの声が聞こえた。馬を煽っていた。
彼女は急いで立ち上がると窓から顔を出した。
「ルッベ何をしてるの!!」彼女はそういうと体を伸ばしルッベの襟首をつかみ引っ張った。
「ああ…!!馬車が…、手綱が!!」
「なにいってるの!?それどころじゃないのよ!!」無理矢理にルッベの体を窓の中に引きずり込もうとする。「離しなさい!!」手綱を握るルッベを強く引っ張る。ルッベは諦めたのか手綱を離しリディアの体を掴んだ。
二人の体が馬車の中に転がり込んだ瞬間、窓の外が赤く染まり炎が立ち上った。ランプは吹き飛び馬車に火がついた。
ルッベは両手で頭の上のハンチング帽を掴み叫び声を上げた。
「ルッベ!大丈夫!!私がついてるわ!」そういうとリディアはルッベを抱きしめた。そして錆びついたサーベルを手に取り鞘から引き抜こうとする。鈍い音を立ててサーベルは勢いよく鞘から飛び出した。しかしぼろぼろの刀身は赤いさびにまみれ鉄くず同然だった。